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司馬作品から学んだことⅧ――坂本龍馬の「大勇」

司馬作品から学んだことⅧ――坂本龍馬の「大勇」

今も、国会の前では「特定秘密保護法案」の慎重審議や廃案を求めて、忙しい時間を割いて1万5千にも達する人々が寒空の下で「声」を挙げているとの報道がなされています。

自民党が6月に発表した選挙公約には「特定秘密保護法」の文字もなく、首相が国会冒頭の所信表明でも言及していませんでした。その「法案」は、国家の未来をも左右するような重要性を持つにもかかわらず、原発事故の「隠蔽」など問題のある報道もあって参議院選挙に勝った与党は、数の力で強引に押し通そうとしているのです。

政府与党の政治家たちの言動からは、人々の切実な「声」をも「テロ行為とその本質においてあまり変わらない」と記すなど、「民」の心の痛みを思いやる姿勢を失ってしまっているかのようにも見えます。

一方、そのような現在の政治家たちを見て想起するのは、 長編小説『竜馬がゆく』において「歴史の扉をその手で押し、そして未来へ押し開けた」と描かれている坂本龍馬(以下、竜馬と記す)の勇気と行動力のことです。

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 司馬遼太郎氏との対談で作家の海音寺潮五郎氏は、孔子が「戦場の勇気」を「小勇」と呼び、それに対して「平常の勇」を「大勇」という言葉で表現していることを紹介しています。そして海音寺氏は日本には命令に従って戦う戦場では己の命をも省みずに勇敢に戦う「小勇」の人は多いが、日常生活では自分の意志に基づいて行動できる「大勇の人」はまことに少ないと語っていました(『対談集 日本歴史を点検する』、講談社文庫、1974年)。

 司馬氏が長編小説『竜馬がゆく』で描いた坂本竜馬は、そのような「大勇」を持って行動した「日本人」として描かれているのです。

 たとえば、勝海舟から国際情勢を詳しく聞いていた竜馬は、「砲煙のなかで歴史を回転させるべきだ」という中岡慎太郎の方法に対しては強い危惧を、「いまのままの情勢を放置しておけば、日本にもフランスの革命戦争か、アメリカの南北戦争のごときものがおこる。惨禍は百姓町人におよび、婦女小児の死体が路に累積することになろう」と想像したと書いています(五・「船中八策」)。

 そのような事態を日本でも起こさないようにと苦慮していた竜馬が思いついたのが「船中八策」であり、司馬氏はその策を聞いて憤慨した亀山社中の若者・中島作太郎(信行)との対話をとおして「時勢の孤児になる」ことを選んだ竜馬の「大勇」を次のように描いています。

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  「坂本さん、あなたは孤児になる」という指摘に対して、「覚悟の前さ」と竜馬に答えさせていた司馬は、別れ際に「時勢の孤児になる」と批判したのは言いすぎだったと詫びた中島作太郎に対して、「言いすぎどころか、男子の本懐だろう」と竜馬に夜風のなかで言わせたのである。

 そして、「時流はいま、薩長の側に奔(はし)りはじめている。それに乗って大事をなすのも快かもしれないが、その流れをすて、風雲のなかに孤立して正義を唱えることのほうが、よほどの勇気が要る。」と説明した司馬は、竜馬に「おれは薩長人の番頭ではない。同時に土佐藩の走狗でもない。おれは、この六十余州のなかでただ一人の日本人だと思っている。おれの立場はそれだけだ」と語らせていた(下線引用者、五・「船中八策」)。

 司馬が竜馬に語らせたこの言葉には、生まれながらに「日本人である」のではなく、「藩」のような狭い「私」を越えた広い「公」の意識を持った者が、「日本人になる」のだという重く深い信念が表れていると思える。子供たちのために書いた「二十一世紀に生きる君たちへ」という文章を再び引用すれば、「自己を確立」するとともに、「他人の痛みを感じる」ような「やさしさ」を、「訓練して」、「身につけ」た者を司馬は、「日本人」と呼んでいるのである。

  「時勢の孤児」

 興味深いのはこの前の場面で、「もし天がこの地上に高杉を生まなかったならば、長州はいまごろどうなっていたかわからない。」という感慨を抱いた竜馬に、二ヵ月前に亡くなった高杉晋作のことを思い出させながら、「面白き、こともなき世を、おもしろく」という辞世の上の句を晋作が詠んで苦吟していると、看病していた野村望東尼(もとに)が、「住みなすものは心なりけり」と続けたことを紹介した司馬が、おりょうに、「思い出したときが供養だというから、今夜は高杉の唄でもうたってやろう」と、竜馬が「三千世界の烏を殺し主と朝寝がしてみたい」という晋作の唄を三味線をひきながら歌ったことも描いていることである。

 晋作が攘夷派の同志たちによって暗殺される危険性を熟知しながら、「大勇」を発揮して、長州藩の滅亡の危機を救うために藩代表の使節として四国艦隊との講和交渉に臨んでいたことを思い起こすならば、この場面は日本を内戦から救うために竜馬が重大な覚悟をしたことをも暗示していると思われる。事実それは、かつて竜馬が北添を諫めたように時勢という強烈な流れに逆らって船出をするような決断であり、「時勢の孤児」になるような危険な道でもあった。

 しかも、高杉晋作や桂小五郎、井上聞多などと下関の酒亭で酒を飲んだ際に、「世が平いだあと、どう暮らす」ということが話題になった際に、「両刀を脱し、さっさと日本を逃げて、船を乗りまわして暮らすさ」と答えた竜馬が、高杉がくびをかしげたのを見て、すかさず「君は俗謡でもつくって暮らせ」と語ったことも描いていた司馬は、「はるか下座に伊藤俊輔、山県狂介らがいた。みな維新政府の顕官になり華族に列した連中である。」と続けていたのである。

 つまり、薩摩藩や幕府に対する影響力を強めているイギリスやフランスの思惑にはまって、悲惨な内戦を起こさないように、「戦争によらずして一挙に回天の業」を遂げられる策を必死に探して、「日本を革命の戦火からすくうのはその一手しかない」として竜馬が出したのが、大坂へ行く船中で書き上げた、いわゆる「船中八策」であった。

 (中略)

  さらに、「上下議政局を設け、議員を置きて、万機を参賛(さんたん)せしめ、万機よろしく公議に決すべき事」という「第二策」について司馬は、「新日本を民主政体(デモクラシー)にすることを断乎として規定したものといっていい。」と位置づけ、「余談ながら維新政府はなお革命直後の独裁政体のままつづき、明治二十三年になってようやく貴族院、衆議院より成る帝国議会が開院されている。」と続けている(下線引用者)。

 そして、「他の討幕への奔走家たちに、革命後の明確な新日本像があったとはおもえない。」と書いた司馬は、「この点、竜馬だけがとびぬけて異例であったといえるだろう。」と続けている。(中略)

 つまり、「流血革命主義」によって徳川幕府を打倒しても、それに代わって「薩長連立幕府」ができたのでは、「なんのために多年、諸国諸藩の士が流血してきた」のかがわからなくなってしまうと考えた竜馬は、それに代わる仕組みとして、武力ではなく討論と民衆の支持によって代議士が選ばれる議会制度を打ち立てようとしていたのである。

          (『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと』、人文書館、2009年、322~325頁)。

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このブログ記事を書き終えてテレビを見たところ、「特定秘密保護法」が自民党と公明党の賛成多数により可決されたとの報道がされていました。

「テロ」への対策などを目的に、これまでの国会での手続きを無視して強引に可決されたこの法律は、原発事故や基地問題などの重要な「情報」を国民に知らせることを妨げ、国民の「言論の自由」を奪うことになるでしょう。

一部の政治家と高級官僚によって秘密裏に進められることになるこの国の政治は、近隣諸国の疑心をも生んで、東南アジアに緊張関係を作り出すことにもなると思われます。

*   *   *

私たちに求められているのはこのような事態に絶望することなく、竜馬のような「大勇」をもって、盟友・桂小五郎をはじめ多くの日本の「民」によって受け継がれた真の「国民国家」の理念を粘り強く実現することでしょう。

それは「核兵器の拡散」が進む一方で、地震多発国でも原発建設が進んでいる現在の危険な世界のあり方をも変革することにつながると思えます。

 

(2016年2月10日。リンク先を追加)

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