(広島に投下されたウラン型原子爆弾「リトルボーイ」によるキノコ雲と、長崎市に投下されたプルトニウム型原爆「ファットマン」によるキノコ雲。画像は「ウィキペディア」)。
Ⅰ.「黒澤明監督と本多猪四郎監督の核エネルギー観」
1、「原爆の申し子」としてのゴジラ
「『ゴジラ』は原爆の申し子である。原爆・水爆は決して許せない人類の敵であり、そんなものを人間が作り出した、その事への反省です。なぜ、原爆に僕がこだわるかと言うと、終戦後、捕虜となり翌年の三月帰還して広島を通った。もう原爆が落ちたということは知っていた。そのときに車窓から、チラッとしか見えなかった広島には、今後七二年間、草一本も生えないと報道されているわけでしょ、その思いが僕に『ゴジラ』を引き受けさせたと言っても過言ではありません」(本多猪四郎監督)。
2,水爆「ブラボー」の実験と「第五福竜丸」事件
(「キャッスル作戦・ブラボー(ビキニ環礁)」の写真)
ゴジラの咆哮がスクリーンで轟いたのは、原爆の千倍もの破壊力を持つ水爆「ブラボー」の実験の際にも、その威力が予測の三倍を超えたために、制限区域とされた地域をはるかに超える範囲が「死の灰」に覆われた一九五四年のことであった(『ゴジラの哀しみ』、3頁)。
(「第五福竜丸」、図版は「ウィキペディア」より)。
公害研究の先駆者の宇井純は「文明の生み出した環境破壊の最悪の例として核兵器を挙げ」、原爆を「日本の公害の原点だ」と位置づけ、「第五福竜丸」事件の際に海洋汚染や大気の汚染を測定した化学者の三宅泰雄も「原子力発電の際、核燃料の燃えかすとして出来るものは、原水爆の『死の灰』と全く同じものである」と指摘していた(『ゴジラの哀しみ』、46~47頁)。
3,水爆大怪獣「ゴジラ」
(製作: Toho Company Ltd. (東宝株式会社) © 1954。図版は露語版「ウィキペディア」より)
本多猪四郎監督は映画《ゴジラ》についてこう語っていた。「第一代のゴジラが出たっていうのは、非常にあの当時の社会情勢なり何なりが、あれ(ゴジラ)が生まれるべくして生まれる情勢だった訳ですね。…中略…ものすごく兇暴で何を持っていってもだめだというものが出てきたらいったいどうなるんだろうという、その恐怖」。
4,核戦争の恐怖と映画《生きものの記録》
(東宝製作・配給、1955年、「ウィキペディア」)。
やはり、「第五福竜丸」事件から強い衝撃を受けた黒澤明監督は、「世界で唯一の原爆の洗礼を受けた日本として、どこの国よりも早く、率先してこういう映画を作る」べきだと考えて映画《生きものの記録》(脚本・黒澤明、橋本忍、小國英雄)を製作した(『ゴジラの哀しみ』、32頁)。
5,チェルノブイリ原発事故と「第三次世界大戦」
2015年にノーベル文学賞を受賞したスベトラーナ・アレクシェービッチは、「チェルノブイリは第三次世界大戦なのです」と語っているが、レベル七(深刻な事故)に分類されるチェルノブイリ原発事故では、「三〇㎞ゾーンだけでも、一〇万人近い住民が強制避難させられ」、「今なお多くの地域で、土壌汚染の問題が続いている」(『ゴジラの哀しみ』、62頁)。
(4号炉の石棺、2006年。Carl Montgomery – Flickr)
6,福島第一原子力発電所事故と映画《夢》
同じレベル七の福島第一原子力発電所の大事故に際しては、放射能の広がりを表示できるSPEEDIというシステムを持ちながら情報が「隠蔽」されていたために、多くの国民が情報を知らされずに被爆するという結果を招いた。
実は、黒澤映画《夢》の第六話「赤富士」では、原発関係者の男(井川比佐志)が「あの赤いのがプルトニューム239、あれを吸い込むと、一千万分の一グラムでも癌になる。……黄色いのはストロンチューム90」などと説明をした後で、「放射能は目に見えないから危険だと言って、放射性物質の着色技術を開発したってどうにもならない」と続けていた(『ゴジラの哀しみ』、28~29頁)。
(2011年3月16日撮影:左から4号機、3号機、2号機、1号機。)
【原発は安全だと!?ぬかしたヤツラは許せない】(黒澤映画《夢》の「赤富士」。ブログ「みんなが知るべき情報/今日の物語」より) blog.goo.ne.jp/kimito39/e/7da… … …… pic.twitter.com/d4MGQKdlmM
7,黒澤明と作家ガルシア・マルケスとの対談
作家のガルシア・マルケスが、「核の力そのものがいけないのではなくて、(中略)核の使い方を誤った人がいけないんじゃないでしょうか」と「核の平和利用」もありうると主張した。
それに対して黒澤は「核っていうのはね、だいたい人間が制御できないんだよ。そういうものを作ること自体がね、人間が思い上がっていると思うの、ぼくは」と語り、「人間はすべてのものをコントロールできると考えているのがいけない。傲慢だ」と続けていた(太字は引用者、『ゴジラの哀しみ』、166頁))。
Ⅱ.大国の核政策と「終末時計」
1, 終末時計の時刻とトランプ大統領の核政策
アメリカの科学誌『原子力科学者会報』は、日本国憲法が発布された1947年には世界終末時計を発表して、その時刻がすでに終末の7分前であることに注意を促していた。冷戦の終結によって「残り17分」までに回復したが、しかし、2015年にはその時刻がテロや原発事故の危険性から1949年と同じ「残り3分」に戻った。
さらに、2017年1月にはトランプ大統領が「核廃絶」や地球の温暖化に対して消極的な発言を行なったことなどから「残り2分半」になったと発表された。(図版は「ウィキペディア」より)
2, 北朝鮮情勢と安倍政権の核政策
7月7日には国連で「核兵器禁止条約」が国連加盟国の6割を超える122カ国の賛成で採択されたが参加すらしなかった。水爆実験やミサイルの発射などを繰り返した北朝鮮に対してトランプ大統領が「北朝鮮を完全破壊」することもありうるとの恫喝的な発言を国連で行い国際社会からの強い顰蹙を買った際にも安倍首相はその危険性を指摘すらもしなかった。
しかし、狭い国土に世界の7%に当たる110の活火山を有する火山大国であり、地震大国でもある日本に、現在、54基もの原発があり、安倍政権によってその稼働が進められていることを考慮するならば、日本をも巻き込んだ極東での戦争がレベル7の大事故だった福島第一原子力発電所事故以上の地球規模の大惨事となることは明白のように思われる。
3,「核兵器禁止条約」と日本
つまり、「核兵器禁止条約」は理想論ではなく、「化学兵器禁止条約」と同じように人道的な条約であり、さらに地球と人類を存続させるための現実的で切実な条約といえるだろう。
原水爆の危険性と非人道性をよく知る被爆国・日本は、「核の傘」理論が机上の空論であり、キューバ危機の時のように憎悪や恐怖の感情に襲われた時には全く役に立たないことを明らかにして、非核運動の先頭に立つべきであろう。
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【映画《ゴジラ》から《シン・ゴジラ》にいたる水爆怪獣「ゴジラ」の変貌をたどるとともに、『永遠の0(ゼロ)』の構造や登場人物の言動を詳しく分析することによって、神話的な歴史観で原発を推進して核戦争にも対処しようとしている「日本会議」の危険性を明らかにし、黒澤明監督と宮崎駿監督の映画に描かれた自然観に注目することにより、核の時代の危機を克服する道を探る】。
4,「終末時計」が1953年と同じ「残り2分」に
今年は核戦争の懸念の高まりやトランプ米大統領の「予測不可能性」などを理由に「終末時計」がついに1953年と同じ残り2分になったと発表された(AFP=時事)。安倍政権は超大国アメリカに追随して軍拡を進めているが、今こそ核戦争の危険性を踏まえた「日本国憲法」の意義が認識されるべきだろう。
(2017年2月3日、加筆しリンク先を追加。5月16日、2018年1月26日加筆、2023/02/07ツイートを追加)
大手電力会社の広告宣伝は42年間で2兆4000億円にも及び、政府広報予算も含めれば数倍にも膨れあがる(本間龍『原発プロパガンダ』)。国民の安全と経済の活性化だけでなく、国際社会のためにも原発は過去のエネルギーとすべきだろう。https://t.co/aPtOSWE5tl
— 高橋誠一郎 (@stakaha5) June 8, 2017
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