日本比較文学会で口頭発表した論文のレジュメ注*6では、黒澤明監督と小林秀雄のドストエフスキー観との相違については、「小林秀雄のドストエフスキー観と映画《白痴》」というテーマで稿を改めて書く予定であると記していました。
小林秀雄の『白痴』論については、翌年の3月23日に行われた「ドストエーフスキイの会」の第214回例会で「テキストからの逃走――小林秀雄の「『白痴』について1」を中心に」という題名で考察しました。
報告要旨はすでに「ドストエーフスキイの会」の「ニュースレター」と「ネット」(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)に掲載されていますが、このホームページの「主な研究(活動)」のページでも再掲することにします。
発表に際しては「テキストからの逃走」という刺激的な題名を付けましたが、その一番大きな理由は「ムイシュキンはスイスから還つたのではない、シベリヤから還つたのである」とテキストとは全く違う解釈をしていたことによります。
発表後の質疑応答では、「『白痴』について1」だけでなく、戦後に書かれた「『白痴』についてⅡ」も視野に入れるとより分かり易かったとのご指摘もありました。そえゆえ、現在は小林秀雄の『白痴』論を中心に『罪と罰』論をも視野に入れつつ改稿中で、『ドストエーフスキイ広場』第23号に掲載される予定です。
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