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黙示録の解釈と核戦争の危機

黙示録の解釈と核戦争の危機

*平和式典と核抑止力への依存

長崎市長が今年の平和式典にガザでジェノサイドと批判される苛酷な攻撃を続けているイスラエルの代表を呼ばないことが判明するとG7各国の大使が不参加を表明した。このことは核兵器禁止条約に参加せず今も核抑止論に依存するG7各国の平和観の問題をも鮮明に浮かび上がらせた。

キリスト教シオニズムなど過激な終末論による核戦争の危険性が増している現在、ドストエフスキー作品を踏まえて『日本の悪霊』(一九六九)を描いた高橋和巳や、比較文明的な視野で黙示録の問題に迫った堀田善衞などの日本文学をとおして、ドストエフスキーによって提起された黙示録の問題を根本的に考察することが重要だと思える。

1、ウクライナ侵攻とドストエフスキーの『悪霊』

二〇二一年のドストエフスキーの生誕二百年に際して作家を「天才的な思想家だ」と賛美したプーチン大統領は、その翌年の二月にウクライナ侵攻に踏み切った。核戦争に至る危険性もはらみながら武力による攻撃を行い続けていることは世界を恐怖に陥れている。

この戦争がドストエフスキー研究者にとって深刻なのは、ナチス・ドイツの占領下にあったパリで研究を続けて『悪霊』における『ヨハネの黙示録』(以下、黙示録と略す)の重要性を明らかにしたモチューリスキーが、「(ドストエフスキーは)世界史を、ヨハネの黙示録に照らしあわせ、神と悪魔の最後の闘いのイメージで見、ロシアの宗教的使命を熱狂的に信じていた」と記していたからである[i]

二〇一三年に「信者の感情の保護に関する法律」を採択してロシア正教を優遇し、二〇二〇年には大統領経験者とその家族に対する不逮捕特権を認める法律を成立させて独裁を強めていたプーチン大統領による武力侵攻は厳しく批判されるべきである。

しかし、比較文明論的な視点から見るとき、より複雑な深層が見えて来る。たとえば、プーチン大統領は再選された二〇一二年に西欧の多国籍からなるナポレオン率いる大軍に勝利した「祖国戦争」(一八一二)を大々的に祝っていたが、そのとき軍事同盟であるNATOの問題を十字軍の歴史を踏まえつつ強く意識していたように思える。

一〇九五年に行われた第一回十字軍の派兵に際してローマ教皇が黙示録の解釈によって、遠征に参加する者には「これまでに彼が犯した罪について罰を一時的に赦免」し、「遠征の途上、あるいは戦いに死せる者は、あらゆる罪を赦免」すると宣言していた。こうして、他宗教や異端派への十字軍の派遣をも正当化した十字軍の派兵は、イスラム教徒だけでなくユダヤ人大虐殺とエルサレムの富の略奪を招いたが、同じような殺戮は第二回十字軍でも繰り返された。

さらに、東欧の世界にとってはギリシャ正教を国教とする東ローマ帝国を攻略してコンスタンチノープルを陥落させた第四回十字軍(一二〇二~一二〇四)の影響は大きく、第二次ブルガリア帝国(一一八五~一三九六)などギリシャ正教を受け容れて繁栄していたバルカン半島のスラヴ系諸国は次々とオスマントルコ帝国の支配下に組み込まれることになった。

それゆえ、ロシアの文明論者ダニレフスキーはクリミア戦争を厳しく批判したが、その多くの主張に共感したドストエフスキーは露土戦争(一八七七~七八)が勃発する前年の『作家の日記』六月号でロシアは「正教の統率者として」コンスタンチノープルを求める資格があるとさえ記した[ii]

黙示録の訳者・小河陽氏はその「はしがき」で、「(黙示録は)ヨハネと呼ばれる人物が世界の終末についての自分の幻視を」、「旧約聖書やいわゆるユダヤ教黙示という伝統世界で知られた表象や象徴を縦横無尽に利用して」物語り、「われわれを未来の可能性へと誘うのである」[iii]と記している。

ただ、その一方で黙示録ほど「しばしば問題となった」「書物はないであろう」と指摘した小河陽氏はこう続けている。「東方教会においては三世紀中頃にやっと正典として認められ、宗教改革者たちにはほとんど評価されず、啓蒙主義の時代には使徒ヨハネの書ではないとして見捨てられる一方で、熱狂主義者たちによっては情熱的に読まれ、評価され、引用された書であった。」[iv]

黙示録に見られる「神と悪魔の最後の闘い」という二項対立的な見方を重視するとき、ウクライナ戦争は核兵器の使用も含む第三次世界大戦へと至る危険性もはんでいるといえよう。

2,キリスト教シオニズムと「八紘一宇」の理念

日本で『悪霊』の最初の邦訳が出たのは、第一次世界大戦の勃発した翌年の一九一五年の森田草平による英語からの重訳だが、大戦末期の一九一七年一一月七日にはロシア革命が起きた。

エルサレムの問題はクリミア戦争勃発の一因ともなっていたが、ロシア革命より少し前の一一月二日にはイギリス外相バルフォアはシオニズム運動の代表を務めていたユダヤ系財閥のロスチャイルドに宛てた書簡で、大戦後にパレスチナにユダヤ人の国家を建設することを認めていた。

しかも、キリスト教シオニズムの研究者G.ハルセルは、一七世紀中頃にピューリタン共和国の『護国卿』となったオリヴァー・クロムウェルが、パレスチナに「ユダヤ人が帰還すればキリスト再臨の序曲になると明言して」[i]いたと記している。

「ローマ法王が代表する無謬の教会に対抗して、プロテスタントは普通の人間でも読める言語に初めて翻訳された聖書を『無謬の聖書』として受け入れ」、「ユダヤ教またはヘブライの聖書として知られていた旧約聖書」を「歴史解釈のお手本とも見るようになった」。[ii]

一九一七年の「イギリス軍のエルサレム占領によって」、ユダヤ国家の建設という目標の可能性が高くなると、プロテスタントの内村鑑三は「パレスチナの地が再び神の選民に復帰せん事は聖書の明白に預言する所である」と語り、それが実現された後に「主イエス基督は再び臨み給うのである」[iii]と続けていた。

一九一八年から翌年にかけて内村鑑三とともに再臨運動を行っていた中田重治は、一九三〇年代になると「原理主義的な聖書解釈と日本のナショナリズムとを結び付け、日本にはシオニズム運動を支援する終末的使命があると熱心に唱えた」[iv]

一方、堀田善衞(一九一八~九八)はロシア帝国崩壊後にアメリカなどの連合国とともに日本が行ったシベリア出兵を描いた長編『夜の森』で、一九一九年に起きた韓国の三・一独立運動にも触れつつ、この出兵が満州事変にも直結していることを示唆している。

実際、関東軍参謀の石原莞爾が「八紘一宇」の理念に基づいて満州事変を起こすと中田重治は、「関東軍に同調する立場をあきらかにして」、「日本は黙示録七章二節にある日出国の天使である。世界の平和を乱す事のみをして居る四人の天使(欧州四大民族)から離れて宜しく神よりの平和の使命を全ふする為に突進すべきである」と述べた[v]

しかし、「五族協和」などのスローガンを掲げて一九三二年に建国された満洲国はその入植政策などを進めた日本の傀儡国家と見なされて批判され、日本は国際的に孤立し太平洋戦争に至る一五年戦争の終結までわずか一三年で崩壊した。

満州国の問題に鋭く切り込んだのが高橋和巳(一九三一~七一)の『堕落――あるいは、内なる曠野』(一九六五)であり、石原莞爾の考えに惹かれて南満洲鉄道株式会社(満鉄)の調査部に勤めた人物を主人公としたこの作品では、主人公の悲劇だけでなく、戦後に石原莞爾の部下たちが起こそうとしたクーデター未遂も描かれている。

ドストエフスキーがロシア帝国で激しい宗教弾圧を受けた分離派や黙示録の問題を取り込んだ長編小説を書いたように高橋和巳も長編『邪宗門』(一九六六)では、終末論的な視点から「世なおし」を唱えて、国家神道の価値観と対立して大弾圧を受けた教団で育てられた主人公が「剣を持つ」キリストの理念を抱いてアメリカ軍占領下の日本で武力蜂起を起して滅びるまでを描いた。

二〇二二年七月に安倍元首相が宗教二世の手製の散弾銃で暗殺された事件のあとでは、安倍ファミリーや自民党と文鮮明を「再臨のメシア」とする統一教会(現・世界平和統一家庭連合)との強いつながりが明らかになった[vi]

「今日のキリスト教を中心として起こっているすべての事情は、イエス当時のユダヤ教を中心として起こったあらゆる事情にごく似かよっている」[vii]とする統一教会は、元満州国の高級官僚だった岸信介元首相との関係をとおして、日本に併合されて以降の苦難の歴史を強調して日本人の若者に贖罪意識を植え付けることで熱心な信者を増やしており、宗教学者の島薗進氏は戦後の世界における公共空間の危機を指摘している[viii]。。

社会思想史の中野昌宏氏は日本における「政治と宗教」の癒着の一因が、「戸主」の権限が絶対的であるような「家庭」を地球大に拡大された家庭とすることを理念とする「八紘一宇」と、統一教会の「『真の父母様』絶対主義」の構造的な同型にあると指摘している[ix]

しかも、韓国の統一教会グループ傘下の企業が製造した空気散弾銃を教団との関係が深い日本企業が二五〇〇丁も輸入していたが[x]、教団の『原理講論』では、「(サタン側と天の側に)分立された二つの世界を統一するための(……)第三次世界大戦は必ずなければならない」[xi]と説かれているのである。

3,ガザ危機と黙示録的終末観の克服

二〇二三年の一〇月に「天井のない監獄」と呼ばれるようなガザの状態やヨルダン西域での入植地の拡大などに抗議するハマスによる大規模なテロが発生するとイスラエル政権は報復としてジェノサイドと批判されるような大規模な空爆と地上での攻撃を行った。しかし、国際社会から批判されたネタニヤフ首相は自分たちの方針はアメリカに支持されていると語ったのである。

実際、思想史の研究者・加藤喜之氏は論考「福音派のキリスト教シオニズムと迫り来る世界の終わり」で、二〇二〇年には一千万人を超えたといわれている米国の「イスラエルのためのキリスト教徒連合」代表で福音派教会牧師のジョン・ハギーが、創世記一二章に記されている言葉を根拠に「パレスチナの土地は全てイスラエルのものだ」と主張していることに注意を促している。

ハル・リンゼイの著書『今は亡き大いなる地球』(一九七〇)や二〇一六年までに八千万部を売り上げたティム・ラヘイの『レフト・ビハインド』では、ロシアの率いる軍などとのハルマゲドンでの決戦で地球は滅びても、この派のキリスト教徒のみはキリストに救済されるという終末観を持っていることが記されている。

資金援助をして入植地拡大を支援しているこの派の人々の支持で大統領になったトランプ氏は、二〇一七年に国際社会の強い危惧にもかかわらず、それまでの国際的な方針を一方的に転換してエルサレムをイスラエルの首都と承認した[i]

ホロコーストの被害の歴史からネタニヤフが自国を包囲しているイスラム教の国々に過剰な恐怖を抱いたとしても不思議ではないとするならば、百万近い餓死者を出したレニングラード包囲戦で自分の兄を亡くしていたプーチンが、NATOに包囲されることに過剰な恐怖を抱いても不思議ではなく、ウクライナ危機とガザ危機は黙示録の終末論を媒介として根深いところでつながっているといえよう。

一方、『ドストエフスキーの世界観』で「彼の宗教思想をほんとうに理解するには、黙示録的認識という光のもとでのみ可能である」[ii]と記していた宗教哲学者のベルジャーエフは、晩年の『わが生涯』では「(旧約聖書に見られる)黙示文学の復讐的終末論、善と悪とへの人間の截然たる区分」が黙示録にも見られるが、「残酷な終末論的要素はイエス・キリストから由来しているのではない」と記している[iii]

ドストエフスキーも登場人物の思想や人物関係にも注意しながら、作品の構想をじっくりと練った際には、「神と悪魔の最後の闘い」という二項対立的な単純な見方はしておらず、ムィシキン公爵に語らせた「殺すなかれ」というイエス・キリストの理念を深く掘り下げていると思える。

前著『堀田善衞とドストエフスキー』で示したように短編『国なき人々』(一九四九)で堀田善衞は、広島に原子爆弾が落ちて「人はもとより一木一草も滅び」たという噂が上海で広まった時に、黙示録の一節を暗唱しながら、「これは現代の劫罰の始まりだ」と語ったユダヤ人のことを描いた。

「現代のあらゆるものは、萌芽としてドストエーフスキイにある。たとえば、原子爆弾は現代の大審問官であるかもしれない」とアンケートに書いて、地球をも破滅させる威力のある原爆の発明とその使用が黙示録的な終末観をも強めた可能性を示唆した堀田は、長編『審判』(一九六三)では『白痴』の人物体系を取り込んで、牧師の祝福を受けて原爆の投下にかかわったパイロットの苦悩などを描出している。

二・二六事件以降の日本を中心に描いた長編『若き日の詩人たちの肖像』(一九六八)では、「『カラマーゾフの兄弟』中のスペインの町に再臨したイエス・キリストが何故に宗教裁判、異端審問にかけられねばならなかったかという難問について、限りもなく喋りつづけていた」アリョーシャと呼ばれる詩人が「狂的な国学信奉者」となるまでの激しい変貌が記されている[iv]

ただ、この長編では『白痴』第二部に記されている黙示録の解釈についての考察はない。しかし、その翌年に出版された美術紀行『美しきもの見し人は』ではデューラーの版画「黙示録の四騎士」にも言及しながら黙示録の性格が考察され、『橋上幻像』(一九七〇)の第一部では親友・加藤道夫をモデルにニューギニア戦線での日本軍の実態と日本の美的終末論の危険性の問題を掘り下げている。

さらに、異端とされたカタリ派の滅亡を描いた力作『路上の人』(一九八五)で堀田は、異端審問と火刑の問題を「再臨のキリスト」のテーマに絡めて考察することで黙示録の危険性を明らかにし、『ミシェル 城館の人』(一九九一~一九九四)では、宗教戦争が勃発しペストが猖獗をきわめる中で家族を連れて方々を流浪しながらも、『エセー』を書き和平への努力を続けたモンテーニュの思索と活動を描き出した。

私自身は宗教学者ではないので黙示録は重すぎるテーマではあるが、ドストエフスキーは宗教弾圧されていた分離派の問題や黙示録のテーマに鋭く迫っただけでなく、西欧の文学や比較文明論をも取り込んで作品を描いた。本書では比較文学と比較文明論という手法でドストエフスキーの作品を考察することにより原爆投下後の世界における黙示録的な終末論の危険性に迫りたい。そのことは黙示録に依拠しながら「再臨のメシア」論を説いている統一教会(現・世界平和統一家庭連合)が、なぜ今も自民党や維新などに深く浸透しているのかという謎を解明することにもつながるだろう。

注(1)

[i] モチューリスキー、松下裕・松下恭子訳『評伝ドストエフスキー』筑摩書房、二〇〇〇年、四四一頁。

[ii] 米川正夫訳『ドストエーフスキイ全集』第一四巻、河出書房新社、一九七〇年、三六五~三七二頁。

[iii] 小河陽訳『ヨハネの黙示録』講談社学術文庫、二〇〇八年、四頁。

[iv] 同右、三頁。

注(2)

[i] G.ハルセル、越智道雄訳『核戦争を待望する人びと――聖書根本主義派潜入記』朝日新聞社、一九八九年、二〇四頁。

[ii] 同右、二〇二頁。

[iii] 役重善洋『近代日本の植民地主義とジェンタイル・シオニズム ―内村鑑三・矢内原忠雄・中田重治におけるナショナリズムと世界認識』インパクト出版会、二〇一八年、一六八頁。

[iv] 同右、二九二頁。

[v] 同右、三一〇頁。

[vi] 鈴木エイト『自民党の統一教会汚染 追跡三〇〇〇日』小学館二〇二二年参照。

[vii] 『原理講論―重要度三色分け』世界基督教統一神霊協会伝道教育局、二〇二〇年、五九九頁。

[viii] 島薗進編『政治と宗教:統一教会問題と危機に直面する公共空間』岩波新書、二〇二三年、一七頁。

[ix] 同右、八八頁。

[x] 有田芳生『誰も書かなかった統一教会』、集英社新書、二〇二四年、一九一頁。

[xi] 前掲書、『原理講論―重要度三色分け』、五五二頁。

注(3)

[i] 加藤喜之、

https://newspicks.com/topics/religionandglobalsociety/posts/14、2023年11月7日。

[ii] ベルジャーエフ、斎藤栄治訳『ベルジャーエフ著作集二』白水社、一九六〇、二五二頁。

[iii] ベルジャーエフ、志波一富・重原篤郎訳『ベルジャーエフ著作集八』白水社、一九六一年、三九七~三九八頁。

[iv] 高橋誠一郎『堀田善衞とドストエフスキー 大審問官の現代性』群像社、二〇二一年、一六八頁。

(2024年8月17日、改訂)

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