(製作: Toho Company Ltd. (東宝株式会社) © 1954。図版は露語版「ウィキペディア」より)
68回目の終戦記念日が訪れました。
記念式典での「私たちは、歴史に対して謙虚に向き合い、学ぶべき教訓を深く胸に刻みつつ、希望に満ちた、国の未来を切りひらいてまいります。世界の恒久平和に、あたうる限り貢献し、万人が心豊かに暮らせる世を実現するよう、全力を尽くしてまいります」との安倍首相の式辞も報道されています。しかし、そこにはこれまで「歴代首相が表明してきたアジア諸国への加害責任の反省について」はふれられておらず、「不戦の誓い」の文言もなかったことも指摘されています(『日本経済新聞』ネット版)。
すでにブログにも記しましたが、8月6日の「原爆の日」に広島市長は原爆を「絶対悪」と規定し、9日の平和宣言では田上市長も、4月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の準備委員会で、核兵器の非人道性を訴える80カ国の共同声明に日本政府が賛同しなかったことを「世界の期待を裏切った」と強く批判し、「核兵器の使用を状況によっては認める姿勢で、原点に反する」と糾弾していました。
安倍首相が美しい言葉を語っている時も、「原子力の平和利用」というスローガンによって政治家たちの主導で建設された福島第一原子力発電所事故は収束してはおらず、莫大な量の汚染水が国土と海洋を汚し続けているのです。
このような状況を見ながら強く感じたのは、終戦直後の日本政府の対応との類似性です。
8月11日付の『東京新聞』は、大きな見出しで「英国の核開発を主導し、『原爆の父』と呼ばれ、米国の原爆開発にも関与したウィリアム・ペニー博士」が、「日本への原爆投下から約四カ月後、『米国は放射線被害を(政治的な目的で)過小評価している』と強く批判していたことが」、「英公文書館に保管されていた文書で分かった」ことを報じるとともに、広島では放射線の影響で「推計十四万人」が、長崎でも「推計七万人四千人が死亡し」、「被爆の五~六年後には白血病が多発」するようになったことも記してアメリカによる隠蔽の問題を指摘していました。
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同じような隠蔽は一九五四年三月にビキニ沖で行われたアメリカの水爆実験によりで日本の漁船「第五福竜丸」が被爆するという事件の後で公開された映画《ゴジラ》でも行われていました。
『ウィキペディア』の「ゴジラ(1954年の作品)」という項目によれば、「アメリカのハリウッド資本に買い取られ」、テリー・モース監督のもと追加撮影と再編集がされたこの作品は、1956年に『怪獣王ゴジラ』(和訳)という題名で全米公開されましたが、「当時の時代背景に配慮したためか、「政治的な意味合い、反米、反核のメッセージ」は丸ごとカットされて」いました。
なぜならば、本多猪四郎監督は「ゴジラ」が出現した際のシーンでは、核汚染の危険性について発表すべきだという記者団と、それにたいしてそのような発表は国民を恐怖に陥れるからだめだとして報道規制をした日本政府の対応も描き出していたのです。
本多監督は、「原爆については、これは何回も言っているけど、ぼくが中国大陸から帰ってきて広島を汽車で通過したとき、ここには七十五年、草一本も生えないと聞きながら、板塀でかこってあって、向こうが見えなかったという経験があった」とも語っています。
しかし、広島・長崎の被爆による放射能の問題を占領軍となったアメリカの意向に従って隠蔽した日本政府は、その後もアメリカなどの大国が行う核実験などには沈黙を守り、「第五福竜丸事件」の際にも被害の大きさの隠蔽が図られ、批判者へのいやがらせなどが起きたのです。
それゆえ、映画《ゴジラ》には情報を隠蔽することの恐ろしさや科学技術を過信することへの鋭い警告も含まれていたといえるでしょう。
リンク→『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(成文社)
「ウィキペディア」によれば、「アメリカで正式な完全版の『ゴジラ』が上映されたのは2005年」とのことなので、アメリカの多くの国民は2005年にようやく「核実験」によって生まれた「ゴジラ」の哀しみを知ったといえるでしょう。
「平和憲法」がアメリカによって作られたと信じ、その「改変」を目指している安倍首相には、原爆の悲惨さと「ゴジラ」の哀しみにも日本人としてきちんと向き合ってほしいと願っています。
→近著『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』(のべる出版企画)の発行に向けて
(2016年4月17日、改訂し図版を追加。6月21日、近著の紹介を追加)
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