高橋誠一郎 公式ホームページ

原発再稼働差し止め判決と日本の司法制度

原発再稼働差し止め判決と日本の司法制度

 

5月22日に大飯原発の再稼働差し止め訴訟で、最大の争点だった耐震性の目安となる「基準地震動」について「(炉心溶融に結び付く)一二六〇ガルを超える地震が来ないとの科学的根拠に基づく想定は、本来的に不可能」と判断し、一二六〇ガルを超える地震が起きる危険性が否定できないとした画期的な判決が出ました。

その内容を「東京新聞」の記事によって紹介したあとで、司馬遼太郎氏の記述をとおして日本の司法制度の問題を確認することにします。

*   *   *

 使用済み核燃料の保管状況について「福島原発事故では4号機の使用済み核燃料が危機的状況に陥り、住民の避難計画が検討された」と指摘。関電の「堅固な施設は必要ない」との主張に対し、「国民の安全が何よりも優先との見識に立たず、深刻な事故はめったに起きないだろうという見通しに基づく対応」と断じた。そのうえで「危険性があれば運転差し止めは当然」と指摘。福島事故で検討された住民への避難勧告を根拠に、原告百八十九人のうち二百五十キロ圏内の百六十六人の請求を認めた。

 また、生存権と電気代のコストを並べて論じること自体が「法的には許されない」ことで、原発事故で豊かな国土と国民生活が取り戻せなくなることが「国富の喪失」だと指摘。福島事故は「わが国が始まって以来、最大の環境汚染」であり、環境問題を原発推進の根拠とする主張を「甚だしい筋違い」と断じた。

 *   *   *

このような判断は、「地殻変動」によって国土が形成され、いまも大地震が続く日本の地理的な状況からすれば、ごく当然のものと思われます。

しかし、このような判決が「画期的」となってしまう理由を司馬氏は、司法卿・江藤新平を主人公にした長編小説『歳月』や『翔ぶが如く』などの作品で明らかにしようとしていました。

すなわち、『坂の上の雲』で正岡子規の退寮問題と内務省とのかかわりにふれていた司馬氏は、「普仏戦争」で「大国」フランスに勝利してドイツ帝国を打ち立てたビスマルクと対談した大久保利通が、「プロシア風の政体をとり入れ、内務省を創設し、内務省のもつ行政警察力を中心として官の絶対的威権を確立」しようとしたと記していました(文春文庫、第1巻「征韓論」)。

フランスの民法を取り入れて近代的な司法制度を確立するために、井上馨や山県有朋などの汚職を厳しく取り締まろうとした江藤新平の試みは、「国家」を重視した当時の「薩長独裁政権」によってつぶされていたのです。

こうして、「プロシア風の政体」を取り入れて「国民」ではなく「国家」を重視した日本の司法制度の下では、列車事故などを引き起こした運転手などに対する「責任」は厳しく問う一方で、戦争など「国策」の名のもとに行った指導者に対しては、いかにその被害がおおきくても、その「責任」を問うことがまれとなり、それが後の「昭和別国」へとつながることを、長編小説『歳月』や『翔ぶが如く』などで強く示唆していました。

原発の再稼働問題だけでなく「特定秘密保護法」や「集団自衛権」などをとおして次第に明らかになってきたのは、 第二次安倍政権が目指しているのは、敗戦によってつぶされた「プロシア風の政体」を「取り戻す」強い意思であるように見えます。

 高裁や最高裁の判事が、原発の再稼働問題などでどのような判決をだすのかによって、司法制度の「独立性」が明らかになるでしょう。

 

« »

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です