ここのところしばらく「特定秘密保護法案」の問題と取り組んでいたために、拙著『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」で映画《夢》を解読する』の執筆から遠ざかっていました。
まだ、完成稿の段階ではありませんが、執筆に向けて集中力を高めるためにも、その概要と目次案を先に公開することにしました。
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この著書では映画《夢》を小林秀雄の『罪と罰』観との比較を通して考察しているだけでなく、映画《生きものの記録》とドストエフスキーの『死の家の記録』との比較も行っています。
来年はビキニ沖で行われたアメリカの水爆実験により「第五福竜丸」が被爆した事件から60周年にあたりますが、この事件をきっかけに撮られた黒澤明監督の映画《生きものの記録》(1955年)は、興行的にはたいへんな失敗となりました。
前作の《七人の侍》が大ヒットしたにもかかわらず、この映画がなぜヒットしなかったのを考えることは、チェルノブイリ原発事故と同じような規模の原発事故が福島第一原子力発電所で起こり、今も収束していない日本において、国内における原発の推進や海外への販売が進められるようになった理由を「考えるヒント」にもなるでしょう。
さらに、黒澤映画を通して小林秀雄のドストエフスキー観を考察することにより、日本の一部の研究者が矮小化して伝えようとしているドストエフスキーの全体像を明らかにすることができると思います。
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