「第五福竜丸」事件から60年目にあたる来年の3月には発行したいと考えている『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」で映画《夢》を読み解く』の執筆がここのところ遅れがちなので、しばらくは「特定秘密保護法」についての記述は控えるようにしようかと考えていました。
しかし、今朝の「東京新聞」には、修正案の「国会」での討議もほとんどないままに、与党がこの法案の衆議院での通過を考えているとの記事が載っていました。このことは民主主義の根幹である「国会」をないがしろにしてでも、政府・与党が権力を絶対化することのできるこの法案の成立を狙っていることを物語っていると思います。
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「ブログ」に書いた〈司馬遼太郎の「治安維持法」観〉と〈「特定秘密保護法案」と明治八年の「新聞紙条例」(讒謗律)〉 を読んだ知人の方から下記のようなメールを頂きました。
「確かに新聞紙条例なんていう悪法もありましたね。
21世紀にもなるというのに、秘密保護法の次には新聞紙条例、なんていうことになるのでしょうか。
言論の自由があるうちに、きちんと発言しておかなければ、気がついたらなんの自由もなくなっていた、ということになってしまうかもしれません。」
実際、現在の政府・与党のやり方からは、まずは国民の「言論の自由」を制限し、その後で「改憲」を行おうとする意図が前面に出てきていると思えます。
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司馬氏の歴史観については、これまでも矮小化された形で論じられることが多かったのですが、『坂の上の雲』が3年間にわたり、司馬氏の遺志に反して放映されたこともあり、きわめて評判が悪くなっています。
しかし、前記の「ブログ」記事などでも引用したように、司馬氏が『翔ぶが如く』で詳細に記した「新聞紙条例」(讒謗律)や内務省についての考察からは、幕末から現代の状況をも予見するような視野の広さが感じられます。
「言論の自由」を奪われる前に、「記事」のようなまとまったものにはならない場合もありますが、時間の合間を縫って考えたことや感じたことや少しずつでも掲載することで、司馬作品の多くの愛読者にも「特定秘密保護法」の危険性を伝えていきたいと考えています。
(2016年2月10日。改題し、リンク先を追加。2016年11月1日、リンク先を変更)
→正岡子規の時代と現代(1)――「報道の自由度」の低下と民主主義の危機
→正岡子規の時代と現代(2)――「特定秘密保護法」と明治八年の「新聞紙条例」(讒謗律)
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