ドストエフスキーは一七才の時兄ミハイルへの手紙において「いいですか、詩人はインスピレーションに駆られた時、神の謎を解きます。したがって哲学の任務をはたすわけです…中略…したがって哲学も詩と同じものです、ただ程度が高いだけです!」と記している。
彼自身が「だらけた哲学表現」であると認めているようにこの手紙における論旨の展開は明快さを欠いているが、哲学擁護の根拠は明らかである。すなわちドストエフスキーは理性が「知識の領域に熱中すると感情、したがって心情から離れて行動する」性質をもつものであることを認めつつも、「はかない表皮を通して霊魂の組織へ思想を導いていくもの」としての理性の働きを積極的に認めようとしているのだ。こうして彼は「より多く知るためには、より少なく感じなければならず、その逆もまた真なり」として心情と理性を両立しにくい対立するものととらえた兄ミハイルの論理を「詩人のごとき哲学論」と呼び、「軽率な定義で、心情のうわごとです」ときめつけ、理性的認識をも含む哲学を詩よりも高い位置に置いたのである。
そして、哲学にたいするこうした強い関心と高い評価はドストエフスキーの生涯を通じて変わることはなかった。一八五四年、シベリアでの四年間の囚人生活を終えたドストエフスキーは早速コーランとカントの『純粋理性批判』を送ってくれるように頼み、さらに非公式でヘーゲル、特に彼の哲学史を送ってほしいと記し「ぼくの未来はすべてこれにつながれているのです!」と続けている。
また、一八七〇年五月二八日の手紙においてドストエフスキーは「小生は哲学のほうではだめな人間です」と記しつつ、「しかし、(それは)哲学に対する愛の点ではありません。哲学に対する愛は強烈です」と書いている。そして最後の長編『カラマーゾフの兄弟』ではドミートリイに「カラマーゾフ家の人間はな、卑劣漢じゃなく、哲学者だよ、なぜって本当のロシア人はみんな哲学者だからな」と語らせている。
こうして、ドストエフスキーにとって方法としての文学は、哲学的方法を排除するものではなく、かえって哲学を志向するものですらあると言えるだろう。
ここで紹介するゴロソフケルの著『ドストエフスキーとカント』は、推理小説的な手法で『カラマーゾフの兄弟』を分析しながら、ドストエフスキーとカントを対置させドストエフスキーの哲学的な関心の意義を明らかにする好著である。
ただ本書の性格上、『カラマーゾフの兄弟』の知識が前提になっているので、私達も、『カラマーゾフの兄弟』の内容を概観しながら本書の内容へと入っていきたい。『カラマーゾフの兄弟』は推理小説的な構造を持つ長編小説である。そこでは、高利貸老婆殺しが問題となっていた『罪と罰』と同じように反道徳家で好色な老人の殺害が問題となっている。だが、『罪と罰』においては単なる他人であった老婆は、実の父親フョードルと交代し、さらに、非凡人の思想に駆られて、犯行に走ったラスコーリニコフは(神がなければ)すべてが許されると考えるイワンの形象へと発展した。さらに、フョードルの子供達に、乱暴だが豊かな感受性を持つミーチャ、純粋なアリョーシャ、さらに皮肉な庶子のスメルジャコフを配することによって、同じ悩みを共有する彼らの内面的な苦悩や対話を通して、思想の一層の深まりを加えている。
殊に、父フョードルと息子ミーチャ(ドミートリイ)が同じ女にほれ込み、いつ殺人が起きても不思議ではないような緊迫した状況と、殺人者が終末近くまで分らない推理小説的構造は読者をして、登場人物と共に考え込ませるような吸引力を持っている。さらにイワンの理論に従って父を殺したスメルジャコフの「主犯はあなたですよ。ぼくはただあなたの手先です」という言葉とイワンの発狂は、思想の責任を鋭く読者に問いかけるものであった。
さて、本著は次のような章から成り立っている。
第一章 カラマーゾフ老人を殺したのは誰か?
第二章 殺人犯は身代り
第三章 「秘密」と「神秘」
第四章 かげの主人公――テーゼとアンチテーゼ
第五章 主人公の仮面をかぶったテーゼとアンチテーゼの決闘
第六章 カント的アンチノミーの主人公、イワン・カラマーゾフ
第七章 科なくして罪ありとする判決
第八章 「理性の避けがたい錯覚」という怪物、そして良心の犠牲者としての錯覚の犠牲者
第九章 悪魔自身にも秘められた最後の秘密
第十章 小説の「深淵」と「真実」
第十一章 解かれた秘密
結び
以下、章を追ってなるべく忠実にこの書を紹介することで、本書の特徴と意義に迫りたい。(括弧内に記した半角のアラビア数字は本書からの引用ページを示す)。
まず第一章から三章までは、序論とも言ってもよく、一見ドストエフスキーとカントという結び付きがたい二者を関連づけ、同一のレベルで論じるための欠かすことのできない準備作業であると言えよう。
第一章では、ドストエフスキーが殺人の実行者としてスメルジャコフを明白に名指ししながらも、しかしそのスメルジャコフ自身を始めとして登場人物のいずれもがスメルジャコフが単独で犯行をなし得たとは考えておらず、しばしば犯罪にかかわるものとして悪魔が挙げられていることに注意をうながす。
すなわち、筆者はスメルジャコフが「主犯はあなたですよ。ぼくはただあなたの手先です」とイワンに語る一方で、イワンもスメルジャコフに「それじゃ…それじゃ、つまり悪魔がおまえに手伝って」殺させたんだと言い、さらにミーチャも「ああ、あれは悪魔がやったのだ。悪魔がおやじを殺したのだ。悪魔のおかげであなたがたもこんなに早く知ったのだ」と語っていることを紹介しながら、「殺人犯=悪魔というテーマ」(8)がミーチャによっても展開されていると述べている。
こうして氏はドストエフスキーが読者を「遂行された犯罪の形式的な事実の領域だけ」にとどめてはおらず、「良心の世界の領域、心の領域」へと誘導していると述べ、それは「殺人犯を、そこの領域で読者に探させるためである」(19)と主張している。
第二章では、まずイワンとスメルジャコフとを対比させ、「スメルジャコフの哲学は、本質的にはイワン自身の哲学なのである。はじめはそれは『すべてはゆるされる』という理論にすぎなかったが、のちには実行、つまり殺害へ具体化される理論となる」と述べ、さらに「ドストエフスキーにあって、『すべてはゆるされる』という定式のもとに隠されているのは、単に哲学一般ではなく、ヨーロッパ最大の哲学体系の一つなのだということ」を確認しながら、スメルジャコフばかりでなく、悪魔とも「イワンが同一の哲学の持ち主である」ことに注目して、「悪魔とスメルジャコフの哲学的見解は一致する」(27)ことを指摘する。
そして、イワンが悪魔に対して「おまえは夢だ、おまえは幻だ」というばかりかスメルジャコフに対しても「おまえが夢のような気がして・・・お前が幻じゃないかと思えて・・・」と語っていることに注目し、「イワン自身にとっては悪魔とスメルジャコフは一つにまじり合うように」見えると言い、たとえば「あいつ(悪魔――筆者註)はぼくを臆病者呼ばわりしやがった…中略…スメルジャコフも同じことがあったな」などの言葉を原作から丹念に抽出して悪魔とスメルジャコフとの類似点を浮彫りにしている。
そして最後に「スメルジャコフが生きている間は、悪魔は半ば暗示的に、謎めいて『あいつ』といった無名氏の形で、たえず読者のまえにちらついているだけであったが、スメルジャコフが死ぬと、悪魔はとたんに姿形をもち登場人物として」、「はっきりと姿を現わす」ことを指摘して、スメルジャコフは「悪魔の身代わりであって」「唯一の張本人は、作者の隠された意図からすれば、悪魔以外の何物でもない」(39)と主張している。
第三章では、「おれはここで秘密にすわって、人の秘密を見張ってるんだ。その理由はあとで話すが、秘密、秘密と思っているもんだから、急に口をきくのまで秘密になって」というミーチャの言葉などを引用しながら、この小説には「肯定的な」意味あいを持つ「神秘」という語とともに「否定的な、警戒心をかきたてるような」意味あいの「秘密」という語が多用されていることを指摘し、「主として『秘密』はカラマーゾフ老人殺害を中心に、その『悪魔の仕業』を中心にその周辺を回転している」(45)といい、読者はこの長編小説を読み終えてから「悪魔の秘密」に到達できると指摘する。
そして、ミーチャのアメリカ逃亡計画を分析しながら、「悪魔というのはあの世からの来客ではなく、イワンと悪魔の会話は、二人のイワンである分身同士、もしくはイワンの二つの側面の相互の会話である」(55)ことを確認し、「分裂の問題は、ここでは精神病理学的なものではなく、哲学的なものである。ここでの問題はただ単に二つの敵対的な世界観の問題ではなく…中略…本質的には弁証法の問題ですらある」(57)と指摘しながら、「カラマーゾフ老人殺害の唯一人の犯人である殺人者=悪魔が身を隠しているのはカントの『純粋理性批判』という僻遠の秘密の隠れ家である」(58)と結論している。
そして第四章の冒頭で、「思想家は哲学の径をどこから出発してどこへ向おうとも、カントと呼ばれる橋を通らなければならない」(60)と指摘しながら、「矛盾論」の有名な四つのアンチノミー(二律背反)に触れて、それは「カントの考えによると、経験によっては実証することも覆すこともできず、理性もそれと手を切るには無力なのである」(62)と説明を加えながら、「ドストエフスキーは『純粋理性批判』の矛盾論を知っていたばかりでなく、それを深く考察し」「それをにらみながら、小説の劇的な状況のなかで自分の論証を展開」したと述べ、ドストエフスキーは「アンチテーゼのカントと一騎打ち」をおこない、「このたたかいのなかで、小説の数多くの章に見られるような天才的な悲劇とファルスを創造した」(66)と述べている。
こうしてこの章以降では、カントの『純粋理性批判』をドストエフスキーが『カラマーゾフの兄弟』の中でどのように捉えたかが殊に「矛盾論」の中のアンチノミー(二律背反)とイワンの形象との係わりを中心に記述されている。
すなわち第四章では「四つのアンチノミーすべてをドストエフスキーは小説の中で提示している」と指摘して、それらを「一、(テーゼ)世界は創造され終末があるか、それとも(アンチテーゼ)世界は永遠で無限であるか。二、(テーゼ)不死はあるか、それとも(アンチテーゼ)不死はなく、すべては分割され破壊されるか。三、人間の意志は自由であるか、それとも(アンチテーゼ)自由はなく、あるのは自然の必然性(自然の法則)だけか、四、神と世界の創造者はあるか、それとも(アンチテーゼ)神と世界の創造者はないか」とドストエフスキー的な言葉で簡単に言い換えて示し、「カントによれば、アンチノミーのテーゼでは道徳と宗教の『礎石』が問題にされており、アンチテーゼでは科学の『礎石』が問題にされているのであるが、『カラマーゾフの兄弟』でも同じそれらの『礎石』が問題にされている」(66)と述べている。
そして「ドストエフスキーの主人公たちは、元来、単に人間にとどまらず、また知性と魂をゆさぶる芸術的形象にとどまらず、彼等はさらに問題でもあり、あるいは観念でもある」(71)といい「例えば、イワン・カラマーゾフというこの観念を伴う人間は、単に一個人としてのイワンにとどまらず、彼はさらに被加数の総和である。それはスメルジャコフでもあり、悪魔でもあり、ラキーチンでもあり、部分的にはリーザ・ホフラコーワでさえもある。彼等はみんなハンシュ派の『すべてはゆるされる』というモットーを、時には作者の毒舌『賢い人には』という句をつけ加えながらくり返す」と説明しながら、彼らが「カントのアンチノミーのアンチテーゼの体現」(72)という面を強く持っていることに注意をうながし、「カントのアンチノミーはテーゼとアンチテーゼに従って分類されているが、ドストエフスキーもまた、自己の主たる主人公たち(すなわち観念の基体)をテーゼとアンチテーゼに従い、二つの図式と項目で分類した。」と述べテーゼを体現する者としてゾシマとアリョーシャを挙げ、それに対してイワン、スメルジャコフ、悪魔そしてイワンの物語の大審問官をアンチテーゼとして挙げている。
それに続く第五章から第七章ではイワンがカントのアンチノミーの「具象化されたアンチテーゼ」という面ばかりでなく、彼が理論的関心や不可知論の面ではカントと同じ立場を取っていることが指摘されている。
第五章で著者はまずカントの「アンチテーゼの支配の下では『道徳的な理念と原則はその妥当性をことごとく失う』」という言葉を紹介しながら、それを「神と不死がなければ(第二、第四のアンチノミーのアンチテーゼ)善行は何一つない」と言い換えて、「カントのこの命題は、小説の進行の間、姿を消さない。これが小説の基本テーマであり。これがすなわち『神と不死がなければすべてがゆるされる』というイワンの定式にほかならない」(80)と指摘している。
それと共に著者は神と不死がなければ「新しい人間には〈……〉以前の奴隷的人間の以前のあらゆる道徳的限界を飛び越えることもゆるされ」(81)、さらに「人間は自分の意志と科学とによって際限もなく、刻一刻と自然を征服しながら、そのことによって天上のよろこびに対するそれまでの強い希求に代わりうるほどの、高遠な快楽をたえず感じるようになる」(86)というイワンの分身である悪魔の表現を、(アンチテーゼである)「経験論は理性の理論的関心に対して、はなはだしく我々の心をひき、理性理念を説く独断論者が約束するものをはるかに越える利益を提供する」というカントの言葉と比較しながら、ここで「ドストエフスキーは、理性の理論的関心はアンチテーゼの側にある、というカントの思想のちょっとした改作」(86)をやってのけていると述べている。
さらに、ゴロソフケル氏はこの章でカントにおける「虚しい幻」や「傲慢な主張」という用法に対応するような言葉をドストエフスキーも又『カラマーゾフの兄弟』で用いていることに注意を払っていたが、第六章ではイワンの言葉を引用しながら、彼がカントの表現をくり返していることを明らかにしている。
すなわち著者は、「ぼくはおとなしく白状するが、こんな問題を解く能力はぼくには少しもない、ぼくの頭脳はユークリッド的なもの、地上的なもの」だ、「だからこの世と無関係の問題なんか解けるわけがない…中略…神はありやなしや? なんてことだ。すべてこんな問題は、三次元の理解力しかあたえられていない人間にはまったく手に負えないことだ」(91)というイワンの言葉を「ここまでくれば、ドストエフスキーの『ユークリッド的頭脳』というのは、カントの『普通の悟性』と同じものであるだけでなく、経験の範囲の外にあるものを認識できない悟性一般であるということを、読者は疑えないであろう」分析し、さらに「ぼくは事実にとどまるつもりだ」というイワンの決意をも示しながら「こうして、イワンはカントのいったことをドストエフスキーの語彙で正確にくり返し、悟性にとって可想的世界、すなわち、テーゼの宇宙論的理念は認識不可能であり、理解不可能であることをのべる」(91)と主張している。
そして、著者はすでに四つのアンチノミーについて述べながら「基本的な形であますところなく読者の前に示されているのは、第四のアンチノミーのテーゼとアンチテーゼ」であり、それは「他のアンチノミーと結びつきながら、小説全体の織目を赤い糸さながらに貫いている」(70)と記していたが、第七章ではドストエフスキーが、人間の意志の自由と自然の必然性(自然の法則)とを問題とした第三のアンチノミーにも関心を払っていたと指摘している。
すなわち、自分が知っているのは「苦悩が存在するばかりで、罪人はいないということだ。すべては直接かつ単純に原因が結果をもたらし、次から次へとたえず流れ流れて平衡を保っていくということだけだ。」(97)というイワンの言葉を分析しながら、この言葉と「私たちの『責任能力』のどの側面が自由の結果なのか、どの側面が自然の結果なのか、私たちは知りえないし、判断することもできない。私たちにはその功罪は隠されたままである。」(101)というカントの言葉との類似性を指摘した後、「『この世に罪人はいない』という定式は、ドストエフスキーの場合、いわばアンチテーゼの叫び声」であり、「宗教的道徳の命題としての、『誰もが万人と万物に対して罪がある』というゾシマ長老の普遍的罪業の定式はテーゼの定式である。」(102)と述べている。
次の第八章ではイワンが理性的にはアンチテーゼに惹かれる面を持ちながらも、心情的にはテーゼの側にも共感を抱いていたことを例証して、彼も「カントと同じように、敵対しあう両者――テーゼとアンチテーゼを和解させることができず、アンチノミーの天秤棒の上で揺れ続ける」(107)と述べて、人格としてのイワンがカントに近いことに注意をうながした後、イワンの発狂に光を当てながらカントの方法を鋭く批判し、それに続く第九章および第十章では、ドストエフスキーとカントを比較しながら、彼らの違いを浮彫りにしている。
すなわち著者の考えによれば、カント自身がイワンのような立場、あるいは理論的な袋小路から逃れ得たのは妥協的な「二つの経路」によってであり、その第一は「理性に生来そなわっている、狡猾かつ自然な『避けがたい理性の錯覚』に頼ることによる認識論の経路」であり、その第二は「規則、服従、秩序の良心であって、生きた感情の良心ではない」「生ける魂を凍らせる定言的命令」なのである。イワンはカントのようには「『理性の自然的な避けがたい錯覚』の理論的な不可知論をおおい隠すことをしなかった」ので彼は「この不死で怪物的な理性の錯覚の犠牲になった」が、「イワンをこの錯覚の犠牲にしたのはカントではなく、小説の作者ドストエフスキーであって、彼はカントを粉砕するためにカントを借用したのである。」(111)と主張している。
それとともに、イワンが「『若き思想家』であるばかりでなく、『深い良心』でもある」と記し、さらに真の良心と「良心にとって代わった定言的命令」を区別して、「小説の舞台で若き思想家とたたかったのは、カントの定言的命令でも、似非良心でもなくて、本物の良心であった。アンチテーゼとテーゼの理論的なたたかいの全貌なるものは、実は本質的にいって、理論的アンチテーゼと良心そのものとのたたかいであったのである。この良心そのものは、定言的命令によっては置き替えのきかない代物なのである。」(122)と述べている。
第九章ではカントが「アンチノミーの矛盾しあう二つの命題」を「弁証法的和解(自然は無神論的であるが、神は存在する!)」によって説得しようとし、さらに「良心にとって代わった定言的命令」によって補おうとしているのに対し、ドストエフスキーは「良心の声を神の伝達者と認め」「この声を無視する者は破滅を運命づけられていることを示そうとし」、それゆえ「主人公イワンにおいて弁証法的和解を拒否した」(137)のだと述べて彼らの方法の違いを指摘し、第十章ではミーチャの形象に注意を払いながらドストエフスキーの解決法を示している。
著者はまず「知性には恥辱としか映らないものが、感情には完全に美と思えるんだからなあ」というミーチャの言葉を引用しながら、「イワンにおいて、作者はアンチノミーを解決不可能の矛盾として提出したが、同様にミーチャにおいて、作者はそれらのアンチノミーを次のように思弁と感性の二重の面での実体化された矛盾の形で、解決されたものとして提出したのである」(145)と指摘し、「二重世界の矛盾」に対するカントとドストエフスキーの態度の違いを次のように指摘している。
「カントの観点の発端には二重世界についての前提」があり、「カントはその前提を錯覚と称しているけれども、それにもかかわらず、彼はそれを人間の理性にとって避けがたい錯覚…中略…として、人間の理性に残しておいた」(148)のに対し、ドストエフスキーは「この錯覚を実在として受け入れ」「実体化した矛盾にひそむ生活の意味を高唱」したのであり、「問題はテーゼ、またはアンチテーゼにあるのではなく、それらの永久の決闘にある。それはミーチャにとっては秘密と神秘の結合であり、悲劇的で悪魔的な美としての生活を彼に開いてくれるものなのである。…中略…そしてミーチャの巨人的な魂がこの生活を喜んで迎え、受け入れるのである」(149)。
誌数が尽きてきたので先を急ぐが、第十一章では本書全体の結論を確認しながら「ドストエフスキーは、思想の湧き立つ混沌のさなかで演じられる『科学』と『良心』の闘いの神話を創造したわけであるが」(163)、「道徳的な地獄、良心の苦悶に対してならば、すでにドストエフスキー以前にも深く洞察を加えた世界的な思想家や詩人、芸術家がいた。しかし知的な地獄、知性の地獄に対しては、これほど深く洞察を加えた者はドストエフスキー以前にはいなかった。それというのも、ドストエフスキー自身がこの『知性の地獄』を経験したからである。この『知性の地獄』はドストエフスキーがその悲劇としての小説の中に形象化し、人類に伝えた偉大な経験であった」(163)と述べて、次のような詩的な言葉で本書を結んでいる。
「ドストエフスキー自身は『知性の地獄』から脱却できなかったが、彼はそれでもアリョーシャに託して、未来に対する全人類的な期待――より正確にいえば、この期待への親近感を示そうとした。『道……その道は大きくて、まっすぐで、明るいクリスタルのような道で、その終点には太陽が輝いている……』」(167)。
著者のゴロソフレルは「結び」において「小説の中でカントが代表しているのは、ヨーロッパの理論哲学一般、とりわけ批判哲学であって、ドストエフスキーはそれを相手に、小説の中で意識的な闘争を開始」(171)したと述べている。
訳者の木下豊房氏は「カント哲学の多くのモチーフがドストエフスキーの小説の中で蘇り、作家の思考の体系の中にしっかりと組み込まれたがその問題を解明する仕事はまだあまりなされていない」(183ー184)というヴィルモントの言葉を引用しているが、ドストエフスキーとヨーロッパ思想との係わりを究明することは相変わらず「危機の時代」にある現代においては重要であると筆者には思える。
(『文明』55号、1989年。2013年9月に文体レベルの改訂を行った)