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「森友学園」問題と「教育勅語」の危険性――『夜明け前』論にむけて(1)

安倍首相夫人の挨拶(写真はネット情報より)

「東京新聞」の「こちら特報部」は、2月21日の記事でHPに掲載された安倍夫人の挨拶や、手紙、寄付の払い込み取扱書などの写真を掲載するとともに、「幼稚園では『教育勅語』 差別問題も」「保護者『軍国』じみている」などの見出しで「森友学園」への【国有地払い下げ】問題を特集していました。

2月26日の朝刊でも、「『親学』こそ源流」との見出しで、「親学推進議員連盟」の初代会長を務めた安倍首相により、「戦時家庭教育指導要綱」と似ている「家庭教育支援法案」が党内の了承手続きを終えたことの危険性が「森友学園」問題との関連で指摘されていました。

そして、今日(2月28日)の「こちら特報部」(25面)では、「否定された軍国主義の要」である『教育勅語』を教育の中心に据えようとする「森友学園」の問題を特集し、安倍首相夫人が2015年5月の講演で、「教育方針は大変主人も素晴らしいと思っている」と褒め称えていたことなどを紹介するととともに、憲法学者・小林節氏の「公教育では『違憲』認可論外」との見解を紹介していました。

「森友学園」問題と「教育勅語」の問題を分析したこの記事は、戦前の日本における教育現場を分かり易く視覚的に再現したような「森友学園」問題の根幹に迫っていると思えます。

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この記事は「森友学園」が計画する小学校では、「教育勅語素読・解釈による日本人精神の育成」を目的としているが、このような教育方針は戦前の価値観の復活をめざす「日本会議」の方針とまったく重なっていると言えよう。

なぜならば、島薗進氏が指摘しているように、「教育勅語」では「父母への孝行、夫婦の和、博愛、義勇奉公など十二の項目が列挙されて」おり、「儒教の徳目に対応するような、ある程度の普遍性をもつ道徳規範」も記されているが、「始まりと終わりの部分で天皇と臣民の間の紐帯、その神的な由来、また臣民の側の神聖な義務について」述べられているという構造を持っているからである(『国家神道と日本人』岩波新書)。

教育勅語

(図版は「ウィキペディア」より、クリックで拡大できます)

「教育勅語」では、臣民の忠孝が「国体の精華」とたたえられているが、「国体」という概念は、「神武創業ノ始」からあるものではなく、「会沢正志斎が『新論』の第一部に「国体」という篇名をつけ、日本の政体のあるべき姿」を論じたことに由来していた(小島毅『増補靖国史観』ちくま学芸文庫、38頁)。

靖国史観(図版は紀伊國屋書店より)

しかも、『新論』が刊行された翌年の一八五七年に朝廷から「攘夷を進めるようにとの密勅が水戸藩に降った」ことから、「国体」という概念は幕末の「尊王攘夷」のイデオロギーとの強い結びつきも持つようになり、「神の意を奉じる天皇の軍隊」が行う戦争は、「聖戦」と位置づけられるようになったのである(同書、65~67頁)。

『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』の紹介を『出版ニュース』2月下旬号より転載

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『出版ニュース』2月下旬号に拙著の紹介が掲載されましたので、HP用に改行したうえで転載します。

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初代の『ゴジラ』(1954年)は冷戦下の核をめぐる〈文明論的な課題を直視した映画〉であった。

本書は『ゴジラ』を起点に、黒澤明、宮崎駿、司馬遼太郎を論じ、小説・映画がヒットした『永遠の0』に込められた戦争観、歴史観の問題を掘り下げる。

第一部は『ゴジラ』から『シン・ゴジラ』に至る国産のSF怪獣映画に流れる思想を検証。

第二部は、『永遠の0』の構造をナショナリズムの危うさと報復の連鎖として位置付ける。

第三部は黒澤の『夢』『七人の侍』、宮崎の『風の谷のナウシカ』『風立ちぬ』に通底する理念を引き引き出す。

作品・作家論から戦後精神の行方をトータルに捉えた批評集。

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(『出版ニュース』 2017年2月下旬号「ブックガイド」より)

→ http://www.snews.net/news/1702c.html

〈司馬遼太郎の「神国思想」の批判と憲法観〉の項目に〈坂本竜馬の「船中八策」と独裁政体の批判〉を追加

ISBN978-4-903174-23-5_xl(←画像をクリックで拡大できます)

靖国神社には坂本龍馬が「英霊」として祀られているだけでなく、戦争の歴史や武器・兵器を展示している「遊就館」にも大きく龍馬の写真が展示されています。

そのために「神国思想」の危険性の鋭い分析をした小島毅氏も、「龍馬がここまでのし上がってきたのは、司馬遼太郎の小説のおかげであろう」と書き、さらに「これは別段『靖国史観』とわざわざ言うまでもなく、司馬遼太郎のような明治維新礼賛派の歴史小説家が好んで描く図式」であると断言して、長編小説『竜馬がゆく』の歴史観も「靖国史観」の亜流であるかのような記述をしています(『増補 靖国史観』ちくま学芸文庫、103~109頁)。

それゆえ、そのような誤解を解くために坂本竜馬の「船中八策」と独裁政体の批判〉と題した下記の短い引用を〈司馬遼太郎の「神国思想」の批判と憲法観〉の項目に追加しました。

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3,坂本竜馬の「船中八策」と独裁政体の批判

坂本竜馬が「船中八策」で記した「上下議政局を設け、議員を置きて、万機を参賛(さんたん)せしめ、万機よろしく公議に決すべき事」という「第二策」を、「新日本を民主政体(デモクラシー)にすることを断乎として規定したものといっていい」と位置づけるとともに、「他の討幕への奔走家たちに、革命後の明確な新日本像があったとはおもえない」と書いた司馬は、「余談ながら維新政府はなお革命直後の独裁政体のままつづき、明治二十三年になってようやく貴族院、衆議院より成る帝国議会が開院されている」と続けていた。

司馬遼太郎の「神国思想」批判と憲法観

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《ただ、竜馬はこのような広い視野を偶然に得たわけではなかった。すなわち、高知の蘭学塾でのオランダ憲法との出会いに注意を促しながら司馬は、「勝を知ったあと、外国の憲法というものにひどく興味をもった」竜馬が、「上院下院の議会制度」に魅了されて「これ以外にはない」と思ったと説明している。

つまり、「流血革命主義」によって徳川幕府を打倒しても、それに代わって「薩長連立幕府」ができたのでは、「なんのために多年、諸国諸藩の士が流血してきた」のかがわからなくなってしまうと考えた竜馬は、それに代わる仕組みとして、武力ではなく討論と民衆の支持によって代議士が選ばれる議会制度を打ち立てようとしていたのである。》

『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと』、人文書館、2009年、325頁)。

 

オーウェルの『1984年』で『カエルの楽園』を読み解く――「特定秘密保護法」と監視社会の危険性

はじめに

「安全保障関連法案」を閣議で決定した頃から安倍首相の独裁的な手法が目立ってきたが、最近はことにその傾向が強まっているので、ジョージ・オーウェルの『1984年』で『カエルの王国』を読み解くことにより、安倍政権の中核をなしている「日本会議」のイデオロギーの危険性に注意を向ける下記の書評を書いた。

一方、札幌学院大学教授の川原茂雄氏は以下のようなツイートで『1984年』の「ニュースピーク」と安倍政権の用語の類似性を次の図版で具体的に示している。

ニュースピーク(← 画像をクリックで拡大できます)

「戦争は平和である」「自由は隷従である」「無知は力である」これはジョージ・オーウェルが『1984年』で描いた独裁国家の「ニュースピーク」です。いまこの本がアメリカでベストセラーになっているそうですが、すでに日本では、このような「ニュースピーク」は現実になっています。(川原茂雄@skawahara1217

この言葉は安倍政権の危険性を分かり易く説明していると思えるが、このような現実を見えにくくしているのがノンフィクションと謳った『殉愛』や安倍首相との共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』の著書がある百田尚樹氏の作品だと私は考えている。

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反戦小説と謳いつつ、戦前の価値観を賛美していた『永遠の0(ゼロ)』の作者による『カエルの王国』については、気にはなりつつもそのままになっていた。

しかし「全国民必読。圧巻の最新長編」と帯で謳われ、「20万部突破!!」という大きな文字とともに、「これほどの手応えは『永遠の0』、『海賊とよばれた男』以来、これは私の最高傑作だ」という著者の言葉が記されているのを見て、やはり『永遠の0(ゼロ)』論を書いた以上は読む責任があるだろうと考えるにいたった。

読み始めてみると、洞穴に住んで「年中、他のカエルの悪口やら、滅茶苦茶なでたらめを言いまくっている」ハンドレッドという名前のカエルの言動などが面白おかしく描かれており、三章からなるこの小説を一気に読み終えてしまった。

『カエルの楽園』はノンフィクションと謳われた『殉愛』よりもはるかに深く、安倍政権の閣僚や「日本会議」の論客たちから強く支持されている作者の思想の本質を示しているように見える。

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まず、「リテラ」(2017年1月26日)に掲載された宮島みつや氏の記述を引用することによって、『カエルの楽園』の粗筋を見ておこう。

物語は国を追われた2匹のアマガエルが、「ナパージュ」という国にたどりつくところから始まる。このナパージュに住むのはツチガエル。このツチガエルたちは「一.カエルを信じろ。二.カエルと争うな。三.争うための力を持つな」という「三戒」を守り、何を謝っているのかわからないまま、「謝りソング」というものを歌っていつも謝っている。

一方、ナパージュの崖の下には「気持ちの悪い沼」があり、そこには「あらゆるカエルを飲みこむ巨大で凶悪な」ウシガエルが住んでいて、ナパージュの土地を自分たちの土地だと言い張り、侵略しようと虎視眈々と狙っているのだが、ナパージュのカエルたちは「三戒」のおかげで平和が守られていると信じている。

聡明で真実を語る存在として、安倍首相と思しきプロメテウスなるカエルや、百田自身のことらしいハンドレッドなるカエルが登場して、「三戒」破棄を主張する。

ところが、長老のデイブレイク(どう考えても朝日新聞のことだろう)に影響を受けたツチガエルたちは、これを拒否。その結果、ウシガエル(中国人)によるツチガエル(日本人)の大殺戮がおき、あっという間に国中をウシガエルに占拠され、ナパージュ(日本)は滅亡してしまう。オシマイ。

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このように簡単に粗筋を紹介した宮島氏は、「なんのひねりもないのでもうおわかりだと思うがナパージュは日本、ツチガエルは日本人。でもって、三戒は憲法9条、謝りソングは自虐史観で、凶悪なウシガエルは中国」であると指摘している。

そして、「三戒」の重要性を説く長老のデイブレイクは、「どう考えても朝日新聞のことだろう」とし、ようするに『カエルの楽園』は、「日本の過去の戦争を肯定し、憲法9条改正を扇動する極右プロパガンダ小説なのである」と結んでいる。

ただ、問題は〈G・オーウェル以来の寓話的「警世の書」〉と謳われているこの小説を買って読む読者が日本には、20万人以上もいるという現実である。

一方、米紙ニューヨーク・タイムズによると、「批判的なメディアなどを敵視するトランプ政権の発足した」20日以降の、G・オーウェル著『1984年』の「売り上げは9500%増に。出版社は既に7万5千部を増刷したが、追加発注も検討している」という事態が起き、日本でもかなり売れているとのことである。

(書影はアマゾンより) → https://t.co/v823uBPxCI

このような現象には『1984年』に描かれていたような監視社会が、技術力の進歩によって可能になったことへの危機感が如実に現れていると思われる。

すなわち、ソ連社会を風刺的に描いたとも評されてきたこの小説は、一時は「反共主義のバイブル」とも見なされたが、オーウェル自身が語っていたようにここで彼が批判しているのはソ連型の社会だけでなく、「新言語を強制し、歴史を改ざんし国民の論理的な思考を封じる」全体主義的な国家なのである。

しかも、この小説では三つの超大国――オセアニア、ユーラシア、イースタニア――が互いに争いつつ世界を支配しているが、舞台となっている超大国オセアニアの主流となっている哲学は「イングソック」で、ソ連型の国家が支配するユーラシアでは「ネオ・ボリシェヴィズム」であり、イースタニアでは「死の崇拝」あるいは、「個性の滅却」と訳すことができる哲学が主流となっている。

解説者ピンチョンの説明によれば、イースタニアとは戦前の日本型の国家をモデルとしていたのである(ジョージ・オーウェル、高橋和久訳『1984年』早川書房)。

学徒出陣

出陣学徒壮行会(1943年10月21日、出典は「ウィキペディア」)

→『若き日の詩人たちの肖像』における「耽美的パトリオティズム」の批判(2)――「海ゆかば」の精神と主人公

『若き日の詩人たちの肖像』における「耽美的パトリオティズム」の批判(5)――『方丈記』の再発見と「死の美学」の克服

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前著『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』(のべる出版企画、2016年)では、言論人・徳富蘇峰や作家・司馬遼太郎の歴史観に注目しながら、『永遠の0(ゼロ)』の構造や登場人物たちの発言を文学論的な手法で詳しく分析することにより、大ヒットしたこの小説が戦前の価値観への回帰を目指す「日本会議」のプロパガンダ小説ともいえるような性質を持っていることを明らかにした。

それゆえ、ここではオーウェルの『1984年』の批判精神を活かして、『カエルの楽園』を「イソップの言葉」で書かれた小説として読み解いてみることにする。

すると、「カエルを信じろ。二.カエルと争うな。三.争うための力を持つな」という「カエルの楽園」の「三戒」は、占領という実態を隠した「王道楽土」、「五族協和」、「八紘一宇」の三つのスローガンを暗示しているように思える。

つまり、ナバージュとはそれらの理想的なスローガンを掲げて建国された満州国であり、ツチガエルは夢を抱いて満州国に渡りながら、戦争末期には棄てられた移住民たちを指していたのである。

何を根拠にしているのかわからないまま、ツチガエルたちがいつも歌わされていた「勝利のソング」は、「無敵皇軍」を主張した軍歌と読むことができるだろう。

さらに、ウシガエルとされたのは二束三文で先祖伝来の土地を手放すことを強要されて「怨念」を抱いたその土地の人々であり、「聡明で真実を語る」プロメテウスやハンドレッドなるカエルは、治安維持法によって殺された『蟹工船』の小林多喜二や、「創価教育学会」の牧口常三郎などとなるだろう。

一方、長老のデイブレイクは大正の若者に「白蟻の勇気」をもつことを強要した思想家・徳富蘇峰に置き換えることができると思える。第一次世界大戦中の1916年に発行された『大正の青年と帝国の前途』において「忠君愛国の精神」の重要性を説き、「白蟻」のように勇敢に死ぬことを求めていた『国民新聞』の徳富蘇峰は、大日本言論報国会の会長として軍部の言論統制にも協力し、沖縄戦や広島・長崎の悲劇のあともあくまで戦争の続行を求めていた。

こうして、作者が揶揄していると思われる単語の代わりに別な単語を挿入するだけで、「死の崇拝」あるいは「個性の滅却」と訳される哲学が主流となっていたイースタニアと、満州国の建設に関わった岸信介元総理や「徹底した人命軽視の思想」で戦争を遂行していた戦前の旧日本軍の思想がきわめて似ていることがわかる。

しかも、『1984年』で繰り返して示されるオセアニアの三つのスローガン、「戦争は平和なり」、「自由は隷従なり」、「無知は力なり」は、ナチス・ドイツの哲学をもじったものであるが、最初の「戦争は平和なり」というスローガンは、「特定秘密保護法」を強行採決した安倍政権が掲げる「積極的平和主義」に対する痛烈な批判となり得ているように思える。

つまり、「イソップの言葉」で書かれた小説として読み直すとき『カエルの楽園』は、「現人神」と「祭政一致」という「国体」を守るためにすべての国民が生命を投げ出して戦うことが求められていた戦前の「白蟻の楽園」の実態を鋭く暴くとともに、「安倍政権」が行おうとしている「改憲」の危険性を見事に示していると言えるだろう。

『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』における「憎悪表現」

菅野完著『日本会議の研究』と百田尚樹著『殉愛』と『永遠の0(ゼロ)』

(2017年2月11日、副題を追加。2月13日、4月5日、6月3日加筆、2019年6月21日、ツイートとリンク先を追加、2024/05/09、ツイートを追加)。

トップページの〈目次〉の項目を「国民の安全と経済の活性化のために脱原発を」と改題

2月3日には福島第一原子力発電所第二号機を調べたところ、内部の空間放射線量が数十秒の被ばくで人が死亡するレベルの530シーベルトに上るばかりでなく、 足場に大穴があり、作業がささらに難しくなったことが報道されました。

しかし、9日には新たに射線量が毎時650シーベルトと推定されたと発表され、足場の問題だけでなく、あまりにも射線量が多すぎるためにロボットでさえも、しばらくすると作業ができなくなることも判明しました。

今、テレビは東京都の豊洲問題を大々的に報じていますが、はるかに重大なのは福島第一原子力発電所事故の問題だと思われます。

それゆえ、トップページの目次の「黒澤明監督と本多猪四郎監督の核エネルギー観」を副題とし、上記の表記に改題します。

国民の安全と経済の活性化のためにも、原発を過去のエネルギーに。

本日(2月3日)の「東京新聞」の朝刊は「廃炉費用 いつのまにか高くつく」と題した社説で「クリーンで安全で安い」と自公政権が宣伝してきた原発の問題を鋭く指摘しています。

それゆえ、ここではこれまでツイッターに書いてきた私の見解と、映画をとおして原水爆や原発の危険性を指摘していた「黒澤明監督本多猪四郎監督の核エネルギー観」へのリンク先を示した後で、「東京新聞」社説を全文転載します。

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〔大手電力会社の広告宣伝は42年間で2兆4000億円にも及び、政府広報予算も含めれば数倍にも膨れあがる(本間龍『原発プロパガンダ』)。国民の安全と経済の活性化だけでなく、国際社会のためにも原発は過去のエネルギーとすべきだろう。〕

→ https://twitter.com/stakaha5/status/770972800915939328

〔アメリカの科学誌『原子力科学者会報』は、日本国憲法が発布された1947年には世界終末時計を発表して、その時刻がすでに終末の七分前であることに注意を促していた。しかし、2015年にはその時刻がテロや原発事故の危険性から1949年と同じ「残り三分」に戻ったと発表した。(図版は「ウィキペディア」より)〕。

リンク→ https://twitter.com/stakaha5/status/807404018741821440

〔ドイツでは、「事故が起きると、ほかのどんなエネルギー源よりも危険である。次の世代に廃棄物処理などを残すのは倫理的問題がある。原子力より安全なエネルギー源がある」との理由で脱原発に既に踏み切っている。〕

→ https://twitter.com/stakaha5/status/803603174812577793

〔地震国でありながら国民の生命と安全とを危険にさらす原発の稼働を進め、原発の輸出を「成長戦略」の柱とする安倍政権の「異常性」については、「原発プロパガンダ」に負けないためにも、新聞などだけではなく一人一人が粘り強く指摘し続けていく必要があります。〕

→ https://twitter.com/stakaha5/status/801263299857764352

〔台湾の政府も「脱原発」に踏み切った。原発の危険性と直面している県とその周辺だけでなく、大阪や東京など大都市の住民も、原爆や経済の問題を隠蔽している安倍政権の実態にそろそろ目覚めるべき時だろう。〕

→ https://twitter.com/stakaha5/status/790341230563434496

国民の安全と経済の活性化のために脱原発を――黒澤明監督と本多猪四郎監督の核エネルギー観

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「廃炉費用 いつのまにか高くつく」(「東京新聞」社説)

福島第一原発の天文学的事故処理費用、「過去に原発の恩恵を受けてきたから」と、結局は国民に広くツケ回し。過去に支払い済みの料金を値上げして、差額を徴収するなんて。そんなの、ありか。

東京電力福島第一原発の事故処理費。二十一兆五千億円。東京都の予算の三倍以上、とんでもない数字である。二〇一三年の暮れまでは十一兆円と見積もられていたが、二倍近くに増えた。

溶け落ちた核燃料(デブリ)の取り出しだけでプラス六兆円という。

何しろ放射能の壁の中、人が直接触れられない、近づくことも不可能な別世界。とてつもなく困難な作業ということである。

東電は今月、2号機直下にロボットを投入し、溶け落ちた燃料の在りかを探る。事故から六年になろうとする今も、“敵”の居場所さえ、はっきりとはつかめていない。長い時間と巨額の費用をかけて、牛歩を続けていくしかない。この先いくらかかるか分からない、天井知らずということだ。

その費用は、誰が払うのか。

東電が賄うならば、電気代、政府が肩代わりするなら税金-。結局は、消費者、国民に、ツケが回るということだ。

賠償費用も約八兆円。経済産業省の考えるツケ回しの手法は、あまりにも理不尽だ。

託送料金。すなわち、電力自由化後も既存大手の独占状態にある送電線の利用料を引き上げて、原発の電気を買わない新電力の利用者からも、「過去分」として、広く、浅く、取り立てようというのである。「新電力の利用者も、過去に原発の恩恵にあずかったから-」と、よく分からない理由をつけて、東電救済にひた走る。しかもそれが、われわれの知らないところで決められる。

政府は避難指示を徐々に解除し、賠償を順次打ち切る方針だ。

被害者の救済には原因企業の存続が不可欠と言いながら、事故原因の究明、被害の実態把握はそこそこに、補償費の抑制をひたすら急ぐ-。水俣事件とそっくりだ。

安全対策に限りはない。欧米や台湾で原発の新設が行き詰まるのは、福島に学んだからだ。“安全代”の急騰が、東芝という巨大企業の屋台骨さえ、揺るがしているではないか。

もちろん、被害者の補償を含め、事故の後始末には十分な予算をつぎ込むべきである。しかし、だからこそ、「原発の電気は安い」などとは言わせない。

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トップページを改訂し、〈目次〉と〈司馬遼太郎の「神国思想」批判と憲法観〉の頁などを追加

トップページの構造が複雑になりましたので、新たに〈目次〉と〈司馬遼太郎の「神国思想」批判と憲法観〉、および〈黒澤明監督と本多猪四郎監督の核エネルギー観〉のページを追加しました。

目次

司馬遼太郎の「神国思想」批判と憲法観

国民の安全と経済の活性化のために脱原発を

安倍首相は伊勢神宮への参拝の後で、「国民の皆さまとともに、新しい国づくりを本格的に始動してまいります」と発言しましたが、「改憲」を目指すことを明言した安倍首相の意向にそって、今年も憲法改正署名簿が、多くの人々が初詣に訪れる各地の神社に置かれているようです(太字は引用者、憲法改正署名簿の写真はKei氏の2015年12月30日のツイッターを参照)

しかも、安倍首相とともに訪れた真珠湾で平和のメッセージを発していた稲田防衛相は帰国して靖国神社を参拝した後では「神武天皇の偉業に立ち戻り」と語っていました。

すなわち、彼らが重視しているのは「国民の意見」ではなく、戦前の価値観への回帰を目指している「日本会議」や「神社本庁」の意向であるのは明白であると思えます。

それゆえ、『マクベス』の名台詞(セリフ)――「きれいはきたない、きたないはきれい」をもじってツイッターには次のように記しました。「戦争法」を強行採決したばかりでなく危険な原発の再稼働を進め、神社で改憲の署名を集めている「安倍政権」と「日本会議」の「標語」の実態は、「美しいはあやしい、新しいは古い」、危険なものであると考えています。

実際、「戦争は人間の霊魂進化にとって最高の宗教的行事」という『生命の実相』の記述を「ずっと生き方の根本に置いてきた」と語っていた稲田朋美氏を防衛大臣に任命した安倍自公政権は、「戦争法」に続いてオリンピックを名目として、「共謀罪」なども視野に入れて動き始めています。

安倍自民党だけでなく公明党もこの「共謀罪」を強くは批判していないようですが、創価学会はかつて治安維持法によって徹底的に弾圧された歴史を持っています。さらに安倍政権が明治維新150周年に向けて「明治維新の映画支援検討」との報道も伝えられていますが、「神武天皇の偉業に立ち戻る」ために明治維新の際して行われたのは「廃仏毀釈」の運動で、大切な仏像などが破壊されたのです。

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(破壊された石仏。川崎市麻生区黒川。写真は「ウィキペディア」より)

リンク→日本国憲法施行70周年をむかえて――安倍首相の「改憲」方針と〈忍び寄る「国家神道」の足音〉関連記事を再掲

司馬遼太郎は長編小説『翔ぶが如く』で、山県有朋について「『国家を護らねばならない』/と山県は言いつづけたが、実際には薩長閥をまもるためであり、そのために天皇への絶対的忠誠心を国民に要求した」と書いていましたが、それは「日本会議」を基盤とした「安倍政権」にも当てはまるでしょう。

「安倍政権」と「日本会議」の思想の危険性については、拙著『ゴジラの哀しみ』の第二部ナショナリズムの台頭と「報復の連鎖」  ――『永遠の0(ゼロ)』の構造と隠された「日本会議」の思想〉で考察しましたが、私のホームページのトップページでも〈司馬遼太郎の「神国思想」批判と憲法観〉のページを独立させました。

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また、「神国思想」の影響下にあった政治家や軍部は、太平洋戦争での敗戦が明らかになっても、元寇の際に「神風」が吹いたような奇跡が起きて敵国は負けると信じていたように、安倍政権の危険性は、福島第一原子力発電所の事故が、ガダルカナル島の玉砕のような事態であったにもかかわらず、「大本営」の発表と同じように事故を軽微にみせることで、原発の稼働を押し進めています。

1280px-Castle_Bravo_Blast(←画像をクリックで拡大できます)

(「キャッスル作戦・ブラボー(ビキニ環礁)」の写真)

それゆえ、トップページには〈黒澤明監督と本多猪四郎監督の核エネルギー観〉のページも独立させて、映画をとおして核エネルギーの危険性を強く訴えていた初代の映画《ゴジラ》の本多猪四郎監督と映画《夢》の黒澤明監督の核エネルギー観をまとめました。

(2017年1月23日、改訂)

 

菅野完著『日本会議の研究』と百田尚樹著『殉愛』と『永遠の0(ゼロ)』

菅野完氏の『日本会議の研究』に対して東京地裁が1月6日、販売の差し止めを認める決定をした。

[菅野 完]の日本会議の研究 (SPA!BOOKS新書)(← 書影はアマゾンより)

このことについてジャーナリストの渡辺輝人氏は1月6日のツイッターでこう批判した。

「この1カ所で本まるごと出版差し止めって、単なる言論弾圧だね。政権の意向に沿った判決を出さないと最高裁からにらまれて人事で報復受けるから、ようは東京地裁の関述之という裁判長が、自分が出世したくてしょうがなかった、ってことだろう。司法はホントどうしようもなく劣化してる。」

その指摘は沖縄や原発をめぐる裁判にもかかわるので、リツイートでこう記した。

〈同感です。安倍政権の宣伝相のような役割を果たしている作家・百田尚樹の『殉愛』裁判と比較すると対応の差は歴然とします。裁判官は公正な裁判をするために「その良心に従い独立してその職権を行い、日本国憲法及び法律にのみ拘束される」と日本の「憲法」に定められているのですが…。〉

一方、この決定を受けて早速、アマゾンのカスターレビューには「事実に基づかない悪書」などの投稿が相次いだが、この判決は安倍政権と「日本会議」との癒着に関心のある読者層の強い関心を呼び起こしたようで、菅野完氏はツイッターで「起きたら、拙著、Amazon本総合1位になってた。」と記し、さらに1月11日には下記のようにツイートしている。

【謹告】拙著『日本会議の研究』、この度、平成29年1月6日付東京地裁の仮処分決定により削除を命じられた三十数文字を墨塗りしたバージョン、出来決定!!!墨塗りのkindle版も好評発売中!ぜひご注文ください!!!

追記:東京地裁(中山孝雄裁判長)は3月31日に「真実でないと断じるには疑念が残る」と判断、出版元の扶桑社による異議を認め、一転して出版を認める決定をした。

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一方、拙著『ゴジラの哀しみ』では、「『永遠の0(ゼロ)』の構造がノンフィクションと謳われた『殉愛』の構造ときわめて似ていること」を指摘した。

すなわち、『殉愛』の裁判では取材が主人公の妻とその周辺の人物からしか行われず、主人公を批判する側の取材はほとんどなされていなかったことが裁判で判明したが、『永遠の0(ゼロ)』の手法も登場人物を主人公の側と敵に峻別し、敵を徹底的に罵ることで主人公を格好良く見せるという」手法を用いているのである(117頁)。

それゆえ、『永遠の0(ゼロ)』の構造を解き明かすことは「日本会議」や安倍政権の歴史認識の問題点を浮かび上がらせることになると拙著で書いていた。

今回の裁判所の判決の余波は私のブログ記事にも及んでいて「菅野完著『日本会議の研究』(扶桑社新書)を読む」(2016年6月17日)の閲覧者が増えていた。それゆえ、ここでは加筆した上で題名も改めて再掲する。

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菅野完著『日本会議の研究』を読む

安倍首相とともに「日本会議国会議員懇談会」の特別顧問を務める麻生太郎副総理は、2013年7月に行われたシンポジウムで「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」と発言していました。

一方、参院選に向けて「改憲」を明言していた安倍首相は、状況が思わしくないと見て取ると「改憲」を全面に出すことを止めたので、日本国民はまたもや「美しい言葉」で飾った安倍政権の術中にはまるかと心配していましたが、こうした中、「日本会議」と連動しつつ「改憲」に向けた準備を進めてきた安倍政権の問題点に鋭く迫る著作が陸続として発行されています。

そのような著作の先鞭をつけた菅野完氏の著書『日本会議の研究』(扶桑社新書)の意義はきわめて大きいと思われますので、今回はこの書の簡単な紹介を行ったツイッターの記事を中心に、それに関連した出来事の感想を記しておきます。

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政治学が専門ではないので全体的な評価はできないが、菅野完氏の『日本会議の研究』は以前から気になっていた「日本会議」の実態に鋭く迫っていると思える。圧巻なのは、「日本会議」の本体は70年代初頭の右翼学生運動から発した団体であり、その中核を担うのが右翼学生運動の闘士たちであったことを明らかにした第4章「草の根」とそれに続く第5章「一群の人々」であろう。緻密な資料の収集と丁寧な取材からはノンフィクションといえる好著だと感じた。

これらの章の意義についてはすでに多くの紹介が成されているのでここでは省くが、筆者の着眼点のよさを感じたのは、2006年の自由民主党の総裁選で、「戦後レジームからの脱却」などを掲げて総裁に選出された安倍氏が翌年の参議院選で大敗北を喫した後の第168回国会で所信表明演説を行ってからわずか2日後の9月12日に退陣を表明するという「前代未聞の大失態」を演じて退陣し、政治生命が「完全に絶たれたように思われた」安倍晋三氏と保守論壇誌との関係にまず注意を促していることである。

すなわち、「体調問題からとはいえ、代表演説直後の辞任という前代未聞の大失態を演じた安倍晋三の政治生命は、完全に絶たれたように思われた。事実、当時の世論調査でも7割に上る有権者が『安倍の突然の辞任は無責任だ』と答えている。」

幕末の長州藩のことを調査するためにたまたま萩市を訪れており、そこで昼食を取っていた際に、蕎麦屋で流されていたテレビのニュース速報でそのことを知った私もやはり「三代目のお坊ちゃんだ」と感じ、復権することはまずないだろうと思った。

しかし、著者が指摘しているように保守論壇誌には「極めて早い時間から、安倍晋三の再登板を熱望するかのような記事が並ぶようになる」のである。

さらに著者は安倍氏がカムバックした際に、首相を支える内閣総理大臣補佐官となった衛藤晟一氏が「改憲」ではなく「反憲法」を唱えた「日本青年協議会」の組織候補であることも指摘していた。

そして、自民党若手の勉強会の呼びかけ人の木原稔・衆議院議員や参加者の活動にも言及して、この会が「日本会議」などの「代弁機関」という側面があることも指摘し、「日本会議国会議員懇談会」に所属する閣僚が8割を超えることに注目して、第三次安倍内閣が実質的には「日本会議のお仲間内閣」であることを明らかにしているのである。

そのことから思い起こしたのが、そのメンバーであり「日本会議国会議員懇談会」や「神道政治連盟国会議員懇談会」に所属するとともに、元衆院平和安全法制特別委員会のメンバーでもあった武藤貴也議員が、自分のオフィシャルブログに「日本国憲法によって破壊された日本人的価値観」という題の記事を載せていたことである。

そこで〈憲法の「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義」こそが〉、〈日本精神を破壊する〉〈思想だと考えている〉と書いた武藤議員は、〈第二次世界大戦時に国を守る為に日本国民は命を捧げたのである。しかし、戦後憲法によってもたらされたこの「基本的人権の尊重」という思想によって「滅私奉公」の概念は破壊されてしまった〉と続けていた。

さらに、新聞やテレビのニュースなどをとおして、「森友学園」問題の本質とその根の深さが徐々に明らかになってきているが、『日本会議の研究』では「『生命の実相』を掲げて講演する稲田朋美・自民党政調会長(当時)」と園児たちに「愛国行進曲を唱和させる塚本幼稚園」との深い関係についてもふれられていた(221~232頁)。

稲田朋美・防衛相と作家・百田尚樹氏の憲法観――「森友学園」問題をとおして(増補版)

他にも注目したいくつも言及したい点はあるが、司馬遼太郎氏の死後に勃発したいわゆる「司馬史観」論争の際の「新しい歴史教科書をつくる会」の主張やその翌年に立ち上げられた安倍晋三氏が事務局長を務めた「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の運動方法に以前から関心を持っていた私が、強い関心を持って読んだのは「新しい歴史教科書をつくる会」と「日本会議」とのつながりにふれた箇所であった(32頁、145頁など)。

菅野氏は「剽窃と欺瞞の多いこの人物について言及することは筆が汚れるので、あまり言及したくはない」と百田尚樹氏について記している。そのことには同感だが、安倍首相との共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』(ワック)で「売国」などという「憎悪表現」を用いて当時の民主党を激しく貶した著者は、この書で『永遠の0(ゼロ)』が映画も近く封切られるので「それまでには四百万部近くいくのではないかと言われています」と豪語していた。

この小説の構造をきちんと批判的に分析することは、「日本会議」や「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の歴史認識の問題を考察するうえでも有効だと思われる。

たとえば、『永遠の0(ゼロ)』の第9章には、「私はあの戦争を引き起こしたのは、新聞社だと思っている」と決めつける武田という人物も描かれているが、このような見方は「文化芸術懇話会」で「本当に沖縄の2つの新聞社は絶対につぶさなあかん」と語った作家の百田尚樹氏の見解ともほぼ一致するだろう。

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日本会議の正体(図版はアマゾンより)

ただ本書が「日本会議」の中核を70年代初頭の右翼学生運動の闘士たちが担っていることを明らかにすることに焦点を絞って書かれているために、カスタマーレビューのように「読んだ結果判ったのは、日本会議というのはそれほど大きな力を持たない任意の団体で」あるという感想も生んでいると思える。

しかし、青木理氏が『日本会議の正体』(平凡社新書)でインタビューなどをとおして明らかにしているように、「神社本庁」などに所蔵する巨大な宗教法人が「日本会議」を支援しており、現在も多くの初詣客で賑わう神社に「改憲」を求める署名簿などが置かれるなど政治的な活動が行われている。

さらに、「日本会議」の田久保忠衛・会長が〈「もんじゅ」の活用こと日本の道です〉」という危険な意見広告を載せた公益財団法人・国家基本問題研究所の副理事長を兼ねているように、「日本会議」は「もんじゅ」などの活用を図ろうとする原発ムラや武器を輸出し戦争をすることで利益を挙げようとする軍需産業などにも支えられている強力な団体と言わねばならないだろう。

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時間が無いので最後に本書の構成を紹介することで今回は終えるが、いずれにせよ、日本が「専制」か「民主主義」かの岐路に立たされていると思われる現在、本書が70年代初頭の右翼学生運動と「日本会議」との関わりを明らかにした意義はきわめて大きい。

第1章 日本会議とは何か/  第2章 歴史/ 第3章 憲法/  第4章 草の根/  第5章 「一群の人々」/ 第6章 淵源

(2017年1月14日、加筆、書影を追加。1月24日、加筆し題名を変更。3月14日、書影とリンク先を追加。4月4日、青い字の箇所を追加)

 

総選挙に向けて――戦前の「神国思想」を受け継ぐ安倍政権を退場させる年に

【「(幕末の神国思想は――引用者註)明治になってからもなお脈々と生きつづけて熊本で神風連(じんぷうれん)の騒ぎをおこし、国定国史教科書の史観となり、昭和右翼や陸軍正規将校の精神的支柱となり、おびたたしい盲信者」を生んだ(司馬遼太郎、『竜馬がゆく』】

ISBN978-4-903174-23-5_xl(←画像をクリックで拡大できます)

「総選挙を終えて」と題した2014年の記事では、〈一昨年の参議院選挙と同じように、国会での十分な審議もなく「特定秘密保護法」や「集団的自衛権」を閣議決定する一方で、原発の危険な状況は隠して〉行われたことに注意を促して、「若者よ、『竜馬がゆく』を読もう」と呼びかける記事を書きました。

なぜならば、その時の選挙で指摘された点の一つは若者の選挙離れでしたが、司馬氏は『竜馬がゆく』で最初は他の郷士と同じように「尊皇攘夷」というイデオロギーを唱えて外国人へのテロをも考えた土佐の郷士・坂本龍馬が、勝海舟との出会いで国際的な広い視野と、アメリカの南北戦争では近代兵器の発達によって莫大な人的被害を出していたなどの知識を得て、武力で幕府を打倒する可能性だけでなく、選挙による政権の交代の可能性も模索するような思想家へと成長していくことを壮大な構想で描いていたのです。

しかも長編小説『竜馬がゆく』おいて、幕末の「神国思想」が「国定国史教科書の史観」となったことを指摘した作家の司馬遼太郎は「日本会議」が正当化している「大東亜戦争」についても、「その狂信的な流れは昭和になって、昭和維新を信ずる妄想グループにひきつがれ、ついに大東亜戦争をひきおこして、国を惨憺(さんたん)たる荒廃におとし入れた」と厳しく批判していたのです(『竜馬がゆく』文春文庫より)。

竜馬に「おれは薩長の番頭ではない。同時に土佐藩の走狗(そうく)でもない。おれは、この六十余州のなかでただ一人の日本人と思っている」と語らせた時、司馬は坂本竜馬という若者に託して神道によって「政教一致」の国家を建設するのではなく、民主的な理念によって統一国家としての日本を建設するという理念を記していたといえるでしょう。

実際、竜馬が打ち出した「船中八策」には、「明治維新の綱領が、ほとんどそっくりこの坂本の綱領中に含まれている」とした司馬遼太郎は、その用語が明治元年の『御誓文』にそのままこだましているだけでなく、ことに「上下議政局を設け、議員を置きて、万機を参賛(さんさん)せしめ、万機よろしく公議に決すべき事」という第二策は、「新日本を民主政体(デモクラシー)にすることを断乎として規定したものといっていい」と高く位置づけていたのです(Ⅶ・「船中八策」)。

『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと』人文書館、2009年)

【吉田松陰から高杉晋作を経て、「権力政治家」山県有朋に至るまでを描いた『世に棲む日日』を視野に入れつつ、「天誅」やテロが横行していた幕末に、「オランダ憲法」を知って武力革命ではなく平和的な手段で政権を変えようとした若者の生涯を描いた『竜馬がゆく』を読み解く】

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一方、日本国憲法の施行70周年にあたる今年を「節目の年」と指摘した安倍首相は、「新しい時代にふさわしい憲法」に向けた議論を深めようと「新しい」という形容詞を用いて呼びかけつつ、神道による「祭政一致」を目指す「国民会議」の意向に従って「改憲」を行う姿勢を一層明確に示しました。

しかし、作家・百田尚樹との共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』もある安倍首相を支え、「日本国憲法」を批判している「日本会議」の思想は、旧日本軍の「徹底した人命軽視の思想」と密接に結びついています。

たとえば、映画化もされた小説『永遠の0(ゼロ)』は、一見、特攻を批判しているように見えますが、その主要登場人物の武田が賛美している思想家の徳富蘇峰は、『大正の青年と帝国の前途』で「日本魂とは何ぞや、一言にして云へば、忠君愛国の精神也。君国の為めには、我が生命、財産、其他のあらゆるものを献ぐるの精神也」と書いた徳富蘇峰は、「大正の青年」たちに自立ではなく、「白蟻」のように死ぬ勇気を求めていました。

〈若者よ 白蟻とならぬ 意思示せ〉

〈子や孫を 白蟻とさせるな わが世代〉

つまり、蘇峰の思想は軍部の「徹底した人命軽視の思想」の先駆けをなしており、そのような思想が多くの餓死者を出して「餓島」と呼ばれるようになったガダルカナル島での戦いなど、6割にものぼる日本兵が「餓死」や「戦病死」することになった「大東亜戦争」を生んだと言っても過言ではないと思います。

このことに注目するならば、登場人物に徳富蘇峰が「反戦を主張した」と主張させることによって、彼の「神国思想」を美化している『永遠の0(ゼロ)』は、日本の未来を担う青少年にとってきわめて危険な書物だといえるでしょう。

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それゆえ、前回は若者に『竜馬がゆく』を読もうと呼びかけたのですが、今回はかつての愛読者だった私たちの世代も含めて、偏狭なナショナリズムに支配されずに普遍的な価値観を目指す「投票権」のあるすべての人々に呼びかけることにしました。

なぜならば、司馬遼太郎は「私は戦後日本が好きである。ひょっとすると、これを守らねばならぬというなら死んでも(というとイデオロギーめくが)いいと思っているほどに好きである」(『歴史の中の日本』中公文庫)と書いていたからです。

このことを想起するならば、司馬作品の愛読者は戦前の「五族協和」というスローガンに似た「積極的平和主義」などという用語によって、古い「祭政一致」の軍事国家に移行しようとしている危険な安倍政権を退場させる年にしましょう。

安倍首相の年頭所感「日本を、世界の真ん中で輝かせる」と「森友学園」問題

「首相年頭所感を読み解く」と題した東京新聞の1月6日の「こちら特報部」は、「日本を、世界の真ん中で輝かせる」という文言に注意を促して、「まず国内に目を向けて」と批判する文章を掲載していました。

ただ、安倍首相がすでにヘイト的な発言を繰り返す作家との共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』(ワック株式会社、2013年)を出版していたことを考えるならば、この言葉は安倍首相の思想と深く結びついていると思えます。

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たとえば、下記のツイッターは、国定教科書「日本ヨイ国 強イ国 世界ニカガヤク エライ国」の表現が、「世界の真ん中で輝く日本を」と語った安倍首相の思考方法と「完全に一致」と指摘していました。  →https://twitter.com/Mightyjack1/status/816284529535000576

この指摘を受けて次のように記しました。

〈「日本ヨイ国、 キヨイ国、 世界ニ 一ツノ神ノ国」という文章も「神の国」発言をした森喜朗元首相だけでなく、「日本会議」の影響下にある安倍政権の思想と完全に一致していると思えます。〉

〈日本が「世界の真ん中」という認識も、本居宣長から「日本が『漢国(カラクニ)』などとは比較できないすぐれた国」であると教えられて、「もっともすぐれた国は天地生成のときから位置が違う」ことを示す図を『古事記伝』の附録に描いた服部中庸の世界認識に似ています〉。

そして、日本を礼賛した文章が続いている国定教科書の右頁の文章からも稲田防衛相が精読している『生命の實相』の記述――「夫唱婦和は日本が第一」、「無限創造は日本が第一」、「一瞬に久遠を生きる金剛不壊の生活は日本が第一」、「無限包容の生活も日本が第一」「七德具足の至美至妙世界は日本が第一」などが浮かんでくることを指摘しました。

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一方、共同通信は1月1日の記事で「安倍晋三首相は1日、昭恵夫人や実弟の岸信夫外務副大臣らと共に作家百田尚樹氏のベストセラー小説が原作の映画「海賊とよばれた男」を東京・六本木の映画館で観賞した」ことを報じていました。

安倍首相と夫人との考えの違いが報道されることが多かったので、安倍夫人は「家庭内野党」を自称しているものの、実態は「家庭内離婚」に近いのではないかと考えていたので、この時は二人が一緒に映画「海賊とよばれた男」を見たとのこの記事には違和感がありました。

しかし、2月17日に「東京新聞」の「こちら特報部」は、【国有地払い下げ】問題を特集して、「幼稚園では『教育勅語』 差別問題も」「保護者『軍国』じみている」などの見出しとともに、HPに掲載された安倍夫人の挨拶や、手紙、寄付の払い込み取扱書などの写真を掲載していました。 https://twitter.com/jdroku/status/832742847749042176

「教育勅語」を教えることで有名な塚本幼稚園を訪れた安倍首相夫人が、この幼稚園の方針を讃えたばかりでなく、「安倍晋三記念小学校」の名誉校長にも就任していたことをロイターなどのマスコミも取り上げ始めています。

このことであきらかになったのは、「家庭内野党」を自称していた安倍夫人が、戦前的な価値観の復活を目指す「日本会議」の「国会議員懇談会」特別顧問を務める安倍首相の熱心な支援者だったことです。 以下に、そのことを示す写真の掲載されたツイッターのリンク先を示し、その後で関連記事へのリンク先を示しておきます。

https://twitter.com/Reuters/status/806953007245979648

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『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』における「憎悪表現」

菅野完著『日本会議の研究』と百田尚樹著『殉愛』と『永遠の0(ゼロ)』

百田尚樹氏の『殉愛』と安倍首相の「殉国」の思想

「アベノミクス」と原発事故の「隠蔽」

百田尚樹氏の『殉愛』裁判と安倍首相の手法

「日本会議」の歴史観と『生命の實相』神道篇「古事記講義」

(2017年2月21日、改稿し題名を変更。2019年1月9日、改訂し改題)