2013年9月28日に昭和女子大学で、「トルストイで司馬作品を読み解く――『坂の上の雲』と『翔ぶが如く』を中心に」という題名の講演を行いました。
故藤沼貴前会長や川端香男里現会長はじめ著名な研究者を擁し、多くのすぐれた研究を積み重ねてこられたこの会で講演する機会を与えられたことを光栄に思っています。
最初は「『戦争と平和』で司馬作品を読み解く」という題名で発表しようと考えていました。しかし、大逆事件の前年に森鴎外は小説『青年』で、夏目漱石をモデルとした登場人物に、日本ではトルストイさえも「小さく」されていると語らせていましたが、それはドストエフスキーについてもあてはまると思えます。
『戦争と平和』のエピローグで「祖国戦争」の勝利のあとでたどるロシアの厳しい歴史を示唆したトルストイは、「日露戦争」の最中には敢然と戦争の惨禍を指摘していました。
一方、現在の日本ではきちんとした議論もないままに、「特定秘密保護法案」さえもが採択されそうな状況となり、福島第一原子力発電所の事故の状況さえも「国家的な秘密」とされたり、兵士が不足しているアメリカ政府の要請によって日本の若者が戦場へと送られる危険性が強くなってきています。
それゆえ講演ではまず、トルストイのドストエフスキー観をとおして日本の近代化のモデルとなったロシアの近代化の問題点を指摘し、その後で『戦争と平和』を強く意識しながら『坂の上の雲』を書いた司馬遼太郎の『翔ぶが如く』における「教育」と「軍隊」の制度や「内務省」と「法律」の問題の考察を明らかにすることで、トルストイの現代的な意義に迫ろうとしました。
ただ、長編小説『翔ぶが如く』はあまり有名な作品ではないので、司馬文学の愛読者以外の方にとっては少し難しい講演になってしまったと反省しており、論文化する際には、やはり『戦争と平和』と『坂の上の雲』の比較になるべく焦点を絞って書くようにしたいと考えています。
司会の労を執られた木村敦夫氏や事務局長の三浦雅正己氏はじめ、関係者の方々にこの場をお借りして感謝の意を表します。
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