作家・堀辰雄(1904~53)の小説『風立ちぬ』と同じ題名を持つ、宮崎駿監督の久しぶりのアニメ映画の主人公の一人が、戦闘機「零戦」の設計者・堀越二郎であることを知ったとき、複雑な思いが胸を去来しました。
封切り前から「零戦」の展示会などが始まっていることを知って、長編小説『坂の上の雲』をめぐる「歴史論争」のことが思い出され、参議院選挙の直前に封切られるこのアニメ映画が政治的に利用されて「戦うことの気概」が賛美され、「憲法」改正の必要性と結びつけられて論じられることを危惧したのです。
しかし、この思いは杞憂に過ぎませんでした。作家・司馬遼太郎氏(1923~96)を敬愛し、作家・堀田善衛氏(1918~98)との対談に自ら「書生」として司会の役を名乗り出ていた宮崎監督は、長編小説『坂の上の雲』をめぐる複雑な動きのことも心に銘記していたようです。
映画の公開直前に「憲法改正」を特集したジブリの小冊子「熱風」で宮崎監督は、「憲法を変えることについては、反対にきまっています」と明言し、さらに「96条を先に変える」ことは「詐欺です」と解釈の余地のない自分の声で語っています。
鼎談集『時代の風音』(朝日文庫、1997)で司馬氏は、20世紀の大きな特徴の一つとして「大量に殺戮できる兵器を、機関銃から始まって最後に核まで至るもの」を作っただけでなく、「兵器は全部、人を殺すための道具ながら、これが進歩の証(あかし)」とされてきたと厳しく批判していたのです(「二十世紀とは」)。
「近代が興ることによって」、「ヨーロッパの木は手近のところは裸になってしまった」と指摘した司馬氏は、自動車の排気ガスの規制の提案が出ているが「日本もアメリカもいい返事をしない」ことも批判し、この言葉を受けて堀田氏は「これからは日本は自国一国ではなしに、地球全体のことを考えていかないとやっていけなくなる」と発言していました(「地球人への処方箋」『時代の風音』)。
この鼎談を行った三人には、「富国強兵」を目指した一九世紀的な〈古い知〉に基づく「国民国家」型のモデルを乗り越えることができなければ、真の「国際化」はおろか、焦眉の課題となっている「地球の環境悪化」を解決することもできないという認識があったといえるでしょう。
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このブログの題名に取り入れた「風と」という表現は、この鼎談集の題名の『時代の風音』とアニメ映画『風の谷のナウシウカ』だけではなく、司馬氏の比較文明論的な視野がよく現れている伝奇小説『風の武士』を強くイメージして付けていました。
まだアニメ映画《風立ちぬ》(小説と区別するために《》で表記します)を見てはいないのですが、「憲法を変えることについては、反対にきまっています」という宮崎監督の言葉や《風立ちぬ》の「企画書」からは、困難な時代を必死に夢を持って生きた正岡子規という若者を主人公とした司馬氏の長編小説『坂の上の雲』のきわめて深い理解も伝わってくるように感じています。
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