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「戦争法」(「安保関連法」)の廃止にむけて

安倍政権の閣僚たちの問題が次々と発覚するなど、世の中が激しく動いているためになかなか記事が追いつきませんが、2月19日の「東京新聞」社説は、「民主、共産、維新、社民、生活の野党五党」が「安保関連法を廃止するための法案を提出する」ことを伝えるとともに、その意義を次のように記していました。少し長くなりますが、重要な指摘なので引用しておきます。

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「安倍政権が成立を強行した安保関連法の最大の問題点は、主に自民党が担ってきた歴代内閣が踏襲してきた、集団的自衛権の行使をめぐる政府の憲法解釈を、安倍内閣が一内閣の判断で変更してしまったことにある。…中略…

戦後制定された日本国憲法は九条で、国際紛争を解決するための戦争や武力の行使、武力による威嚇は行わないと定めた。/ 日本国民だけで三百十万人の犠牲を出し、交戦国にとどまらず、近隣諸国にも多大な犠牲を強いた先の大戦に対する痛切な反省に基づく、国際的な宣言でもある。

その後、日米安全保障条約によって米軍の日本駐留を認め、実力組織である自衛隊を持つには至ったが、自衛権の行使は、日本防衛のための必要最小限の範囲にとどめる「専守防衛」を貫いてきた。 …中略…

自国に対する武力攻撃は実力で排除しても、海外で武力を行使することはない。日本国民の血肉と化した憲法の平和主義は、戦後日本の「国のかたち」であり、安全保障政策の根幹である。/ 安倍内閣が二〇一四年七月に行った、集団的自衛権の行使を一転認める閣議決定は、憲法の法的安定性を損ない、安保政策の根幹をゆがめるものだ。この閣議決定に基づく安保関連法に対して、多くの憲法学者が「憲法違反」と断じるのは当然だろう。

日本の安保政策を、専守防衛という本来の在り方に戻すには、集団的自衛権の行使を認める閣議決定を撤回し、安保関連法を廃止する必要がある。

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テレビなどは国家の存亡を危うくするような事態を直視せずに政治的な話題を避けているようですが、そのような姿勢では「日本新聞博物館」で展示されている治安維持法の成立から戦時統制下を経て敗戦に至る時期の新聞の歴史を繰り返すことになる危険性が高いと思われます。

昨年秋の激動の時期を振り返るために、次のブログでは「安倍談話」と「立憲政治」の危機(1)――明治時代の「新聞紙条例」と「安全保障関連法案」と題した9月8日から10月4日のリメンバー、9.17(3)――「安保関連法」の成立と「防衛装備庁」の発足までの記事を「戦争法」関連記事一覧として掲載します。

安倍政権の違法性――集団的自衛権行使を認めた閣議決定と内閣法制局

 集団的自衛権の行使を認めた2014年7月の閣議決定に関連して、法制局が内部の検討資料を正式な行政文書として残していないとしてことが明らかになり問題となっていましたが、1月21日に参院決算委が「この閣議決定に関して法制局が作成、保存した全ての文書の開示を要求」したことから、新たな事実が判明しました。

2月17日の「朝日新聞」朝刊は、「内閣法制局が国会審議に備えた想定問答を作成しながら、国会から文書開示の要求があったのに開示していなかったこと」や、「法制局は閣議決定までの内部協議の過程を記録していないこと」も明らかになったと報道していました。

今朝(2月24日)の「東京新聞」はそのような経過も踏まえて「内閣法制局 内部文書を国会に示せ」という社説を載せています。分かりやすく論理的な文章なので、その一部をここで引用しておきます。

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「どのように集団的自衛権をめぐる憲法解釈を変更したのか。内閣法制局は内部検討資料があるのに国会への開示を拒んでいる。憲法上の重大問題だけに、解釈変更のプロセスは明らかにすべきだ。

日本は相手から攻撃を受けていないのに、武力で同盟関係にある他国を守る-。簡単に言えば集団的自衛権はそう説明できる。政府は従来一貫して、この行使は認められないとしてきた。

有名なのは一九七二年の政府見解だ。ここでは、自衛の措置をとることはできるが、平和主義を基本原則とする憲法が無制限にそれを認めているとは解されないこと。さらに集団的自衛権の行使は憲法上、許されないことをはっきりと明言している。

むろん、「憲法の番人」といわれる歴代の内閣法制局長官もこの見解を踏襲している。国民に対しての約束事であり、国際社会に対する約束事であったはずだ。

ところが、一昨年七月に安倍晋三内閣がその約束事をひっくり返し、集団的自衛権の行使容認を閣議決定してしまった。…中略…

この閣議決定は憲法改正に等しい事態だった。それを受けた安全保障関連法も憲法違反の疑いが濃厚で、野党から廃止法案が出ている。国会に提示すべき文書といえよう。内閣法制局が重要文書の開示を拒み続けるのは、国民の「知る権利」の侵害と同じだ。

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憲法53条は臨時国会の召集について、「いずれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない」と定めており、昨年の秋に野党各党は衆参両院でそれぞれ4分の1以上の議員数により「臨時国会召集要求書」を提出していました。/「憲法」の規定による要求を無視していたことは、「国民」の正当な権利の侵害にあたると思われますが、安倍政権が「国会」開催に躊躇したのは、このような「事実」が明らかにされることを嫌がったためだと思われます。

多くの「憲法」違反と思われる国会運営を行っている安倍内閣と閣僚たちの違法性については、テレビなどできちんと報道されるべきなのですが、戦前の内務大臣を思わせるような「総務大臣」の報道統制についての発言で萎縮しているようにも見えます。

「政権」を選挙で選ぶという民主主義は手間暇のかかる制度ですが、それまでの「武力」による権力の奪取しか方法のなかった時代と比較するときわめて穏健で、妥当な制度だと思われます。その民主主義を守るためにも帝政ロシアの政策を想起させるような危険な「安倍政権」の問題点を、HPを通して指摘していきたいと考えています。

裁判制度と内閣法制局に関係する記事

なぜ今、『罪と罰』か(5)――裁判制度と「良心」の重要性

参院特別委員会採決のビデオ判定を(4)――福山哲郎議員の反対討論

「文明論(地球環境・戦争・憲法)」のページを作成し、「書評・図書紹介」より題名変更

文明論関係の記事が増えましたので「文明論(地球環境・戦争・憲法)」のページを作成し、「書評・図書紹介」より題名変更しました。

これに伴い、これまでの「著書・共著」と「書評・図書紹介」を合併しました。

なお、「文明論(地球環境・戦争・憲法)」の表題などは、いずれ暇を見て訂正したいと考えています。

今のところ、このページへは以前の「書評・図書紹介」のページから入るか、メニューの〈「核の時代」と「日本国憲法」の重要性〉からリンク先に飛ぶことができます。

原発事故関連記事一覧

3.11の東日本大震災と東京電力福島第一原発事故からまもなく5年になりますので、これまでに書いた原発事故関連の記事一覧を掲載します。

 

原発事故関連記事一覧

〈「原発ビジネス」の衰退〉を転載12月22日

安倍政権の人権感覚と福島の被曝線量――無責任体制の復活(9)12月20日

原子力艦の避難判断基準の見直しと日本の「原子力の平和利用」政策11月8日

原子力規制委・田中委員長の発言と安倍政権――無責任体質の復活(6)8月12日

川内原発の再稼働と新聞『小日本』の巻頭文「悪(に)くき者」8月10日

デマと中傷を広めたのは誰か――「無責任体質」の復活(4)8月2日

原発事故の「責任者」は誰か――「無責任体質」の復活(3)8月2日

IAEA報告書による国と東電の批判と政治家の責任6月12日

アベノミクス(経済至上主義)の問題点(2)――原発の推進と兵器の輸出入 12月3日

「アベノミクス」と原発事故の「隠蔽」2014年12月1日

〈「放射能の除染の難しさ」と「現実を直視する勇気」〉を「主な研究」に掲載 7月30日

原発再稼働差し止め判決と日本の司法制度5月30日

「原発の危機と地球倫理」を「主な研究」に掲載5月29日

真実を語ったのは誰か――「日本ペンクラブ脱原発の集い」に参加して5月23日

「STAP細胞」騒動と原発の再稼働問題4月12日

福島原発事故とチェルノブイリ原発事故3月12日

ドストエーフスキイの会「第220回例会のご案内」を転載します3月12日

「第五福竜丸」事件と「特定秘密保護法」3月2日

「第五福竜丸」事件と映画《生きものの記録》3月1日

「脱原発を考えるペンクラブの集い」part4、開催のお知らせ1月18日

原発事故の隠蔽と東京都知事選1月17日

復活した「時事公論」と「特定秘密保護法」 11月24日

グラースノスチ(情報公開)とチェルノブイリ原発事故(10月17日 )

消えた〈公論〉と司馬遼太郎氏の危惧(8月7日 )

消えた「時論公論」(?)(8月6日 )

汚染水の危機と黒澤映画《夢》(8月4日 )

汚染水の深刻さと劇《石棺》(8月1日 )

汚染水の流出と司馬氏の「報道」観(7月28日 )

「映画・演劇評」に「劇《石棺》から映画《夢》へ」を掲載しました(7月8日)

5年前のレベル7の大事故を振り返る――「首相談話草案」をめぐって

3.11の東日本大震災と東京電力福島第一原発事故からまもなく5年になることで、新聞各社も、当時の大事故を振り返る記事や現在の状況に迫る記事が目立って来ているようです。

このブログでは事故当時の最高責任者・菅直人氏を講演者に招いて、「福島原発事故 ― 総理大臣として考えたこと」と題して行われた2014年3月15日の「脱原発を考えるペンクラブの集い」での講演の内容を紹介していました。

リンク→真実を語ったのは誰か――「日本ペンクラブ脱原発の集い」に参加して

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一方、昨日(2月20日)の「東京新聞」朝刊は、〈赤字で「重要原稿草案 2011・3・20」と書かれた首相談話草案の全文を掲載しました。

その冒頭で「政府の責任を認めて謝罪し、原発を所管する経済産業省や東電の責任追及を約束〉したこの談話草案は、首都圏からの避難を呼び掛けるとともに脱出の際には、「西日本に向かう列車などに、妊娠中、乳幼児を連れた方を優先して乗車させていただきたい」とし、「どうか、国民一人ひとりが、冷静に行動し、いたわり合い、支え合う精神で、どうかこの難局を共に乗り切っていただきたい」と訴えていたのです。

リンク→原発事故 政府の力では皆様を守り切れません 首都圏避難で首相談話草案 :社会

この文面からは日本を襲った前代未聞の大事故の危険性がまざまざと甦ってきます。

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一方、このような大事故にもかかわらず、安倍政権は目先の利益にとらわれて国内にある原発の温存だけでなく、海外への輸出をいまだにはかっています。

しかし、今日も〈関西電力は二十日、再稼働の最終準備を進めている高浜原発4号機(福井県高浜町)の原子炉補助建屋内で、放射性物質を含む一次冷却水漏れがあったと発表した〉との記事が載りました。

日本の自然環境を無視した19世紀的な「アベノミクス」の危険性はいっそう明白になってきたように思われます。

なかなか原発の問題をきちんと追うことは出来ませんでしたが、次のブログ記事ではこれまでに書いた原発事故関係の記事一覧を掲載します。

自民党政権の「核の傘」政策の危険性――1961年に水爆落下処理

安倍政権は沖縄で再び住民の意思を全く無視した形で辺野古の基地建設を強引に進めていますが、1962年の「キューバ危機」の際には、沖縄が核戦争の戦場になる危険性があったという衝撃的な事実を2015年3月14日の「東京新聞」朝刊が伝えていました。

リンク→終末時計の時刻と回避された「核攻撃命令」

今日、2016年2月17日の「朝日新聞」夕刊は、「61年に水爆落下処理、爆発寸前」であったことを証言して、「核兵器の廃絶を」目指す元米兵の活動を伝えています。その一部をデジタル版により紹介しておきます。

〈米国が1980年代に公表した32件の重大核兵器事故「ブロークンアロー」。それらの詳細は長く伏せられてきたが、近年、機密が少しずつ解除され始めた。そのうち一つの事故の処理に携わった元兵士は、核爆発は免れたものの危機一髪だった当時の状況を次世代に語り継いでいる。〉

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「大東亜戦争」へと踏み切った東条政権の閣僚を務めた祖父・岸信介氏のイデオロギーを受け継いだ安倍晋三氏は、核兵器やその技術を元にした原子力発電所の危険性を認識せずに、「憲法」に違反して原発や武器の輸出政策に大きく舵を切る一方で、「復古」的な世界観に基づいて「改憲」を声高に唱え始めています。

しかし、岸政権などが強引に批准した「核の傘」政策は、日本国民の生命を守るどころか脅かすものだったのです。このことだけでも沖縄の県民が、安倍晋三氏が進めている沖縄の軍備強化に危機感を持っている理由は明らかでしょう。

リンク→岸・安倍両政権と「核政策」関連の記事一覧

「寺田透の小林秀雄観」関連記事一覧

「寺田透の小林秀雄観」関連記事一覧をブログと「主な研究」の「タイトル一覧Ⅱ」に掲載します。

子規の「歌よみに与ふる書」と文芸評論家・小林秀雄

作品の解釈と「積極的な誤訳」――寺田透の小林秀雄観(1)

「陶酔といふ理解の形式」と隠蔽という方法――寺田透の小林秀雄観(2)

「物質への情熱」と「好奇心に満ちた多様性」――寺田透の小林秀雄観(3)

正岡子規と島崎藤村の出会い――「事実」を描く方法としての「虚構」

 

〈樋口一葉と『罪と罰』〉関連記事一覧

〈樋口一葉と『罪と罰』〉の関連記事一覧を、ブログと「主な研究」の「タイトル一覧Ⅱ」に掲載します。

正岡子規と島崎藤村の出会い――「事実」を描く方法としての「虚構」

 正岡子規の小説観――長編小説『春』と樋口一葉の「たけくらべ」

樋口一葉における『罪と罰』の受容(1)――「にごりえ」をめぐって

樋口一葉における『罪と罰』の受容(2)――「十三夜」をめぐって

樋口一葉における『罪と罰』の受容(3)――「われから」をめぐって

「なぜ今、『罪と罰』か」関連記事一覧を「主な研究」に再掲

ドストエフスキー関係の記事が見つけにくくなりましたので、何回か連載した記事は、「主な研究」に再掲することにしました。

まず、「なぜ今、『罪と罰』か」(1~9)を、「主な研究」の「タイトル一覧Ⅱ」に再掲します。

リンク→「なぜ今、『罪と罰』か」、関連記事一覧

「一億総活躍」という標語と「一億一心総動員」 

2014年12月に行われた総選挙の際には、「アベノミクス」を前面に出した「景気回復、この道しかない。」というスローガンが、「国民」の目を戦争の実態から逸らし、今の困窮生活が一時的であるかのような幻想を振りまいた、「欲しがりません勝つまでは」という戦時中のスローガンと似ていることを指摘していました。

リンク→「欲しがりません勝つまでは」と「景気回復、この道しかない。」

高市総務相の「電波停止」発言に接した後では、戦前の内務大臣と同じような高市氏の言論感覚を問う記事を書きました。

リンク→武藤貴也議員と高市早苗総務相の「美しいスロ-ガン」――戦前のスローガンとの類似性

第3次安倍改造内閣では「一億総活躍社会」が目玉政策として掲げられ、その担当大臣まで任命されましたが、2月12日の「東京新聞」(夕刊)には〈「一億総活躍」への違和感〉と題された池内了氏の記事が掲載されていました。

「その言葉を聞くとなんだか気持ちが悪くなり、そっぽを向きたいという気になってしまう」と記した池内氏は、「大日本帝国がアジア太平洋戦争前および戦争中に、夥(おびただ)しい数の国策スローガン」を作ったが、そこでは「『一億』という言葉が頻繁に使われた」ことを指摘しています。

つまり、「一億日本 心の動員」などと心の持ち方が強調されていた標語は、物資が欠乏してくると「進め一億火の玉だ」、「一億一心総動員」などのスローガンとなり、戦況が厳しくなると「一億が胸に靖国 背に御国」から、「撃滅へ 一億怒濤(どとう)の体当たり」などと特攻隊のような標語となっていたのです。

このような標語の流れを詳しく分析した池内氏は、戦後は一転して「一億総懺悔(ざんげ)」と戦争責任がうやむやにされたことを指摘して、「標語に潜む意図」をきちんと読み解く必要性を説いています。

「日本新聞博物館」には、戦前の言論統制によって、新聞がきちんと事実を報道できなくなったことが、悲惨な戦争につながったことが時代的な流れを追って展示していました。

リンク→新聞『日本』の報道姿勢と安倍政権の言論感覚

安倍晋三氏が好んで用いる「積極的平和主義」からは、「日中戦争」や「太平洋戦争」の際に唱えられた「王道楽土」や「八紘一宇(はっこういちう)」などの戦前の「美しいスローガン」が連想されます。

1940年8月に行われた鼎談「英雄を語る」で、戦争に対して不安を抱いた林房雄から「時に、米国と戦争をして大丈夫かネ」と問いかけられた小林秀雄は、「大丈夫さ」と答え、「実に不思議な事だよ。国際情勢も識りもしないで日本は大丈夫だと言つて居るからネ。(後略)」と続けていました。

この小林の言葉を聴いた林は「負けたら、皆んな一緒にほろべば宣いと思つてゐる」との覚悟を示していたのです(太字は引用者、「英雄を語る」『文學界』第7巻、11月号、42~58頁。不二出版、復刻版、2008~2011年)。

「一億一心総動員」という戦時中の物資が欠乏してきた時代に用いられた標語によく似た「一億総活躍」という標語が、安倍内閣で用いられたということは今の時代の危険性をよく物語っているように思えます。

(2016年2月17日。青い字で書いた箇所とリンク先を追加)

リンク→小林秀雄と「一億玉砕」の思想