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「共謀罪」法案の強行採決と東京オリンピック開催消滅の可能性(1)――1940年との類似性(加筆版)

オリンピックを招致する時点では、「世界有数の安全な都市」と断言していた安倍首相が「共謀罪 成立なしで五輪開けない」と語ったことを報じた「東京新聞」の記事を読んだ際には、むしろ、安倍政権が「東京五輪のテロ対策」を名目に「共謀罪」を強行採決するような場合は、「オリンピック憲章」に反する法律として国際社会に訴えれば、「開催権」が剥奪されるのではないかとの感想をツイッターに記した。

なぜならば、高市総務大臣「電波停止」発言など、政権による報道への圧力の問題を調査した国連の「報道の自由」特別報告者デビット・ケイ氏は、度重なる会見の要求を高市氏に拒まれた後で外国人記者クラブで記者会見を行い、秘密保護法やパスポート強制返納などについても安倍政権を強く批判していたからである。

しかも、ヒトラーはベルリン・オリンピックの間に戦争への準備を行っていたが、麻生副総理は憲法改正論に関してナチス政権の「手口」を学んだらどうかと発言しており、「電波停止」発言をした高市氏も1994年には『ヒトラー選挙戦略現代選挙必勝のバイブル』に推薦文を寄せていた。

衆院法務委員会で自民・公明・維新の三党により強行採決された「共謀罪」法案についても、プライバシーの権利に関するケナタッチ国連特別報告者が18日付の安倍晋三首相宛て書簡で、〈法案にある「計画」や「準備行為」の定義があいまいで、恣意(しい)的に適用される可能性があると指摘。いかなる行為が処罰の対象となるかも明記されておらず問題がある〉との強い懸念を示していたことが明らかになった。

19日の「毎日新聞」デジタル版に載ったこの記事を受けて早速、「恥ずかしい首相だ」との感想がツイッターに載ったが、国連特別報告者が「共謀罪」法案について強い懸念を示す書簡を送っていたにもかかわらず、「共謀罪」を強行採決した安倍政権は、早晩、国際社会から「開催権」が剥奪される可能性がむしろ高くなったと思われる。

「東京新聞」も20日の一面で国連特別報告者ケナタッチ氏が「共謀罪」法案に対し、18日付けの書簡で首相に対して、「法案で対象となる犯罪が幅広くテロリズムや組織犯罪と無関係のものを含んでいると指摘」していたことを大きく取り上げている。

共謀罪、東京新聞共謀罪、東京新聞2

(図版は「東京新聞政治部」、5月20日と21日のツイッター記事より)

残念ながら、日本ではいまだに国際社会から批判されている「日本会議」に支持された安倍政権が強行採決した「共謀罪」法案を賛美している新聞や、いわゆるネトウヨの影響力が強い。

しかし、「東京新聞」は今日の「こちら特報部」で、トランプ氏から名指しで「口撃」されたNYタイムズやCNNなどが、軒並みに大幅に購読者数を伸ばしていることを指摘し、アメリカでは「偽ニュース」が増えたことから、その対策として事実を正しく伝えようとすることで「権力の暴走を防ぐ良質な報道の重要性が再認識された結果だと思う」というニューヨーク在住のジャーナリストの言葉を紹介している。

「これだけの重要法案の採決にもかかわらず、NHKの生中継」がなかったことを伝えた「日刊ゲンダイ」は、「首相出席による締めくくり質疑を行わないまま、異例の採決となった理由は明白である」として、「安倍は加計学園疑惑の追及から逃げたのだ」と記している。

安倍首相の「加計学園」問題にも目をつぶって批判もできないように見える自民党と「古代復帰」を目指す維新ばかりでなく、かつては「平和の党」を自称していた公明党も、「安倍政権」が委員会で強行採決した「共謀罪」に対する国際社会の強い懸念から目を背けているように見える。

*   *   *

一方、「ウィキペディア」の記述によれば、1940年に日本の首都・東京でオリンピックを開催することは、1936年(昭和11年)の国際オリンピック委員会(IOC)で決定し、それ以降は開催に向けた準備が進められていた。しかし、翌年の7月に勃発した盧溝橋事件から「日中戦争」に拡大すると陸軍が選手選出に異論を唱えるようになった。

さらに、1938年(昭和13年)3月にエジプトのカイロで開催されたIOC総会前には、イギリスやオーストラリアだけでなく、フィンランドからも中止を求める声が上がっており、中華民国からの開催都市変更の要望も出ていたばかりでなく、アメリカ人のIOC委員は東京大会のボイコットを示唆して委員を辞任した。

このような状況を踏まえて日本政府はその年の7月に実施の中止を決定したのだが、国際社会からの厳しい批判の背景には1931年の満州事変の翌年に国際連盟が派遣したリットン調査団の報告書(対日勧告案)が提出され、ジュネーブで開かれた1933年の国際連盟特別総会で、満州における日本の利権が認められなかったとして日本首席全権の松岡洋右が会議場から立ち去り、その年に日本は脱退を表明していたことがあると思われる。

しかも、国際連盟の会議場から決然と立ち去ったことにより日本を国際社会から孤立化させた松岡洋右は、国内では称賛を浴びて「国民精神作興、昭和維新」を唱え、近衛内閣で外相に任命されるとナチスドイツとの同盟を結んで日本を悲劇に追い込むことになるのである。

東京オリンピック1940松岡洋右

(幻に終わった1940年の東京オリンピックのポスター、ドイツ総統官邸でヒトラーとの会談に臨む松岡。図版は「ウィキペディア」より)

「共謀罪」法案の強行採決と東京オリンピック開催消滅の可能性関連記事

「共謀罪」はテロの危険性を軽減せず、むしろ増大させる悪法――国連特別報告者の批判を踏まえて

(2)ベルリン・オリンピックとの「際立つ類似点」

(3)G7サミットでの安倍発言と政府の対応をめぐって 

4)安倍首相の「国連特別報道者」非難発言と日本の孤立化

「特定秘密保護法」案の強行採決と日本の孤立化関連記事

「特定秘密保護法」の強行採決と日本の孤立化

「特定秘密保護法案」の強行採決と日本の孤立化Ⅱ

(2017年5月22日、23日、26日、一部訂正加筆し副題を追加。6月15日、リンク先を追加)

甘利問題と「加計学園」問題、そして「共謀罪」――黒澤映画《悪い奴ほどよく眠る》再考

黒澤明、悪い奴ほど

(ポスターの図版はロシア語版「ウィキペディア」より)

甘利問題と「加計学園」問題、そして「共謀罪」――黒澤映画《悪い奴ほどよく眠る》再考

「森友学園」問題が官僚によって重要な書類が隠されたことでなかなか解明が進まない中、”総理のご意向”とする文書が流出したことでいよいよ本命といされる「加計学園」問題が前面に浮かび上がってきた。

ニュースサイト「リテラ」は、「これは国を揺るがす大問題。総理が腹心の友のため権力を使い便宜を図る行為は金が動いてなくても、収賄やあっせん収賄と同じ。加計理事長は96億円もの利益を得た。韓国前大統領と同じ身内への利益誘導、辞任に値する」と記しているがまさにそのような大問題だろう。

さらに大きな問題は「韓国前大統領と同じ身内への利益誘導」をしながら責任を取ろうともしない独裁的な安倍首相の主導によって、「共謀罪」がまたも強行採決されようとしていることである。

昨年の5月31日に東京地検が甘利前経済再生担当相と元秘書2人を「現金授受問題」で不起訴としたとの報道が「東京新聞」朝刊に載った際には、汚職事件を主題とした黒澤映画《悪い奴ほどよく眠る》を論じた箇所を拙著から引用して掲載していた。

ここではそのページと映画《野良犬》などを論じたブログ記事へのリンク先を示すことにより、映画《夢》で福島第一原子力発電所事故を予告するようなシーンを描き出すことになる黒澤監督が腐敗した政治の危険性も描き出していたことを明らかにしておく。

リンク→長編小説『白痴』の世界と黒澤映画《悪い奴ほどよく眠る》(1960)

リンク→長編小説『罪と罰』の世界と黒澤映画――《野良犬》(1949)と《天国と地獄》(1963)

 

俳優・中村敦夫氏のライフワーク、朗読劇「線量計が鳴る」全国上演のお知らせ

元・原発技術者と木枯し紋次郎――朗読劇「線量計が鳴る」を観る 

俳優・中村敦夫氏のライフワーク、朗読劇「線量計が鳴る」の全国上演が始動しています。「公式サイト・中村敦夫」より、朗読劇の内容と上演スケジュールを以下に転載します。

中村敦夫 公式サイト(上演スケジュール)

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原発の町で生れ育ち、原発で働き、原発事故ですべてを奪われた。

これは天命か、それとも陰謀か?老人は、謎解きの旅に出る。

中村敦夫、公演2

(←画像をクリックで拡大できます)

ー内容についてー

形式  一幕四場の出演者一人による朗読劇。

元・原発技師だった老人の独白が展開されます。

二場と三場の間に十分間の休憩。

それを入れて、計二時間弱の公演です。

背景にスクリーンがあり、劇中の重要なワードなどが、 映写されます。

他の舞台装置は不要。

物語

一場 原発の町で生れ育ち、原発で働き、そして原発事故で すべてを失った主人公のパーソナル・ヒストリー(個人史)

二場 原発が作られ、日本に入ってきた事情。 原発の仕組み。福島事故の実態。

三場 主人公のチエルノブイリ視察体験。 被曝による医学上の諸問題と現実。 放射線医学界の謎。

四場 原発を動かしている本当の理由。 利権に群がる原子力村の相関図。

継承者歓迎  当初は中村敦夫が朗読しますが、多くの朗読者が、 全国各地で名乗りを上げ、自主公演が増加するこ とを期待します。   

 

朗読劇「線量計が鳴る」の主な紹介記事(2017年6月11日現在)

4月29日 「毎日新聞」 インタビュー:朗読劇で原発廃止訴え 俳優・中村敦夫さん – 毎日新聞

5月8日 「山梨日日新聞」 中村敦夫さん、原発テーマに朗読劇 via 山梨日日新聞 –

5月12日 「朝日新聞」デジタル 熊本)原発を考える 25日中村敦夫さん朗読劇:朝日新聞デジタル

6月11日「日刊ゲンダイ」 中村敦夫「避けられない問題」 – 日刊ゲンダイDIGITAL

2018年6月10日 「毎日新聞」ストーリー:俳優・中村敦夫78歳の挑戦(その1) 舞台から「原発」問う 

(2018年6月10日、改訂)

 

「世界文学会」2017年度第3回研究会(発表者:荻野文隆氏)のご案内

夏目漱石生誕150年によせて「夏目漱石と世界文学」をテーマとした2017年度第3回研究会の案内が「世界文学会」のホームページに掲載されましたので、発表者のご紹介も加えた形で転載します。

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日時:2017年6月24日(土)午後2時~4時30分

場所:中央大学駿河台記念会館 (千代田区神田駿河台3-11-5 TEL 03-3292-3111)

発表者:荻野文隆氏(東京学芸大学教授)

題目:「フランス文学と漱石」 

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発表者紹介:

著書に『他者なき思想:ハイデガー問題と日本』(共著、藤原書店、1996年)、『来るべき<民主主義> ― 反グローバリズムの政治哲学』(共著、藤原書店、2003年)、『多言語・多文化社会へのまなざし―新しい共生への視点と教育』(共著、白帝社、2008年)、『パリの街角で:音声ペンで学ぶフランス語入門』(両風堂、2015年)など。 主な訳書にエマニュエル・トッド著『世界の多様性 家族構造と近代性』藤原書店、2008年)

主要論文:「エミール・ゾラの翻訳:『巴里』(2) 杉田次郎訳から80年の空白が物語るもの」(『世界文学』、124号、2016年)、「エミール・ゾラの翻訳: 飯田旗軒と「巴里」」(『世界文学』、122号、2015年)、「エミール・ゾラと家族」(『世界文学』118号、2013年)、「精神に麻酔をかける」(『世界文学』116号、2012年)、「フランス・システムと「文明の接近」(『環』No. 32、 2008年)

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発表要旨

1900年、漱石が留学のためイギリスに到着したころのヨーロッパは、二つの相反する動きに押し流されていました。ひとつは植民地獲得を競い合う帝国主義の絶頂期であり、10数年後には第1次大戦へと突入していく状況にあったことです。そして、1849年、ヴィクトル・ユゴーが「ヨーロッパ合衆国」で提示したヴィジョンに見られるように、ヨーロッパ列強の繁栄と平和の模索の動きがあったことです。

しかしこの和解と繁栄の提案は、同時にヨーロッパがアフリカなどを植民地とし、文明をもたらすことによって実現されるとするものでした。漱石がロンドンの街中の鏡に映る自分の姿を大変みすぼらしいと感じたのは、そのユゴーの提案から半世紀を経た時代だったのです。

漱石はこの時代をどのように生きたのか、そしてそれは当時のフランス文学の歴史性とどのように係わるものだったのかを、漱石とほぼ同年代の作家であるフランスのロマン・ロラン、ドイツのハインリッヒ・マンらとの比較を通して見てみたいと思います。

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会場(中央大学駿河台記念会館)への案内図

案内図

 JR中央・総武線/御茶ノ水駅下車、徒歩3分

東京メトロ丸ノ内線/御茶ノ水駅下車、徒歩6分

東京メトロ千代田線/新御茶ノ水駅下車(B1出口)、徒歩3分

 

「改憲」の危険性と「平凡な事実」

今年は日本国憲法が施行されて七十年になりますが、戦前の価値観の回復を目指す「日本会議」に支えられた安倍首相は憲法改正を公言し、活発な活動をしています。しかし、それは「核の時代」から目を逸らした危険な言動でしょう。

「核の時代」と「改憲」の危険性

ここでは〈「改憲」の危険性と司馬遼太郎氏の「憲法」観〉と題した2013年7月19日の記事の冒頭を省いた形で再掲します。

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日露の衝突をクライマックスとした長編小説『坂の上の雲』を書く中で「近代の国家」と戦争の問題を深く考察した司馬氏は、『ロシアについて――北方の原形』という著作で次のように記していました。

「国家は、国家間のなかでたがいに無害でなければならない。また、ただのひとびとに対しても、有害であってはならない。すくなくとも国々がそのただ一つの目的にむかう以外、国家に未来はない。ひとびとはいつまでも国家神話に対してばかでいるはずがないのである」(「あとがき」)。

作家の井上ひさし氏との対談では、「法慣習とまでは言いませんが」と断りつつも、平和憲法のほうが「昔なりの日本の慣習」に「なじんでいる感じ」であると語り、さらに「日本が特殊の国なら、他の国にもそれも及ぼせばいいのではないかと思います」と司馬氏は続けていました(「日本人の器量を問う」『国家・宗教・日本人』、講談社、1996年)。

『坂の上の雲』の後で江戸時代に起きた日露の衝突を防いだ商人・高田屋嘉兵衛を主人公とした『菜の花の沖』を書き上げていた司馬氏は、この憲法が遠く江戸時代に語られた高田屋嘉兵衛の言葉にも連なっていることを知っていたのです。

ここで司馬氏が主張していることは、「一国平和主義」の幻想ではありません。『坂の上の雲』を書き終えた後で司馬氏は、「日本というこの自然地理的環境をもった国は、たとえば戦争というものをやろうとしてもできっこないのだという平凡な認識を冷静に国民常識としてひろめてゆく」ことが、「大事なように思える」と書いていたのです(「大正生れの『故老』」『歴史と視点』、1972年)。

このような見解は、近代の「国民国家」がお互いに「富国強兵」を競い合うなかで戦争を大規模化させ、ついには三〇万人以上の人々を殺害した原子爆弾が用いられたという過去の事実を歴史小説を書く中で冷静に観察したことによるのです。

ソ連のチェルノブイリでおきた原子炉事故の後でも司馬氏は、「平凡なことですが、人間というのはショックが与えられなければ、自分の思想が変わらないようにできているものです」と冷静に分析し、「この事件は大気というものは地球を漂流していて、人類は一つである、一つの大気を共有している。さらにいえばその生命は他の生物と同様、もろいものだという思想を全世界に広く与えたと思います」と語っていました(「樹木と人『十六の話』」。

私たちは「戦争」が紛争解決の手段だとする19世紀的な古く危険な歴史観から脱却し、「核の時代」では戦争が地球を滅ぼすという「平凡な事実」をきちんと認識すべき時期にきていると思われます。

ドストエーフスキイの会総会と第239回例会(報告者:清水孝純氏)のご案内

ドストエーフスキイの会第48回総会と第239回例会のご案内を「ニュースレター」(No.140)より転載します。

*   *   *

下記の要領で総会と例会を開催いたします。皆様のご参加をお待ちしています。                                      

 日 時2017520日(土)午後1時30分~5           

場 所:千駄ヶ谷区民会館第一会議室(JR原宿駅下車徒歩7分)   ℡:03-3402-7854   

総会:午後130分から40分程度、終わり次第に例会 

議題:活動・会計報告、運営体制、活動計画、予算案など

例会報告者:清水孝純氏

 題目: 悪魔のヴォードヴィル 『悪霊』における悪魔の戦略  

*会員無料・一般参加者=会場費500円

報告者紹介:清水孝純(しみず たかよし)

ドストエフスキー研究ははるか昔からのことで、『罪と罰』『白痴』『カラマーゾフの兄弟』論その他道化論をこれまで発表してきました。現在は作品論を進める一方で、「現代とドストエフスキー」という問題を中心に研究を重ねてきており、D・H・ロレンス、ベルジャーエフ、中村雄二郎との関係を考察し、また昨年には『キリスト教文学研究』にドストエフスキーの終末論的予言性をヒトラーのカリスマの中に見るという論文を発表しています。IDSのシンポジウムにもたびたび参加して発表を行ってきました。漱石についても、ドストエフスキーとの対比を試みたりしています。

 

第239回例会報告要旨

悪魔のヴォードヴィル-『悪霊』における悪魔の戦略―                     

『悪霊』においてドストエフスキーは、ニヒリズムをその極点において捉えた。『悪霊』では真の主人公はニヒリズムという悪霊に他ならない。『白痴』もまたニヒリズムが主人公とは言えたが、しかしそこではニヒリズムはまだ隠れた主人公だったかと思う。イッポリートを除いてほかの登場人物はニヒリズムに侵食されてはいるものの、なお他の情熱に囚われている。作品中唯一ニヒリストといえるイッポリートにしても、自殺未遂後彼はかなり積極的に彼を取り巻く人間関係の中に入ってゆくのだ。ナスターシャ・フィリッポーヴナとアグラーヤといういわば恋敵同士を対決させる手引きをするのもイッポリートなのだ。というのも、イッポリートの若さは、なおニヒリズムを徹底させるには生命力に富んでいたというべきだろう。

『白痴』においていわば隠れた主人公ニヒリズムが、俄然主人公としてその恐るべき姿を現すのは『悪霊』においてだ。姿だって?ニヒリズムに姿があるのか?あるはずはない。ニヒリズムは人間に憑りつくものであって、形あるものではあり得ない。やはり一種の精霊というべきもの、否定する精霊、つまり悪霊なのだ。しかし悪霊の恐るべきところは、その憑依の巧みさといえるだろう。悪霊に憑かれ乍ら、悪霊による憑依を疑うどころか否定の力を自身のうちから得たものとして振る舞う。その否定の行使において、懐疑逡巡はない。こうして憑かれたものは、群れをなし、そこに否定のユートピアをつくる。この楽園、否定が放恣な姿を取って、観客を楽しませるこの喜劇的世界、そこでは背徳的なもの、醜悪なもの、思い切って野卑下劣なものが、高貴なるものと入れ混じり、妖しげに人の眼を魅了する。これこそ悪魔の演出する喜劇的世界といえる。通常の喜劇が人間社会を風刺、批評するのに対してここではそのような風刺性、批評性はない。なぜなら、そこではプロットそのものに笑いが仕掛けられている。プロット自体が既に社会に対する否定であり、嘲笑なのだ。観客を楽しませるのは、その否定の、また嘲笑のグロテスクなることだ。この喜劇はヴォードヴィルと呼ぶのがふさわしい。

ヴォードヴィルとはフランスで発達した一種の軽喜劇だ。1830年ごろはフランスで大いにもてはやされたものだ。ロシアにもそれが入って、ヴォードヴィルが創られ、上演される。グリボエドフ、ネクラーソフも手掛けている。ではドストエフスキーはどうか。V・N・ザハロフは『ドストエフスキー 美学・詩学要覧』(1997)の「モチーフとしてのヴォードヴィル」の項でドストエフスキーにおけるヴォードヴィルの受容について述べているが、ドストエフスキーの文学では、「他人の妻とベッドの下の夫」「スチェパンチコーヴォ村とその住人達」「伯父さまの夢」などをあげている。さらに興味深いことには、『悪霊』で、自殺直前キリーロフがピョートルに言ったこの遊星の世界は「悪魔のヴォードヴィル」という表現に注目している。キリーロフはここで何故ヴォードヴィルという言葉を使ったのか。ヴォ―ドヴィルは邦訳では喜劇、茶番劇と訳されたりもする。なるほど「悪魔の喜劇」でも十分わかる。しかし元来喜劇は人間社会の愚劣・欠陥に対して鋭い批評をもって挑むものである以上、ポジティブに世界を描こうとするものだろう。しかし悪魔という否定の霊にとってその愚劣・欠陥こそ人間破壊のこよなき手掛かりであり、足掛かりなのだ。その愚劣・欠陥をこそ逆に賛美することを通して、それを拡大し、終局的には破壊へと導くことこそ、その狡猾極まりない戦略なのだ。戦略にふさわしい喜劇の様式こそヴォードヴィルといえるのではないか。『悪霊』を改めて「悪魔のヴォードヴィル」という視点から眺めて見る時、『悪霊』における悪魔の戦略もあぶり出されてくるのではないか。

新刊案内 後藤多聞『漢とは何か、中華とは何か』(人文書館、2017年)

漢とはなにか、人文書館(題字:石飛博光、装本:荒田秀也)

後藤多聞著『漢とは何か、中華とは何か』

ジャンル[中国社会文化史]、四六判上製・416頁 定価:4,800円+税、ISBN 978-4-903174-36-5 C1022

 【目次】

序 章 「中華」の不思議

第一章 騎馬民族 跳梁

第二章 虹へ 若武者の野望・氐族符堅[ていぞくふけん]

第三章 知られざる大仏の道

第四章 草原からの若い風 拓跋[たくばつ]一代記

第五章 虹をつかんだ青年 孝文帝

第六章 周隋唐、武川に出ず

第七章 虹よ、永久[とわ]に

終 章  亡国と革命

 

疾風の如く、怒濤の如くに、来り去る塞外の民たち !!

テレビ・ドキュメンタリスト後藤多聞は、曾て、NHKスペシャル「故宮~至宝 の語る中華五千年」という番組を制作した。この時、作家の司馬遼太郎は、 「漢とは何か、中華とは何か」という視点を念頭におくように、と助言をした。 漠北の草原を駈ける騎馬遊牧民族の存在に眼を向けよということであった。

本書は、多民族国家・中国に於ける漢民族、そして中華という概念、あるいは中華民族の成立過程を物語性豊かに明らかにする。ユーラシア史・中国史研究の到達点を示す、畢生の労作が誕生した!

 草原の虹を超えて、中華を築いた遊牧民

天才将軍 李世民、唐の太宗に即位す!

(写真:著者提供)

 

著者紹介:後藤多聞(ごとう・たもん)

1944(昭和19)年、大阪市生まれ。
京都大学大学院中国文学研究科修士課程修了。NHKに入局。主として歴史番組やアジアを中心とした海外取材番組を担当。現在、平山郁夫シルクロード美術館理事(国立民族学博物館客員教授、総合地球環境学研究所客員教授などを歴任)。

主な担当番組
NHK特集「ビルマ2000キロ」「秘境ブータン」「秘境雲南」「幻の民ピートンルアン~タイ」「大黄河」「大草原の祭り~モンゴル」ほか。NHKスペシャル「よみがえる邪馬台国」「騎馬民族の道はるか~北朝鮮歴史紀行」「謎の仮面王国~三星堆遺跡は何を物語るか」「ベルリン美術館」「故宮~至宝が語る中華五千年」など。

主な著書
『遙かなるブータン』(元本は、NHK出版、その後は、ちくま学芸文庫)、『大黄河』『騎馬民族の道はるか』(共著)、『ふたつの故宮』(上・下)(いずれもNHK出版)。

(人文書館の新刊紹介用チラシなどより転載)

書評 『「罪と罰」をどう読むか〈ドストエフスキー読書会〉』(川崎浹・小野民樹・中村邦生著 水声社 二〇一六年)

『罪と罰』をどう読むか(書影は紀伊國屋書店より)

『「罪と罰」をどう読むか〈ドストエフスキー読書会〉』(川崎浹・小野民樹・中村邦生著 水声社 二〇一六年)

本書はウォルィンスキイの『ドストエフスキイ』やレイゾフ編『ドストエフスキイと西欧文学』など多くの訳書があるロシア文学者の川崎浹氏と、『新藤兼人伝──未完の日本映画史』などの著作がある研究者の小野民樹氏と、ドストエフスキーの作中人物をも取り込んだ小説『転落譚』がある中村邦生氏の鼎談を纏めたものである。

『罪と罰』の発表から一五〇年にあたる二〇一六年には、それを記念した国際ドストエフスキー学会が六月にスペインのグラナダで開かれたが、冒頭で『罪と罰』を翻訳し「恰も広野に落雷に会って目眩き耳聾ひたるがごとき、今までに会って覚えない甚深な感動を与えられた」という内田魯庵の言葉が紹介されている本書もそのことを反映しているだろう。

さらに本書の「あとがき」では学術書ではないので、「お世話になった方々の氏名をあげるにとどめる」として本会の木下豊房代表をはじめ、芦川氏や井桁氏など主なドストエフスキー研究者の名前が挙げられており、それらの研究書や最新の研究動向も踏まえた上で議論が進められていることが感じられる。

以下、本稿では『罪と罰』という長編小説を解釈する上できわめて重要だと思われる「エピローグ」の問題を中心に六つの章からなる本書の特徴に迫りたい。

「『罪と罰』への道」と題された第一章では、若きドストエフスキーが巻き込まれたペトラシェフスキー事件など四〇年代末期の思想動向やシベリアへの流刑の後で書かれた『死の家の記録』などの流れが簡潔に紹介されている。

ことに、農奴解放などの「大改革」が中途半端に終わったことで、過激化していく学生運動などロシアの時代風潮がチェルヌイシェフスキーとの相克や『何をなすべきか』との関わりだけでなく、一八六五年には「モスクワでグルジア人の青年が高利貸しの老婆二人を殺害、裁判が八月に行われ、その速記録が九月上旬の『声』紙に連載」されていたことや、「大学紛争で除籍されたモスクワ大学の学生が郵便局を襲って局員を殺そうとした話」など当時の社会状況が具体的に記されており、そのことは主人公・ラスコーリニコフの心理を理解する上で大いに役立っていると思われる。

当初は一人称で書かれていたこの小説が三人称で書かれることによって、長編小説へと発展したことなど小説の形式についても丁寧に説明されている。

本書の特徴の一つには重要な箇所のテキストの引用が適切になされていることが挙げられると思うが、第二章「老婆殺害」でも『罪と罰』の冒頭の文章が長めに引用され、この文章について小野氏が「なんだか映画のはじまりみたいですね。ドストエフスキーの描写はひじょうに映像的で、描写どおりにイメージしていくと、理想的な舞台装置ができあがる」と語っている。

この言葉にも表れているように、三人の異なった個性と関心がちょうどよいバランスをなしており、モノローグ的にならない<読書会>の雰囲気が醸し出されている。

また、『罪と罰』を内田魯庵の訳で読んだ北村透谷が、お手伝いのナスターシャから「あんた何をしているの?」と尋ねられて、「考えることをしている」と主人公が答える場面に注目していることに注意を促して、「北村透谷のラスコーリニコフ解釈は、あの早い時期としては格段のもの」であり、この頃に「日本で透谷がドストエフスキーをすでに理解していたというのは誇らしい」とも評価されている。

さらに、「ドストエフスキーの小説はたいてい演劇的な構成だと思います。舞台に入ってくる人間というのは問題をかかえてくる」など、「ドストエフスキーの小説は、ほとんどが何幕何場という構成に近い」ことが指摘されているばかりでなく、具体的に「ラスコーリニコフとマルメラードフの酒場での運命的な出遭いというのは、この小説のなかでも心に残る場面ですね」とも語られている。

たしかに、明治の『文学界』の精神的なリーダーであった北村透谷から強い影響を受けた島崎藤村の長編小説『破戒』でも、主人公と酔っ払いとの出遭いが重要な働きをなしており、ここからも近代日本文学に対する『罪と罰』の影響力の強さが感じられる。

また、『罪と罰』とヨーロッパ文学との関連にも多く言及されている本書では、ナポレオン軍の騎兵将校として勤務していた『赤と黒』の作家スタンダールが、「モスクワで零下三〇度の冬将軍」に襲われていたことなど興味深いエピソードが紹介されており、若い読者の関心もそそるだろう。

テキストの解釈の面では、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』など書簡体小説の影響を受けていると思われる母親からの長い手紙の意味がさまざまな視点から詳しく考察されているところや、なぜ高利貸しの義理の妹リザベータをも殺すことになったかをめぐって交わされる「六時過ぎか七時か」の議論、さらに「ふいに」という副詞の使用法についての会話もロシア語を知らない読者にとっては興味深いだろう。

犯罪の核心に迫る第三章「殺人の思想」では、「先ほどネヴァ川の光景が出てきましたけど、夕陽のシーンが小説全体のように現れることが、実に面白いですね」、「重要な場面で必ず夕陽が出てくるし、『夕焼け小説』とでもいいたいほどです」と語られているが、映画や演劇の知識の豊富さに支えられたこの鼎談をとおして、視覚的な映像が浮かんでくるのも本書の魅力だろう。

さらに、井桁貞義氏はドストエフスキーにおける「ナポレオンのイデア」の重要性を指摘していたが、本書でも「ナポレオンとニーチェ」のテーマも視野に入れた形で「良心の問題」がこの小説の中心的なテーマとして、「非凡人の理論」や「新しいエルサレム」にも言及しながらきちんと議論されている。

本書の冒頭では『罪と罰』から強い感動を与えられたと記した内田魯庵の言葉をひいて、「読んだ人には皆覚えがある筈だ」と指摘し、「残念な事には誰も真面目に読み返そうとしないのである」と続けていた文芸評論家の小林秀雄の文章も引用されていた。本章における「良心の問題」の分析は、一九三四年に書いた「『罪と罰』についてⅠ」で、ラスコーリニコフには「罪の意識も罰の意識も遂に彼には現れぬ」と解釈していた小林秀雄の良心観を再考察する機会にもなると思える。

第四章「スヴィドリガイロフ、ソーニャ、ドゥーニャ」や、「センナヤ広場へ」と題された第五章でも多くの研究書や研究動向も踏まえた上で、主な登場人物とその人間関係が考察されており興味深い。

ことに私がつよい関心を持ったのは、ソーニャが「ラザロの復活」を読むシーンに関連して一八七三年の『作家の日記』(昔の人々)でも、ドストエフスキーがルナンの『イエスの生涯』について、「この本はなんといってもキリストが人間的な美しさの理想であって、未来においてすらくり返されることのない、到達しがたい一つの典型であるとルナンは宣言していた」ことに注意が促されていたことである。

そして、このようなドストエフスキーのキリスト理解をも踏まえて第六章「『エピローグ』」の問題」では、『死の家の記録』に記されていたドストエフスキー自身がシベリアのイルティシ川から受けた深い感銘もきちんと引用されており、そのことが『罪と罰』の読みに深みを与えている。

たとえば、ドストエフスキーは「首都から千キロも離れたオムスクの監獄と流刑地のセミパラチンスクで過ごしたことにより、ロシアの懐の深さを知って帰ってきた」と語った川崎氏は、「その背景があって作家は『エピローグ』を書いた」と説明している。

そして、「『ラズミーヒンはシベリア移住を固く決意した』と『エピローグ』に書かれていますが、彼のシベリア行きはちょっと不自然に思いました」との感想に対しては、「ラズミーヒンがドゥーニャといっしょにシベリアに行って根付こうというときに、あそこは『土壌が豊かだから』と彼自身はっきりと言って」いると語っているのである。

さらに私は囚人たちが大切に思っている「ただ一条の太陽の光、鬱蒼(うっそう)たる森、どこともしれぬ奥まった場所に、湧きでる冷たい泉」が、ラスコーリニコフが病院で見た「人類滅亡の悪夢」に深く関わっていると考えてきたが、この鼎談でもこの文章に言及した後で悪夢が詳しく分析されている。

すなわち、この悪夢には「ヨハネの黙示録」が下敷きになっていることを確認するとともに、ドストエフスキーがすでに一八四七年に書いた『ペテルブルグ年代記』で「インフルエンザと熱病はペテルブルグの焦点である」と書いていることや、その頃に熱中したマクス・シュティルネルの『唯一者とその所有』では、個人主義の行き過ぎが指摘されていることも確認されている。

そして、「この熱に浮かされた悪夢の印象がながい間消え去らないのに悩まされた」とドストエフスキーが書いていることにふれて、それは「悪夢の役割の大きさを作家が強調したかったのでしょう」と記されている。

ただ、『罪と罰』が連載中の一八六六年五月に起こった普墺戦争では、先のデンマークとの戦争では連合して戦ったプロイセン王国とオーストリア帝国とが戦ってプロイセンが圧勝したことで、今度はフランス帝国との戦争が懸念されるようになっていた。そのことをも留意するならば、この悪夢は将来の世界大戦ばかりでなく、最新兵器を擁する大国に対するテロリズムが広がる現代へのドストエフスキーの洞察力をも物語っているように思える。

鼎談では「ドストエフスキーの文学」と現代との関わりも強く意識されていたが、川崎氏にはシクロフスキイの『トルストイ伝』やロープシンの『蒼ざめた馬』などの翻訳があるので、そこまで踏み込んで解釈してもよかったのではないかと私には思われた。

なぜならば、『地下室の手記』でドストエフスキーは、バックルによれば人間は「文明によって穏和になり、したがって残虐さを減じて戦争もしなくなる」などと説かれているが、実際にはナポレオン(一世、および三世)たちの戦争や南北戦争では「血は川をなして流れている」ではないかと主人公に鋭く問い質させていたからである。

『罪と罰』の最後をドストエフスキーが、「『これまで知ることのなかった新しい現実を知る人間の物語』が新しい作品の主題になると予告している」と書いていることに注意を促して、「そこにはどうしても『白痴』という実験小説が結びつかざるを得ません」と続けた川崎氏の言葉を受けて、「そこに私たちの新たな関心の方位があるということですね」と語った中村氏の言葉で本書は締めくくられている。

冒頭に掲げられている一八六五年の「ペテルブルグ市 街図」や、ロシア人独特の正式名称や愛称を併記した「登場人物一覧」、さらに「邦訳一覧」が収録されており、この著書は格好の『罪と罰』入門書となっているだろう。

川崎氏は「あとがき」で〈ドストエフスキー読書会〉という副題のある本書が、一三年間かけてドストエフスキーの全作品を二度にわたって読み込んだ上で、『罪と罰』についての鼎談を纏めたと発行に至る経緯を記している。

本書でもふれられていたルナンの『イエスの生涯』についてのドストエフスキーの関心は長編小説『白痴』とも深く関わっているので、次作『白痴』論の発行も待たれる。

(『ドストエーフスキイ広場』第26号、2017年、132~136頁より転載)

 

 

書評 『十八世紀ロシア文学の諸相―ロシアと西欧 伝統と革新』(金沢美知子編 水声社 二〇一六年)

18世紀ロシア文学、紀伊國屋(書影は紀伊國屋書店より)

 

十八世紀ロシア文学の諸相―ロシアと西欧 伝統と革新』金沢美知子編 水声社 二〇一六年)

編者の序文によれば本書は、「ここ十数年の十八世紀ロシア文学をめぐる仕事に現れた新たな動向を日本のロシア研究の中に位置づけることを目的とし,さらにその先へと研究が発展することを願って」出版された。

第一部「近代ロシア文学の形成過程」、第二部「文学をとりまく環境」、第三部「十八世紀ロシアへの視点」から成る本書には、文学だけでなく歴史や文化にかかわる多くの論文が収められている。ただ、『ドストエーフスキイ広場』に掲載する書評という性格上、ここでは作家との関連の深い論文に絞って論じることにしたい。そのことによってドストエフスキー作品の理解も深まると思えるからである(本稿では敬称は略し、名前の表記は統一した)。

たとえば、ロモノーソフという名前は、日本の一般的な読者にはあまりなじみがないと思われるが、ドストエフスキーはペトラシェフスキー事件の裁判で「ピョートル大帝時代のロシア語はどんなものだったでしょうか? ロシア語半分にドイツ語半分だったのです。…中略…だから、ピョートル大帝の直後、ロモノーソフの出現したことは、偶然ではないのです」と語っていた。

鳥山裕介は「ロモノーソフと修辞学的崇高――十八世紀ロシアにおける『精神の高揚』の様式化」で、「十七世紀フランスの崇高論」と比較しながら、ロモノーソフにおける「崇高な文体」の創出の試みをその詩も引用しながら描き出している。ここでは聖書の記されていた文字であるギリシャ語と古代スラブ語とのかかわりや、ピョートル大帝による文字の改革の試みなどにも言及してロシア語の特徴をも浮かび上がらせており、ドストエフスキーがロモノーソフの意義を高く評価した理由を明らかにしている。

三浦清美「ロモノーソフの神、デルジャーヴィンの神」と三好俊介「ヴラジスラフ・ホダセヴィチと十八世紀ロシア─評伝『デルジャーヴィン』をめぐって」は、彼らの生きた時代と詩作品との関わりをとおして、彼らの雄大な自然観や「神」の観念などを詳しく伝えているだけでなく、詩人たちの力強い生き方をも示している。このことはなぜドストエフスキーが、シベリア流刑後に書いた長編小説『虐げられた人々』においても、ロモノーソフのもとにエカチェリーナ二世自らが訪問したことなどを主人公に語らせることで文学の意義を説明していたかをも示唆しているだろう。

「ロシア感傷小説の最初の種まき」を行ったフョードル・エミンの活動に焦点を絞った金沢美知子の二本の論文「フョードル・エミンとロシア最初の書簡体小説── 現実の様式化へ向けて」、「フョードル・エミンと十八世紀ロシア」では、職を求めてロシアを訪れ、最初は翻訳局で働いた外国人のエミンの活動を紹介しながら、「東方を舞台とした愛と冒険の物語を書いていた」エミンが、手紙を「人間の内面吐露の手段として大いに利用して」いたことを指摘するとともに、女帝エリザヴェータやエカチェリーナ二世の時代の外国との積極的な交流が十九世紀ロシア文学の豊かな土壌を形成したことを説得的に描きだしている。

安達大輔は「カラムジンの初期評論における翻訳とその外部」で、「感受性」という語には「一、外部の刺激に対する身体的な反応・感応という物質面と、二、共感・同情・哀れな者への共苦という精神面との区別」があるが、「『倫理的』転回が起きるのはセンチメンタリズムにおいてである」と本書の寄稿者でもあるコチェトコーヴァが『ロシア・センチメンタリズム文学』において記していることに注意を促している。このことはドストエフスキーの初期の作品を理解する上でも重要だろう。シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』の翻訳の序文で、「わが作者の考えを私が変えたところはない、と言うのもそのようなことは翻訳者には許されないと考えたからだ」と記したカラムジンの言葉からは、ドストエフスキーの作品の邦訳の問題についても考えさせられた。カラムジンが戯曲『シャクンタラー』については「この戯曲は古代インドの美しい絵といえるかもしれない」と記すのみで翻訳の困難さには言及していないことに注意を向けて、「二種類の翻訳の存在」を指摘していたことも興味深い。

カラムジンの『哀れなリーザ』や書簡体で書かれたゲーテの『若きウェルテルの悩み』が、ドストエフスキーの第一作『貧しき人々』にも強い影響を与えたことはよく知られているが、「ロシア・センチメンタリズムに見る『死への憧憬』と『離郷願望』」で、「感傷小説」には「悲劇型」ばかりでなく、「めでたし型」も存在していたことを紹介した金沢美知子は、スシコフの『ロシアのウェルテル』などにおける主人公たちの自殺についての言動に注意を向けて、「作家と読者の中に、個人主義あるいは個人と社会の対立についての問題意識が育ち始めていたことを証している」とし、この主人公が「『余計者』の原型」であると指摘している。

大塚えりな「カラムジン『ロシア人旅行者の手紙』における虚実」は、カラムジンが『モスクワ新聞』に掲載した広告文で「私の友人に物好きなのがいて、ヨーロッパ各地を旅行して、…中略…考えたこと、創造したことを書きとめてきた」と書いて、「作家はあくまで編者の立場」をとっていることに注意を促すとともに、最新の研究資料を紹介してここには「個人的な『旅行記』としての側面」もあることを具体的に示している。この論文からは『冬に記す夏の印象』の書き出しの文がカラムジンの『ロシア旅行者の手紙』の「パロディという要素」が非常に強く、「自分の旅行を機縁にして、以前から考えていた西欧観を吐き出そうとしたもの」であるという川端香男里の指摘が思い出される。

金沢友緒は「ロシアで翻訳された最初のゲーテ文学――О・П・コゾダヴレフと悲劇『クラヴィーゴ』」で、『若きウェルテルの悩み』では「ドイツの旧いモラルと自由を求める個人の葛藤の中でドラマが展開する」のに対して、悲劇『クラヴィーゴ』では「複数の国家社会と文化の対立の構図をとおして」主人公の恋愛が描かれていることに注目している。そして、ドイツのライプツィッヒ大学に留学した翻訳者コゾダヴレフが、この劇に「異文化衝突のドラマ」を見たと指摘し、後に彼が「国家の様々な文化事業に関与し」、「教育システムの構築と雑誌の発行」に携わることになることとの関連を指摘している。それは小説の創作ばかりでなく、ヨーロッパの情勢をも伝える総合雑誌『時代』や『世紀』の発行にも関わっていたドストエフスキーの視野の広さにも深く関わっているだろう。

私がもっとも関心を持って読んだのは「古来さまざまな議論が行われている」プーシキンのラジシチェフ論をゲルツェン研究の視点からの解釈を示した長縄光男の論文「『ペテルブルグからモスクワへの旅』をめぐって──ラジシチェフ・プーシキン・ゲルツェン」であった。

よく知られているように、ラジシチェフは「ザイツォヴォ」という章で、「農民に対する地主の非人間的横暴」によって引き起こされた「農民による地主の集団的殺害事件」を担当した裁判所長官の良心の苦しみを描いていた。このエピソードは自分の父が農民たちによって殺害されたことを知った若きドストエフスキーの苦悩や良心観を理解する上でも重要と思えたために、拙著『ロシアの近代化と若きドストエフスキー』(成文社、二〇〇七年)で詳しく紹介するとともに、歴史家・國本哲夫の説に従ってプーシキンのラジシチェフ論が「イソップの言葉」によって記されていると解釈していた。

しかし、ラジシチェフがきわめて率直に農奴制を批判したのは、「ルソーやディドロやヴォルテールらと親密に付き合っていた」エカチェリーナ二世が、「若者たちにも彼らの思想を学ぶように奨励した」ためだったと説明した長縄は、プガチョフの乱が起きるなど時代は変化し、フランス革命の翌年に刊行されたこの本をエカチェリーナが「プガチョフより悪質だ」と評したことを紹介している。

そして、「プーシキンはラジシチェフと真逆の道筋――すなわち、モスクワからペテルブルグへという経路を辿った。この事実そのものに、まず、プーシキンのラジシチェフ批判の意図を読み取ることができるだろう」と指摘し、「『知恵の悲しみ』も今ではすでに古びた悲しいアナクロニズムでしかない」と書いたのは、「本音」だっただろうと書いている。

たしかに、若い頃と『エヴゲーニイ・オネーギン』を書き上げた頃のプーシキンの考えが大きく変わっていることに留意するならば一八三三年から三六年にかけて書かれたラジシチェフ論は、「イソップの言葉」ではなく「本音」で書かれていたと考えられる。

ドストエフスキーもシベリア流刑以降は、むしろグリボエードフの『知恵の悲しみ』を批判するようになった頃のプーシキンを理想として掲げていたのである。ただ、ここでは詳しく論じる余裕はないが、それは『罪と罰』のエピローグに記された「人類滅亡の悪夢」が示しているように、日本の近海にも及んだクリミア戦争など近代兵器の進化に伴って戦争がさらに世界的な規模へと広がることへの危険感とも深く結びついていたと思える。

乗松亨平は「ベリンスキーとロシアの十八世紀──『ロシア史』はいかに語られるか」で、デビュー評論で文学は「ナロードの内的な生を、最奥の深淵と鼓動にいたるまで表現する」がロシアにはまだ「文学はない」と宣言したベリンスキーの歴史観の変遷を考察している。すなわち、一八四〇年の初頭以降は「ロシアとヨーロッパ、教養階級と民衆の断絶が、漸減されていく過程としてロシア文学史を捉える」というベリンスキーの視点が基本的に変わっていないことを指摘するとともに、「ロシアの未熟さ、若さ」を未来の可能性として「ポジティヴに読みかえる」という論法をベリンスキーが、「生のあらゆる領域、あらゆる世紀と国へ自由に移動できるプーシキンの芸術的能力」にも用いていることを指摘した。

そして乗松は、その手法が「プーシキンのロシア特有の天才は、きわめて多様な感情や人々を描けることにある」として「プーシキンの詩的創造の全世界性を称賛」したプーシキン像除幕式講演におけるドストエフスキーにも通じることを強調している。ベリンスキーと晩年のドストエフスキーのプーシキン観の意外な類似性をも指摘したこの記述からは、ドストエフスキーとベリンスキーの関係を再考察する必要性を感じさせられる。

文学について考察した論文ではないが、豊川浩一の「十八世紀ロシアにおける国家と民間習俗の相克──シンビルスクの『魔法使い(呪術師)』ヤーロフの裁判を中心に」は、ドストエフスキー初期の作品『主婦』に描かれた世界を理解するのに役立つだろう。矢沢英一の論文「イワン・ドルゴルーコフの回想記から見えてくるもの」は、ロシアの貴族たちの間でどのようにアマチュア演劇が広まり、大規模な農奴劇場が生まれたかを詳しく記しており、子供の頃に『知恵の悲しみ』を感激して見たドストエフスキーがシベリアの監獄で演じられた民衆芝居について『死の家の記録』で記していたこととの関連で非常に興味深く読んだ。

モスクワ大公国時代の儀礼との比較をとおしてピョートル改革後の特徴の解明を試みて、「信念の祝賀」や、「聖水式」などを考察した田中良英の「十八世紀初頭におけるロシア君主の日常的儀礼とその変化」は、視覚的な資料も多く掲載されている大野斉子の「女帝の身体」とともに、当時の宮廷の衣裳や風俗の特徴を浮かび上がらせている。

中神美砂「E・R・ダーシコヴァに関するロシアにおける研究と動向」も頁数は少ないが読み応えがあり、ナターリヤ・ドミトリエヴナ・コチェトコーヴァによるロシア科学アカデミー・ロシア文学研究所の詳しい紹介論文「プーシキンスキー・ドームの十八世紀ロシア文学研究部門──その歴史と現在」も、ロシアにおける研究史を知る上で役立つ。

これらの論文からはドストエフスキーの作品と十八世紀ロシアの密接な関係が浮かび上がってくる。また、かつて文明論的な視点からロモノーソフのことを少し調べたことのある私は、その後の研究分野の広がりと深まりには刮目させられるとともに多くの知見を得ることができた。本書がロシア文学の研究者だけでなく、比較文学や歴史の研究者、そしてロシアに関心を持つ多くの方に読まれることを期待したい。

(『ドストエーフスキイ広場』第26号、2017年、141~145頁より転載)

 

「森友学園」問題と「教育勅語」そして中学での「銃剣道」――安倍政権の「戦前の価値観」への明確な回帰

「森友学園」問題は幼稚園児に「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」と記された「教育勅語」を暗唱させている映像がテレビでも放映されたことが視聴者の関心を引いたこともあり、世論を動かすような事態となった。

しかし、安倍政権(ほとんどの閣僚が「日本会議」や「神道政治連盟」の「国会議員懇談会」に所属している)は、このような状況を政治利用する形で、憲法や教育基本法に反しない形での教育勅語の教材活用を否定しないとした政府答弁書を作成した。

そして、菅官房長官は 「教育勅語」について「親を大切にとか、兄弟姉妹仲良くとか、教育上支障のないことを取り扱うことまでは否定しない。適切な配慮の下、教材使用自体に問題はない」と説明した(なお、育鵬社の歴史教科書が政府見解を先取りするように「教育勅語」を肯定的に論じていることがツイッターに記されている)。

これに対しては朝日新聞が「この内閣の言動や思想をあわせ考えれば、今回の閣議決定は、戦前の価値観に回帰しようとする動きの一環とみなければならない」と厳しく批判し、毎日新聞も4日付朝刊で「戦前回帰 疑念招き」「安倍政権 保守層に配慮」との見出しを掲げた。

東京新聞も「戦前回帰の動きとすれば、封じ込めねばならない。安倍政権は、教育勅語を道徳教育の教材として認める姿勢を鮮明にした。個人より国家を優先させる思想である。復権を許せば、末路は危うい」との社説を5日に掲載した。

一方、「教育勅語を全否定する野党と一部メディアの大騒ぎ それこそ言論統制ではないか」と題する署名入りの記事でこれらの批判記事を紹介した産経新聞は、ことに朝日新聞が「おどろおどろしく断じていた。まさに『妄想』全開である」と小説『永遠の0(ゼロ)』の文章を連想させるような激しい言葉で批判した。さらに「教育勅語の排除と失効確認の決議はGHQ(連合国軍総司令部)の統治下に行われた」と「日本会議」と同じような主張を記して記事を結んでいる。

しかし、宗教学者の島薗進氏が『国家神道と日本人』で明らかにしていたように、「国家神道は教育勅語煥発以後、公的精神秩序の規範として次第に国民生活を蔽っていくようになり、諸宗教・思想はそれを受け入れた上で限定的な『信教の自由』を享受するという宗教・思想の二重構造が成立」していた。

そのような状況で「教育勅語」は絶対化されて、職員室や校長室に設けられた奉安所は、社や神殿のような荘厳な奉安殿となり、配属将校のもとで軍事教練を繰り返させられた若者たちは、「徹底した人命軽視の思想」(『永遠の0(ゼロ)』)によって行われていた悲惨な戦争へと駆り出されることになったのである。

たとえば、ツイッターで下記の写真を紹介した津川ともひさ氏(@TsugawaTomohisa)は、「かの人たちのイメージする『人づくり』はまさに下の写真の通り。1942年5月、東京中目黒国民学校の軍事教練。御真影と教育勅語を収めた軍事教練の前で銃剣をかついだ子どもたちに「かしらーツ、みぎツ」の号令が。」と書いている。

奉安殿2(←画像をクリックで拡大できます)

(写真は『別冊一億人の昭和史 学童疎開』(1977年9月15日 毎日新聞社、56~57頁より)

私はこのような方向性を教育界だけでなく文学界でも決定づけたのが、「教育勅語」の渙発の翌年の1月に起きた内村鑑三の「不敬事件」であり、その後に起きた「教育ト宗教ノ衝突」論争や「人生相渉論争」だっただろうと考えている。

それについてはこのホームページでもすでに言及しているので、ここでは先に公開された陸上自衛隊の新たなエンブレムと、公立中学校の「森友学園」化の危険性を示唆している図版を2点挙げるにとどめる。

陸上自衛隊、エンブレム銃剣道2

集団銃剣道を演ずる私学校の生徒(1942年、写真は「ウィキペディア」より)

これらの図版は「積極的平和主義」を掲げつつ、広島・長崎だけでなく福島の悲惨な経験を反省することなく、原発産業や軍需産業に肩入れして戦争に突き進んでいる安倍自公政権の「戦前復帰的な」価値観を雄弁に物語っていると思えるからである。