先ほどアップしたブログでも少しふれましたが、当初は小林秀雄の芥川龍之論と黒澤明の映画《羅生門》との比較は大きなテーマなので、今回は省くつもりでした。
しかし、このテーマを省いてしまうと司馬遼太郎が「歌は事実をよまなければならない」(『坂の上の雲』・「子規庵」)として「写生」の重要性を訴えた子規から漱石を経て、芥川につながる日本文学の流れを踏まえている黒澤と、このような流れを軽視していると思える小林秀雄との違いが見えにくくなってしまうことに気づき、急遽、必要最小限はふれるようにしました。
そのために発行の予定が大幅に延びてしまいましたので、その一部を「主な研究」に抜粋して掲載するとともに、ドストエフスキーの初期の作品と芥川作品との関連についても少し言及しておきます。
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