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司馬作品の読者として「宜野湾デモクラシー」を支援

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いよいよ今年、最初の選挙が宜野湾市で行われます。

1974年に連載した『沖縄・先島への道』(『街道をゆく』第6巻)の冒頭近くにおいて作家の司馬遼太郎氏は、「住民のほとんどが家をうしない、約一五万人の県民が死んだ」太平洋戦争時の沖縄戦にふれて、「沖縄について物を考えるとき、つねにこのことに至ると、自分が生きていることが罪であるような物憂さが襲って」くると書いています。

一方、 このブログで記してきたように安倍政権は、軍拡によって国力を伸ばそうとし、「国民」には服従を強いた山県有朋的な「国家」観を強く受け継いでおり、いまのままでは日本の各地が第二、第三の沖縄や「フクシマ」となる危険性がきわめて高いと思われます。

「環境権」や「地方分権」を積極的に進めるためにも、今回の選挙では司馬作品の愛読者として「宜野湾デモクラシー」に遠く関東から支援の意を送ります。

リンク→安倍政権による新たな「琉球処分」と司馬遼太郎の沖縄観

「司馬遼太郎の戦争観」を「主な研究」に掲載 

リンク→司馬遼太郎の戦争観――『竜馬がゆく』から『菜の花の沖』へ

8月14日の安倍談話は日英の軍事同盟によって勝利した日露戦争の意義を強調することで故郷の先輩政治家・山県有朋の政治姿勢を評価した安倍氏は、国会でも十分な審議を行わずに戦争への参加を可能とする「安全保障関連法案」を「強行採決」して、祖父の岸信介氏と同じように軍拡路線を明確にしました。

一方、きわだった個性を持った吉田松陰とその弟子高杉晋作の悲劇的な生涯を生き生きと描いた長編小説『世に棲む日日』(1969~70年)で、「革命は三代で成立するのかもしれない」と分類した司馬氏は、三番目に現れる世代を「初代と二代目がやりちらした仕事のかたちをつけ、あたらしい権力社会をつくりあげ、その社会をまもるため、多くは保守的な権力政治家になる」と位置づけ、山県狂介(有朋)を「その典型」として挙げていました(三・「御堀耕助」)。

そして、長編小説『坂の上の雲』(1968年~72年)の第四巻の「あとがき」で、「日露戦争の勝利後、日本陸軍はたしかに変質し、別の集団になったとしか思えない」と書いた司馬氏は、「長州系の軍人だけでも二一人」を「華族」などに昇格させた「日露戦争後の論功行賞」の理由は、山県有朋を「侯爵から公爵に」のぼらせるためだったと説明していました(「『旅順』から考える」『歴史の中の日本』)。

つまり、明治維新に際しては「四民平等」の理念が強調されていましたが、1884年に成立した華族令で爵位が世襲とされたことにより、日本の社会は貴族階級のみが優遇される一方で、農民などの一般の民衆が過酷な税金と徴兵制度によって苦しんだ帝政ロシアと似た相貌を、急速に示すようになっていたのです。

(拙著『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと』人文書館、2009年、277~278頁より。引用に際しては、文体を変更した)。

それゆえ、明治期に作られた「新しい伝統」に深い疑問を抱いた司馬氏は、世界でも誇りうる「江戸文明」に次第に関心を向けるようになり、江戸時代にロシアとの戦争を防いでいた町人・高田屋嘉兵衛を主人公とする長編小説『菜の花の沖』(1979~82年)を描くことになったのです。

この長編小説の意義については、昨年、学会で発表しましたが(リンク→「「商人・高田屋嘉兵衛の自然観と倫理観――『菜の花の沖』と現代」、昨年末には「司馬遼太郎の戦争観――『竜馬がゆく』から『菜の花の沖』へ」と題するエッセイを『全作家』に投稿しましたので、「主な研究」に掲載します。

(2016年1月18日。記事を差し替え)

 

安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動(5)――美しいスローガンと現実との乖離

isbn978-4-903174-33-4_xl  装画:田主 誠/版画作品:『雲』

 

安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動(5)――美しいスローガンと現実との乖離

このブログの読者のなかには、ロシア文学や比較文学の研究者である私が、政治や神道の問題にまで踏み込むことに眉をひそめる方もおられるかもしれません。

しかし、歴史や文学作品の分析をとおして、「日露の近代化」を考察してきた私からみると、現在起きている多くの事態は、欧米列強が「文明開化」の名のもとに「開国」を強要した時期ときわめて似た危険な様相を示していると思われるのです。

たとえば、同時多発テロへの「報復の権利」を主張したブッシュ政権がアフガン戦争を始めた前後に開かれたある学会で、アフガニスタンのイスラム原理主義勢力の「タリバン」がバーミヤン石仏を破壊したことを理由にその戦争を正当化する研究者がいたことに驚いたことがあります。

しかし、国宝クラスの重要な仏教寺院や仏像が明治初期の「廃仏毀釈」運動で破壊されていたことに注意を促した記事では、「仏教を邪教として否定し、先祖の建立した馬籠の永昌寺本堂に放火しかけて取り押さえられ」、「狂人として」座敷牢に幽閉された島崎藤村の父・正樹が、単なる「狂人」ではなく、「苦境にあえぐ村びと」を救おうと骨を折っていた真面目な人物であったことを指摘していました。

かつては長州藩の過激な「攘夷派テロリスト」であった高杉晋作や伊藤博文たちが、品川の海を見おろせる御殿山に幕府の経費で建設され、九分どおり完成していた英国公使館の焼討ちを行ったこともよく知られていますが、他国の文化や政治を武力によって強引に変え ようとするグローバリゼーション(欧化)の圧力は、かえって、それに対する強い反撥を呼びナショナリズム(国粋)を高揚させるのです。

強いグローバリゼーション(欧化)の圧力に押されて、アメリカの政策に追従している安倍政権が抱えているのも、このようなナショナリズム(国粋)の問題なのです。

*   *   *

前回の記事で指摘した神社本庁や日本会議の主張する「改憲」の署名集めのための次のような記述には、私も全面的に賛成します。

〈憲法の良い所は守り…中略…、美しい国土を守り、家族が心豊かに生活できる社会をつくりましょう。誇りある日本と子供たちの未来のために…〉

ただ、〈美しい国土を守り、家族が心豊かに生活できる社会〉を作るためならば、「神道政治連盟」がまずしなければならないのは、「公約」を反故にした安倍政権の打倒を強く国民に訴えかけることでしょう。

なぜならば、放射能で祖国の大地や河川、そして海を汚染した「福島第一原子力発電所の大事故の後でも、安倍政権はそのことをきちんと反省せずに、原発の再開だけでなく海外への輸出を試み、さらに日本の農業を疲弊させ、日本の大地を劣化させる可能性の高いTPPの交渉を国民に秘密裏に行い締結していたからです。

「神道政治連盟」が〈〈誇りある日本と子供たちの未来のため〉と謳うならば、イラク戦争を主導したアーミテージ副長官などの意向に追随して、七〇年間、戦争で他国の人間を殺さなかったというも日本の独自性を投げ捨てようとしている安倍政権をもっとも強く批判すべきだと思えるのです。

*   *   *

つまり、欧米列強の圧倒的な軍事力に屈して「文明開化」に踏み切ったために、当初から「欧化と国粋」の問題を抱えていた新政府の「ねじれ」が噴出したのが、「国家神道」というイデオロギーによって政治が動かされていた昭和初期の時代であり、岸信介氏を深く尊敬する安倍晋三氏が目指している「改憲」の危険性もそこにあるのです。

次回からは少し視点をかえて、1902年にはイギリスを「文明国」として「日英同盟」を結んだ日本が、なぜそれから40年後には、「米英」を「鬼畜」と罵りつつ戦争に突入したのかを考えることで、安倍政権の危険性を掘り下げることにします。

(2017年1月4日、副題を変更)

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安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動(1)――岩倉具視の賛美と日本の華族制度

安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動(2)――長編小説『竜馬がゆく』における「神国思想」の批判

安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動(3)――長編小説『夜明け前』と「復古神道」の仏教観

安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動(4)――「神道政治連盟」と公明党との不思議な関係

安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動(4)――「神道政治連盟」と公明党との不思議な関係

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(写真はKei氏の2015年12月30日のツイッターより引用)

 

〈安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」(1)〉では、「改憲」姿勢を明確にした安倍首相の政治姿勢を「傲慢(ごうまん)だ」と厳しく批判する一方で、いまだに安倍政権の与党に留まることの正当性を訴えている公明党幹部の不思議さを指摘しました。

ようやく、島崎藤村の長編小説『夜明け前』において「復古神道」の仏教観がどのように描かれているかを考察したことで、公明党幹部の政治姿勢の危険性をも指摘できる地点に来たと思えます。

なぜならば、「神道政治連盟」は「神社本庁」を母体として1969年に結成されましたが、その「国会議員懇談会」の会長を勤めているのが現在首相の職にある安倍晋三氏であり、「神道政治連盟」の綱領の冒頭には、「神道の精神を以て、日本国国政の基礎を確立せんことを期す」と明記されているからです。

つまり、安倍首相の政治姿勢は一般の「国民」からみれば「独裁」的な手法で「憲法」を無視しているきわめて「傲慢」な姿勢と言えるのですが、「神道政治連盟」の側から見ると「綱領」の趣旨にそった「誠実」な発言なのです。

*   *   *

このような安倍首相の政治姿勢は、昨年11月10日に日本武道館で開かれた「今こそ憲法改正を!1万人大会」でもみられました。この大会は「神道政治連盟」と志を同じくする、保守系団体・日本会議や「美しい日本の憲法をつくる国民の会」などによって行われたとのことですが、舞台上の巨大スクリーンに映し出されたビデオのメッセージで、安倍氏は「日本の国づくりの国民的議論を盛り上げていただいており、大変心強く思います」と語りかけていたのです。

大きな問題はいくつかの報道機関が伝えているように、神社本庁や日本会議の意向を受けて全国各地の神社が初詣客を狙って「改憲」の署名集めるという“政治運動”を行っていたことです。

たとえば、「リテラ」の梶田陽介氏の記事(2016年1月5日の)によれば、「乃木神社」では〈入り口に足を踏み入れると、たちまち、「誇りある日本をめざして」「憲法は私たちのもの」などと書かれた奇妙なのぼり旗が目に飛び込む。さらにその付近に設置されたテントでは、額縁に入った櫻井よしこ氏のポスターが鎮座! 「国民の手でつくろう美しい日本の憲法」「ただいま、1000万人賛同者を募集しています。ご協力下さい」なる文言とともに…中略…A4の署名用紙と箱が置かれていた。〉

そして、〈現行憲法は宗教団体“が”「政治上の権力を行使」することを禁じているが、自民党案20条1項では、その部分を削除している。つまり、宗教団体が「政治上の権力を行使」することが可能になるのだ。また、3項の「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない」というのも、神道にのみ政治活動への一体化を容認するものだ〉と安倍自民党の「改憲」案の危険性を伝えた記事はこう続けています。

〈もうお分かりだろう。安倍政権による改憲は、まさに祭政一致と国家神道の復活を宿願とする神社本庁の意向を反映したものなのだ。…中略…しかも、卑劣なことに、くだんの署名用紙には、上述した祭政一致、国家神道復活の目的などは一切書かれていない。それどころか、現在の憲法がどのように変わる可能性があるのか自体、まったく記述がないのである。…中略… 日本らしさ、美しい国土、家族が心豊かに……そんな抽象的な美辞麗句を並べ立て、なんとなくポジティヴな印象だけ与えて署名を募っているのだ。〉

この記事は〈そもそも、神社本庁という宗教法人が政権と一体化するかたちで改憲というあきらかな政治運動をしていること自体、憲法20条に反している可能性もある〉と指摘して結ばれているのです。

*   *   *

つまり、「憲法」を無視するような手法で「戦争法案」を強行採決した安倍政権とは、これまでの自民という政権とは大きく異なるきわめてイデオロギー的な政権であり、「平和」を守りたいと願う「仏教」的な理念とも大きくかけ離れているのです。

このことは昨年の「戦争法案」の国会審議に際してもすでに明らかになったと思われるのですが、日頃から安倍政権の閣僚と親しく懇談する機会の多いと思われる公明党の幹部の人達は、なぜ安倍政権の目指す「改憲」の危険性から目をつぶっているのでしょうか。

(2017年1月4日、図版を追加)

 

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安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動(5)――美しいスローガンと現実との乖離

 

安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動(3)――長編小説『夜明け前』と「復古神道」の仏教観

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(書影は相馬正一著『国家と個人 島崎藤村「明け前」と現代』、人文書館)

 

安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動(3)――長編小説『夜明け前』と「復古神道」の仏教観

いよいよ今年は、日本の未来をも左右する可能性の強い参議院選(あるいは衆参同時選挙)が行われる重要な年となりましたが、安倍政権の「改憲」方針の危険性を認識している人がまだ少ないようです。

それゆえ、昨日は『坂の上の雲』の解釈に対する司馬氏の不安と長編小説『竜馬がゆく』における「神国思想」の批判を確認しました。

*   *   *

イデオロギーを「正義の大系」と呼んで、その危険性に注意を促していた司馬氏が、「征韓論」で国論が割れたころから西南戦争にいたる明治初期の激動の時期を描いた長編小説『翔ぶが如く』で、神道原理主義とも呼べるような「廃仏毀釈」運動に言及していたのは偶然ではないと思えます。

なぜならば、この問題についてはすでに島崎藤村が、馬籠宿の本陣・問屋・庄屋の三役を務めていた自分の父親をモデルとした長編小説『夜明け前』で詳しく分析していたからです。

平田派の国学を学んだ藤村の父・正樹は「復古神道の立場から仏教を邪教として否定し、先祖の建立した馬籠の永昌寺本堂に放火しかけて取り押さえられ」、「狂人として旧本陣裏に特設した座敷牢に幽閉され」、そこで生涯を閉じていました(相馬正一『国家と個人 島崎藤村『夜明け前』と現代』、人文書館、2006年、203頁)。

ここで注目しておきたいのは、明治7年に教部省考証課の雇員となり、水無神社の宮司となった藤村の父・正樹が単なる「狂人」ではなく、尾張藩の役人と交渉してなんとか「苦境にあえぐ村びと」を救おうと骨を折っていた馬籠島崎氏の17代目の庄屋で、村人のことを考える真面目な人物であったことです。

近代日本文学研究者の相馬正一氏は、長編小説『夜明け前』を「読み解くキー・ワード」として、「街道」とともに「黒船」を挙げていますが、島崎藤村の父・正樹の生き方をかえるきっかけになったのが、「黒船」の来港でした(相馬正一、前掲書、219頁)。

藤村はこの長編小説で黒船を、「人間の組織的な意志の壮大な権化、人間の合理的な利益のためにはいかなる原始的な自然の状態にあるものをも克服し尽そうというごとき勇猛な目的を決定するもの」と規定していました(『夜明け前』第一部第三章)。

「街道」や「黒船」というキー・ワードから連想される作品には、司馬氏の歴史小説『世に棲む日日』があります。ここでは、二隻の黒船が空砲を射撃すると、「遠雷のようなとどろきが湾内にひびきわたり、沿岸の山々にこだました」と描かれ、それを聞いた松陰は「西洋の巨大な文明に」、日本という「小さな文明が、あの砲声とともに砕かれたようにおもった」と記されています(一・「浦賀へ」)。

そして司馬氏は、幕末に「尊皇攘夷」思想が広まった理由を、「ペリーとその艦隊の威喝的な態度や意図」に幕府の官僚は脅えたが、「在野世論はこれに大反発をきたし、対外敵愾心が日本列島の津々浦々に澎湃として」起こったと説明しているのです。(詳しくは拙著『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと』(人文書館)を参照してください)。

問題は倒幕に成功したことで、正樹の夢が叶ったかに見えた「明治維新」の後で、村びとたちの暮らしがいっそう悪化したことです。『夜明け前』では疲弊した宿村を救うために、伐採を禁じられてきた「停止木(ちょうじぼく)の解禁」を訴えて、「五箇条の誓文から『旧来ノ弊習ヲ破リ、天地ノ公道ニ基ヅクベシ』の一節を引用し」ていた請願書は取り上げられず、訴えようとしていた主人公・半蔵が、それまでの庄屋にかわる「戸長」をも免職になるという出来事が描かれています。

「王政復古」を唱えて「民生の福利増進が図られるはずであった維新政府の政策は、いつのまにか欧米型の資本主義を取り入れた殖産産業・富国強兵策へと転じていた」のです(相馬正一、前掲書、120頁)。

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安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動(2)――長編小説『竜馬がゆく』における「神国思想」の批判

(2017年1月3日、副題を追加)

安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動(2)――長編小説『竜馬がゆく』における「神国思想」の批判

ISBN978-4-903174-23-5_xl(←画像をクリックで拡大できます)

『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと』(人文書館、2009年)

 

安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動(2)――長編小説『竜馬がゆく』における「神国思想」の批判

いよいよ今年は、日本の未来をも左右する可能性の強い参議院選(あるいは衆参同時選挙)が行われる重要な年となりましたが、安倍政権の「憲法」観の危険性を認識している人がまだ少ないようです。

それゆえ、昨日は〈安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」〉と題して、安倍首相の「改憲」の本音に対する公明党・山口代表の不思議な批判について考察した記事を掲載しました。

戦後70年を迎えて語った「安倍談話」で、安倍氏が「歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます」と未来志向を語っていたので、このような批判は当たらないと思う人が少なくないかもしれません。

しかし、このように語り始めた安倍氏が「歴史の教訓」の例として取り上げたのは、明治時代における「立憲政治」の樹立と日露戦争の勝利でした。

昨年の「戦争法案」の強行採決に際しては安倍政権が「立憲政治」を尊重していないことが明らかになりましたが、長編小説『坂の上の雲』のクライマックスで描かれている日露戦争についても、安倍氏は「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」と語っていたのです。

司馬氏の『坂の上の雲』は秋山兄弟など軍人に焦点が当てられることで、保守的な政治家や武器の輸出を目指していた大企業の幹部から高く評価されていましたが、『坂の上の雲』の映像化について司馬氏は「この作品はなるべく映画とかテレビとか、/そういう視覚的なものに翻訳されたくない作品であります」と明確に記していました(『「昭和」という国家』日本放送出版協会、1998年)。

しかも、イデオロギーを「正義の大系」と呼んで、その危険性に注意を促していた司馬氏は、『坂の上の雲』執筆中の1970年に「タダの人間のためのこの社会が、変な酩酊者によってゆるぎそうな危険な季節にそろそろきている」ことに注意を促していました(「歴史を動かすもの」『歴史の中の日本』中央公論社、1974年、114~115頁)。

そして、この長編小説を書き終えた後では、「政治家も高級軍人もマスコミも国民も、神話化された日露戦争の神話性を信じきっていた」と書いて、政治家やマスコミの歴史認識を厳しく批判していたのです(「『坂の上の雲』を書き終えて」『司馬遼太郎全集』第六八巻、評論随筆集、文藝春秋、2000年、49頁)。

*   *   *

司馬氏が「日露戦争の勝利から太平洋戦争の敗戦の時間」を「異胎」と呼び、そのことがマスコミなどで広がり、司馬が昭和初期を「別国」と呼んだこともよく知られており、そのために司馬氏が「明治国家」の讃美者であるかのように思っている読者は今も少なくないようです。

しかし、『竜馬がゆく』において幕末の「攘夷運動」を詳しく描いた司馬氏は、その頃の「神国思想」が、「国定国史教科書の史観」となったと歴史の連続性を指摘し、「その狂信的な流れは昭和になって、昭和維新を信ずる妄想グループにひきつがれ、ついに大東亜戦争をひきおこして、国を惨憺(さんたん)たる荒廃におとし入れた」と痛烈に批判していたのです(二・「勝海舟」)。

この記述に留意するならば、幕末の動乱を描きつつ司馬氏の視線が昭和初期の日本に向けられていたことは確かでしょう。〈拙著『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと』(人文書館)、「序」参照〉。

しかも『翔ぶが如く』で、明治元年に「神事(祭祀(さいし)、大嘗(だいじょう)、鎮魂、卜占(ぼくせん)」をつかさどる奈良朝のころの「神祇官(じんぎかん)」が再興されていたことを説明した司馬氏は、「仏教をも外来宗教である」とした神祇官のもとで行われた「廃仏毀釈」では、「寺がこわされ、仏像は川へ流され」、さらに興福寺の堂塔も破壊されたことを紹介していたのです。

 

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安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動(3)――島崎藤村の長編小説『夜明け前』と「復古神道」の仏教観

(2017年1月3日、副題を追加)

 

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(破壊された石仏。川崎市麻生区黒川。写真は「ウィキペディア」より)

いよいよ今年は、日本の未来をも左右する可能性の強い参議院選(あるいは衆参同時選挙)が行われる重要な年となりました。

2016年1月11日付けの「東京新聞」朝刊によれば、安倍晋三首相は10日放送のNHK番組で、「おおさか維新もそうだが改憲に前向きな党もある」と指摘して、夏の参院選では自民、公明両党のほか、改憲に前向きな野党勢力と合わせて国会発議に必要な三分の二以上の議席確保を目指す考えを明言したとのことです。

この言葉は、安倍晋三氏の本音でしょう。

なぜならば、去年の2月13日に行った施政方針演説で、〈「日本を取り戻す」/ そのためには、「この道しかない」/ こう訴え続け、私たちは、2年間、全力で走り続けてまいりました。〉と語った安倍首相は、「憲法」の発布には懐疑的な一方で、帝政ロシアの貴族制に似た華族制度を考えていた公家出身の政治家岩倉具視に言及しながら、こう続けていたからです。

〈明治国家の礎を築いた岩倉具視は、近代化が進んだ欧米列強の姿を目の当たりにした後、このように述べています。 /  「日本は小さい国かもしれないが、国民みんなが心を一つにして、国力を盛んにするならば、世界で活躍する国になることも決して困難ではない」

明治の日本人にできて、今の日本人にできない訳はありません。今こそ、国民と共に、この道を、前に向かって、再び歩み出す時です。皆さん、「戦後以来の大改革」に、力強く踏み出そうではありませんか。〉

岩倉具視を讃えたこの言葉を素直に読み解くならば、安倍氏が目指しているのは、「明治維新」に際して「神祇官」を復活させ、「廃仏毀釈」*を行ったきわめて神道色の強い政治であることは明らかだと思えます。

*注、「廃仏」は仏を破壊し、「毀釈」は、釈迦の教えを壊すという意味。明治政府によって慶応4年3月13日(1868年4月5日)に太政官布告(通称「神仏分離令」)が発せられたのをきっかけに、神道家などを中心に各地で寺院・仏像の破戒や僧侶の還俗強制などがおきた。この項は『広辞苑』を参照した。〉

それゆえ、このような安倍氏の姿勢に共感を寄せるおおさか維新の片山虎之助共同代表も同じ番組で、「憲法改正を考えている。できるだけ早く案をまとめたい」と自民党と連携して党改憲案を早期にまとめる考えを示し、日本のこころを大切にする党の中山恭子代表も参院選で改憲は「最重要課題だ」とし、「自主憲法を日本人の手で作り上げなければいけない」と述べたのも同じ理由からでしょう。

*   *   *

一方、公明党・山口那津男代表は、このような安倍首相の政治姿勢を〈いきなり(改憲勢力で)3分の2を取って、憲法改正をしようというのは傲慢(ごうまん)だ〉とBSフジの番組で批判したとのことですが、NHKの番組ではいつものように大幅に後退し、「単に国会の中の数合わせだけでは済まない。おおさか維新のみならず、その他の野党も含めた幅広い合意形成の努力が重要だ」と首相をけん制したのみに留まったようです。

本当に「平和」や「憲法」を守ろうとするならば、「大義なきイラク戦争を主導したラムズフェルド元国防長官とアーミテージ元国務副長官」の二人にたいして「文化の日」に勲一等、「旭日大綬章」を贈った安倍政権の好戦的な姿勢や、彼らの作った案にそって「改憲案」を作っていると思われる自民党・安倍政権の「いかがわしさ」を厳しく批判すべきだったと思えます。

ここには政権与党にいれば、安倍政権の意向を左右できると考えているとおもわれる「平和ぼけ」した公明党幹部のおごりや油断があると思えます。

歴史を振り返ってロシア革命など権力の移行期のことを想起するならば、独裁を許すように「改憲」されたあとではどのような事態が訪れるかは、明らかでしょう。

(2017年1月3日改題)

岸・安倍両政権と「核政策」関連の記事一覧

北朝鮮の「水爆実験」に関して先ほど書いた記事で、これまでに書いた「核武装論」関連の記事一覧も掲載しました。

調べ直したところ、安倍政権が強行採決した「戦争法」の危険性との関連で、それ以外にもかなり書いていたことが分かりましたので、改めて〈岸・安倍両政権と「核政策」関連の記事一覧〉と題して掲載します。

また、文芸評論家・小林秀雄の原爆・原発観も岸・安倍政権の「核政策」に深く関わっていると思われますので、その関連記事一覧のリンク先も示しておきます。

 

岸・安倍両政権と「核政策」関連の記事一覧 

北朝鮮の「水爆実験」と日本の核武装論者

麻生財務相の箝口令と「秘められた核武装論者」の人数

武藤貴也議員の核武装論と安倍首相の核認識――「広島原爆の日」の前夜に

武藤貴也議員の発言と『永遠の0(ゼロ)』の歴史認識・「道徳」観

原子力艦の避難判断基準の見直しと日本の「原子力の平和利用」政策

安倍首相の「核兵器のない世界」の強調と安倍チルドレンの核武装論

安倍晋三首相の公約とトルーマン大統領の孫・ダニエル氏の活動――「長崎原爆の日」に(2) 

原子雲を見た英国軍人の「良心の苦悩」と岸信介首相の核兵器観――「長崎原爆の日」に(1) 

「安全保障関連法案」の危険性(2)――岸・安倍政権の「核政策」

 

リンク→「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」関連の記事一覧

 

北朝鮮の「水爆実験」と日本の核武装論者

昨日、北朝鮮が「水爆実験を行った」と発表したことで、「国際社会」が厳しい対応を検討し始め、日本のマスコミもこの問題を大きく取り上げています。

たしかに、「ラッセル・アインシュタイン宣言」で、世界を破滅させる危険性が指摘されている水爆実験を21世紀に入っても行う政治感覚は、厳しく批判されなければならないでしょう。

リンク→ラッセル・アインシュタイン宣言-日本パグウォッシュ会議

その一方で注目したいのは、核の危険性を指摘している宗教学者の島薗進氏がきむらとも氏の下記のツイートを紹介していることです。

「自衛隊も日本分析センターも、政府の要請でキセノンなど空気中の放射性物質測定開始した」とNHKが報じているが、311直後こんな報道は即座にあったか。「国産」の放射能汚染は安全だから騒ぐ必要ないが、「北朝鮮産」の放射能汚染だから危険と言うわけか。ならば、素晴らしきWスタンダードだ。」

実際、福島第一原子力発電所の大事故による放射能汚染については、最近、EUの調査機関などによりその汚染の実態は日本の政府が発表しているものよりはるかに大きい可能性が指摘され始めているのです。

リンク→欧州:日本の国土の約15%が「徹底的な放射能監視地域」に …

spotlight-media.jp/article/233058112628169725

*   *   *

さらに以前のブログ記事でも言及したように自民党の中には、昨年、復古的な「歴史観」と「道徳観」を披露して批判された武藤貴也衆議院議員など北朝鮮と同じように「核武装」しようとすることを公言している議員がかなりいます。

「核武装論」関連の記事一覧

麻生財務相の箝口令と「秘められた核武装論者」の人数

武藤貴也議員の核武装論と安倍首相の核認識――「広島原爆の日」の前夜に

武藤貴也議員の発言と『永遠の0(ゼロ)』の歴史認識・「道徳」観

 

つまり、かつては自分でも核武装論を唱えていたばかりでなく、党内に多くの核武装論者を抱え、さらに「違憲」の疑いが強い危険な「安全保障関連法」を強行採決して、原発だけでなく武器の輸出も積極的に始めようとしている安倍政権には、北朝鮮を非難する資格はないと思われます。

日本が国際的にも信頼される国家となり、世界の平和に貢献するためには、他国の問題点は厳しく非難する一方で、政権に不利な情報は新聞やテレビなどの情報機関に強い圧力をかけることで隠蔽している安倍政権に代わる政権を、一日も早くに樹立することが必要でしょう。

リンク→NHK新会長の発言と報道の危機――司馬遼太郎氏の報道観をとおして

「憲法」なき帝政ロシアと若きドストエフスキー

59l(←画像をクリックで拡大できます)

2007年に上梓した拙著『ロシアの近代化と若きドストエフスキー』(成文社)が、思いがけず、昨年の夏以降に再び販売数を伸ばしているようです。

あまり読者数が多いとは思われないドストエフスキーの初期作品を論じたこの本が売れていることに驚いていますが、その理由の一端は〈序章 近代化の光と影――「祖国戦争」の勝利から「暗黒の三〇年」へ〉の末尾で記した次のような文章にあるのかもしれません。

〈この考察をとおして、「祖国戦争」からクリミア戦争にいたるロシアの「暗黒の三〇年」と呼ばれる時期が、日露戦争から「大東亜戦争」にいたる時期と極めて似ていることを明らかにできるだろう。すなわち、ドストエフスキーの変化をきちんと分析することは、「明治憲法」を勝ち取った日本の知識人が、なぜ「憲法」を持たなかったロシアの知識人と同じように破局的な戦争へと突き進むことを阻めなかったのかを考察するためにも必要な作業なのである。〉

それゆえ、「著書・共著」のページに掲載していた『ロシアの近代化と若きドストエフスキー』の「はじめに」の文章の一部を〈「暗黒の三〇年」と若きドストエフスキー〉と題して、「あとがき」の一部を〈「新しい戦争」の時代と「憲法」改悪の危険性〉と題して、「主な研究」に掲載します。

 

リンク→「暗黒の三〇年」と若きドストエフスキー(「はじめに」より)

 リンク→「新しい戦争」の時代と「憲法」改悪の危険性(「あとがき」より)

リンク→『ロシアの近代化と若きドストエフスキー ――「祖国戦争」からクリミア戦争へ』(目次)