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ブログ・タイトル一覧13(3月22日~)

ブログ・タイトル一覧13(3月22日~)

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ブログ・タイトル一覧13(3月22日~5月20日)

 

安倍政権の危険性――日本の若者を「白蟻」視した歴史観の正当化5月20日

「司馬遼太郎の『ひとびとの跫音』と徳富蘇峰の『大正の青年と帝国の前途』――歴史認識と教育の問題をめぐって」(5)5月16日

司馬遼太郎の『ひとびとの跫音』と徳富蘇峰の『大正の青年と帝国の前途』――歴史認識と教育の問題をめぐって(4)5月16日

司馬遼太郎の『ひとびとの跫音』と徳富蘇峰の『大正の青年と帝国の前途』――歴史認識と教育の問題をめぐって(3)5月15日

司馬遼太郎の『ひとびとの跫音』と徳富蘇峰の『大正の青年と帝国の前途』――歴史認識と教育の問題をめぐって(2)5月15日

司馬遼太郎の『ひとびとの跫音』と徳富蘇峰の『大正の青年と帝国の前途』――歴史認識と教育の問題をめぐって(改訂版・1)5月15日

司馬遼太郎の『ひとびとの跫音』と徳富蘇峰の『大正の青年と帝国の前途』――歴史認識と教育の問題をめぐって(改訂版・序)5月14日

第47回総会と233回例会(報告者:杉里直人氏)のご案内と「報告要旨」5月5日

子規の青春と民主主義の新たな胎動5月3日

日露戦争の勝利から太平洋戦争へ(2)――「勝利の悲哀」と「玉砕の美化」4月27日

「チェルノブイリ原発事故 隠された“真実”」(再放送)を見る4月26日

「劇《石棺》から映画《夢》へ」を再掲4月25日

日露戦争の勝利から太平洋戦争へ(1)――「勝利の悲哀」と「玉砕の美化」4月23日

「安倍首相の政治手法と小説家・百田尚樹氏のノンフィクション観」関連記事一覧4月21日

日本における「報道の自由」と国際社会4月21日

大木昭男著『ロシア最後の農村派作家――ワレンチン・ラスプーチンの文学』(群像社、 2015年)4月19日

映画《生きものの記録》――原水爆の脅威と知識人のタイプ4月17日

安倍政権の原発政策と映画《ゴジラ》4月17日

想像力の可能性――もう一つのドストエフスキー劇4月14日

トルストイ『ホルストメール』とトフストノーゴフの劇《ある馬の物語》4月14日

日本の言論状況とフォーキンの劇《語れ》4月13日

「忍び寄る『国家神道』の足音」と井上ひさし《闇に咲く花――愛敬稲荷神社物語》4月12日

井上ひさしのドストエフスキー観――『罪と罰』と『吉里吉里人』、『貧しき人々』と『頭痛肩こり樋口一葉』をめぐって4月12日

樋口陽一氏の井上ひさし論と井上ひさし氏の『貧しき人々』論4月12日

樋口陽一・小林節著『「憲法改正」の真実』(集英社新書)を読む4月10日

「映画《少年H》と司馬遼太郎の憲法観」を再掲4月5日

北村透谷と内村鑑三の「不敬事件」――「教育勅語」とキリスト問題4月3日

『愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか』(集英社新書) 読む4月3日

安倍政権の政治手法と「教育勅語」の問題 3月31日

小林秀雄の『カラマーゾフの兄弟』観――坂口安吾と寺田透をとおして3月26日

坂口安吾の小林秀雄観(3)――『カラマーゾフの兄弟』のアリョーシャをめぐって3月25日

坂口安吾の小林秀雄観(2)――バルザック(1799~1850)の評価をめぐって3月25日

坂口安吾の小林秀雄観(1)――モーツァルト論とゴッホ論をめぐって3月25日

第16回国際ドストエフスキー・シンポジュウムのお知らせ(Ⅱ)3月23日

司馬遼太郎の「昭和国家」観3月22日

司馬遼太郎の「明治国家」観3月22日

ツィッターの開始(ユーザー名とアカウント)3月22日

 

 

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