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司馬作品から学んだことⅥ――「幕藩官僚の体質」が復活した原因

司馬作品から学んだことⅥ――「幕藩官僚の体質」が復活した原因

「特定秘密保護法案」の「廃案」に向けた先日の呼びかけに非常に多くの方の閲覧があったばかりでなく、いくつかの学会からは真摯で誠実な対応がありました。深く感謝します。

むろん、学会という大きな組織にはさまざまな意見の人がいますし、私も比較文明学的な視点から生態学における「多様性」を重要視しています。

しかしその多様性ばかりでなく生命や民主主義の原則をも脅かすような「悪法」には、それぞれの場からきちんと反対の意見をのべることが必要だと考えています。

呼びかけの文章をもう一度、記しておきます。

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「テロ」の対策を目的とうたったこの法案は、諸外国の法律と比較すると国内の権力者や官僚が決定した情報の問題を「隠蔽」する性質が強く、「官僚の、官僚による、官僚と権力者のための法案」とでも名付けるべきものであることが明らかになってきています。

それゆえ私は、この法案は21世紀の日本を「明治憲法が発布される以前の状態に引き戻す」ものだと考えています。

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ただ、ブログに掲載した後で、現在の官僚の実情を知らない者が書く文章にしては少し語調がきつかったかとも思いましたが、11月30日付けの朝日新聞のネット版には前中国大使・丹羽宇一郎氏の「秘密増殖、官僚の性」と題された記事が載っていました。それを読んで私の記述が間違ってはいなかったとほっとすると同時に、改めてこのような「悪法」を強行採決した現政権に対する怒りがわいてきました。

以下にその一部を引用しておきます。

「民主主義国家の日本で、こんなことが本当にまかり通るのか、と白昼夢をみる思いです。福島県の公聴会で、意見を述べた7人はみな慎重な審議を求めました。その翌日に衆議院で強行採決とは、茶番劇です。問題点を指摘する国民の声が、民主主義のプロセスが、無視されています。」

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司馬遼太郎氏は『坂の上の雲』を書くのと同時に幕末の長州藩に焦点を当てて『世に棲む日日』を描き、そこで蘭学者・佐久間象山の元で学び国際的な視野を獲得していく若々しい松陰を描き出すとともに、「革命の第三世代」にあたる山県狂介(有朋)を、「革命集団に偶然まぎれこんだ権威と秩序の賛美者」と位置づけていました(第3巻、「ともし火」)。

ここでは拙著『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと』人文書館、2009年)より、第7章の「『幕藩官僚の体質』の復活」の節を引用しておきます。

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注目したいのは、『世に棲む日日』の第二巻で司馬が竜馬の親友で革命後の政界で巨頭となる桂小五郎が、「いまの政府にときめいている大官などはみな維新前後のどさくさに時流にのった者ばかりだ。かれらには維新の理想などがわからず、利権だけがある。」と痛烈に批判し、「こういう政府をつくるためにわれわれは癸丑以来粉骨したわけではない。死んだ同志が地下で泣いているに相違ない」と語ったと描いていたことである(二・「長州人」)。

 そして、長州藩の重役たちの官僚的な体質を分析した箇所で、一八五三年に来日して幕府の役人と交渉した経験から、幕府の「ヤクニン」を「責任回避の能力のみ」が発達していると厳しく批判したロシアの作家ゴンチャローフの考察を紹介した司馬は、「当時のヨーロッパの水準からいえば、帝政ロシアの官僚の精神は多分に日本の官僚に似ていた。」と書いていた(三・「ヤクニン」)。

 さらに司馬は、「この徳川の幕藩官僚の体質は、革命早々の明治期にはあまり遺伝せず」、「昭和期にはその遺伝体質が顕著になった。」と続けていたが、なぜそうなったかの理由については幕末を扱ったこの長編小説ではあまり考察していない(傍線引用者)。

 しかし、高杉から決起を呼びかけられた諸隊の隊長たちの会議で沈黙を守っていた山県について、「かれはいつの場合でも自分の意見を言わないか、言っても最小限にとどめるというやりかたをとっていた。」と指摘した司馬は、「山県のずるさ」と責任回避能力の高さを厳しく批判していた(三・「長府屯営」)。

 それゆえ『坂の上の雲』の第一巻において、司馬は旧長州奇兵隊士の出身であった山県にとって幸運だったのは、大村益次郎が「維新成立後ほどなく兇刃にたおれたこと」で、「『長の陸軍』は山県有朋のひとり舞台になった。」と書いているのである(一・「馬」)。そして司馬は、「山県に大きな才能があるとすれば、自己をつねに権力の場所から放さないということであり、このための遠謀深慮はかれの芸というべきものであった」とし、ことに「官僚統御がたれよりもうまかった。かれの活動範囲は、軍部だけでなくほとんど官界の各分野を覆った」と厳しい評価を記している。

 この記述に注意を払うならば、昭和初期に顕著になる、自分の意見は語らずに権威に追従することで保身をはかろうとする「幕藩官僚の体質」は、山県有朋によって復活されたと司馬が考えていたと言っても過言ではないだろう。(再掲に際しては、文章の簡単な改訂を行った)。

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「テロ」の対策を目的として掲げつつ、きちんとした議論もないままに衆議院で強行採決された「特定秘密保護法案」は、この 「幕藩官僚の体質」を平成において復活させることになるでしょう。

 

(2016年2月10日。リンク先を追加)

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