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島薗進編著『政治と宗教: 統一教会問題と危機に直面する公共空間』 (加筆版)

政治と宗教

本書では「公共空間」という斬新な視点で #統一教会 問題を中心に政治家と教団の問題を5人の専門家たちが国際的な視野から論じている。国家神道の問題にも詳しい島薗進氏の編になる本書からは政治と宗教の癒着の危険性が浮かび上がる。

⇒わかりやすい解説 https://youtu.be/qtAqZWGG2pE

島薗進氏:「空白の30年」に先立つ60−80年代が重要。その時期にこそ、自民党と統一教会の太いパイプが築かれた。その間に米国では政界に食い込もうとする統一教会の工作を摘発し、取り締まった。統一教会は「信教の自由」キャンペーンを張るとともに日本の政治的支持基盤を強化した。
(2023年4月17日)

島薗進氏「政治家・政党と宗教団体の関係が、なぜ国民を度外視したもたれ合いの関係になったのか。統一教会の歴史をたどりつつ3段階に分けて分析する。」(2023年4月19日)

島薗進氏 「(統一地方選挙の)注目点の一つに各候補者・政党と旧統一教会との関係やそれに対する有権者の対応があります」

中野昌宏氏「(明治民法のイエ制度におけるように)頂点の権限が絶対的であるような『家庭』が、国家大・地球大に拡大された家庭として実現されることが『#八紘一宇』であった。」 (88頁)

目次
序章 公的空間における宗教の位置 島薗進。
第1章 統一教会による被害とそれを産んだ要因 島薗進。
第2章 統一教会と政府・自民党の癒着 中野昌宏。
第3章 自公連立政権と創価学会 中野毅。
第4章 フランスのライシテとセクト規制 伊達聖伸。
第5章 アメリカー政教分離国家と宗教的市民 佐藤清子。
終章 統一教会問題と公共空間の危機  島薗進。

スレッドの構成/① 紹介『政治と宗教』/②書評、 中島岳志・島薗進著『#愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか』 /③劇評、 《#闇に咲く花――愛敬稲荷神社物語》

統一教会の「黙示録」観――カルト教団の危険性

  (2023/05/22、ツイートを追加)

ウクライナ戦争と『黙示録』――世界秩序の混迷と復讐的終末論(改訂と改題版)

アルブレヒト・デューラーの木版画『黙示録の四騎士』

デューラー『黙示録の四騎士』

はじめに

二〇一三年に「信者の感情の保護に関する法律」を施行してロシア正教徒への配慮を示していたプーチン大統領は、二〇二一年のドストエフスキーの生誕二百年に際して作家を「天才的な思想家だ」と賛美した。そのプーチンが翌年の二月にウクライナ侵攻に踏み切った。核戦争に至る危険性もはらみながら武力による攻撃を行い続けていることは世界を恐怖に陥れている。

だが、なぜプーチン大統領はアメリカやヨーロッパのほとんどの国を敵に回してまで戦争を続けているのだろうか。その原因を探るうえで注目したいのは、ロシア史の研究者・下斗米伸夫が、二〇一三年から「ロシア保守主義を標榜しはじめた」プーチンによって宗教哲学者のベルジャーエフが称揚されたと指摘していることである]

なぜならば、ベルジャーエフは『ドストエフスキーの世界観』で「彼の宗教思想をほんとうに理解するには、黙示録的認識という光のもとでのみ可能である。/ ドストエフスキーのキリスト教は、歴史的なそれではなくて、黙示録的なキリスト教である」と記しているからである。

この時期にナチス・ドイツの占領下にあったパリでドストエフスキーの研究を行っていたモチューリスキーは「邪悪な霊の訪れはまもなくである。われわれの子孫は、おそらくそれに直面することになるだろう」という『作家の日記』の文章を引用してこう解釈している。

「およそ七十年という年月が過ぎ去り、ドストエフスキーの予言の正しさが証明された。『反キリスト教的萌芽』からは、異教的『全体主義的』国家のドグマが成長したのである。ドストエフスキーの政治的論文は、黙示録の火(太字は引用者)によって照らされている(……)ドストエフスキーの精神的子孫であるわれわれはすべて、この『訪れ』の戦慄的な体験を持っている。彼は予見者であり、われわれは目撃者にして証人である。」

さらに『悪霊』論でモチューリスキーは「彼は世界史を、ヨハネの黙示録に照らしあわせ、神と悪魔の最後の闘いのイメージで見、ロシアの宗教的使命を熱狂的に信じていた」と記した]

ではこのようにドストエフスキー研究者を熱中させた『ヨハネの黙示録』(以下、黙示録と略す)とはどのような書物なのだろうか。聖書学者の小河陽はこの書物の特徴と受容の歴史についてこう説明している。

「あらゆる黙示文書がそうであるように、ヨハネの黙示録は世界に対する神の審判の幻を語る書であるが、キリスト教の歴史において、本書ほどしばしば問題となった、あるいは濫用された書物はないであろう。二世紀末になって、東方教会においては三世紀中頃にやっと正典として認められ、宗教改革者たちにはほとんど評価されず、啓蒙主義の時代には使徒ヨハネの書ではないとして見捨てられる一方で、熱狂主義者たちによっては情熱的に読まれ、評価され、引用された書であった。」

『黙示録』の解釈は後に確認するように異教徒や異端に対する十字軍の歴史とも深く関わっている。それゆえ、『悪霊』論などとの関りで『黙示録』の問題を考えることは、核戦争への拡大の危険性もはらんでいるこの戦争と日本とのかかわりを深く考えるうえできわめて重要だと思える。

『黙示録』の概要

本論に入る前に、『黙示録』の構成に従ってその内容を一瞥しておく。

第一章一節では、まず「この黙示は、すぐにも起こるはずの〔一連の〕事柄を、神が自分の僕(しもべ)たちに示すために、イエス・キリストに与えたものであり、そして〔そのイエスが今度は〕自分の天使を遣わして、彼の僕であるヨハネに知らせたものである」ことが記されている。そしてヨハネは自分が視たこの黙示が「我はアルパなり、オメガなり」と名乗り、「最先(いやさき)にして最後(いやはて)なる者――唯一、絶対の超越神」であると宣言する神からのものであることを明らかにしている。その後で神からの七つの教会への具体的なメッセージが記され(第二章~第三章)、天に昇ったヨハネが神の玉座の周りを「おのおの六(む)つの翼(つばさ)あり、翼の内も外も数々の眼に満ちた」四つの活物(いきもの)が、空を舞いながら、「全能者にして主たる神」を讃えているのを視たことが描かれる(第四章~第五章)。

第六章から第一一章では、小羊によって七つの巻物の封印が解かれると「白い馬」、「赤き馬」、「黒い馬」「青ざめた馬」などに乗る四騎士による大惨事が次々と起き、天使たちが七つのラッパ吹き鳴らすと地上で未曽有の大惨事が起きる。

天の戦に負けたサタンは地に投げ落とされると、地上では「獣」の権力が増大したので神の怒りも極みに達し、怒りの満ちた七つの鉢を受け取った七人の天使が鉢を傾けるごとに地上に大災害が起き、3匹の悪霊が「ハルマゲドン」に王たちを集めると、七番目の鉢で大地震が起き、島々が消え去ったのである第一二章~第一六章)。

その後で大淫婦バビロンの裁きと滅亡、天上での大群衆による神の讃美と子羊の婚宴が描かれ、白い馬に乗った統治者によって獣と偽預言者が火の池に投げ込まれる第一七章~第一九章)。

サタンは底知れぬ所に封印され、殉教者と獣の刻印を受けなかった者が復活するが、「千年王国」の終わりには一時的に解放されて神の民と戦ったサタンや獣や偽預言者、さらには「いのちの書」に名前のない者がすべて火と硫黄の池に投げ込まれ永遠に苦しむことが強調される(第二〇章)。

こうして、神が人と共に住み、死も悲しみもない新しい天と新しい地が訪れ、美しい宝石で飾られた新しいエルサレムが詳しく描写され、神と子羊の玉座からいのちの水の川が流れることが記され、最後にイエス・キリストの再臨を予言する言葉で結ばれている(第二一章~第二二章)。

『黙示録』の復讐的終末論と十字軍

小河陽は、「世紀末が近い昨今、ふたたびこの黙示録への関心が寄せられることは、理由のないことではない」とした「(戦争や大災害などの)混乱をことごとく片づけ、全く新しい秩序をもたらす未来を夢見る待望がある。そのような、時代の節目に漂う雰囲気にぴったりと重なって、黙示録はわれわれを未来の可能性へと誘うのである」と説明している。

一方、「私は決して黙示録にたいするとくべつの傾愛をもっておらず」と記したベルジャーエフは、「エノク書(注:エチオピア正教会における旧約聖書からはじまる黙示文学の復讐的終末論、善と悪とへの人間の裁然たる区分、悪人と不心信者にくだる残酷な裁き」などが、『黙示録』にも見られることを『わが生涯』で厳しく批判している。

『黙示録』が「ローマの大迫害を背景として小アジアで生れたもので」、「エジプト、さらにべルシャのゾロアスター教の影やスメル、バビロニヤなどの超絶的象徴なども含む」ことを確認した作家の堀田善衞は、この神が「荒々しい怒りの神である」と指摘している。

「敵を愛し、自分を迫害するもののために祈りなさい」(マタイ第五章四四節)と説く『福音書』 イエス と、「口からは鋭い両刃の剣が出て、顔は強く照り輝く太陽のようであった」と描かれている『黙示録』のイエスとの違いにドストエフスキー研究者の冷牟田幸子も注意を促している。

作家のD・H・ロレンスは『黙示録』を聖書中に組み入れることには「東方の神父たちが、烈しくこれに反対した」と記しているが、それは彼らも『黙示録』のうちに「人間のうちにある不滅の権力意志とその聖化、その決定的勝利の黙示」の危険性を感じたためだと思われる。

実際、堀田善衞が『至福千年』(一九八四)において記しているように、『黙示録』的な復讐的終末論は他宗教や異端派への十字軍の派遣も正当化していたからである。

たとえば、西暦一〇九五年に行われた第一回十字軍の派兵に際してローマ教皇が信者に対して遠征に参加する者には「これまでに彼が犯した罪について罰を一時的に赦免さるべきこと、遠征の途上、あるいは戦いに死せる者は、あらゆる罪を赦免されたる者なること」と示したことは、イスラム教徒だけでなくユダヤ人大虐殺とエルサレムの富の略奪を招いていた。

同じような殺戮は第二回十字軍でも繰り返されたたが、ギリシャ正教を国教とする東ローマ帝国を攻略してコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)を陥落した第四回十字軍(一二〇二~〇四)では第一回十字軍をも上回る規模で起きた。しかも東ローマ帝国が力を失ったことで、第二次ブルガリア帝国(一一八五~一三九六)などギリシャ正教を受け容れて繁栄していたバルカン半島のスラヴ系諸国は次々とオスマントルコ帝国の支配下に組み込まれることになった。

スラヴ民族であるチェコのキリスト教改革派のフス派を異端として派兵された「フス派に対する十字軍」(一四一九~三四)は当初はことごとく打ち破られたものの最後には併合されて国語もドイツ語とされ、第一次世界大戦に際しては作家ハシェクが『兵士シュヴェイクの冒険』で描いたような事態が生じたのである。

一方、野蛮な帝国に対する「正義の戦争」としてナポレオンが大軍を率いてロシアに侵攻した「祖国戦争」(一八一二)は、ロシアでは祖国防衛のための「聖戦」と捉えられてナショナリズムが高揚し、勝利後には「正教・専制・国民性」の三原則が強調されることになった。二期目に再選されたプーチン大統領が二〇一二年に「祖国戦争」二〇〇年を大々的に祝ったことは、西側諸国に対する潜在的な恐怖感を示唆しているように感じられる。

第二次世界大戦でのユダヤ人に対するホロコーストは強調されるが、『わが闘争』でスラヴ民族なども文化を「維持するだけ」の劣等な民族と見なしていたヒトラーとの戦争では、ソ連は三千万人もの死者を出しており、飢餓などにより百万近くの死者を出していたレニングラード(現サンクトペテルブルク)包囲戦ではプーチンの兄も亡くなっている。


第一次世界大戦と『黙示録』的世界観

第一次世界大戦はサラエヴォを訪れたオーストリア・ハンガリー帝国の皇太子夫妻がセルビア人の民族主義者によって暗殺されたことをきっかけに一九一四年に勃発した。その遠因は露土戦争(一八七七~七八)の勝利後に認められたボスニア・ヘルツェゴヴィナの自治権が列強の干渉によって取り消され、さらに一九〇八年にはオーストリア・ハンガリー帝国によって併合されたことにあった。

日本が大戦に参戦した翌年の一九一五年に発表された芥川龍之介の『羅生門』の下人や老婆の描写には『罪と罰』(一八六六)からの強い影響がみられるが]、ロシアの研究者L・サラースキナは、「地震とか辻風(つじかぜ)とか火事とか饑饉とか云う災(わざわ)いがつづいて」いた当時の京都の描写と、ラスコーリニコフがシベリアの流刑地で見た黙示録的な「悪夢」の描写の類似性に注目してこう指摘している。

「ラスコーリニコフの夢は芥川のペンによって現実になったのです。二○世紀の日本文学はドストエフスキイの創作と世界観の中心に据えられた不安、つまり、黙示録と世界の終末の不安を、完全に理解し、共感し、前代未聞の敏感さで反応したのです。」

『羅生門』の描写を『罪と罰』の『黙示録』的な悪夢と比較する解釈は強引とも感じられるが、その後の芥川の作品を踏まえるとその解釈はかなり核心をついていることが分かる。すなわち、一九二二年に発表した『将軍』で日露戦争の際の突撃を礼讃する思想や殉死した乃木大将の賛美を厳しく批判した芥川は、一九二四年に発表した短編『桃太郎』では「進め! 進め! 鬼という鬼は見つけ次第、一匹も残らず殺してしまえ!」と命令し、宝物を「一つも残らず献上」させた桃太郎や、「鬼の娘を絞殺(しめころ)す前に、必ず凌辱(りょうじょく)を恣(ほしいまま)に」した「猿」の行動を描いた。

「人質」に取られていた鬼の子供が猿を殺して逃げ、桃太郎への復讐を企てるようになったと描かれている短編『桃太郎』のエピローグの描写からは、他国の武力による併合がテロと果てしない復讐の連鎖を生むことに対する深い理解が感じられる。

一方、『罪と罰』では主人公が居酒屋で読む頻発する火事などの新聞記事がきわめて重要な役割を担っているが、シベリア出兵をテーマにした堀田善衞の『夜の森』でも新聞記事は、悪徳問屋のせいで米の小売相場が高騰したために起きた米騒動とシベリア出兵との関係を明らかにしている。

ことに内閣を批判した新聞記事で「白虹日を貫けり」という用語を使ったので「朝憲紊乱の罪」に問われていたことは当時の日本における『黙示録』の受容を知る上でも重要だろう。なぜならば、この用語は荊軻(けいか)が秦王(後の始皇帝)暗殺を企てた時の自然現象を記録した内乱が起こる兆候を指す中国の故事成語であるが、その成語の前に記者が「金甌無欠の誇りを持った我大日本帝国は今や恐ろしい最後の裁判の日に近づいているのではなかろうか」(太字は引用者)と書いているからである。この文章をここで記した記者だけでなくこれをこの記事を裁いた側も『黙示録』の最後の審判を強く意識していたのは確実だと思える。

しかも、主人公の巣山は「憲兵とも親しい正田少尉から、今度の出兵は「日本の王道主義を世界にひろめる思想の戦争」であると説明されたと記すことで、この出兵が「八紘一宇」の理念を掲げた満州事変にもつながっていることを記している。

思想史研究者の林尚之は「日蓮の予言を独自に解釈」した田中智学に心酔した関東軍参謀の石原莞爾の八紘一宇」の理念についてこう説明している。それは「最終戦争というハルマゲドンの後に絶対平和が訪れるという終末論的救済観にもとづくもの」であり、その「終末論的救済観が、現状打破的な社会改造の牽引力となっていた」]

ロシア大統領の手法と『黙示録』の解釈

石原莞爾はその「世界最終戦争」論で「核破壊による驚異すべきエネルギーの発生」の利用についても記してもいたが、その放射能被害の悲惨さは予想もしていなかった。岸政権が「核の傘」理論で沖縄などにおける超大国アメリカの核兵器の存在を暗に許容したことは、日本国民には偽りの安心感を与える代わりに、ロシアなどには原爆を投下しても謝罪をしないアメリカとそれを許す日本に対する深刻な不信感を与えた。

他方で、チェルノブイリ原発事故に際しては『黙示録』の解釈がソ連崩壊の遠因となったが(第一章参照)、エリツィン・ロシア共和国大統領はウクライナ・ベラルーシのスラヴ三カ国首脳との秘密交渉で独立国家共同体の樹立を宣言してソ連を崩壊させた。こうして民族主義的な国家を成立させたエリツィンは、 権威主義的な手法で チェチェンの独立派を武力で徹底的に弾圧する一方で、急激な市場経済への移行を断行した。そのためにスーパーなどからはロシア製の製品が駆逐されて外国製品のみが棚に並び、スーパーインフレによって市民の生活水準は大幅に落ち込んで、「エリツィンは共産党政権ができなかったアメリカ型の資本主義の怖さを短期間で味わわせた」との小話も流行った。アメリカの国益の視点から書かれ、日本でも流行った『文明の衝突』(一九九六)は、ロシアや東欧圏に強い危機感を生み出した。

一方、国有企業の民営化を利用して莫大な富を築いた新興財閥からの賄賂も指摘されるようになったエリツィン政権末期に後継者に指名されたのがプーチンであった。大統領に当選するとエリツィンに不逮捕特権を与えたプーチンは、二〇〇四年には地方の知事を直接選挙から大統領による任命制に改めるなど中央集権化を進め、二〇二〇年には大統領経験者だけでなくその家族に対しても不逮捕特権を与える法律に署名し、その頃にはロシア皇帝のような独裁的地位を得ていた。

一方、統一教会や右派勢力の強力な後押しで二期目に再選された安倍元首相は「改憲」を掲げて報道機関への圧力をかけるとともに、プーチン大統領には「君と僕は、同じ未来を見ている」と語りかけていた。その安倍元首相が統一教会信者の母親の多額の寄付により苦しんだ山上徹也容疑者の手製の散弾銃で射殺されたのは、ウクライナ危機が深まっていた二〇二二年七月のことであった。

その後も日本では戦前のような威勢の良いスローガンを掲げてカジノや核武装をも煽るような政策を主張する政党が勢力を増している。しかも、自民党安倍派の一部議員が応援している教祖の七男が率いるサンクチュアリ教会は、『黙示録』第二章二七節などに記された神の正義を実行するための道具としての「鉄の杖」とアサルトライフル銃を同一視して銃を崇拝し、銃弾の冠をかぶりライフル銃を持って集会をおこなっている。

しかし、『黙示録』の独自な解釈で教祖の文鮮明を「再臨のメシア」と考えるこの教団の『原理講論』には、「(サタン側と天の側に)分立された二つの世界を統一するための(……)第三次世界大戦は必ずなければならない」と記されている。そのことは統一教会との関係を断絶できない自公政権に対する近隣諸国の不安を煽り、軍拡へとっているように思える。

統一教会の『黙示録』観――カルト教団の危険性  http://www.stakaha.com/?p=9779

『黙示録』の解釈は異教徒や異端に対する十字軍の歴史とも深く関わっていたが、オウム真理教のようなカルト教団は終末が来ても信者は生き残ることを強調している。それゆえ、『黙示録』を聖書中に組み入れることには「東方の神父たちが、烈しくこれに反対した」と記した作家のD・H・ロレンスは、『黙示録』にある「人間のうちにある不滅の権力意志とその聖化、その決定的勝利の黙示」の危険性を指摘している。

『悪霊』論などをとおして『黙示録』の問題を考えることは、核戦争への拡大の危険性もはらんでいるウクライナ戦争と日本とのかかわりを深く考えるうえできわめて重要だと思える。

( 本稿では注は省いた。2023/04/10改訂、 2023/04/28、改訂と改題。

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黙示録論 (ちくま学芸文庫)
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日本の悪霊 (河出文庫)

2024/03/02、ツイートの追加






ロシア帝国の教育制度と日本――『ロシアの近代化と若きドストエフスキー』から『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機』へ(改訂版)

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ニコライ一世治下の帝政ロシアでは、ロシアの貴族にも影響力をもち始めていた「自由・平等・友愛」という理念に対抗するために、「正教・専制・国民性」の「三位一体」を「ロシアの理念」として国民に徹底しようとした「ウヴァーロフの通達」が1833年に出されていました。

このような時代に青春を過ごした若きドストエフスキーは初期作品で、権力者の横暴を抑えるための「憲法」の意義や言論や出版の自由の必要性、さらには金持ちのみを優遇する「格差社会」の危険性などを、「イソップの言葉」で説いていました。

『貧しき人々』に始まるこれらの作品を分析することにより、日本における「憲法」や「教育」の問題を考察しようとした拙著『ロシアの近代化と若きドストエフスキー 「祖国戦争」からクリミア戦争へ』(成文社、2007年)の終章では、検閲の問題と芥川龍之介の自殺との関連にも注意を払いながら、『白夜』からの引用がある堀田善衞の『若き日の詩人たちの肖像』に注目することで、昭和初期の日本の状況とクリミア戦争直前の帝政ロシアの状況との類似性を明らかにしました。

たとえば、昭和一二年に文部省から発行された『国体の本義』では、大正デモクラシーを想定しながら、その後も「欧米文化輸入の勢いは依然として盛んで」、「今日我等の当面する如き思想上・社会上の混乱を惹起」したとして、これらの混乱を収めるべき原則として『教育勅語』の意義が強調されたのです。

さらに『国体の本義解説叢書』の一冊として文部省教学局が発行した『我が風土・国民性と文学』と題する小冊子では、「ロシアの理念を強調した「ウヴァーロフの通達」と同じように、「日本の国体」においては、「敬神・忠君・愛国の三精神が一になっている」ことを強調していました。

 それゆえ、『ロシアの近代化と若きドストエフスキー』を書き上げた後では、芥川龍之介の自殺の問題も描かれている堀田善衞の『若き日の詩人たちの肖像』を詳しく考察することで、昭和初期に書いた「『罪と罰』についてⅠ」などの評論や『我が闘争』の書評で当時の若者や知識人に強い影響を与えていた小林秀雄のドストエフスキー論の問題点を明らかにしたいと考えました。

しかし、幕末だけでなく昭和初期に再び強い勢力を持つようになっていた平田篤胤の「復古神道」について理解が乏しかったために、その構想は先延ばししなければなりませんでした。

ようやく前著『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機――北村透谷から島崎藤村へ』で、明治の文学者たちの視点で差別や法制度の問題、「弱肉強食の思想」と「超人思想」などの危険性を描いていた『罪と罰』の現代性に迫りました。さらに、『罪と罰』の人物体系や内容を詳しく研究することで長編小説『破戒』を書いただけでなく、『夜明け前』では平田篤胤没後の門人となって古代復帰を夢見た主人公の破滅にいたる過程を描いた島崎藤村の作品を分析することにより、明治政府の宗教政策や昭和初期の「復古神道」の問題をも考察することができました。

こうして、芥川龍之介の自殺と堀田善衞の『若き日の詩人たちの肖像』との関連を論じることのできる地点までようやく来ましたので、次作ではこの問題を正面から論じることにします。

2024/03/22、ツイートを追加。

「黒澤明研究会五〇周年とドストエフスキー生誕二〇〇年」(『黒澤明研究会会誌』46号)

黒澤明研究会の50周年を記念した『黒澤明研究会会誌』46号が届いた。黒澤映画の上映会や、黒澤映画を支えたスタッフや俳優へのインタビューを行って、『黒澤明 夢のあしあと』(共同通信社MOOK)や『黒澤明を語る人々』(朝日ソノラマ)なども刊行してきた研究会の50年振り返る座談会なども掲載されている。

週刊誌とほぼ同じ大きさのB5版のサイズで269頁の大部で関係者の思いがこもる『会誌』となっているが、特記すべきは黒澤映画関係者との貴重な写真が豊富に掲載されているばかりか、黒澤監督手書きのクリスマス・カードの絵も載せられていることである。

『デルス・ウザーラ』関係の写真はないが、ロシア文学とも深いかかわりを持つ黒澤監督を記念したこの号は、多くの黒澤映画のファンにとっても興味深い記念号となっている。

私自身は拙著『黒澤明で「白痴」を読み解く』(成文社、2011)の発行をきっかけに入会した時のいきさつとその後の会での活動と私のドストエフスキー論とのかかわりについて振り返った「黒澤明研究会五〇周年とドストエフスキー生誕二〇〇年」を投稿した。

ただ、ドストエフスキーの愛読者を自称するプーチン大統領がウクライナ侵攻を行ったことで、ロシアだけでなくドストエフスキー文学の信頼が大きく揺らいでいる。それゆえ、そこではまず私がドストエフスキー論に本格的に取り組むきっかけとなったソ連崩壊後のスーパーインフレやエリツィン大統領の独裁的な手法の問題などロシア危機を踏まえて書いた『「罪と罰」を読む―「正義」の犯罪と文明の危機』(刀水書房、1996)についてふれた。

その後で、研究会の活動を踏まえて上梓した『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(成文社、2014)の内容を下記の拙著の帯の文章を引用して紹介した。

 【なぜ映画“夢”は、フクシマの悲劇を予告しえたのか。一九五六年一二月、黒澤明と小林秀雄は対談を行ったが、残念ながらその記事が掲載されなかった。共にドストエフスキーにこだわり続けた両雄の思考遍歴をたどり、その時代背景を探る。】

ドストエフスキーの生誕200年にあたる2021年には『会誌』での発表を踏まえて『堀田善衞とドストエフスキー 大審問官の現代性』(群像社)を上梓した。その序章では堀田の長編小説『祖国喪失』の終わり近くには滝川事件をモデルとして教授の娘の恋愛と苦悩、そして新たな出発を描いた黒澤映画『わが青春に悔なし』の「広告が真直に眼に沁みた」と書かれ、「もしほんとうに悔のない世代が既に動いているものなら、(……)全体的滅亡の不幸の底に、未来への歴史の胚子が既に宿っているのかもしれぬ」という主人公の感想も描かれていることを指摘した。

 最後に黒澤明監督を敬愛し、彼の脚本を元にした映画『暴走機関車』(1985)を撮ったロシアの巨匠アンドレイ・コンチャロフスキー監督の言葉を紹介して締めくくった。

なお、「黒澤明研究会五〇周年とドストエフスキー生誕二〇〇年」の全文は、「主な研究」に拙著の書影も加えて再掲した。黒澤明研究会五〇周年とドストエフスキー生誕二〇〇年

 (2023/02/02、改訂と改題)

戦前のベルグソン論の再考と長編小説『橋上幻像』論の構想

はじめに

前回のブログに記したように、キリーロフの人神論とイワンの叙事詩「地質学的変動」の問題を考察することによって、「神の観念の破壊」が人肉嗜食と結びつくことはないことを明らかにした熊谷論文から私は強い知的刺激を受けた。

それは『罪と罰』についての言及もある大岡昇平の『野火』や武田泰淳の『ひかりごけ』を踏まえて、ニューギニア戦線における人肉食の問題も描かれている堀田善衞の三部作『橋上幻像』(1970)の考察を始めているためでもあるだろう。

一方、「地質学的変動」についての言及は参加者にベルグソンへの関心も呼び起こした。ただ、ウクライナ戦争が現在も続く「戦争の時代」に入っていることに留意するなら、1913年から1914年をピークとする日本の「ベルグソン・ブーム」と戦争との関りも視野に入れて考察する必要があると思える。

それゆえ、ここではベルグソン哲学の受容の流れを振り返った後で(拙著『堀田善衞とドストエフスキー』群像社、2021年、30-31頁、161-162頁参照)、長編小説『橋上幻像』論の構想を簡単に記すことにしたい。

戦前のベルグソン論の再考

まず、注目したいのは、1951年に書かれた『野火』の第19節「塩」でドストエフスキーの『罪と罰』の描写に言及し、第21節「同胞」では「俺達はニューギニヤじゃ人肉まで食って、苦労して来た兵隊だ」と語る脱落兵たちと主人公が出会う場面を描いた大岡昇平が、 第14節「降路」ではベルグソン哲学についてこう記していることである 。

「この発見はこの時私にとってあまり愉快ではなかった。私はかねてベルグソンの明快な哲学に反感を持っていた。例えばこの『贋の追想』の説明は、前進する生命の仮定に立っているが、私は果して常に前進しているだろうか。時として繰り返し後退しはしないだろうか。絶えず増大して進む生命という仮定は、いかにも近代人の自尊心に媚びる観念であるが、私はすべて自分に媚びるものを警戒することにしている。」

この時、大岡は追い詰められた兵士の視点から、「戦争」の遂行と結びついて利用されたベルクソンの「理知主義打破」の哲学の問題点を鋭く指摘していた。

実際、第一次世界大戦がはじまった1914年に評伝『ベルグソン』を書き、この哲学者を「直観の世界」、「溌剌たる生命の世界」の発見者と紹介した評論家の中津臨川は、評論「ベルグソンの戦争及び現代文明観」(1916年)では、「ベルグソンの戦争観を紹介しつつ、〈戦争〉を一つの生命現象として認識する視点」を提示していた。

同じように戦争を一つの「生命現象」と見て、人間の内なる「生命の波動」により「現状打破の運動」が「地殻変動のように起こっている」とした歌人の三井甲之(こうし)も、1914年9月に書いた評論では、「『欧州動乱』を『文化史的見地』から、『理知』に対する『精神の戦い』と意味づけ」、ベルクソンの「理知主義打破」哲学は、「戦争の時代にこそ意義を持つ」と主張した(太字は引用者。中山弘明『第一次大戦の“影”――世界戦争と日本文学』新曜社、2012年、26-27頁、72-76頁、222-223頁)。

三井甲之が右翼思想家の蓑田胸喜(むねき)などと「原理日本社」を結成したのは1925年のことであったが、社会ダーウィニズムの理論を援用して「この宇宙を支配している永遠の意志にしたがって、優者、強者の勝利を推進し、劣者や弱者の従属を要求するのが義務である、と感ずる」と記したヒトラーの『わが闘争』の第一部がドイツで出版されたのも同じ年であった

「『今の一瞬に久遠(くおん)の生命を生きる』という事が日本精神」であるとして「爆弾三勇士」を礼賛し、「殺人は普通悪い」と考えられているが、「戦争に出て敵兵を殲滅するのは善である」と『生命の實相』で説いて、軍人などにも強い影響力をもった谷口雅春の「生長の家」が創始されたのは1930年のことであった。

「生長の家」の教祖・谷口雅春はベルクソンに言及しながら「生命の実相(ほんとうのすがた)は動であって静ではないという事が判って来るのであります」と記していた(谷口雅春『古事記と日本国の世界的使命――甦る『生命の實相』神道篇』光明出版社、2008年)。

一方、『野火』の 第14節「降路」でベルグソン哲学への批判を記した大岡は、 第37節「狂人日記」ではこう記したのである。「この田舎にも朝夕配られてくる新聞紙の報道は、私の最も欲しないこと、つまり戦争をさせようとしているらしい。現代の戦争を操る少数の紳士諸君は、それが利益なのだから別として、再び欺(だま)されたいらしい人達を私は理解できない。恐らく彼等は私が比島の山中で遇(あ)ったような目に遇うほかはあるまい。」

堀田善衞の『囚われて』(1954)では元憲兵だった主人公の父親が「生長の家」のもじりと思われる“成長の家”の“聖書”にピストルを隠していたと記されているが、「盾の会」を結成した後で三島由紀夫は、「生長の家」の教祖・谷口雅春の思想に魅せられるようになり、分派の「生長の家本流運動」は谷口雅春の思想を絶対視して戦前の価値観への復帰を目指す「改憲」運動を推し進めている。

そのことに、注目するならば、堀田は短編『囚われて』において「生長の家」を示唆することで、戦前と戦後の価値観の同質性に鋭く迫っていたといえるだろう。

ドストエフスキー論との関連で問題なのは、「ヒットラーと悪魔」を発表した翌年の1961年に国粋派の論客・小田村寅二郎からの依頼に応えて国民文化研究会で「現代思想について」と題した講演を行った小林秀雄が、その後の学生との対話でベルクソンの意義を再評価したあとで、こう語っていたことである。

 「凡人が、自分は死んでもこのほうが正しいと思うと、人を殺すね。僕はそういうことを考えたこともある。正しくないやつを殺さなきゃならんでしょう。」(『学生との対話』新潮社、2014年、86頁)

『橋上幻像』論の構想について

短編『審判』(1947)で原爆の問題に関連して『黙示録』にも言及していた武田泰淳は、1954年に描いた『ひかりごけ』では、「大岡昇平氏の『野火』に於(おい)ても、主人公たる飢えた一兵士は、仲間から与えられた人肉(日本兵の肉)を口までは入れますが、ついに咽喉(のど)より下へは呑み下すことをしないのです」とし、「殺人の方は二十世紀の今日、きわめて平凡で、よく見うけられるが、人肉喰いの方はほとんど地球上から消滅しつつある」と記している。

三島由紀夫も1955年9月に「雲の会」の同人でもあった加藤道夫の追悼文「加藤道夫氏のこと」を発表し、その冒頭で「加藤氏は戦争に殺された人であったと思ふ。その死は戦後八年目であつたけれど、ニューギニアにおける栄養失調、そこからもちかへつたマラリア、戦後の貧窮、肋膜炎、肺患、かういふものが悉く因をなして、彼を死へみちびいた」と書き、「もしもう少し生きのびて、この状態を克服し、客観視する時が来たならば、この夢想家は、戦争と死のおそるべきドラマを書いたであらう」とも記していた。

さらに三島は、加藤が学生時代に書き上げていた遺書ともいえるような戯曲「なよたけ」が上演されなかったことにふれて「彼の生前にこれを上演しなかった劇団というところは、残酷なところだ」と記し、「かくてこの人肉嗜食(ししょく)の末世は、一人の心美しい詩人を、喰べてしまったのである」と結んでいた[

戦後間もない時期に発表されたこれらの作品や追悼文で人肉食のことが記されているのは、当時はまだ悲惨な体験を多くの日本兵が記憶していたためだと思える。

しかし、その記憶はすぐに消え去るようなものではなく、大岡昇平はその問題を1967年から1969年にかけて『中央公論』に連載した『レイテ戦記』でさらに深く掘り下げている。

『豊饒の海』の第2巻『奔馬』では「血盟団」事件をモデルとして美意識による暗殺を描いた三島由紀夫も、第3巻『暁の寺』(新潮社、1970)では美的な視点から「性の千年王国」を夢見るドイツ文学者・今西が語る「人肉嗜好」の物語を組みこんでいた(173-180頁)。

さらに、「今西はどんな些末な現象にも、世界崩壊の兆候を嗅ぎ当てた」とも記されているが(252頁)、その感覚は三島自身のものとも重なり、三島は原爆投下のニュースを知ったときの衝撃について、「世界の終りだ、と思つた。この世界終末観は、その後の私の文学の唯一の母体をなすものでもある」と「民族的憤激を思ひ起せ-私の中のヒロシマ」において記しているのである(447)。 つまり、三島由紀夫の作品にも『黙示録』的な終末観が深く関わっていたのだ 。

一方、堀田善衞が1953年末に自殺した友人で劇作家の加藤道夫をモデルとした長編小説『橋上幻像』の第1部を書いたのはようやく1970年のことであった。しかし、昭和初期の暗い時代における友人たちとの交友を描いた長編小説『若き日の詩人たちの肖像』(1968)で加藤道夫についても触れていた堀田は、その翌年に出版した美術紀行『美しきもの見し人は』では、『ヨハネの黙示録』にふれつつ、戦争の悲惨さにも言及していた。

そのことを想起するならば、堀田がニューギニア戦線で「地獄」を体験した加藤道夫をモデルとした小説を長く書かなかったことは、このテーマの重さを物語っているだろう。

 (2023/02/24、加筆と改題、2023/03/08、改訂)


「ドストエーフスキイの会」合評会(7月31日)の感想

はじめに

ロシア軍のウクライナ侵攻が深刻化する時期に行われた「ドストエーフスキイの会」の合評会では「『謙虚(謙抑)』の概念を考察した木下論文や〈神がなければすべては許される〉というテーゼが、「イワンの思想として小説の中で流布していく」過程を詳しく検証した熊谷論文からは強い知的刺激を受けた。それゆえ、合評会ではこの二つの論文を中心に感想を述べた。

例会ではそれをふまえて「大審問官」で述べられている究極の悪とされる「食人」の問題もレーベジェフが論じている『白痴』と、「食人」も起きたニューギニア戦線の記憶の問題が描かれている長編小説『橋上幻像』との関係を考察したいと考えた。

それゆえ、ここでは合評会で述べた感想と木下論文と熊谷論文については感想に加筆した形で掲載する。(例会発表の構想を練る中で『白痴』論と『橋上幻像』論とを組み合わせると時間が足りなくなることに気づき、例会では『橋上幻像』の詳しい考察は省いた)。なお、熊谷論文の考察と感想は、『橋上幻像』論の構想とも関連があるので、最後に掲載した。

『広場』31号掲載論文の感想

「ロシア・ヘシュカスム(静寂主義)」についての言及がある『広場27号』掲載の論文のテーマを受け継いだ木下豊房氏の巻頭論文「ドストエフスキーにおける「謙虚・スミレーニエ」の意味について」から私は静かだが重たい問題提起を受け取った。

なぜならば、「『謙虚(謙抑)』の概念はドストエフスキーの創作意識・方法(ポエティックス)の本質を成しているであろう」とも記されている木下論文では、「殺すこと」を厳しく批判した『罪と罰』のソーニャが「謙虚な英知の象徴」とされており、この問題はプーチンによるウクライナ侵攻の問題とも絡んでいるからである。

他方で、冒頭から4行目で「マゾヒズム」の問題に言及されているこの論文の12行目以降では、著者の問題意識が明確にこう記されている。「ロシア語の «смирение»(スミレーニエ・謙虚)」は、「欧米のフロイド主義的立場の研究者達からは精神病理学的な『マゾヒズム』と同一視され、しかもロシア人固有のメンタリティとされ、さらにはドストエフスキーとからめて論じられ、精神分析の格好な材料にされるという現象が起きている。」

この記述や論文全体で「マゾヒズム」という用語が14回も用いられていることに注目するとき、この論文は少女の行動に「マゾヒズム的快感」を読み取るような『悪霊』の解釈に疑問を示したSQUAREの論考「少女マトリョーシャ解釈に疑義を呈す」(『ドストエーフスキイ広場』第15号、2006年。『ドストエフスキーの作家像』鳥影社、2016年に再録)の問題意識を強く受け継いでいると思われる。

『現代思想』にも論文「ロシア民衆の宗教意識の淵源」が寄稿されていることに注目するならば、『悪霊』がメインテーマとなるIDSの日本大会で、この問題を深く問い直すことが読者に求められているのだろうと感じた。

「謙虚な英知の象徴」とされているソーニャ像に注目するならば、「ロシアの民衆の理想」とは漠然としたものではなく、「殺すなかれ」というイエスの理念を保持していた「ロシアの民衆」には戦争への批判も内在していると理解すべきであると思われる。

論文と同じような質の高さを持つ冷牟田エッセイ「『時間』(堀田善衞)を読む」は、堀田がエッセイ「文学の立場」で、「文学も、最早ドストエフスキー以上のものが出なければ到底間に合わないのだ。…まことの苦悩に鍛え抜かれた人間像を我々は生まねばならぬ」と記していたことに注意を向けて、この作品を丁寧に読み解くことで堀田善衞の誠実さとドストエフスキー文学への関心の深さと明らかにしている。

すなわち、まず第一章の「日記の文体」では、主人公の陳が日記を書くにあたって自ら制約を課していることに注意を促し、「感情に流されぬよう、情緒に溺れぬよう、痛々しいほど己を制御」していることを指摘している。以下、二、陳英諦の、絶望から希望へ、三、時の経過の描写、四、表題の「時間」について考える、五、鼎(かなえ)、と続いて、「むすび」では、陳英諦の年齢が著者と同じ三七歳なのは偶然ではないだろうとし、「自らの精神を陳英諦に託して『まことの苦悩に鍛え抜かれた人間像』を創出したのである」と結んでいる。/ 冷牟田氏のこの『時間』論は、『広場15号』のSQUAREに掲載された「疑問に思うこと」における『悪霊』論の読みの深さと冷静で客観的な分析にも通じていると思える。

清水論文「『死の家の記録』変奏(第一部)」では、流刑後のドストエフスキー作品の原点ともいえる『死の家の記録』について、会話体で広い視野から説得力豊かに論じられており、改めてその面白さと深さが感じられた。

たとえば、ロシア語を教えて山上の垂訓を読んだ後では回教徒のアレイが「ゆるせ、愛せよ、辱めるな、敵を愛せよ」という文章に感激したと告げられる場面やユダヤ人の活き活きとした描写からは、木下論文でも触れられているドストエフスキーの宗教観の一端が浮かび上がってくる。

「恐るべき臨死体験」についての詳しい言及からは、ブルガリアで行われた「国際ドストエフスキー・シンポジウム」に参加いただいた際の、ムィシキンの謙虚さによる行動を「魂の治癒の行動学」と呼んで分析した論文や、円卓会議での黒澤明の映画《白痴》の鋭い分析が思い起こされた。

論文では囚人たちが演じた「芝居」にもふれられているが、複雑な構造を持つこの作品を高く評価した黒澤監督が映画化をも真剣に考えていたことも付記しておきたい。

近藤論文「『二重人格』について」は、ゴーゴリの『狂人日記』とも比較することによって、「新ゴリャートキンは幻影ではなく実在していた。だからゴリャートキンは狂ってなどいなかった。それなのに精神病院行きになったのは、彼を疎ましく思う人たちの陰謀によるものであった」という説を提示し、それを丁寧に検証している。

最後に再登場する医師のクレスチャン・イワーノヴィチが正しいロシア語を話せていないことに注目して、「成りすまし」の可能性を指摘した箇所も面白い。

 「正教・専制・国民性」の厳守が求められていた当時のロシアにおいて、検閲に引っかからないような表現方法を模索しながら書かれている初期のドストエフスキー作品は、後期の作品のテーマだけでなく表現の方法においてもつながっており、その意味でも興味深く読んだ。

 長縄論文「ドストエフスキーにおける『ルーシ』の概念」は冒頭でまず、「ルーシ」と「ロシア」が同じ概念ではないことを確認している。用語の訳は作品の理解にもかかわるが、長年のゲルツェン研究の成果を踏まえてなされたこの指摘は重要だと思える。

ドストエフスキーが「農村共同体の直接的表現」とみなしている「ゼムストヴォ」との関連で「ルーシの民」は「西欧派のアソシエーションの原理は知らなかったが、すでにアルテリをもっていた」との指摘や、「西欧派の極北に位置するベリンスキーについても「ルーシの原理の闘士である」と書いていることに注意を促して、「この文章はゲルツェンについて言っているとも読めるだろう」という記述にも関心を持った。

なお、2012年はゲルツェン生誕200年にあたっていたが、「祖国戦争」勝利の記念行事で影が薄くなったと記した加藤史朗氏によれば、その年の学術会議で長縄光男氏はゲルツェンの時代と「新自由主義が跋扈する」昨今のロシアとの近似性を指摘して、プーチン政権の危険性をすでに示唆していた(『スラヴャンスキイ・バザアル――ロシアの文学・演劇・歴史』水声社,2021年)。

音楽の造詣も深い伊東氏の発表は大変興味深く聞いたが、伊東論文「《 ポリフォニー 》 における声』と『音』」では、バフチンの「ポリフォニー」論が「文化人類学に、従来の民族誌史は、作者が他者であるインフォーマントを客体として一元的に支配し、管理するモノローグ型の小説のようなものではないか、という反省を促した」ことも記されている。

さらに、ここでは「引用における対話性と二声性」については詳しくは記されてはいないが、前掲書『スラヴャンスキイ・バザアル』における「二つの『声』が同一方向のベクトルを持っているとき,それは様式化あるいは文体模倣となる」が,「異方向のベクトルを持つ二声的言葉は,批評的意識と結びつき,『笑い』と密接に関連する。『二声的言葉』の内部で二つの声は様々な対話的関係にある」という指摘はカーニヴァル理論の理解だけでなく,作者と主人公との関係や登場人物の相互関係を正しく理解するためにも重要であり、そのような理解は杉里直人氏の『カラマーゾフの兄弟』の新訳にも響いていると思われる。

熊谷論文「『神の観念の破壊』について」では〈場所柄をわきまえない会合〉におけるミウーソフの発言とミーチャの要約とが相まって〈神がなければすべては許される〉というテーゼが、「イワンの思想として小説の中で流布していく」ことが確認されている。

「悪魔の発言」をとおしてイワンの「伝道への熱意」が示され、『悪霊』のキリーロフが「もしそれを悟ったら、小さな女の子を辱めなどしなくなるでしょう」とも語っていたことに注意を向けた著者は、「我意は、利他と一体化している」としたキリーロフの人神論との類似性も指摘している。

さらに「死に対する恐怖の苦痛」という視点からキリーロフの人神論とイワンの叙事詩「地質学的変動」の問題を考察することによって、「神の観念の破壊」が人肉嗜食と結びつくことはないことを明らかにした著者は、民衆に保持される「信仰と謙譲」に希望を託しているゾシマの思想との比較も行った後で、「現代の生物学・心理学によれば利他的行動も自然の法則による」ことも記している。

こうして、ドストエフスキー作品の複雑な人物体系と相互関係に細心の注意を払いながら登場人物の発言を丁寧に分析した熊谷論文から私は強い知的刺激を受けた。

 (2023/02/24、加筆と改題)

統一教会の「黙示録」観――カルト教団の危険性(加筆版)

はじめに ①『原理講論』と『蒼ざめた馬』との出会い ②「自虐史観」の批判と「贖罪意識」の刷り込み ③「黙示録」解釈の危険性 ④ 文鮮明教祖とテロリズム

はじめに 

 「霊感商法」や「合同結婚式」などの問題でかつて危険視されていた統一教会(鈴木エイト氏が指摘しているように、本国・韓国における呼称は「統一教(トンイルギョ)」であり、日本でもその教義は変わらないので、本稿でも統一教会と記す)は、安倍政権下の2015年に「世界平和統一家庭連合」と名称の変更が許可されたことでソフトなイメージが持たれるようになっていた。

 しかし、安部元首相は母親の多額の献金などにより家庭崩壊していた宗教二世の山上徹也容疑者の手製の散弾銃で射殺された。そのあとで『聖書』を教典としつつも反日的な教義を持つこの教団の実態が徐々に明らかになってきた。また、統一教会だけでなくエホバの証人などの宗教二世たちが宗教虐待など彼らの悲惨な状況を伝え、TBSの報道特集や日本テレビのミヤネ屋を始め、週刊文春などの週刊誌や新聞も報道をしたことで、統一教会の解散請求は昨日20万の署名数に達した。

 ただ、紀藤正樹弁護士が 『決定版 マインド・コントロール』(アスコム、2017年)において記しているように、統一教会もアメリカのカルト教団や地下鉄サリン事件が起こしたオウム真理教とも共通する次のような危険な特徴を有している。

1,「信者と外部の接触を断ち、繰り返し同じ情報を吹き込むなどして、マインド・コントロールする。信者は、教祖の意のままに動くようになり、法律や常識は無意味となる」。

2,「『近くこの世の終わりがくるが、選ばれた者だけが神の国に行ける』という終末思想を語る」

 さらに、先の参議院選では自民党の多くの議員が「基本理念セミナー」への参加も求める統一教会の「推薦確認書」にサインしていたことが朝日新聞の調査で明らかになった。

 以下、最初に『原理講論』や『蒼ざめた馬』との出会いとその後のかかわりなどを簡単に振り返ったあとで、主にこの教団の教義と堀田善衞の「黙示録」観を分析することで、今も自民党の家庭観や平和観に強い影響力を持っている統一教会の危険性を指摘したい(本稿ではかっこ内の数字は半角で示す)。

1,『原理講論』と『蒼ざめた馬』との出会い

 私が統一教会の講義を一人で聞きに行ったのは、ベトナム戦争が激しさを増す一方で、日本でも学生運動が過激化して、学生同士が武力衝突を繰り返すようになっていた1967年でまだ高校生の頃だった。

 それ以前に『罪と罰』を読んでキリスト教にも強い関心を持つようになり、『聖書』の教えに従って良心的兵役拒否を行っている「エホバの証人」(ものみの塔)の集まりに誘われて二度ほど参加していた私は、渋谷を歩いていて真面目な感じの青年に誘われて『原理講論』の導入部の講義を聞いたのである。玄関を開けると座って待っていた二人の若い女性たちからやさしく「お帰りなさい」と挨拶されてその家庭的な雰囲気に心を動かされたが、陰陽思想でキリスト教の「原理」を説明しようとする講師の話には疑問を持ったために、一度限りの聴講となった。

 それにも関わらずその時の印象は非常にまじめな青年たちの集まりという印象が強かったので、この集団が正体を隠して難民救済などを装うカンパや訪問販売をしたりしていることを知って痛ましい思いに駆られた。もしもあの時に最後まで講義を聞いていたら、私も信者になっていたかも知れないと感じて、その後もこの教団の動きには注意を払ってきた。

 そして、統一教会が日本でも銃器店を経営して銃の販売も行っていることも報じられた際には、宗教団体が銃器店を持つことに強い違和感を覚えた。

 統一教会の「黙示録」観については第三節で考察することにするが、「視よ、蒼ざめた馬あり、これに乗る者の名を死といい、黄泉これにしたがう」という『ヨハネの黙示録』(6章8節)の言葉が題辞で引用されているロープシンの『蒼ざめた馬』(川崎浹訳、現代思潮社)を読んで衝撃を受けたのもこの時期だったと思う。 (注:ロープシンの本名はボリス・ヴィクトロヴィチ・サヴィンコフ、ロシアの革命家、主要作品に『一テロリストの回想』)。

 『罪と罰』では近代西欧の哲学に影響された「非凡人の理論」によって「高利貸しの老婆」を「悪」と規定して殺害を行ったラスコーリニコフの深い苦悩とシベリアにおける「復活」が描かれている。一方、 『蒼ざめた馬』の主人公は、 「ラスコーリニコフは金貸しばばあを殺し、彼自身が老婆の流した血のなかで窒息する」と考え、「われ、汝に暁の明星をあたえん」など多くの「黙示録」の詩的な言葉でモスクワ総督の暗殺を正当化している。

 しかも、ソーニャとの間では殺人やラザロの復活など死と生についての会話も行われていたが、『蒼ざめた馬』でも「ぼくはよく馭者だまりで聖書を読むんだ」と語り、「すべてが許される」と考える「スメルジャコフへの道」と「キリストの道」があるとするワーニャとの対話も描かれている。

 注目したいのは、ワーニャが「すべてが許される」とする危険な考えをイワンではなくスメルジャコフに帰していることであり、この小説との出会いは、私が「黙示録」に強い問題意識を持つようになった大きなきっかけになっていたと思える。

 一方、統一教会への私の関心は徐々に弱まっていたが、久しぶりにその名前を聞いたのは、2014年3月15日に日本ペンクラブの環境委員会が行う「脱原発を考えるペンクラブの集い」の準備会合からの帰宅の際に中村敦夫・環境委員長と交わした私的な会話においてであった。

 その会話で中村さんは、統一教会やその政治組織などから多い場合には「一人の議員に九人もの秘書がついている」ことを憤慨し、かつ今もその問題がまったく解決されていないことを深く危惧されていた。

 実際、1998年9月22日法務委員会で氏は、「統一協会は宗教の名をかりてさまざまな反社会的な行動をとっている団体でございます」と指摘し、かつて統一協会の代理人だった高村外務大臣と教団との関係や国会議員に対する「秘書の派遣の問題」などについて鋭い質問も行っていたのである。

 中村氏との会話の際には統一教会がいまだに日本の政治の中枢に深く入り込むほどに力をもっていることに驚かされたが、地下鉄の乗り換えのために中断されてそのままになっていた。

2,「自虐史観」批判と「贖罪意識」の刷り込み

 その時の会話のことをまざまざと思い出したのは、安倍元首相が統一教会のせいで家庭崩壊していた宗教2世に射殺されたことを知った時であった。2021年に行われたUPF(天宙平和連合)主催の会議に、統一教会の総裁でもある「韓鶴子総裁をはじめ皆様に敬意を表します」というビデオ・メッセージを安倍元首相が送ったことが犯行の引き金になっていたのである。

 その事件の後でこの問題の深刻さを改めて認識して、中村敦夫氏の『狙われた羊』(文藝春秋、1994年)を読み始めた。この小説の見事さは「マインド・コントロールの意図的悪用が、人間の思考や人格を改造し、社会的犯罪を作り出すというメカニズムを、物語によって図解すること」に成功していたことだと思う。

 初めは映画化も考えていたとのこともあり、場面も視覚的で真夜中に起きた自動車事故のシーンから始まる『狙われた羊』は、迫力ある文体で読者を新宗教の異様な世界へと引き込み、最後まで一気に読ませる。この作品は今年の11月に講談社から30年ぶりに文庫の形で再販されることが決定したが、それはマインド・コントロールという手法を駆使するこの教団の変わらぬ本質を浮き彫りにした意義が薄れていないからであろう。(統一教会の問題を初期から粘り強く考察してきた有田芳生氏に『改訂新版 統一教会とは何か』大月書店がある)

 圧巻は正体を隠して相談に乗りながら優しく勧誘した者が、学生(羊)を研修でマインド・コントロールにより熱狂的な信者にさせる過程が鮮明に描き出している箇所であろう。

 たとえば、素直な女子学生の中道葉子が参加した中級研修の12日目の夜に上映されたドキュメンタリィ映画「大日本帝国による朝鮮半島三十八年支配」では、「モノクロニュース映画の断片」や「報道写真」などにより「朝鮮民族に対する日本軍の目を覆うばかりの残虐な行為が次々と映し出された」。そのために日韓併合の正確な知識をもっていなかった「葉子は、言葉で表現できぬほどのショックを受け」、この研修に参加していた受講生たちも「一様に心を揺さぶられ、深い罪悪感を抱かされた」のである。

 つまり、正しい歴史教育を「自虐史観」などと呼んで日本の歴史の負の側面を学校で教えないようにすることを支援していた安部元首相は統一教会の広告塔となっていたばかりでなく、心ならずも歴史の真実を知った若者たちが「罪の意識」から旧統一教会に取り込まれることに加担していたことになる。

 このような「深い罪悪感」にはアメリカによる原爆投下の問題もからんでいる。たとえば、芥川賞作家の堀田善衞は短編『国なき人々』(1949)で広島に原子爆弾が落ちて「人はもとより一木一草も滅び、地面すらもガラス状に変質した」という噂を聞いて深く動揺していた主人公の梶に、ユダヤ人のシェッセルが「いや、これは現代の劫罰の始まりだ、その序の口、序曲にすぎぬのだ」と語ったと記している。

 そしてシェッセルは、「……第一の天使ラッパを吹きしに、血の混りたる雹と火とありて地にふりくだり、地の三分の一焼け失せ樹の三分の一焼け失せもろもろの青草も焼け失せた」と、第一の天使から第五の天使にいたる『ヨハネの黙示録』の一節を暗唱していたのである。

 一方、マスコミの監視が緩んだ時期もこの教団を追い続けていた鈴木エイト氏は統一教会の日本幹部公職者が全員参加し開かれた2018年9月23日に特別集会で語られた韓鶴子総裁の“みことば”をまとめた教団内部資料を詳しく紹介している(『自民党の統一教会汚染 追跡3000日』小学館2022年、151-158頁)。

 すなわち、そこで翌年が1919年の3・1独立運動から100周年となることに注意を促し、「1945年に広島に何が落ちましたか」と幹部たちに問いかけた韓氏は「原爆が落ちました」という答えを聞くと、こう続けていた。「その歴史的事実に対して、日本の悲惨な環境だけを考えるのではなく、その背後を考えなければなりません。悔い改めなければなりません」、「国家の復帰(注:統一教会をその国の国教とすること)の責任を果たすにおいて、まずはその国の最高指導者を(……)屈伏させなければなりません」。

 鈴木エイト氏が指摘しているように、「こうして罪悪感や贖罪意識を刷り込まれ、国家復帰の責務を負った日本の幹部が末端信者を駆り立て」、「その末端信者が一連の正体隠し勧誘や霊感商法などを行い、韓国の教祖一族へ毎年数百億円を貢(みつ)いできたという構図」が生まれたと言えよう。

 しかも、この説教からは「教団内部では安倍晋三内閣総理大臣を屈服と教育の対象として見下していた」ことばかりでなく、「日本の国会議員を韓鶴子に侍(はべ)る存在として捉えていること」も判る。実は、洪蘭淑著『わが父文鮮明の正体』(林四郎訳、文藝春秋、1998年)に記されているように、1985年には文鮮明が「自らと韓鶴子を秘密儀式で、世界皇帝と皇后に即位」させていたのである。

3, 「黙示録」解釈の危険性

 拙著『堀田善衞とドストエフスキー』で考察したように、堀田善衞は長編小説『審判』(1963)、さらには美術紀行『美しきもの見し人は』(1969)や長編小説『路上の人』(1985)などの作品でドストエフスキー作品と『ヨハネの黙示録』との関係についても考察していた。

 たとえば、1969年に出版した美術紀行『美しきもの見し人は』の第六章では『ヨハネの黙示録』を読んで、「その怖ろしさに身と心とが慄えるほどの思いをした」第一回目は、「広島と長崎に原子爆弾が投下され」、「これで日本民族も放射能によって次第に絶えて行くのだ、という流言が流布していた」ときだったと記し、「黙示録」の「おどろおどろしく怖ろしい」二騎士の記述を引用している。

 第二の封印を解き給ひたれば、第二の活物(いきもの)の『来れ』と言ふを聞けり。かくて赤き馬いで来り、これに乗るもの地より平和を奪ひ取ることと、人をして互に殺さしむる事とを許され、また大(おほい)なる剣(つるぎ)を与へられたり。……

 第四の封印を解き給ひたれば、第四の活物(いきもの)の『来れ』と言ふを聞けり。われ見しに、視よ、青ざめた馬あり、之に乗る者の名を死といひ、陰府(よみ)これに随(したが)ふ、かれらは地の四分の一を支配し、剣と、餞饉と死と地の獣(けもの)とをもて人を殺すことを許されたり。

 『ヨハネの黙示録』はその後も七人の天使が「ラッパを吹き鳴らす」とさらなる大災害が次々と襲ってくる様子を詳しく描いた後で、これらの天災にもかかわらず、キリスト教の教えに従っている者は救われることが強調されている。

 一方、堀田は『至福千年』(1984)で、ユダヤ人の虐殺や究極の悪ともされる「人肉食」が行われた第一回十字軍と『ヨハネの黙示録』との関係を詳しく考察している。こうして、堀田作品からは危機的な時代には宗教自体や国家がカルト的な性質を持つこともありうることが伝わってくるが、統一教会の『原理講論』も第三次世界大戦はかならずおきねばならないが、信者は生き残ると「黙示録」に依拠して主張しているのである。

 この問題を詳しく考察する前に、まず文鮮明の後継者と目されていた長男・文孝進に15歳で嫁いだ洪蘭淑が内部から見たこの教団の実態を詳しく描いた前掲の『わが父文鮮明の正体』を見て置きたい。韓国の統一教会の幹部の子女として生まれた彼女は、日本のいわゆる「祝福二世」とは違い恵まれた状況にはあったが、幼児期から統一教会での総長の礼拝で唱えさせられていた「誓いの言葉」からは、この教団による「マインド・コントロール」の実態がつたわってくる。

 すなわち、彼女が暗記させられた五箇条からなる「誓いの言葉」には、次のような文言が記されているのである。「天国のために血を流すことによって、召使いとして、けれどもお父様の心をもって、サタンに奪われた神の子女と宇宙を取り戻すために、サタンを完全に裁くまで、敵陣に勇敢に攻撃をかけます。このことを私は誓約します」(55頁)。

 さらに、結婚後には「統一教会の教えでは賭事は厳格に禁じられている。いかなる種類の賭も家族を害する社会悪で、文明の衰退に貢献する」とされているにもかかわらず、彼女はラスベガスで「再臨のメシア」とされている文鮮明とその妻が、何時間もブラックジャックなどの賭け事をする姿を眼にする。そして、「定期的に現金の詰まった紙袋」を運んできた日本人の教会幹部が、「税関の係官に、アメリカにきたのはアトランティック・シティで賭事をするためだ」と説明していたことを知る。

 彼女の夫となった文孝進氏は、酒やドラッグに溺れておりその暴力だけでなく不倫に苦しんで韓鶴子氏に相談した洪蘭淑は、義理の母もまた夫の不倫に苦しめられていたことを知らされたと記している。

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 本稿の視点からことに注目したいのは、音楽には才能のあった長男の孝進氏が「アポカリプス(黙示録)」という名のバンドを持ち、そこで演奏していたことである。バンドの命名からは「黙示録」に対する強い関心が感じられるが、アメリカで銃メーカーのカーアームズ社を経営する兄の国進氏の支援で、分派・サンクチュアリ教会を設立した七男・文亨進の「黙示録」観はさらに過激である。

 すなわち、文亨進氏が6月22日から7月13日まで行った日本縦断ツアー講演でサンクチュアリ教会の日本組織の代表者は「黙示録」の記述を現代に引き寄せて、「黙示録6章にありますが、赤い馬が暴れまわる中国・北朝鮮、白い馬が暴れまわるグローバリスト、黒い馬のディープ・ステート、そして緑の馬のイスラム圏。そしてコロナ。これは中国の生物兵器です」と解釈した(藤倉善郎「統一教会の過激分派「サンクチュアリ教会」の正体」https://toyokeizai.net/articles/-/614735

 一読しただけでは「ディープ・ステート」の意味は不明だが、それは極右陰謀論Qアノンたちがいう「アメリカ政府を支配している影の政府」を指すとのことで、実際、議事堂襲撃事件の数日後に亨進は議事堂を「サタンの玉座」と呼んで、2021年1月6日の襲撃に加わった暴徒たちを称賛していた(Rolling Stone Japan)。

 しかも、信者たちに「自動小銃を構え、銃弾を束ねた王冠を頭に載せた姿で礼拝」させている亨進は、自分こそが統一教会の正当な後継者だと考えて、自分に権力を渡さなかった母親の韓鶴子氏を恨んで、「黙示録」で最も非難されている「大淫婦バビロン」と呼んでもいる。そのことに留意するならば、亨進氏は父親の文鮮明にもあった教団の武装化の方向性を純粋に受け継いでいることも考えられる。

 『決定版 マインド・コントロール』では、「信者の家族と揉めるなど社会と対立しはじめると、そのことがカルトの結束固めに使われる。信者は、国家や警察が自分たちをつぶそうとしていると信じ、カルトは猜疑心と妄想に取りつかれていく。場合により武装集団と化す」ことも指摘されている。 

4, 文鮮明教祖とテロリズム

 地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教の麻原も『ヨハネの黙示録』第16章に記されている世界最後の日に起こる善悪諸勢力の決戦場から転じて、「世界の終わり」の意味となった「ハルマゲドン」にも言及していた。このことはよく知られているが、ユダヤ人の虐殺も唱えたヒトラーにも傾倒していた麻原が「自分が日本と世界の『神聖法皇』」であるとも語っていたことを紹介した研究者のリフトンは、オウムの戦争は「神格化された天皇と日本の永遠の神性のために戦われる宗教戦争の形をとった」とも指摘している(ロバート J.リフトン著, 渡辺学訳『終末と救済の幻想 オウム真理教とは何か』岩波書店、2000年、258頁)。 

 かつての日本も「鬼畜米英」とみなした諸国との戦争に際して日本の指導部は、自国の軍隊を「無敵皇軍」と称し、いざとなれば「神風」が吹くので絶対に負けないとして、沖縄戦の後も悲惨な戦争を続けていたのである。

 一方、安倍元首相の殺害後に「自民党は所属議員に教団側との接点について調査し9月に結果を公表した」がその際には触れていなかった推薦確認書の存在とその文書が選挙支援の見返りに「政策協定」への署名を求めるだけでなく、「基本理念セミナー」への参加も要求するものであるにもかかわらず、それにサインした議員がいることが明らかになった(朝日新聞、10月10日)。

 すると参院本会議の代表質問では「多額の献金等を強いてきたこの団体の教義に、賛同するわが党議員は一人もいません」と主張していた自民・世耕弘成参院幹事長は、この件が発覚した後の26日には、この文書には「憲法改正しましょう、家族を大切にしましょうと当たり前のことが書いてある。党の政策と反していなければ、選挙で猫の手も借りたいような議員はサインするレベルだ」との認識を示した。

 しかし、洪蘭淑著『わが父文鮮明の正体』に克明に描かれているように統一教会の家族観は、明治憲法下の日本で道徳の基本理念とされていたような女性蔑視の古い家父長制的な家族観である。また、その憲法観も第三次世界大戦は起らねばならず、その最終戦争には自分たちは生き残るとされる『原理講論』の「黙示録」観に依拠している。

 自民党が最終戦争を望む統一教会の教義に沿ったような改憲を行うことは、
かつて 日本に支配されていた近隣諸国の不安をあおり、かえって戦争を誘発することになる危険性が高いと思われ、54基もの原発がある日本を巻き込んだ極東での戦争はこれまでにない悲惨な戦争になる可能性も高い。

 しかも、細田・下村・萩生田などの自民党・安倍派の有力議員はこの問題の解明に抵抗しているように見えるが、やはり安倍派の杉田水脈や和田政宗など四議員は、統一教会の過激分派「サンクチュアリ教会」の文亨進氏の日本縦断ツアー講演に応援メッセージを送っていた。

 さらにこの問題が明らかになった後も多くの地方議員が、統一教会の政策との類似性を正当化していることもTBSの「報道特集」などの取材で浮き彫りになってきている。

 すでに見たように、統一教会の韓鶴子総裁は2018年9月23日の特別集会で「(統一教会をその国の国教とするという)責任を果たすにおいて、まずはその国の最高指導者を(……)屈伏させなければなりません」と発言していた。そのことに留意するならば、前文部科学事務次官の前川喜平氏が記しているように、「(推薦確認書に)署名するのは普通ではなく異常、当たり前ではなくあるまじきことだ」と言わねばならないだろう(東京新聞「本音のコラム」10月30日)。統一教会の解散を求めるのが筋である。→ https://chng.it/ysdNwYJr

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 追記:ネット上にはすでに統一教会の教祖の『文鮮明先生マルスム(御言)選集』 が流出していたが、これについて言及することは控えていた。ようやく『週刊現代』( 11月19・26日号)のデジタル版にも掲載された。

 記事はまず『御言選集』ついて簡単に説明した後で、1920年に日本統治時代の朝鮮半島に生まれた文氏が、1941年に早稲田高等工学校に通うため来日し、1943年に帰郷後の1944年10月に日本での抗日運動に関わっていたとして逮捕されたことを紹介している。

そして「文氏にとって、”内地”での体験は、彼を抗日運動へと走らせるようなものだったのだろう」とし、次のような発言を掲載している。

〈日本は一番の怨讐の国でした。二重橋を私の手で破壊してしまおうと思いました。裕仁天皇を私が暗殺すると決心したのです〉(『御言選集』第381巻より。原文を日本語訳したもの・大意。以下同)  

〈裕仁天皇を二重橋を越えて殺してしまおうとした地下運動のリーダーだったんです〉という趣旨の発言が『御言選集』第305巻、第306巻、352巻、402巻にも記録されていることを紹介した記事は、「文氏が実際に地下運動のリーダーだったかについては明らかになっていない」と慎重に断っている。

確かに、自分を殊更大きく見せようとする傾向の強い教祖だけに実態については調査が必要だろうが、文鮮明教祖の言葉は2015年に「世界平和統一家庭連合」と名称を変更したこの教団の危険性を明らかにしていると思える。

(画像はツイッターとアマゾンより引用、加筆と画像追加 2022年11月3日、
改訂11月19日、一箇所修正、スレッドを追加 12月2日、
2023年1月16日、小見出しの変更とツイートの追加、2023/04/12、
2023/04/21、 2023/05/06、 ツイートの追加と変更 )

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改訂新版 統一教会とは何か
狙われた羊 (講談社文庫)
わが父 文鮮明の正体
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堀田善衞とドストエフスキー
終末と救済の幻想―オウム真理教とは何か
政治と宗教

カルト教団の闇に鋭く迫る渾身の作 中村敦夫著『狙われた羊』 (講談社、2022年)

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狙われた羊 (講談社文庫) | 中村 敦夫 |本 | 通販 | Amazon


真夜中に起きた自動車事故のシーンから始まる中村敦夫著『狙われた羊』は迫力ある文体で読者を新興宗教の異様な世界へと引き込み、最後まで一気に読ませる。

 その一因は失恋してなやんでいた女学生の中道葉子が、「青年の意識調査」と称して近づき、自宅にまで訪ねてきてやさしく相談に乗っていた「野ばらの会」の小川早苗と親しくなったために次第に取り込まれていく過程が具体的に描かれていたためであろう。

 「野ばらの会」の小川早苗に誘われて「自我開発ビデオ・センター」での2泊3日の研修に行った中道葉子は2週間の中級研修を経て、集団結婚式まで3年6か月の修行に励もうと決意することになる。

 その一方で、この小説では業界紙から週刊誌のトップ屋となり、一児をもうけたが離婚して今は小さな探偵事務所を開いている少しドジな主人公の探偵・牛島三郎が、松本安吾から信者となったと思われる息子・武志の救出を依頼されたことから、事務所荒らしや無言電話などこの教団とのいざこざに巻き込まれることになる

 牛島三郎の人物造の設定は成功しており、読者は教団のことをほとんど知らなかったこの探偵の失敗などをとおして、この教団の組織や教義についても徐々に知識を深めていくことになる。

 この小説のクライマックスの場面の一つは、中道葉子が参加した中級研修の12日目の夜に上映されたドキュメンタリィ映画「大日本帝国による朝鮮半島三十八年支配」から受けた印象の記述だろう。

 それは「モノクロニュース映画の断片や、報道写真などを重ね合わせ、情緒的な音楽と感情的なナレーションで構成されていた。朝鮮民族に対する日本軍の目を覆うばかりの残虐な行為が次々と映し出された。葉子は、言葉で表現できぬほどのショックを受けた。

 「文部省教育の方針として、中学、高校の歴史学習は、近代史まで深入りしないよう指導されて」いたために、そのことを全く知らなかった「葉子同様の教育背景で育った十二人の受講生たちは、一様に心を揺さぶられ、深い罪悪感を抱かされた」のである。

 その後で「(神は救世主を)、この地球上で最も苦しく、悲惨な状況にある民族の住む場所」に派遣すると講師が説明したことで、受講生は「朝鮮民族」が選ばれた民族であると理解し、3泊4日の上級研修の最終日に団体の正式名称が「国際キリスト敬霊協会」であると告げられても、政治家や学者の著名人の協力者の名前などを挙げられて安心し、『原則講典』を贈与されてつらい修行への覚悟を固めることになる。

 問題はこの小説が書かれた3年後の1997年に従来の歴史教科書が「自虐史観」の影響を強く受けているとする「新しい歴史教科書をつくる会」が創立されると、安倍元首相が「日本の前途と新しい歴史教育を考える会」を立ち上げてこの動きを強く支援したことである。

 つまり、日本の歴史の負の側面を学校で教えないようにすることを支援した安倍氏は、歴史の真実を知った若者たちが「罪の意識」から旧統一教会に取り込まれることを、意識はしていないにせよ側面から援助していたことになる。

 しかも、今年の7月8日には安倍晋三元首相が信者の二世によって殺害されるという衝撃的な事件が起きたが、『狙われた羊』では大手出版社の系列雑誌が特集で「信者の土地を担保に金融機関から金を借りさせるHK(ハヤク・カネ)作戦」に引っ掛って、「五十億円分の土地担保を取られ、家族が訴訟を起こしている事件」も取り上げていたことも記されている。

 さらに、韓国に本部を持つこの組織が「韓国、日本、アメリカなどの政治家たちを買収し、自分たちの違法行為を見逃すよう圧力を掛けている。日本だけでも百名以上の保守系議員が援助をもらったり、無給の秘書提供や選挙運動の手助けなどを受けている」として「そうそうたるメンバーが名を連ねている」議員名簿を挙げ、「信者の中から県や市議会に議員を送り出し、政権奪取を夢想している」ともいわれていることが記されている。

 1998年9月22日法務委員会で中村敦夫氏は「教祖文鮮明の入国」や「合同結婚式」の問題だけでなく、国会議員に対する「秘書の派遣の問題」などを鋭く追及していた。

 しかし、2015年に安倍内閣が「統一教会」の「世界平和統一家庭連合」への改称を認めたことで、この「統一教会」の問題はジャーナリズムの表面からは消え、2021年に安倍晋三元首相がその総裁への賛辞のビデオ・メッセージを送っていたのである。

 『狙われた羊』の後半では、マインド・コントロールによって自主的な思考ができなくなり、教会の教えのままに行動するようになった息子や娘をなんとか取り戻そうとする家族の壮絶な戦いが描かれるとともに、この教団の教祖の歴史も調べることで、なぜこの教団では不可思議な「集団結婚式」が行われるようになった理由も解明されている。

 この作品の「あとがき」で中村氏は、「この書が目指すところは、マインド・コントロールの意図的悪用が、人間の思考や人格を改造し、社会的犯罪を作り出すというメカニズムを、物語によって図解することである」と書いている。

この小説は政治と宗教との関係に揺れる今こそ、多くの読者やことに若者に読まれるべき作品だと思う。(10月14日改訂、2023年2月2日改題)

中村敦夫氏と裁判

統一教会問題の報道を続けていた筑紫哲也氏

中村敦夫氏のライフワーク、朗読劇「線量計が鳴る」より

(2023/5/29、改題してツイートを追加、2024/05/06、加筆)

「『文明の衝突』とドストエフスキー」を「主な研究」に掲載

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 拙著『ロシアの近代化と若きドストエフスキー ――「祖国戦争」からクリミア戦争へ』(成文社、2007年)では、「正教・専制・国民性」の理念が唱えられ、検閲が厳しかったニコライ一世の時期に デビューしたドストエフスキーの 『貧しき人々』から『『白夜』』に至るまでの作品を考察した。

 その終章「日本の近代化とドストエフスキーの受容」では、ニコライ一世の頃と昭和初期の類似性にも言及したが、グローバリゼーションの圧力が強まる中でナショナリズムが高揚して戦争が勃発する危険性があることを感じた。それゆえ
2008年1月26日に代々木区民会館で行われた第184回例会では、ダニレフスキーの歴史観が『作家の日記』に及ぼした影響などを考察した論考「『文明の衝突』とドストエフスキー ポベドノースツェフとの関りを中心に」を発表した。

 その後もプーチンが帝政ロシア的な政策に傾いていくことに強い危惧の念を抱いていたが、生誕200年にドストエフスキーを「天才」と賛美した翌年の2月についにウクライナへの全面的な侵攻に踏み切った。その行動に際しては『作家の日記』の記述を意図的に今回の戦争に利用していると感じたが、例会発表の際の論考が『ドストエーフスキイ広場』以外には未発表だった。それゆえ、この論文をホームページの「主な研究」に再掲する。論文の構成は次の各節からなる。

 一、ポベドノースツェフと「臣民の道徳」 二、後期作品への扉としての『白夜』 三、「正義の戦争」の批判から賛美へ――クリミア戦争の考察と露土戦争 四、残された謎――『カラマーゾフの兄弟』におけるイワンの悪魔の形象 五、ドストエフスキーのユダヤ人観とポベドノースツェフの宗教観 六、皇帝暗殺の「謎」とアジアへの進出政策

→「文明の衝突」とドストエフスキー ――ポベドノースツェフとの関わりを中心に

 なお、例会発表の後では出版記念会を開いて頂き、木下代表など参加頂いた会員の方からは温かいご祝辞や貴重なご示唆を頂いた。そのことに改めて謝意を表するとともに、拙著『ロシアの近代化と若きドストエフスキー』の終章「日本の近代化とドストエフスキーの受容」で堀田善衞の『若き日の詩人たちの肖像』二言及していたことが、『堀田善衞とドストエフスキー 大審問官の現代性』(群像社、2021年)につながったことも記しておきたい 。

       (2022年12月2日、構成などを加筆、拙著のスレッドを追加)

平山令二氏 『堀田善衞とドストエフスキー 一大審問官の現代性-』を読む

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はじめに

群像社から2021年10月に発行した拙著の書評が掲載された『世界文学』№135が届きました。

 評者の平山令二氏(中央大学法学部名誉教授)は、ドイツ文学の研究者で近著に『ユダヤ人を救ったドイツ人―「静かな英雄たち」』(鴎出版、2021年)があります。

 ドストエフスキー文学や堀田善衞作品にも造詣が深い評者は、拙著の全体像を正確に紹介したあとで、「(本書の発行が)本年2月に突然始まったロシア軍のウクライナ侵略以前」にもかかわらず「重要な問題点の提起が見られる」とし、プーチンによるウクライナ侵攻と満州事変以降の日本との比較も戦争とプロパガンダという視点から試みています。

 拙著ではこの問題を扱うことができなかったのを残念に感じていたので、評者にはこの場を借りて感謝の意を表します。著者と編集委員会からの了解を得ましたので、一つの誤植を訂正したうえで、以下に書評の全文を転載します。

『堀田善衞とドストエフスキー 一大審問官の現代性-』を読む

 昨年2021年はドストエフスキー生誕200周年にあたる。本書はそれを記念して出版された比較文学の研究書である。ところで堀田善衞とドストエフスキーという取り合わせを見て、意外に思う人と当然と思う人に分かれるのではなかろうか。私は前者だった。

 ドストエフスキーの日本の戦後派作家への影響を考えると、すぐに思い浮かぶのは埴谷雄高、椎名麟三、武田泰淳、野間宏といった第一次戦後派の面々であろう。革命運動、弾圧、転向という彼らの体験はドストエフスキーへの強い関心につながる。彼らの下の世代にあたる堀田善衞はいかなる抵抗も不可能に見える時代に青春期を送った。世代経験が違うのである。また、堀田の晩年の大作は『ゴヤ』であり、モンテーニュについても書いている。多彩な才能を発揮した堀田であるが、ドストエフスキーとの関わりが仕事の中心にあるとは思えない。

 しかしながら、本書は堀田の仕事の最初から最後まで、ドストエフスキーが一貫して重要な刺激を与えたことを明らかにしている。本書により、堀田の仕事に対するドストエフスキーの影響の全体像が初めて明らかになり、あらたな視角から堀田文学の全体像も同時に明らかにされた。

 本書は全7章からなり、序章と終章を除く5つの章は、堀田の作品とドストエフスキーの作品を具体的に対照させて、そこに共通する両作家の問題意識や手法を論じている。

 冒頭に置かれた「はじめに 堀田善衞のドストエフスキー観」は、本書全体を貫く構想を明らかにしている。堀田は1918年に富山県伏木町の北前船の廻船問屋に生まれている。首都から離れた地方の小さな町というイメージがあるが、日本海を通じて日本各地、さらには世界にもつながる開かれた風土であった。堀田文学の日本にとどまらない世界へ開かれた開放性は、このような育ちに関係するだろう。

 堀田が中学に入学した年には、満州事変が勃発して重苦しい日々となった。受験のために上京した1936年には2.26事件が起きた。昭和初期の暗い時代に堀田が没頭したのがドストエフスキーの作品群であった。堀田はラジオから流れてきたゲッベルスのドイツ語による野蛮な演説を聞いて、政治学科からフランス文学科に転入を決意し、卒業論文では、『白痴』のムイシュキンとランボーの比較を取り上げる。

 堀田のドストエフスキー観は終戦間際の2つの体験によりきわめて現代的な深まりを示す。3月10日の東京大空襲を体験してから24日の上海出発までの短期間、集中的に『方丈記』を読み、鴨長明の記述する京の大火災が東京大空襲につながるものであることに気づいた。その後、上海で堀田は、広島、長崎への原爆投下のニュースを知り、『ヨハネの黙示録』の終末論的なビジョンとの暗合に震える思いがした。

 堀田が上海で知り合った武田泰淳は帰国後、中国で犯した殺人の罪と向き合うために現地に残る兵士を主人公とした『罪と罰』を思わせる短編『審判』を書いた。武田の問題意識は、中国の知識人の視点から南京虐殺を描いた堀田の長編小説『時間』につながっている。

 長編小説『零から数えて』と長編小説『審判』では、アメリカ人の原爆投下機のパイロットの苦悩を通して「黙示録」的な規模の悲劇が描写され、核戦争の勃発が全人類の滅亡につながる恐怖が示されている。『審判』はドストエフスキーの『白痴』の鋭い心理分析や複雑な人間関係を研究した上で描かれている。『審判』が発表された1963年のアンケートへの回答で、「現代のあらゆるものは、萌芽としてドストエフスキーにある。たとえば、原子爆弾は現代の大審間宮であるかもしれない」と堀田は書いている。晩年の大著『ゴヤ』で、堀田は国民軍が動員されたナポレオン戦争や「スペイン戦争における異端審問」の問題を文明論的な視点から深く考察している。

 本書の出版は2021年10月なので、当然ながら本年2月に突然始まったロシア軍のウクライナ侵略以前である。しかしながら、本書にはウクライナ侵略にも関係する重要な問題点の提起が見られる。本書は、単に堀田善衞とドストエフスキーを比較文学的視点から考察しただけの研究書ではない。思想弾圧、民族差別、プロパガンダ、核戦争といった現在の課題に直結する問題を扱っている。すなわち、堀田やドストエフスキーを偉大な古典と解釈して終わるのではなく、彼らの作品が今も生命力を持っていて、現在の難問に対する回答、少なくとも対処の視角を示しているという問題提起を行っている。したがって、本書にウクライナ侵略を考える視角も現れ、しかもそれが日本の今と無縁でないことがわかるのである。

 そこでこれからは、ウクライナ侵略という蛮行、悲劇を踏まえて、戦争とプロパガンダの問題に焦点を当て本書の視角を検証してみたい。

 ウクライナ侵略は、20年以上にわたり独裁体制を着々と構築してきたプーチンが最後に到達した恣意的な強権支配の「総決算」である。なぜ、21世紀にもなって、それこそ封建時代の王たちが恣意的に戦争を始めたように、このような不法な侵略が行われるのか。しかもプーチンが行ったクリミア略奪などの局地戦争の形ではなく、ウクライナという国家全体を纂奪するという全面戦争である。

 その秘密はプーチンが国家情報機関KGB出身であったことにある。プーチンは情報をつかむものが冷戦、そして熱い戦争にも勝利すると体験して、国内での権力維持にも情報の一元的支配の重要性を感じたのである。今回、プーチンはロシア国内で完全な情報統制を行い、国民に「戦争」ではなく「特別軍事作戦」を行っているだけだとプロパガンダをしている。これに反旗を翻したのが国営テレビのオフシャンニコワさんである。プーチンの手法はゲッベルスのナチス宣伝省、さらには「戦争」の代わりに「事変」を多用した軍国日本の情報統制につながる。

 このような偽情報に毎日、毎時間さらされることで国民は支配者の言い分を真に受けるようになる。そのひとりの例が『若き日の詩人たちの肖像』に登場する「アリョーシャ」という仇名の若者である。ドストエフスキーと太宰治を信奉する文学青年である「アリョーシャ」は日本軍の敗色が濃厚になるにつれ、プロパガンダに全身染められて、ついには「キリストが天皇陛下なんだ。つまり天皇陛下がキリストをも含んでいるんだ」とまで言い始める。

 国家プロパガンダの影響を受けやすいのは純真な青年層のように思えるが、他方、知識と経験のある知識人にも、プロパガンダに影響を受け、自らもプロパガンダを発信するハブのような役割を果たす人物がいる。本書では、プロパガンダに一貫して批判的な若き堀田と対照的な人物として、小林秀雄が取り上げられている。

 小林の戦時中の自らの言動に対する発言として知られるのは、1946年の「近代文学」誌における座談会「小林秀雄を囲んで」であり、戦時中の言動を批判された際、小林は「自分は黙って事変に処した、利口なやつはたんと後悔すればいい」と語ったとされる。戦争犯罪に加担したという批判に、このように「毅然とした反論」をしたことで、小林は戦後の批評の世界で教祖的な地位を占め、「大学の入試問題」にも頻出するようになった。しかし、座談会に出席していた埴谷雄高は小林の「発言」はあとで付け加えたものであると証言している。また、小林の弟子筋の大岡昇平は、小林は「黙って事変に処してはいない」と皮肉っている。小林はこのように自らの戦中の言動を巧妙に隠蔽し、戦後批評における地位を確保した。プロパガンダのハブとしての役割を見事に隠しおおせたのである。

 小林は、真珠湾攻撃の航空写真から受けた印象を当時のエッセイ「戦争と平和」で書いている。「空は美しく晴れ、眼の下には広々と海が輝いていた。漁船が行く、藍色の海の面に白い水脈を曳いて。さうだ、漁船の代わりに魚雷が走れば、あれは雷跡だ、といふ事になるのだ。海水は同じ様に運動し、同じ様に美しく見えるであろう。」真珠湾攻撃も空から俯瞰すると戦場の阿鼻叫喚は消えて、美的な光景しか残らない。これに対して、堀田の『若き日の詩人たちの肖像』では、特攻潜航艇での真珠湾特別攻撃で海の藻屑と消えた兵士たちについて、「親御さんたちゃ、切ないぞいね」と同情するお婆さんの言葉が語られる。人間の視点からの発言である。小林秀雄は『我が闘争』に関して「彼(ヒトラー)は、彼のいわゆる主観的に考える能力のどん底まで行く。そしてそこに、具体的な問題に関しては決して誤たぬ本能とも言うべき直覚をしっかり掴んでいる」と書いている。小林の逆説とレトリックに満ちた言説は、ヒトラーの犯罪を薄める役割をする。しかも、この文章もあとで抹消してしまう巧妙さである。

 南京虐殺を中国人知識人の目で描いた『時間』では、知識人は日本をこう批判する。「彼等は(中略)孤独に堪えずして他国に押し込み、押し込むことによって孤立する。(中略)全世界の征服と、全世界からの逃亡とは、彼等にとって同義語ではなかろうか。孤立、破滅、そこに一種の美観にも似たものがあるらしい、それがわたしにはわかる。」また、柳条溝鉄路爆破事件について知り合いの日本軍大尉の認識を批判する。「驚くべきことに、彼はあの事件が日軍が自ら手を下して爆破したものであることを知らない。中国軍がやったのだ、と思い込んでいる。日本人以外の、全世界の人々が知っていることを、彼は知らない。」この「彼」に、戦争ではない「特別軍事作戦」だというプーチンのプロパガンダを信じるロシアの兵士や市民も重なるだろう。彼らにとっては、世界中がウクライナ侵略でロシアを批判して孤立したとしても、それはむしろプーチンの正しさの証明であり、世界が欧米のプロパガンダに汚染されている証拠と解釈されてしまう。

 願わくば、この書評が掲載される時期までにウクライナの人々に平和が訪れ、ロシアの人々がプーチンのプロパガンダの呪縛から解放されますように。本書もそのような願いを目覚めさせる強い働きをしている。

               (『世界文学』№135、115~117頁)