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「ブラック企業」と「農奴制」――ロシアの近代化と日本の現在

「ブラック企業」と「農奴制」――ロシアの近代化と日本の現在

私は2010年に「蟹工船」とドストエフスキーの『死の家の記録』とを比較した劇評を書きましたが、現在の日本では若者たちの労働条件や雇用条件の悪化にいっそう拍車がかかっているようです。

今回の選挙では社員にたいして公然と24時間働くことを求めて、「ブラック企業」にもノミネートされるような会社の前社長が立候補したことへの厳しい批判だけでなく、「グローバリゼーション」の強大な圧力下にある現状ではそのような企業の存在も認められるとする擁護論も聞かれます。

経営について私は素人なのでこの問題の詳しい考察は避け、ここでは一見、無関係のように思われる「ロシアの近代化と農奴制」の関わりについて注意を喚起しておきたいと思います。

19世紀のロシア文学を研究していると、地主には反抗する農民に対しては鞭(むち)打ちなどの体罰を与え得たり、25年もの長い期間にわたって兵士として出すことが許されていた「農奴制」の過酷さが伝わってきます。

このように書くと農奴制はロシアの「後進性」を示す象徴的な制度のように受け取られるかもしれませんが、農奴制は福沢諭吉が「魯の文明開化」と呼んだ近代化によってもたらされたものだったのです。すなわち、西欧列強に対抗するためにロシアのピョートル大帝は、西欧的な知識を有する有能な若者たちに「立身出世」の機会を与えて「貴族」に取り立てる一方で、「富国強兵」策の財源を確保するために農民たちから「人頭税」という過酷な税を徴収したのです。

このような政策を歴代の皇帝が受け継いだばかりでなく強化したために、ロシアは「富国強兵」に成功し、皇帝と一部の貴族は莫大な富を得ました。しかし、人口の大部分を占め、それまでは自立していた農民は、権利を奪われ生活が貧しくなって「農奴」と呼ばれるような存在へと落ちぶれていったのです。

日露戦争をクライマックスとした長編小説『坂の上の雲』を書き終えた後で、司馬遼太郎氏は「私は、当時のロシア農民の場からロシア革命を大きく評価するものです」と書き、「帝政末期のロシアは、農奴にとってとても住めた国ではなかったのです」と続けていました(「ロシアの特異性について」『ロシアについてーー北方の原形』文春文庫)。

むろん、現在の日本では社員をむち打つことや兵隊にだすことはもちろんのこと、差別的な言葉を浴びせることも法律で禁じられています。しかし、鞭(むち)で打つことが許される「農奴制」と、簡単に社員を解雇できるような制度のどちらが「人道的な制度」と呼べるでしょうか。

「グローバリゼーション」の強大な圧力に対抗するためにナショナリズムが煽られ、ふたたび各国で「富国強兵」が目指されるようになっている現在、「ロシアの近代化と農奴制」の問題は、日本だけでなく世界の今後を考えるためにも、「他山の石」として、きちんと考察されねばならないでしょう。

 

(2015年6月4日、カテゴリー追加)

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