自国に敵対する国々を「悪の枢軸国」と名付けたブッシュ大統領が、アフガンだけでなくイラクとの戦争を始めてから世界では強大な軍事力を背景に自国の文明を「中心」とみなすアメリカの「グローバリゼーション」に対する反発が強まり、日本のみならず世界の各地で草の根レベルでのナショナリズムや宗教的な原理主義が広まって、再び乱世の観さえ見せ始めているように見えます。
混迷した時代には、「自尊心」と「他者への復讐」という情念を煽り立てるような発言や歴史観が強い影響力を得るようになりますが、そのような歴史観が二度にわたる世界大戦を招いていたことを考えるならば、現在に必要なのは数千年の諸文明の歴史と国際情勢を踏まえて、理性的な形で問題解決を図るような広い歴史的視野でしょう。
この意味で注目したいのは、しばしば文芸評論家によって大企業の社長や政治家に好まれる小説を書いた作家と矮小化されることの多い司馬遼太郎氏が、日本の戦国時代から江戸時代に至る混乱の時期を描いた『国盗り物語』、『梟の城』、『夏草の賦』、『功名が辻』などの時代小説で、現代にも強く見られる「桃太郎の鬼退治」的な歴史観を鋭く批判していたことです(『司馬遼太郎と時代小説――「風の武士」「梟の城」「国盗り物語」「功名が辻」を読み解く』、のべる出版企画、2006年)。
たとえば、取材でバスク地方を訪れた司馬氏は仏文学者の桑原武夫との対談「東と西の文明の出会い」では、レコンキスタ(再征服運動)と称されるイスラム教徒との戦いで異教徒の財産を没収することも認められたことが、南欧勢力による南米やアフリカなどにおける「略奪経済」や異教徒の弾圧を生み、それが日本のキリシタン禁制などにもつながっていることを明らかにしていました(『対談 東と西』、朝日文芸文庫)。
戦国時代の武将達を描いた司馬氏の時代小説にも、「文明史家」とも呼べるような司馬氏の歴史的な視野が反映されていると思えます。
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