本書の著者である齋藤博先生(以下、齋藤氏と記す)は、スピノザ『エティカ』の共訳や『スピノチスムスの研究』(創文社)、『文明への問』(東海大学出版会)などの著作をつぎつぎと上梓されるとともに、東海大学文明学科の主任教授や文学部部長、さらには文明研究所所長などを歴任され、東海大学文明学会の発足や『文明研究』の発刊にも関わられてきた。そのような齋藤氏の長い知的な営みを踏まえて書かれたのが、「文明の系譜とその原形象をもとめて――〈くらし〉とモデル」と題されている第一部と「文明の装置とエティカ」と題された第二部から成る本著である。ただ、限られた誌面なので、ここでは「新しい戦争」の時代をむかえて改めてその重要性が浮かび上がってきている「文明のモラルとエティカ」の問題に焦点を絞りながら、紹介することにしたい(以下、括弧内に引用頁数を示す)。
序章の冒頭近くで齋藤氏は、本書における文明観が人間の歴史を「野蛮から文明へ」という「発展段階として位置づける文明史観」とは異なり、梅棹忠夫氏や司馬遼太郎氏のように「人間の文明営為を〈くらし〉の次元に遡って捉えようとする」ものであると規定している(3)。すなわち著者によれば、言語を持ち、さらに技術によって自然から「疎外」されつつも、自然を「支配」するようになった人間の活動は、ユニットとしての「文明の装置」を生み出すのである。そして「人間の営為は開かれた生態のシステムである」とする著者は、「文明の装置」の生成に参画しているだけでなく、その中で生かされている人間と「文明装置」との関係性をとおして、「モラルとエティカ」の問題を根本的な形で考察している。
たとえば、国際政治学者ハンチントンが用いた「文明の衝突」という用語が、非西欧社会からの強い反撥を招いたことはよく知られているが、「人間の文明営為について」と題された序章できわめて重要と思われるのは、齋藤氏がここで「文明の衝突」が、「文明の善と悪との衝突ではなく」、「文明のモラルの衝突」であることを示している点だろう(10)。このことは本論の各章を通してより明らかにされていく。
第1章「文明学の学問的位置づけ」から第3章「生活世界の学と文明の学」に至る章では、日常的な生活との関連に注目しながら、東海大学の建学の精神とも深く係わる「現代文明論」の学問的位置づけが試みられている。
すなわち齋藤氏は、明治初期に書かれた福沢諭吉の『文明論之概略』をも視野に入れながら、ヨーロッパ文明を受容したことからはじまる日本の近代化の過程では、「文明」が伝統的な「文化」に対置されていたことを確認しつつ、明治末期から昭和初期にかけての日本の歩みは、「福沢の<文明>コード」が、「日本的・地方的な閉じられた<文化>コード」へと転換された過程であったことを指摘している(25)。
そして、フッサールの講演「ヨーロッパ諸学の危機と心理学」が、「その根底において近代の諸学に対して生活世界からの訴えを引き受けて提起された学問論的批判を含んでいる」ことに注意を促し、現代文明の諸問題は「話し考える営みが身体性から自由ではなくその無意識的身体と不可分である」にもかかわらず、「近代的理性は身体性からの自由を理念として」おり、人間が「自然の支配者にして所有者になる」べくつとめてきたことに起因していることが明らかにされている。こうして、「現代文明論」では「日本が辿ってきた近代化の過程」やヨーロッパにおける近代化を「全体として問いなおす」作業がなされたと指摘している(26~43)。
それに続く第4章から第7章までの章では、「数学的確実性とは異なるが、なお〈学問的〉に扱われるべき確実性」として「モラルの確実性」という概念を提起しているスピノザに依拠するとともに、「裁く」という言語の機能に注目することによって、「文明営為と言語」や「文明のモラルと法/権力」などの問題が深く考察される。すなわち、人間はその地域の「風土」などの「エートスに根ざし、それに制約されながら、それぞれの生き方としてのモラルを創り」、「モラルも法/権力も社会において起ち上がりそして社会的秩序を保持」する役割を持つので、「モラルを欠いた文明は身体のない人間のようなものである」(120)ことが指摘される。
しかしそれととともに、「法はモラルを語る人間の言語としてそれ自体多様化する」ので、「法はそれぞれの文明において独自であり、相互に異なることも自明である」ことも確認される(77)。すなわち、「文明のモラルは時間的空間的に閉じられて」おり、「郷にいれば郷に従え」という諺があるように、個々の時代や各民族はそれぞれのモラルを有しているのである。
それゆえ、「日本の文明的価値として〈誠〉とか〈至誠〉といった観念は日本人の文明営為のモラルとして考えられる」が、西田幾多郎の『善の研究』を再考察した中村雄二郎氏が指摘しているように、「〈至誠〉という道徳的価値が批判的な吟味もなく正当なる目的と化してしまえば、〈誠〉のために他者を殺すということがその手段として正当化されることになる」(119)。それゆえ、ハンチントン的な「文明の理解」では、「軍国主義的な」戦前の日本に対する原子爆弾の投下や、「非民主的な」イラクに対する先制攻撃も、アメリカでは「文明の悪」への「裁き」として正当化されるが、裁かれた側の激しい不満を招いて、「文明の衝突」の連鎖が続くことになるのである。
このような事態に対して齋藤氏は、日本語では通常、「モラル」が「道徳」と訳され、「エティカ」が「倫理」と訳されることにふれつつ、「それは両者の実質的な区別には連動しない」ことを確認しながら、「モラルから区別されるエティカ」の特徴として「人間の能動性」を指摘しており、ここにスピノザ的な意味での「エティカ」が「文明の衝突」に際して要請される理由を見ている。
すなわち、イベリア半島における「レコンキスタ(国土回復運動)」に際して「当時のキリスト教のモラル」では、イスラム教徒を侵略者として殺してもよいとし、ユダヤ人の「財産とか土地を没収する」ことも認められていた。このような「モラル」によって追放されたユダヤ人を両親に持つスピノザは、「自分の利益をもとめようとする衝動」をも正当化しようとすることを『エティカ』において鋭く批判していたのである。
この意味で興味深いのは、米山俊直氏が『比較文明』に掲載した「道徳的緊張」という副題を持つ追悼文で、様々な戦争を描きながら「文明の衝突」の問題を深く考察したことで、トインビーのような比較文明学的な視点を持つようになった司馬遼太郎氏の文明論を高く評価していたことである。実際、司馬氏は作家の陳舜臣氏との対談で「民族論や国家論だけのレベルで他の国をみると、ずっと失敗してきた」と語り、「自分の特殊なものに隠れていくときに、一番甘美になる」と指摘して「日本回帰」を批判し、「普遍性を身につけることの大事さ」を強調している。すなわち、「道徳的緊張」という司馬氏が好んだ用語は、「閉じられた」モラルを指すのではなく、「閉じられたコードを批判的に開くその能動的思考」を特徴とするエティカ的な意味を強く持っていたのである。
すなわち齋藤氏によれば、「善悪といった道徳的価値の対立をもたらす体制そのものを批判的に変革する営為」であるエティカには、「文明のモラルをその根底から問う」ような役割を持ち、それゆえ「文明の衝突」を回避させうるような、「実践の理論」としての働きを担っているのである(134)。
すでに誌面が尽きてきたが、本書の第二部では神話的な「物語の論理」であると同時に「近代哲学の論理」でもあった「アルファベットによってコード化された生活のシステム」が、「呪術的共時的」な思考を伴う「テクノ画像へのコード」に変わりつつあることによって、「現代文明のモラル」の危機が生まれていることが指摘されるとともに、そのような危機に対応する新しいモラルの示唆もなされている(220)。
「グローバリゼーション」への反発から、自国の「モラル」が強調されて世界中でナショナリズムが高まる中、日本でも「閉じられた<文化>コード」への回帰が再び見られるようになっている。いささか難解な箇所もあるが、スピノザだけでなく、ニーチェ、フッサール、フーコー、ベンヤミン、デリダ、ケストラーなどの論考を踏まえて、哲学的視点から「文明のモラルとエティカ」が根本的な形で考察されている本書は、「普遍的な学」としての比較文明学の構築のために、ぜひ多くの方に読んで頂きたい労作である。
(『比較文明』第23号、2007年)