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ドストエフスキー生誕200年と『堀田善衞とドストエフスキー』

前著『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機』では権力と自由の問題に肉薄した『罪と罰』を明治の文学者たちの視点から読み解きました。

 新著『#堀田善衞とドストエフスキー 大審問官の現代性』では、大正から昭和にかけての日本におけるドストエフスキーの受容の問題を堀田作品の分析をとおして詳しく考察しました。 なんとかドストエフスキーの生誕200年に間に合いほっとしています。

  ただ、昨年の6月19日のツイートでは「 国会の終盤では戦前の価値観を重視する「#日本会議」が望むような時代の到来を予感させる危機的な事態が度々起きました。 それゆえツイッターデモなどにも参加しましたが、多くの声が集まったことで当面の危機は回避できたと思えます。 #堀田善衞 のドストエフスキー観の研究に戻ります。」と記していました。(twitterで会話すべてを読む」をクリックすると続きが読めます。)

 しかし、総選挙は思いがけない結果となり、今年はより厳しい年となりそうですので、報道が統制されて戦争へと突入することとなった昭和初期の問題を描いた 二作品――「国策通信社」に働く女性を主人公とした『記念碑』や『若き日の詩人たちの肖像』 などをより深く読み込む必要性を感じています。

堀田作品を考察したスレッドをアップすることで、この一年を簡単に振り返ります。

                    (2022/01/15 改訂)

世界文学会 の第一回研究会で「堀田善衛の疫病観」を発表(12月18日)

講座「アニメ映画《風立ちぬ》で堀田善衞の長編小説『若き日の詩人たちの肖像』を読み解く」(7月7日)

『ドストエフスキーとの対話』(水声社)に「堀田善衞のドストエフスキー観――堀田作品をカーニヴァル論で読み解く」を寄稿

『現代思想』に「大審問官」のテーマと 核兵器の廃絶――堀田善衞のドストエフスキー観 を寄稿

旧日本軍を批判しているように見えながら巧妙に読者を誘導して、「特攻」を美化する価値観へと導く『永遠の0』の危険な構造を分析する


映画《永遠の0(ゼロ)》を「神話の捏造」と厳しく批判した宮崎駿監督の
映画《紅の豚》の主人公 ポルコのセリフ「ファシストになるより豚の方がマシさ」

拙著の紹介が沖縄タイムズ、富山新聞、信濃毎日新聞、下野新聞、愛媛新聞に掲載

okinawatimes.co.jp/articles/-/881840…

「今年はドストエフスキー生誕200年。その文学の日本での受容を語る上で欠かせないのが堀田善衛である。終戦直前の東京大空襲と広島、長崎へ原爆投下という事態に出合って彼は、ドストエフスキーの現代的理解を深めていくからだ(…)」

〈新刊〉「堀田善衛とドストエフスキー」高橋誠一郎 著|文化|全国のニュース|富山新聞 (hokkoku.co.jp)

「堀田善衞の会」の例会で北陸にお伺いした際には、 生誕100年記念特別展「堀田善衞――世界の水平線を見つめて」が開かれた「高志の国(こしのくに)文学館」や「徳田秋聲記念館」など多くの文学館でお世話になりました。

拙著の紹介が12月19日の信濃毎日新聞、下野新聞、愛媛新聞にも掲載され、記事の後半では「黙示録的時代と向き合った2人の作家の共鳴の軌跡を追う」と、拙著の『審判』論が的確に紹介されていたことが判明しました。 (1月11日)

ドストエーフスキイの会、256回例会(報告者:国松夏紀氏)の延期のお知らせ

(再掲)下記の予定のところ、コロナビールス蔓延予防策の影響で、目下、延期、期日未定となりました。  

以下にその要旨と「ドストエーフスキイの会」のホームページのアドレスを掲載します。   

    *   *

下記の要領で例会を開催いたします。皆様のご参加をお待ちしています。

日 時2020年3月28日(土)午後2時~5時

場 所早稲田大学文学部戸山キャンパス31号館2階205室A

(最寄り駅は地下鉄東西線「早稲田」)

報告者:国松夏紀 氏

 題 目: 『カラマーゾフの兄弟』における「寛容」を巡って

       ―― В. А. トゥニマーノフ氏追悼に寄せて ―

                      一般参加者歓迎・会場費無料

 報告者紹介 : 国松夏紀(くにまつ なつき)氏
1947年久留米生まれ。早大露文・大学院、助手を経て桃山学院大学(名誉教授)。
[特別講演要旨]ドストエフスキー『悪霊』から削除された/入らなかった1章 
 “У Тихона”(「スタヴローギンの告白」)を巡って
(日本ロシア文学会関西支部会報2018/2019 №2)。
「昭和九年のドストエフスキー」に寄せて
 (ロシア・ソヴェート文学研究会「むうざ」第32号2020年)。
(以下略、 2020年3月5日)

ドストエーフスキイの会、255回例会(報告者:杉里直人氏)のご案内

「第255回例会のご案内」を「ニュースレター」(No.156)より転載します。

*   *   *

第255回例会のご案内    

下記の要領で例会を開催いたします。皆様のご参加をお待ちしています。

                               会場変更にご注意ください !

 日 時2020年1月25日(土)午後2時~5時

場 所早稲田大学文学部戸山キャンパス31号館2階208教室

                                   (最寄り駅は地下鉄東西線「早稲田」)

報告者:杉里直人 氏

題 目: 『カラマーゾフの兄弟』を翻訳して

                                      会場費無料

 

報告者紹介:杉里直人(すぎさと なおと)

1956年生まれ。早稲田大学、明治大学、東京理科大学非常勤講師。2007年に旧マヤコフスキー学院の受講生とともに『カラマーゾフの兄弟』の輪読会を始め、2016年に読了。現在は新しい仲間も加わり、5年計画で『悪霊』を読んでいる。主要訳書:バフチン『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネサンスの民衆文化』(水声社、2007年)。

 *   *   *

第255回例会報告要旨

『カラマーゾフの兄弟』を翻訳して

2020年1月に水声社より杉里訳『カラマーゾフの兄弟』が刊行される。1914年に二浦関造の手で初めて邦訳されてから106年、拙訳は16番目の日本語訳になる。

私は今回、第一に原文を一語一語、忠実に訳すこと、そのうえで平明な訳文の作成をめざした。とはいえ、『カラマーゾフ』は概して一文が長く、構文はねじくれていて、会話は高度のmodalityに富んでいるので、「原文に忠実」と「平明な訳文」の両立は容易ではない。難所にぶつかるたびに、そして無知や思いこみに起因する錯誤を回避するために、座右に置いた13の先行訳を参照した。拙訳には既訳に異を唱え、新しい解釈を提示する箇所がいくつかあるが、それは先人との時空を超えた対話を通してなされた。利用した8つの日本語訳のうち、語学的に正確で、周到に考えぬかれた原卓也の丹念な訳業、巧みな語り口、豊富な語彙、こなれた訳文という点で抜きんでた江川卓の仕事からは学ぶ点が多かった。5つの英・仏・独訳のうち、とくに2つの英訳(Pevear&VolokhonskyとMcDuff)は、日本語訳を批評的に対象化して、異なる見地から再検討し、代々の誤訳を洗い直すために有益だった。

翻訳作業では露和辞典に依存せず、常時複数の露々辞典を引くよう心がけた。主に利用したのは、ダーリ辞典(作家と同時代に編纂)、新アカデミー辞典(現在25巻まで既刊)、旧アカデミー17巻辞典、ウシャコフ辞典、ドストエフスキー語彙辞典、ミヘリソン表現辞典、19世紀刊行の方言辞典などである。ドストエフスキーを読む際、不可欠なのはダーリと新旧アカデミー辞典で、これらを徹底的に読みこめば、誤訳を確実に正すことができる。

拙訳のもう一つの特徴は詳細な注釈である(A5版190頁、1264項目)。140年前に異国で発表された古典作品を深く的確に理解するためには、目配りがよく偏りのない注釈が必須だ。ところが、従来の邦訳のうち、注釈の名に値するものを具備しているのは江川卓訳だけだった。これはナウカ版全集のヴェトロフスカヤによる画期的注釈(1976)に依拠しつつ、江川独自の研究を盛りこんだ労作である。これが成ったのは1979年で、その後40年が経過し、作品研究は長足の進歩をとげた。ヴェトロフスカヤは『カラマーゾフ』関連の単著や論文を集成し、2007年に600頁を超える大著としてまとめ、注釈部分(209頁)も最新の知見を反映させて大幅に増補・改訂した。拙訳の訳注ではヴェトロフスカヤ、江川のほかに、グロスマン(1958)、Terras(1981)の注釈も適宜利用した。

司法、教育などの社会制度、衣服、食事などの習俗、宗教儀礼、文化、自然といった、いわゆるレアリアについてはできるだけ具体的に解説した。ロシア人にとって自明で、注釈が不要な事柄でも、外国人読者にはなじみのない事象が数多くある。それらにはブロックハウス=エフロン百科を始めとする各種事典類を頼りに、独自の注釈を施した。聖書関連ではコンコーダンスをフルに利用した。新規の試みとして絵画などの視覚情報を別丁で掲載した。

『カラマーゾフ』は《引用の織物》と言ってよいほど、古今のテクストが引用され、原著に対する顕在的・潜在的な論争、パロディ、もじり、嘲笑に満ちている。この点も可能なかぎり原典にあたって調査し、作品の読解に益する場合には注釈を付した。従来日本では言語遊戯、新造語・古語・外来語の使用など言葉の芸術家としてのドストエフスキーに関心が向けられることは少なかったが、作家は最後の長編で細部の彫琢に腐心し、さまざまな意匠を凝らしている。注釈では真に驚嘆すべきこの側面にも照明を当てることをめざした。

一連の作業のために作成したノートは最終的に29冊になった。このノートがなければ、私は『カラマーゾフ』の翻訳などという身のほど知らずの蛮行を企てなかっただろう。本例会では、なるべく多くの具体例をあげながら報告する。いくつかの新発見についてもお伝えできればと思っている。

*   *   *

合評会の「傍聴記」や「事務局便り」などは、「ドストエーフスキイの会」のHP(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)でご確認ください。

ロシア帝国の教育制度と日本――『ロシアの近代化と若きドストエフスキー』から『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機』へ

59l「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機 高橋 誠一郎(著/文) - 成文社 

ニコライ一世治下の帝政ロシアでは、ロシアの貴族にも影響力をもち始めていた「自由・平等・友愛」という理念に対抗するために、「正教・専制・国民性」の「三位一体」を「ロシアの理念」として国民に徹底しようとした「ウヴァーロフの通達」が1833年に出されていました。

このような時代に青春を過ごした若きドストエフスキーは初期作品で、権力者の横暴を抑えるための「憲法」の意義や言論や出版の自由の必要性、さらには金持ちのみを優遇する「格差社会」の危険性などを、「イソップの言葉」で説いていました。

『貧しき人々』に始まるこれらの作品を分析することにより、日本における「憲法」や「教育」の問題を考察しようとした拙著『ロシアの近代化と若きドストエフスキー 「祖国戦争」からクリミア戦争へ』(成文社、2007年)の終章では、検閲の問題と芥川龍之介の自殺との関連にも注意を払いながら、『白夜』からの引用がある堀田善衞の『若き日の詩人たちの肖像』に注目することで、昭和初期の日本の状況とクリミア戦争直前の帝政ロシアの状況との類似性を明らかにしました。

たとえば、昭和一二年に文部省から発行された『国体の本義』では、大正デモクラシーを想定しながら、その後も「欧米文化輸入の勢いは依然として盛んで」、「今日我等の当面する如き思想上・社会上の混乱を惹起」したとして、これらの混乱を収めるべき原則として『教育勅語』の意義が強調されたのです。

さらに『国体の本義解説叢書』の一冊として文部省教学局が発行した『我が風土・国民性と文学』と題する小冊子では、「ロシアの理念を強調した「ウヴァーロフの通達」と同じように、「日本の国体」においては、「敬神・忠君・愛国の三精神が一になっている」ことを強調していました。

 それゆえ、『ロシアの近代化と若きドストエフスキー』を書き上げた後では、芥川龍之介の自殺の問題も描かれている堀田善衞の『若き日の詩人たちの肖像』を詳しく考察することで、昭和初期に書いた「『罪と罰』についてⅠ」などの評論や『我が闘争』の書評で当時の若者や知識人に強い影響を与えていた小林秀雄のドストエフスキー論の問題点を明らかにしたいと考えました。

しかし、幕末だけでなく昭和初期に再び強い勢力を持つようになっていた平田篤胤の「復古神道」について理解が乏しかったために、その構想は先延ばししなければなりませんでした。

ようやく前著『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機――北村透谷から島崎藤村へ』で、明治の文学者たちの視点で差別や法制度の問題、「弱肉強食の思想」と「超人思想」などの危険性を描いていた『罪と罰』の現代性に迫りました。さらに、『罪と罰』の人物体系や内容を詳しく研究することで長編小説『破戒』を書いただけでなく、『夜明け前』では平田篤胤没後の門人となって古代復帰を夢見た主人公の破滅にいたる過程を描いた島崎藤村の作品を分析することにより、明治政府の宗教政策や昭和初期の「復古神道」の問題をも考察することができました。

こうして、芥川龍之介の自殺と堀田善衞の『若き日の詩人たちの肖像』との関連を論じることのできる地点までようやく来ましたので、次の著書『堀田善衞と小林秀雄――「若き日の詩人たちの肖像」を読み解く』(仮題)ではこの問題を正面から論じることにします。

*新刊 『堀田善衞とドストエフスキー 大審問官の現代性』(群像社、2021年)

そのためにも、徳富蘇峰の「教育改革」論の後で生じた事態を、芥川龍之介の自殺と堀田善衞の『若き日の詩人たちの肖像』との関連をとおして考察した箇所を、拙著『ロシアの近代化と若きドストエフスキー 「祖国戦争」からクリミア戦争へ』から、「主な研究」に転載することにより確認することにします。(引用に際してはわかりやすいように、一部改訂を行いました。)

芥川龍之介の自殺と『若き日の詩人たちの肖像』――『ロシアの近代化と若きドストエフスキー』終章より

 (2023/02/02、新刊 『堀田善衞とドストエフスキー』とツイターへのリンク先を追加)