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黒澤明研究会

都築政昭著『黒澤明の遺言「夢」』(近代文芸社、2005年)

 

はじめに

1986年のチェルノブイリ原発事故の際に長期留学生を引率してモスクワに滞在しており、原発事故の危険性を身にしみて感じていた私は、この原発事故を扱った劇《石棺》を見た後では黒澤明監督の言葉にも触れつつ簡単な劇評を書いた。

しかし、専門外の人間が発言してもあまり影響力は持たないだろうと考えて、映画《生きものの記録》や映画《夢》など原発や原爆を扱った黒澤作品には言及してこなかった。それゆえ、3月11日に起きた福島第一原子力発電所の爆発事故のあとでは、黒澤監督の先見の明や採算を度外視してでもこの映画を実現した勇気を改めて強く感じた。

それとともに原発の危険性について粘り強く語ってこなかった自分の不明を強く恥じたが、大学の図書館で、[見なければならない「夢」もある]というプロローグから始まる『黒澤明の遺言「夢」』を見付けたのは、拙著『黒澤明で「白痴」を読み解く』を発行した後のことであった。

著者の都築政昭・黒澤明研究会会長は、この著作で全七話から成るこの映画の詳しい分析だけでなく、関係者の方々へのインタビューや多くの映画の画像やロケの写真を通して、様々な困難を克服してついに公開にまでこぎつけるまでの経過も詳しく描いていた。

福島第一原子力発電所事故の後では、第六話「赤富士」がこの事故を予言していたと話題になったが、都築氏は2005年に出版されたこの著書でこの映画の全体像をとおして黒澤監督がこの映画に托した思いを明らかにしている。この著作から強い知的刺激を受けたことが、私の新しい著作の構想が生まれるきっかけともなった。都築政昭氏の労作『黒澤明の遺言「夢」』の内容を以下に簡単に紹介しておく。

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『黒澤明の遺言「夢」』の冒頭には、ドストエフスキー博物館のあるスターラヤ・ルッサで撮った作家の写真が掲げられている。

そのことに象徴的に表されているように、[第一章 夢は天才である]では映画《乱》の公開の翌年に浮かんだ映画《夢》のアイデアが、生涯にわたって敬愛していたドストエフスキーの作品『罪と罰』にヒントを得たものであることが記され、さらに、最初は完成時の八つの話以外に「飛ぶ」「阿修羅」やラストに予定された「素晴らしい夢」の三つの夢も出来ていたことも紹介されている。

[第二章 ハリウッド資本で動き出す]や[第三章 三年ぶりで《夢》始動]では、日本の会社にそのアイデアと意義を訴えても通じなかった企画が、脚本を読んで感動したスティーヴン・スピルバーグ監督の働きかけによってワーナー・ブラザーズ社が配給する形でようやく実現することになったことが記されたことや、さらに翻訳や資金の問題をようやく克服して撮影に至るまでの経過が記されている。

[第四章 自然の”精”との交感 ――懐かしい夢]から始まる、[第五章 鎮魂――悲痛な夢]、[第六章 心の一番奥の怖れ ――恐ろしい悪夢]、[第七章 自然との共生 ――ユートピアの夢]などの章では、原発事故の問題を扱った第六話「赤富士」のシーンだけでなく、八つの話全部を黒澤監督の個人史にも迫りながら、広い視野でこの映画の面白さと深さを論じている。

そしてエピローグでは、「地球がダメなら、人類は生存できない」との強い使命感から、環境問題や原発事故の問題を正面から捉えたこの作品が、黒澤明の「遺言」ともいえるような重みを有していることを確認している。

 

黒澤監督の対談や「ノート」などを詳しく研究した都築氏は、映画《夢》のヒントとなったのが、ドストエフスキーの長編小説『罪と罰』(一八六六年)に記された「やせ馬が殺される夢」であり、その文章から強い感銘を受けた黒澤が「ノート」に次のような一節をそのまま書き写していたことを明らかにしている。

映画《夢》と『罪と罰』との深い関連を理解するためにも重要だと思えるので、少し長くなるが書き写された全文を引用しておきたい。

 

「夢というものは病的な状態にある時には、並はずれて浮き上がるような印象とくっきりとした鮮やかさと並々ならぬ現実との類似を特色とする。そういうことがたびたびあるものである。時とすると奇怪な場面が描き出されるが、この場合夢の状況や過程全体が場面内容を充実させる意味で芸術的にぴったり合った、きわめて微細な、しかも奇想天外なデテールを持っている。それはたとい夢を見る当人が、プーシキンやツルゲーネフほどの芸術家でも、うつつには考え出さないほどである。こうした夢、こうした病的な夢はいつも長く記憶に残って攪乱され、興奮した人間の組織に強烈な印象を与えるものである」。         (『ドストエフスキイ全集』小沼文彦訳・筑摩書房)

そして都築氏は、黒澤監督が引用した『罪と罰』の文章の横に、「夢というものの特質を把握しなければならない。現実を描くのではなく、夢を描くのだ。夢が持っている奇妙なリアリティをつかまえなければならない」というメモを記していることにも注意を促している。

黒澤監督のこのメモからは、夢の問題についての深い関心がうかがえるだけでなく、エピローグでは「人類滅亡の悪夢」も描かれている『罪と罰』のテーマや構造に対する黒澤監督の認識の深さも感じられる*1。

 

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福島第一原子力発電所での大事故の後では、この事故の大きさに衝撃を受けたドイツやイタリアなどでは脱原発という大きな決断がなされた。しかし、地震国であるだけでなく、近い将来に大地震が起こることが予測されている日本の原子力政策はあまり変わらず、未曾有の大危機に直面して原発再稼働の見直しを進めていた菅直人元総理は、政財界からの激しい非難を浴びて退陣に追いやられ、国民レベルでの議論や国会での討議もないままに原発の輸出さえもが決められた。

このような事態に対して、まだ未見ではあるが、ドキュメンタリー映画『100,000年後の安全』を撮ったデンマーク出身のマドセン監督は、「日本には、事実を国民に教えない文化があるのか」と問いかけ、「福島事故で浮き彫りになったのは、日本人の”心のメルトダウン”だ」と感じていると語ったことが報道されている*2。

映画《白痴》を撮った黒澤監督は、ロシアのみならず世界できわめて高い評価を受けているが、日本では「第五福竜丸」事件の影響を扱った映画《生きものの記録》や映画《夢》などは、いまだに低い評価が続いていると思える。

黒澤映画《夢》の現代的な意義を考察することで、現在の問題を直視するためにも多くの方にぜひ読んで頂きたい書物である。

*1 映画《夢》と『罪と罰』に描かれた夢の詳しい比較は、近く「主な研究(活動)」のページで比較文学会での例会発表や黒澤明研究会の『会誌』に発表した論文の概要を掲載する予定である。

*2 「処理先送り 倫理の問題」[こちら特報部]『東京新聞』2011年12月23日。