8月19日に書いた「《風立ちぬ》論Ⅲ――『魔の山』とヒトラーの影」では、作家の掘田善衛氏が長編小説『若き日の詩人たちの肖像』でラジオから聞こえてきたナチスの宣伝相ゲッベルスの演説から受けた衝撃と比較しながら、クリミア戦争の前夜に書かれたドストエフスキーの『白夜』の美しい文章に何度も言及していたことにもふれました。
この自伝小説の最後の章で、主人公に芥川龍之介の遺書に記された「唯自然はかういふ僕にはいつもより美しい」という文章を思い浮かばせた掘田善衛氏は、その後で自分に死をもたらす「臨時召集令状」についての感想を記しています。このことに留意するならば、堀田氏は『白夜』という作品が日本の文学青年たちの未来をも暗示していると読んでいたようにも思えます。
実際、叙情的に見える内容を持つ小説『白夜』は、堀辰雄氏の『風立ちぬ』と同じような美しさとともに、戦争に向かう時代に対するしぶとさをも持っているのです。
拙著『ロシアの近代化と若きドストエフスキー』では、ドストエフスキーの青春時代とその作品に焦点を当てることによって、「大国」フランスとの「祖国戦争」に勝利したロシアが、なぜ「暗黒の30年」とも呼ばれるような時代と遭遇することになったのかを考察しました。
「著書・共著」のページには、ドストエフスキーの父とナポレオンとの関わりや父ミハイルと作家となる息子ドストエフスキーとの葛藤についてもふれた「はじめに」の抜粋とともに、詳しい「目次」も掲載しました。
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