黒澤監督が映画《白痴》を撮ったことはよく知られていますが、長崎を舞台にした晩年の映画《八月の狂詩曲(ラプソディ)》からも、ドストエフスキーの理解の深さが感じられます。
このように書くと多くの人は奇異に感じるでしょうが、夏休みに長崎を訪れた孫たちの眼をとおして、原爆で夫を失った祖母の悲しみと怒りがたんたんと描かれているこの作品は、次のような点で『白痴』を連想させます。
1,場所の移動によって生じる主人公の祖母と子供たちとのふれあい(ここでは『白痴』とは異なり、移動してくるのは子供たちですが、その後に起こる事態は似ています)。
2,悲惨な事実には眼をつぶってでも、金儲けをしようとする打算的な世代に対する主人公と子供たちの怒り。
3,原爆という「非人道的な兵器」に、「殺意」を持った「眼」を感じる祖母の感性。
4,激しい雷から、原爆を連想して正気を失い、夫を助けようと雨の中を走り出す祖母の姿。
映画《白痴》に見られたような人間関係の激しい描写はあまりありませんが、『白痴』のテーマは響いており、心にしみこむような作品になっています。
広島を舞台に原爆によって亡くなった父と、生き残った娘との心の交流を描くほのぼのとした中にも鋭い問題提起も含んだ作家井上ひさしの劇の映画化である黒木和雄監督の《父と暮せば》とともに、「広島原爆の日」と「長崎原爆の日」には、「公共放送」であるNHKには毎年放映して頂きたいと願っています。
〈 「映画・演劇評」に「長崎原爆の日」にちなんで映画《八月の狂詩曲(ラプソディ)》を掲載しました〉より改題。(5月8日)
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