3月に行われた「ドストエーフスキイの会」の第214回例会で私は、「ムイシュキンはスイスから還つたのではない、シベリヤから還つたのである」という小林秀雄の解釈を中心に「テキストからの逃走」と題して小林秀雄の「『白痴』についてⅠ」を考察しました。発表後の質疑応答の際には「Ⅰ」だけでなく、「『白痴』についてⅡ」にもふれた方が分かり易かったとの感想も頂きました。
また、『ドストエーフスキイ広場』の第22号には、「『見る』という行為――ムイシュキン公爵とアデライーダ」と題された川崎浹氏の論考が掲載されており、この号の合評会では木下豊房氏が「ドストエフスキーのリアリズムの深さ、独自性」という視点から川崎氏の論考を高く評価しています。
これら二つの点は小林秀雄と黒澤明監督のムィシキン観とも深く関わっていると思われるので、「ムィシキンの観察力とシナリオ『肖像』」を「主な研究(活動)」に掲載しました。
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