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司馬遼太郎の洞察力――『罪と罰』と 『竜馬がゆく』の現代性

司馬遼太郎の洞察力――『罪と罰』と 『竜馬がゆく』の現代性

先のブログ記事で坂本龍馬を主人公とした『竜馬がゆく』を読んだ時には、司馬遼太郎という作家が若い頃にはおそらく、坂本龍馬と同じ時代を生きていたドストエフスキーの文学を耽読していたのだろうという推測を記しました。

その理由は『罪と罰』と 『竜馬がゆく』における「正義の殺人」の分析が、その後の歴史状況をも見事に捉えていることです。

クリミア戦争後の思想的な混乱の時代に「非凡人の理論」を編み出して、自分には「悪人」を殺すことで世直しをすることが許されていると考えた『罪と罰』の主人公の行動と苦悩を描き出したドストエフスキーは、予審判事のポルフィーリイに「もしあなたがもっとほかの理論を考え出したら、それこそ百億倍も見苦しいことをしでかしたかもしれませんよ」と批判させていました。

八五〇万人以上の死者を出した第一次世界大戦後に、ヘルマン・ヘッセはドストエフスキーの創作を「ここ数年来ヨーロッパを内からも外からも呑み込んでいる解体と混沌を、これに先んじて映し出した予言的なものであると感じる」と記していました(拙著 『「罪と罰」を読む(新版)――〈知〉の危機とドストエフスキー、刀水書房、六頁)。

実際、敗戦後の屈辱感に覆われていた中で、「大国」フランスを破った普仏戦争の栄光を強調することでドイツ人の民族意識を煽ったナチス政権下のドイツでは「非凡人の理論」は「非凡民族の理論」となって、ユダヤ人の虐殺を正当化することになったのです。

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古代中国の歴史家・司馬遷が著した『史記』を愛読していた司馬氏を特徴付けるのは、情念に流されることなく冷静に歴史を見つめる広く深い「視線(まなざし)」でしょう。

太平洋戦争後の敗戦から間もない時期に司馬氏が 『竜馬がゆく』で取り上げたのは、「黒船」による武力を背景にした「開国」要求が、日本中の「志士」たちに激しい怒りを呼び起こし、「攘夷」という形で「自分の正義」を武力で訴えようとした幕末という時代でした。そのような混乱の時代には日本でも、中国の危機の時代に生まれた「尊皇攘夷」というイデオロギーに影響された武市半平太は、深い教養を持ち、人格的にも高潔であったにもかかわらず、自分の理想を実現するために「天誅」という名前の暗殺を行う「暗殺団」さえ持つようになったのです。

司馬遼太郎氏は坂本龍馬を主人公とした『竜馬がゆく』において、武市半平太と同じような危機感を持っていた龍馬が、勝海舟との出会いで国際的な広い視野を得て、比較文明論ともいえる新しい視点から行動するようになることを雄大な構想で描き出しました。咸臨丸でアメリカを訪れていた勝海舟から、アメリカの南北戦争でも、近代兵器の発達によって莫大な人的被害を出していたことを知った龍馬は、「正義の戦争」の問題点も深く認識して、自衛の必要性だけでなく戦争を防ぐための外交的な努力の必要性も唱える思想家へと成長していくのです。

しかも、『竜馬がゆく』において幕末の「攘夷運動」を詳しく描いた司馬は、その頃の「神国思想」が、「国定国史教科書の史観」となったと歴史の連続性を指摘し、「その狂信的な流れは昭和になって、昭和維新を信ずる妄想グループにひきつがれ、ついに大東亜戦争をひきおこして、国を惨憺(さんたん)たる荒廃におとし入れた」と痛烈に批判しているのです( 『竜馬がゆく』第2巻、「勝海舟」)。

注目したいのは、司馬氏が『坂の上の雲』を書くのと同時に幕末の長州藩に焦点を当てて『世に棲む日日』を描き、そこで戦前に徳富蘇峰によって描かれた吉田松陰とはまったく異なる、佐久間象山の元で学び国際的な視野を獲得していく若々しい松陰を描き出していることです。しかも、師の吉田松陰と高杉晋作や弟子筋の桂小五郎との精神的な深いつながりにも注意を喚起していた司馬氏は、「革命の第三世代」にあたる山県狂介(有朋)を、「革命集団に偶然まぎれこんだ権威と秩序の賛美者」と位置づけていることです(『世に棲む日日』、第3巻、「ともし火」)。

このことはなぜ司馬氏が『坂の上の雲』を書き終えたあとで『翔ぶが如く』を書き続けることで、明治八年の『新聞紙条例』(讒謗律)が発布されて、「およそ政府を批判する言論は、この条例の中の教唆扇動によってからめとられるか、あるいは国家顛覆論、成法誹毀(ひき)ということでひっかかるか、どちらかの目に遭った」時代から西南戦争に至る時代の問題点を浮き彫りにしようとしたかが分かるでしょう(第5巻「明治八年・東京」)。

現在の日本でもきちんと議論もされないままに、閣議で「特定秘密保護法案」が決定されましたが、この法案の問題点は徹底的に議論されるべきだと思います。

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『坂の上の雲』において、日本が最終的に近代化のモデルとして選ぶことになるプロシアの「参謀本部」の問題を描くことになる司馬氏の視野の広さは、『竜馬がゆく』で新興国プロシアに言及し、『世に棲む日日』においてはアヘン戦争(1840~42)を、日本の近代化のきっかけになった戦争ときちんと位置づけていることでしょう。

拙著『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと(人文書館、2009年)では、 『竜馬がゆく』と『世に棲む日日』だけでなく、この時期を扱った『花神』などの多くの作品にも言及したために、385頁という事典なみの厚い本となりました。

司馬氏の歴史観の全体像に近づくために事項索引を作成しました。(下線部をクリックすると「著書・共著」の当該のページに飛びます)。

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