「ドイツのワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか」と述べた麻生副総理の発言は内外に強い波紋を呼びました。
しかし、この問題の討議をするために野党側から求められていた衆院予算委員会での集中審議開催を与党が拒否したために、重要な問題についての論戦もないままに臨時国会がわずか7月2日から7日までの期間で閉会することになったようです。
今回の与党側の対応は、「寝た子を起こすな」という慣用句がある日本独特のものでしょう。
マス・メディアからも辞任を求めるような強い論調の記事はあまり書かれていないようなので、「汚染水の流出と司馬氏の「報道」観」というブログ記事に書いたように、「人の噂も75日」ということわざもある日本では、この発言についても多くの人は忘れることになるでしょう。
しかし、世界の多くの国々は、「過去を水に流す」という文化を持つ日本とは異なり、事実を文書に残すことを重視する文化を持っています。
麻生副総理の今回の発言は、欧米などを中心にこれからもことあるごとに引用されることになると思いますので、ここではナチス政権の誕生と日露戦争との関わりを簡単に記しておきます。
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『わが闘争』においてヒトラーは、第一次世界大戦の敗戦の責任をユダヤ人に押しつけるとともに、敗戦後にドイツが創ったワイマール憲法下の平和を軟弱なものとして否定しました。
その一方でヒトラーは、フランスを破ってドイツ帝国を誕生させた普仏戦争(1870~1871)の勝利を「全国民を感激させる事件の奇蹟によって、金色に縁どられて輝いていた」と情緒的な用語を用いて強調し、ドイツ民族の「自尊心」に訴えつつ、「復讐」への「新たな戦争」へと突き進んだのです。
問題は、「明治国家」で日本の陸軍がモデルにしたのが、普仏戦争に勝利したそのプロイセン陸軍だったことです。『坂の上の雲』でこのことにも詳しくふれていた司馬氏は、日露戦争での勝利を強調することの危険性も熟知していたのです。
あまり知られていないようなので、司馬氏のヒトラー観を紹介します。
「われわれはヒトラーやムッソリーニを欧米人なみにののしっているが、そのヒットラーやムッソリーニすら持たずにおなじことをやった昭和前期の日本というもののおろかしさを考えたことがあるだろうか」と問いかけた司馬氏は、「政治家も高級軍人もマスコミも国民も神話化された日露戦争の神話性を信じきっていた」と厳しく批判していたのです(「『坂の上の雲』を書き終えて」)。
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