12月15日に行われた黒澤明研究会の例会で「科学者の傲慢と民衆の英知――ドストエフスキーで映画《夢》と《生きものの記録》を解読する」と題した発表をしました。
映画《白痴》はともかく、ドストエフスキーで1954年の「第五福竜丸」事件をきっかけに撮られた《生きものの記録》や映画《夢》を解読するのは、強引過ぎると感じられる方も多いと思います。
しかし、ドストエフスキーは『罪と罰』のエピローグでラスコーリニコフに「人類滅亡の悪夢」を見させていましたが、1955年に公開された映画《生きものの記録》でも主人公が「とうとう地球が燃えてしまった!!」と叫ぶシーンが、そして映画《夢》では原発の爆発のシーンが描かれているのです。
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さらに《生きものの記録》が公開された翌年の12月には黒澤明と小林秀雄の対談が行われていました。
残念ながら、この対談記録は掲載されず、全体像を明らかにするような記録も残っていないのですが、断片的にはこのときの対談の模様を記した記事が残されていますので、ある程度はこの対談記録が消えた「謎」に迫ることが可能だと思われます。
この意味で重要だと思われるのは、1975年に行われた若者たちとの対談で黒澤明監督が、「小林秀雄もドストエフスキーをいろいろ書いているけど、『白痴』について小林秀雄と競争したって負けないよ。若い人もそういう具合の勉強のしかたをしなきゃいけない」と語っていたことです。
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黒澤明と小林秀雄との関係を時系列に沿って記すと、小林秀雄の「『白痴』についてⅡ」が、映画《白痴》公開の翌年から書かれていることや、長い中断を挟んで発表されたその第9章が、『虐げられた人々』のネリーを元にした少女が描かれている映画《赤ひげ》の制作発表パーティの翌年に書かれていることなどが浮かび上がってきます。
発表に際してドストエフスキーに焦点を絞って簡単な「黒澤明・小林秀雄関連年表」を作成しましたので、ホームページ用に改訂して「年表」のページに掲載します。
なお、この年表は映画《生きものの記録》と映画《夢》を論じるために作成したために、小林秀雄の『悪霊』論とも深く関わる1940年の『我が闘争』の読後感や、「英雄を語る」と題して行われた鼎談などには触れていません。
近日中にそれらも含めた年表を作成する予定です。
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