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「特定秘密保護法」と「昭和初期の別国」――半藤一利氏の「転換点」を読んで

「特定秘密保護法」と「昭和初期の別国」――半藤一利氏の「転換点」を読んで

「特定秘密保護法案」が不意に法案として提出されたときにまず浮かんだのは、司馬遼太郎氏がご存命だったら、厳しい批判のエッセーを多くの新聞や雑誌に発表して頂けただろうという思いでした。

しかし、司馬氏はすでに鬼籍に入られており、司馬氏の深い理解者だった作家の井上ひさし氏、ジャーナリストの青木彰氏、さらに文明学者の梅棹忠夫氏なども亡くなられていました。

こうして、多くの不備があるにもかかわらず、唐突に提出されたこの法案は、きちんとした批判が新聞や雑誌で行われず、国会での十分な議論も行われる前に強行採決されたのです。

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この「特定秘密保護法」が成立したとの報に接した時には、強い怒りを感じるとともに、司馬氏がこの「無残」ともいえる議会の状況を眼にされなくてよかったとも感じました。

なぜならば、司馬氏は『世に棲む日日』(文春文庫)において、当時は狂介と名乗っていた山県有朋が相手を油断させてたうえで「夜襲」をしかけたことを、武士ではなく足軽の発想であると厳しく断罪していたからです。

司馬氏の重い感慨を代弁していると思えるような半藤一利氏の記事「転換点 いま大事なとき」が、18日の「朝日新聞」に掲載されましたので、司馬氏の言葉とともに紹介して起きます。

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「この国はどこに向かおうとしているのでしょう。個人情報保護法だけでも参っていたのですが、特定秘密保護法ができた。絶望的な気分です。個人情報保護法で何が起きたか。軍人のメモや日記を調べに防衛省防衛研究所を訪ねても、「個人情報」にかこつけて見せてくれなくなった。」

歴史的にみると、昭和の一ケタで、国定教科書の内容が変わって教育の国家統制が始まり、さらに情報統制が強まりました。体制固めがされたあの時代に、いまは似ています。」

 「自民党の憲法改正草案には『公益および公の秩序』という文言が随所に出てきます。『公益』『公の秩序』はいくらでも拡大解釈ができる。この文言が大手をふるって躍り出てくることが、戦前もそうでしたが、歴史の一番おっかないところです。」

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 このような「悪法」を国民の強い反対にもかかわらず強行採決した安倍政権の支持率が今も高いのは、「アベノミクス」と名付けられた「バブル」を煽るような経済政策による一時的な好景気(感)に支えられたものだと思われますが、経済を優先させて日本人の倫理観を喪失させた「バブル」経済にもっとも厳しかった「有識者」の一人が司馬遼太郎氏でした。

「大地」の重要性をよく知っていた司馬氏は、「土地バブル」の頃には、「大地」が「投機の対象」とされたために、「日本人そのものが身のおきどころがないほどに大地そのものを病ませてしまっている」ことを「明石海峡と淡路みち」(『街道をゆく』第7巻、朝日文庫)で指摘していたのです。

しかも戦前や戦中の日本における「公」の問題も考察していた司馬氏は、「正しい意味での公」という「倫理」の必要性を次のように記していたのです。

すなわち、司馬氏は「海浜も海洋も、大地と同様、当然ながら正しい意味での公のものであらねばならない」が、「明治後publicという解釈は、国民教育の上で、国権という意味にすりかえられてきた。義勇奉公とか滅私奉公などということは国家のために死ねということ」であったとしました。そして司馬氏は、「われわれの社会はよほど大きな思想を出現させて、『公』という意識を大地そのものに置きすえねばほろびるのではないか」という痛切な言葉を記していたのです。

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 半藤氏は「この国の転換点として、いまが一番大事なときだと思います」と結んでいます(「朝日新聞」12月18日、38面)。

私も司馬遼太郎の研究者として新聞記者・正岡子規の気概を受け継ぎつつ、これからもこのホームページをとおして21世紀の新しい文明の形を考察し、それを発信していきたいと考えています。

最後に、ブログのタイトル「風と大地と」の由来を説明している記事のリンク先を記しておきます。

アニメ映画『風立ちぬ』と鼎談集『時代の風音』(ブログ)7月20日

「大地主義」と地球環境8月1日

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