「憲法96条の改正と「臣民」への転落」と題した先日の記事では、司馬遼太郎氏の「国民」観に言及しながら「改憲」の危険性を指摘しました。
いわゆる「司馬史観」論争に危機感をもって急いで書き上げた拙著『この国のあした――司馬遼太郎の戦争観』(のべる出版企画、2002年)の終章で記したことと重なりますが、ここでは司馬氏の「憲法」観を再確認しておきたいと思います。
日露の衝突をクライマックスとした長編小説『坂の上の雲』を書く中で「近代の国家」と戦争の問題を深く考察した司馬氏は、『ロシアについて――北方の原形』という著作で次のように記していました。
「国家は、国家間のなかでたがいに無害でなければならない。また、ただのひとびとに対しても、有害であってはならない。すくなくとも国々がそのただ一つの目的にむかう以外、国家に未来はない。ひとびとはいつまでも国家神話に対してばかでいるはずがないのである」(「あとがき」)。
作家の井上ひさし氏との対談では、「法慣習とまでは言いませんが」と断りつつも、平和憲法のほうが「昔なりの日本の慣習」に「なじんでいる感じ」であると語り、さらに「日本が特殊の国なら、他の国にもそれも及ぼせばいいのではないかと思います」と司馬氏は続けていました(「日本人の器量を問う」『国家・宗教・日本人』、講談社、1996年)。
『坂の上の雲』の後で江戸時代に起きた日露の衝突を防いだ商人・高田屋嘉兵衛を主人公とした『菜の花の沖』を書き上げていた司馬氏は、この憲法が遠く江戸時代に語られた高田屋嘉兵衛の言葉にも連なっていることを知っていたのです。
ここで司馬氏が主張していることは、「一国平和主義」の幻想ではありません。『坂の上の雲』を書き終えた後で司馬氏は、「日本というこの自然地理的環境をもった国は、たとえば戦争というものをやろうとしてもできっこないのだという平凡な認識を冷静に国民常識としてひろめてゆく」ことが、「大事なように思える」と書いていたのです(「大正生れの『故老』」『歴史と視点』、1972年)。
このような見解は、近代の「国民国家」がお互いに「富国強兵」を競い合うなかで戦争を大規模化させ、ついには三〇万人以上の人々を殺害した原子爆弾が用いられたという過去の事実を歴史小説を書く中で冷静に観察したことによるのです。
ソ連のチェルノブイリでおきた原子炉事故の後でも司馬氏は、「平凡なことですが、人間というのはショックが与えられなければ、自分の思想が変わらないようにできているものです」と冷静に分析し、「この事件は大気というものは地球を漂流していて、人類は一つである、一つの大気を共有している。さらにいえばその生命は他の生物と同様、もろいものだという思想を全世界に広く与えたと思います」と語っていました(「樹木と人『十六の話』」。
私たちは「戦争」が紛争解決の手段だとする19世紀的な古く危険な歴史観から脱却し、「核の時代」では戦争が地球を滅ぼすという「平凡な事実」をきちんと認識すべき時期にきていると思われます。
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