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小林秀雄の平田篤胤観と堀田善衛

『夜明け前』1『夜明け前』2『夜明け前』3『夜明け前』4

(岩波文庫版『夜明け前』、図版は紀伊國屋書店より)

『罪と罰』からの強い影響が指摘されている『破戒』だけでなく、ドストエフスキー(1821~81)とほぼ同時期を生きた自分の父・島崎正樹(1831~86)をモデルとした『夜明け前』のことは、ずっと気になっていましたが、日本文学の専門家ではなく「復古神道」にも疎かったためにそのままになっていました。

 ただ、今年が「明治維新」の150周年なので、日露の近代化の比較という視点から『夜明け前』をドストエフスキー研究者の視点から詳しく読み解くことにしました。

なぜならば、文芸評論家の小林秀雄は「天皇機関説」事件の翌年に行われた『文学界』合評会の「後記」で、『夜明け前』について「成る程全編を通じて平田篤胤の思想が強く支配してゐるといふ事は言へる」と記していましたが、この文章に注意を促した新保祐司氏が今年2月に雑誌『正論』に載せた評論で「改憲」の必要性を説いているからです。

すなわち、今年の「正論大賞」を受賞した新保祐司氏は「日本人の意識を覚醒させる時だ」と題した論考で、小林秀雄の「モオツァルト」にも言及しながら皇紀2600年の奉祝曲として作られたカンタータ(交声曲)「海道東征」を、ここには「紛れもなく『日本』があると感じられる」と賛美し、さらに「感服したのは、作者が日本という国に抱いている深い愛情が全篇に溢(あふ)れている事」だと記した小林の『夜明け前』論を引用して「戦後民主主義」の風潮から抜け出す必要性を主張していました。

しかし、『夜明け前』で「平田派の学問は偏(かた)より過ぎるような気がしてしかたがない」という寿平次などの批判的な言葉も記した島崎藤村は、新政府の政策に絶望して「いかなる維新も幻想を伴うものであるのか、物を極端に持って行くことは維新の附き物であるのか」という半蔵の深い幻滅をも描いていたのです。

自分の信じる宗教を絶対化して他者の信じる仏像などを破壊する廃仏毀釈を強引に行い、親類からも見放されて狂人として亡くなった半蔵の孤独な姿の描写は、シベリアの流刑地でも孤立していた『罪と罰』のラスコーリニコフの姿をも連想させるような深みがあります。

 一方、テキストに記された「事実」を軽視して、きわめて情念的で主観的に作品を解釈する小林秀雄の批評方法は、「信ずることと考えること」と題して行われた昭和四九年の講演会の後の学生との対話でより明確に表れています。

 すなわち、そこで「大衆小説的歴史観」と「考古学的歴史観」を批判しつつ、「たとえば、本当は神武天皇なんていなかった、あれは嘘だとういう歴史観。それが何ですか、嘘だっていいじゃないか。嘘だというのは、今の人の歴史だ」と語った小林秀雄は「神話的な歴史観」を擁護していたのです(国民文化研究会・新潮社編『小林秀雄 学生との対話』新潮社、2014年、127頁)。

『若き日の詩人たちの肖像』上、アマゾン『若き日の詩人たちの肖像』下、アマゾン(書影は「アマゾン」より)

小林秀雄の復古神道的な見方に対して全く異なる見解を記したのが、二・二六事件の前日に上京した若者を主人公とした自伝的な長編小説『若き日の詩人たちの肖像』で、ドストエフスキーの『白夜』の冒頭の文章を何度も引用するとともに、「異様な衝撃」を受けたナチスの宣伝相ゲッベルスの「野蛮な」演説にも言及していた作家の堀田善衛氏でした。

 平田篤胤の全集を読んだ主人公は、「洋学応用の復古神道――新渡来の洋学を応用して復古というのもまことに妙なはなしであったが――は、儒仏を排し、幕末にいたっては国粋攘夷思想ということになり、祭政一致、廃仏毀釈ということになり、あろうことか、恩になったキリスト教排撃の最前衛となる。それは溜息の出るようなものである」という感想を抱くのです。

さらに、堀田は登場人物の一人に「平田篤胤がヤソ教から何を採って何をとらなかったかが問題なんだ、ナ」と語らせ、「復古神道はキリスト教にある、愛の思想ね、キリストの愛による救済、神の子であるキリストの犠牲による救済という思想が、この肝心なものがすっぽり抜けているんだ。汝、殺すなかれ、が、ね」と続けさせていました。

 この言葉は、昭和九年の「『白痴』についてⅠ」において「殺すなかれ」という理念を説いていたムィシキンを主人公とした長編小説『白痴』の結末を、「悪魔に魂を売り渡して了つたこれらの人間」によって「繰り広げられるものはたゞ三つの生命が滅んで行く無気味な光景だ」と解釈していた小林秀雄の批評方法に対する厳しい批判ともなっているでしょう。

 悲惨な戦争へと突入していくことになる時期の日本を描いた『若き日の詩人たちの肖像』は、政府主催による「明治百年記念式典」が盛大に行われた一九六八年に発行されていました。

このことに留意するならば、主人公の心境を描いたこの文章は、「立憲主義」を敵視して「憲法」の放棄を目指す復古主義的な傾向が再び強くなり始めていた執筆当時の日本に対する深い危惧の念をも示しているようにも思えます。(表記は現代表記に改めました)。

→ 二、「神国思想」と司馬遼太郎の「別国」観

   (2018年7月25日、8月18日改題と改訂)

 

新著の発行に向けて

 一ヵ月ほど前に目次案をアップしましたが、その後、何度も読み返す中でまだテーマが絞り切れていないことが判明しました。各章に大幅に手を入れた改訂版をアップし、旧版の「目次案」を廃棄しました。

 発行の時期は少し遅れるかも知れませんが、現在、日本が直面している困難な問題がより明確になったのではないかと思えます。専門外の方や若者にも分かり易く説得力のある本にしたいと考えていますので、もう少しお待ち下さい。(2018年6月22日)

 

目次案旧版。新版へのリンク先は本稿の文末参照)

〔青春時代に「憲法」を獲得した明治の文学者たちの視点で、「憲法」のない帝政ロシアで書かれ、権力と自由の問題に肉薄した『罪と罰』を読み解く〕

 

はじめに 

危機の時代と文学

→ 一、「国粋主義」の台頭と『罪と罰』の邦訳

 二、教育制度と「支配と服従」の心理――『破戒』から『夜明け前』へ

 

序章 一九世紀のグローバリズムと『罪と罰』

一、人間の考察と「方法としての文学」

二、帝政ロシアの言論統制と『貧しき人々』の方法

三、「大改革」の時代と法制度の整備

四、「正義の戦争」と「正義の犯罪」

 

第一章 「古代への復帰」と「維新」という幻想――『夜明け前』を読み直す

はじめに 黒船来航の「うわさ」と「写生」という方法

一、幕末の「山林事件」と「古代復帰の夢想」

二、幕末の「神国思想」と「天誅」という名のテロ

三、裏切られた「革命」――「神武創業への復帰」と明治の「山林事件」

四、新政府の悪政と「国会開設」運動

五、「復古神道」の衰退と半蔵の狂死

 

第二章 「『罪と罰』の殺人罪」と「教育と宗教」論争――徳富蘇峰の影

はじめに 徳富蘇峰の『国民之友』と『文学界』

一、『国民之友』とドストエフスキーの雑誌『時代』

二、北村透谷のトルストイ観と「『罪と罰』の殺人罪」

三、「教育勅語」の渙発と評論「人生に相渉るとは何の謂ぞ」

四、徳富蘇峰の『吉田松陰』と透谷の「忠君愛国」批判

五、透谷の死とその反響

 

第三章 明治の『文学界』と『罪と罰』の受容の深化――「虚構」という手法

はじめに 『文学界』と『国民之友』の廃刊――「立憲主義」の危機

一、民友社の透谷批判と『文学界』

二、樋口一葉の作品における女性への視線と『罪と罰』

三、正岡子規の文学観と島崎藤村

四、日露戦争の時代と『破戒』

 

第四章 『罪と罰』で『破戒』を読み解く――――教育制度と「差別」の考察

はじめに 『罪と罰』の構造と『破戒』の人物体系

一、「差別」の正当化と「良心」の問題――猪子蓮太郎とミリエル司教

二、郡視学と校長の教育観と「忠孝」についての演説

三、「功名を夢見る心」と「実に実に情ないという心地」――父親の価値観との対立

四、ラズミーヒンの働きと土屋銀之助の役割

五、二つの夢と蓮太郎の暗殺

六、『破戒』の結末と検閲の問題

            

第五章 「立憲主義」の崩壊――『罪と罰』の新解釈と「神国思想」

はじめに 「勝利の悲哀」

一、島崎藤村の『春』から夏目漱石の『三四郎』へ

二、森鷗外の『青年』と日露戦争後の「憲法」論争

三、小林秀雄の『破戒』論と『罪と罰』論

四、よみがえる「神国思想」と小林秀雄の『夜明け前』論

 

あとがきに代えて――「憲法」の危機と小林秀雄の『夜明け前』論

→ 一、小林秀雄の平田篤胤観と堀田善衛

→ 二、「神国思想」と司馬遼太郎の「別国」観

      (2018年7月14日、7月31日、8月18日、9月2日更新)

近刊『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機――北村透谷から島崎藤村へ』(目次)

核戦争の危険性を踏まえた「日本国憲法」と「原発ゼロ法案」の意義(再掲)

「日本国憲法」は広島と長崎の悲惨な体験を踏まえて公布されましたが、昨年はようやく「核兵器禁止条約」が結ばれ、ICANにノーベル平和賞が与えられるなど新しい流れが生まれました。

一方で、『原子力科学者会報』は核戦争の懸念の高まりやトランプ米大統領の「予測不可能性」、さらに北朝鮮による核開発などを理由に、今年の「終末時計」の時刻がついに1953年と同じ残り2分になったと発表しました(AFP=時事)。

世界終末時計の推移

(図版は「ウィキペディア」より)

ビキニ環礁で原爆の千倍もの破壊力を持つ水爆「ブラボー」の実験が行われたために「第五福竜丸」や他の漁船の船員たち、そして島の住民たちが被爆したのが、その翌年の1954年のことでした。そのことを考えるならば、世界はふたたび「人類滅亡」の危機を迎えているといっても過言ではないでしょう。

それにもかかわらず、安倍首相の「明治維新」礼賛に現れているように、神話的な歴史観から古代を理想視する閣僚がほとんどを占めている安倍内閣は、核の危険性から眼を背けつつ原発の再稼働ばかりでなく、超大国アメリカに追随して軍拡を進めています。

しかし、危機を回避するためには、厳しい「現実」を直視して、その対策を練ることが必要でしょう。幸い、昨年、結成された立憲民主党が早速、「原発ゼロ基本法タウンミーティング」を開始しているだけでなく、共産党、自由党、社民党など他の立憲野党との協力も育っていく可能性が見えてきました。

それゆえ、メニューの「国民の安全と経済の活性化のために脱原発をに加筆するとともに、新たな図版も加えました。

野党4党、原発ゼロ法案を提出「5年以内の全原発廃炉」:朝日新聞デジタル(2018年3月9日)

https://www.asahi.com/articles/ASL392VZFL39UTFK003.html

原発ゼロ法案「自民にも対案求めたい」 立憲・枝野氏:朝日新聞デジタル(2018年6月10日)

https://www.asahi.com/articles/ASL6B4PQ1L6BUTFK007.html

    (2018年1月26日、6月22日、改訂版を再掲)

ドストエーフスキイの会、第246回例会(合評会)のご案内と過去の例会一覧

「第246回例会のご案内」を「ニュースレター」(No.147)より転載します。

*   *   *

第246回例会のご案内

  『広場』27号の合評会です。論評者の報告時間を10分程度と制限して自由討議の時間を多くとりました。記載されている以外のエッセイや書評などに関しても、会場からのご発言は自由です。多くの皆様のご参加をお待ちしています。                                          

日 時2018年7月14日(土)午後2時~5時         

場 所千駄ヶ谷区民会館(JR原宿駅下車徒歩7分)   ℡:03-3402-7854 

             

掲載主要論文の論評者と司会者

 清水論文:「祭り」‐『悪霊』版ワルプルギスの夜 ―近藤靖宏氏

大木論文:「スタヴローギンの告白」について ―福井勝也氏

高橋論文:『罪と罰』から『破戒』へ―北村透谷を介して ―池田和彦氏

齋須論文:ドストエフスキーの土壌主義と「ロシア民衆の理想像」ザドンスクのチーホン ―木下豊房氏

木下論文:『カラマーゾフの兄弟』におけるヨブ記の主題とゾシマ長老像、およびその思想の源流 ―大木昭男氏

宇山論文:『カラマーゾフの兄弟』の語りの構造をめぐる試論―泊野竜一氏

エッセイ、学会報告:フリートーク

 司会:熊谷のぶよし氏       

 

*会員無料・一般参加者=会場費500円

 

*前回例会の「傍聴記」と「会計報告」は、「ドストエーフスキイの会」のHP(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)でご確認ください。

追記:例会の一覧を更新しました。

「ドストエーフスキイの会」例会一覧(第218回~第246回)

「予言的な」長編小説『罪と罰』と現代

(ヤースナヤ・ポリャーナでのトルストイ。出典は「ウィキペディア」)

ドストエフスキーとトルストイとは対立的に扱われることが多いのですが、日露戦争後にヤースナヤ・ポリャーナを訪れた徳冨蘆花から、ロシアの作家のうち誰を評価するかと尋ねられたトルストイは「ドストエフスキー」であると答え、『罪と罰』についても「甚佳甚佳(はなはだよし、はなはだよし)」と高く評価していました(徳冨蘆花「順禮紀行」)。

さらに、『破戒』と『罪と罰』の関係に言及していた評論家の木村毅は、『明治翻訳文学集』の「解説」で、『罪と罰』と『復活』の関係についてこう書いています。

「トルストイは、ドストイエフスキーを最高に評価し、殊に『罪と罰』を感歎して措かなかった。したがってその『復活』は、藤村の『破戒』ほど露骨でないが、『罪と罰』の影響を受けたこと掩い難く、(中略)女主人公のソーニャとカチューシャは同じく売笑婦で、最後にシベリヤに甦生するところ、同工異曲である。魯庵が『罪と罰』についで、『復活』の訳に心血を注いだのは、ひとつの系統を追うたものと云える。」

実際、『復活』翻訳連載の前日と前々日に「トルストイの『復活』を訳するに就き」との文章を載せた内田魯庵は、農奴の娘だったカチューシャと関係を持ちながら捨てて、裁判所で被告としての彼女と再会するまでは「良心の痛み」も感じなかった貴族ネフリュードフの甦生を描いたこの長編小説の意義を次のように記していました。

「社会の暗黒裡に潜める罪悪を解剖すると同時に不完全なる社会組織、強者のみに有利なる法律、誤りたる道徳等のために如何に無垢なる人心が汚され無辜なる良民が犠牲となるかを明らかにす」。

この文章はそのまま『罪と罰』の紹介としても通用するでしょう。しかも、ここで魯庵は「ラスコリニコフとネフリュードフ両主人公には、共通点があるとも無いとも見られる」と書いていましたが、農奴を殺し少女を自殺させても「良心」の痛みを感じなかったスヴィドリガイロフと貴族のネフリュードフと比較するならば類似性は顕著でしょう。

35700503570060(図版は「岩波文庫」より)。

『罪と罰』と『復活』との内的な関連に言及した木村の指摘は、領地では裁判権を与えられていたために自分を絶対的な権力者と考えて、民衆に対する犯罪をも平然と行っていた帝政ロシアの貴族たちの「良心観」の問題点にも鋭く迫っていたのです。

この意味で注目したいのは、この意味で注目したいのは、第五章で見るように森鷗外が小説『青年』において夏目漱石をモデルにした平田拊石に乃木希典の教育観を暗に批判させていたことです。そして、鷗外は大逆事件の後で書いた小説『沈黙の塔』において、鳥葬の習慣を持つ国の出来事として、そこでは社会主義ばかりでなく自然主義の小説など「危険な書物を読む奴」が殺されていると記し、さらに「危険なる洋書」を書いた作家としてトルストイとドストエフスキーの名前と作品を挙げていることです。

すなわち、『戦争と平和』では「えらい大将やえらい参謀が勝たせるのではなくて、勇猛な兵卒が勝たせるのだ」と記されているので危険であり、ドストエフスキーも『罪と罰』で、「高利貸しの老婆」を殺す主人公を書いたから、「所有権を尊重していない。これも危険である」とされたと記しているのです。

ここではトルストイの『復活』については言及されていませんが、昭和七年に京都大学の滝川教授が「『復活』を通して見たるトルストイの刑法観」と題した講演を行うと翌年には著書『刑法読本』と『刑法講義』が発禁処分となったばかりでなく、休職処分にあったのです。

(なお、戦争で死刑を宣告された復員兵を主人公として映画化した長編小説『白痴』を昭和二六年に映画化することになる黒澤明監督は、終戦直後の昭和二一年に滝川教授をモデルの一人とした《わが青春に悔なし》を公開しています)。

そしてこの滝川事件は昭和一〇年の「天皇機関説事件」の先駆けとなり、復古的な価値観の復興を目指す「国体明徴運動」によって美濃部達吉の『憲法講義』も発禁処分となり、明治期から続いていた「立憲主義」が崩壊したのです。

この意味で注目したいのは、第一次世界大戦後に「ドイツの青年層が、自分たちにとってもっとも偉大な作家としてゲーテでもなければニーチェですらなく、ドストエフスキーを選んでいること」に注意を向けたドイツの作家・ヘルマン・ヘッセがドストエフスキーの作品を「ここ数年来ヨーロッパを内からも外からも呑み込んでいる解体と混沌を、これに先んじて映し出した予言的なものである」と指摘していたことです。

 実際、ポルフィーリイに「あの婆さんを殺しただけですんで、まだよかったですよ。もし別の理論を考えついておられたら、幾億倍も醜悪なことをしておられたかもしれないんだし」と語らせたドストエフスキーは、エピローグの「人類滅亡の悪夢」で「自己(国家・民族)の絶対化」の危険性を示していました。このことに留意するならば、ドストエフスキーの指摘は、危機の時代に超人思想を民族にまで拡大して、「文化を破壊する」民族と見なしたユダヤ民族の絶滅を示唆したヒトラーの出現をも予見していたとさえ思えます。

このように見てくる時、トルストイがドストエフスキーの作品を高く評価したのは、そこに「憲法」がなく権力者の横暴が看過されていた帝政ロシアの現実に絶望した主人公たちの苦悩だけでなく、制度や文明の問題も鋭く描き出す骨太の「文学」を見ていたからでしょう。

現在の日本ではこのような制度に絶望した主人公たちの過激な言動や心理に焦点があてられて解釈されることが多くなっていますが、それは厳しい検閲にもかかわらず自由や平等、生命の重要性などの「立憲主義」的な価値観の重要性を描いていたドストエフスキーの小説の根幹から目を逸らすことを意味します。

一方、黒船来航に揺れた幕末に国学者となった自分の父親をモデルとした長編小説『夜明け前』を昭和四年から断続的に連載し、昭和一〇年一〇月に完結した島崎藤村は、その翌月にロンドンの国際ペンクラブからの要請を受けて文学者たちが設立した「言論の自由を守る」日本ペンクラブの初代会長に就任していました。

こうして、北村透谷や島崎藤村など明治時代の文学者たちの視点で、トルストイの作品も視野に入れながら森鷗外が「危険なる洋書」と呼んだ『罪と罰』を詳しく読み直すことは、国会での証人喚問で「良心に従って」真実を述べると誓いながら高級官僚が公然と虚偽発言を繰り返すことがまかり通っている現代の日本で起きている「立憲主義」の危機の原因にも迫ることにもなるでしょう。

(2018年6月3日、加筆と改題。6月22日改訂、7月14日改題と更新)

権力者の横暴と「憲法」と「良心」の意義

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 (内田魯庵(1907年頃)、図版は「ウィキペディア」より)

「天皇機関説」事件で日本の「立憲主義」が崩壊する前年の昭和九年に書いた「『罪と罰』についてⅠ」で文芸評論家の小林秀雄は、「惟ふに超人主義の破滅とかキリスト教的愛への復帰とかいふ人口に膾炙したラスコオリニコフ解釈では到底明瞭にとき難い謎がある」と記し、「罪の意識も罰の意識も遂に彼には現れぬ」と断言していました(太字は引用者)。

しかし、「大改革の時代」に発表された長編小説『罪と罰』で注目したいのは、裁判制度の改革に関連して創設された司法取調官のポルフィーリイが、ラスコーリニコフに対して、「その他人を殺す権利を持っている人間、つまり《非凡人》というやつはたくさんいるのですかね」と問い質していたことです。

そして、「悪人」と見なした者を殺した人物の「良心はどうなりますか」という問いに「あなたには関係のないことでしょう」といらだたしげに返事したラスコーリニコフに対しては、「いや、なに、人道問題として」と続けて、「良心を持っている人間は、誤りを悟ったら、苦しめばいい。これがその男への罰ですよ」という答えを得ていました(三・五)。

 この返事に留意しながら読んでいくと本編の終わり近くには、「弱肉強食の思想」などの近代科学に影響されたラスコーリニコフの誤った過激な「良心」理解の問題を示唆するかのような、「良心の呵責が突然うずきだしたような具合だった」(六・一)と書かれている文章と出会うのです。

『罪と罰』では司法取調官のポルフィーリイとの白熱した議論や地主のスヴィドリガイロフとラスコーリニコフの妹・ドゥーニャとの会話だけでなく、他の登場人物たちの会話でもギリシャ語の「共知」に由来する「良心」という単語がしばしば語られています。

近代的な法制度を持つ国家や社会においては絶対的な権力を持つ王や皇帝の無法な命令や行為に対抗するためにも、権力者からの自立や言論の自由などでも重要な働きをしている「個人の良心」が重要視されているのです。

日本語には「恥」よりも強い語感を持つ「良心」という単語は日常語にはなっていませんが、この単語は近代の西欧だけでなくロシアでは名詞から派生した形容詞や副詞も用いられるなど、裁判の場だけでなく日常生活においても用いられています。

そして、「日本国憲法」では「すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」と定められていますが、薩長藩閥政府との長い戦いを経て「憲法」が発布されるようになる時代を体験した内田魯庵も、この長編小説における「良心」の問題の重要性に気付いており、この長編小説の大きな筋の一つは「主人公ラスコーリニコフが人殺しの罪を犯して、それがだんだん良心を責められて自首するに到る経路」であると指摘していました。(「『罪と罰』を読める最初の感銘」、明治四五年)。

そして島崎藤村もドストエフスキーについて「その憐みの心があの宗教観ともなり、忍苦の生涯ともなり、貧しく虐げられたものの描写ともなり、『民衆の良心』への最後の道ともなったのだろう」と記していたのです(かな遣いは現代表記に改めた。『春を待ちつつ』、大正一四年)。

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(島崎藤村、出典は「ウィキペディア」。書影は「アマゾン」より)

この言葉も藤村の深い『罪と罰』理解の一端を示していると思えます。なぜならば、ラスコーリニコフを自首に導いた女性にソフィア(英知)という名前が与えられているからです。ドストエフスキーが自分の監獄体験を元に書いた『死の家の記録』において、「賢人たちのほうこそまだまだ民衆に学ばなければならないことが多い」と書いていたことを思い起こすとき、「教育らしい教育」を受けたことがないソフィア(愛称はソーニャ)が果たした役割はきわめて大きかったのです。

一方、正宗白鳥は「『破戒』と『罪と罰』とは表面に似てゐるところがあるだけで、本質は似ても似つかぬものである」と『自然主義文学盛衰史』で断言していました。しかし、「民衆の良心」という用語に注目して長編小説『破戒』を読み直すとき、使用される回数は多くないものの「良心」という単語を用いながら主人公の「良心の呵責」が描かれているこの長編小説が、表面的なレベルだけでなく、深い内面的なレベルでも『罪と罰』の内容を深く理解し受け継いでいることが感じられます。

すなわち、「非凡人の理論」を考え出して「高利貸しの老婆」の殺害を正当化していたラスコーリニコフの「良心」理解の誤りを多くの登場人物との対話だけでなく、彼の「夢」をとおして視覚的な形で示したドストエフスキーは、ソーニャの説得を受け入れたラスコーリニコフに広場で大地に接吻した後で自首をさせ、シベリアでは彼に「人類滅亡の悪夢」を見させていました。

 『破戒』において帝政ロシアで起きたユダヤ人に対する虐殺に言及していた島崎藤村も、自分の出自を隠してでも「立身出世」せよという父親の「戒め」に従っていた主人公の瀬川丑松が、「差別」の問題をなくそうと活動していた先輩・猪子蓮太郎の教えに背くことに「良心の呵責」を覚えて、猪子が暗殺されたあとで新たな道を歩み始めるまでを描き出したのです。

(2018年7月14日、改題と更新)

 

ドストエーフスキイの会総会と245回例会(報告者:泊野竜一氏)のご案内

ドストエーフスキイの会第49回総会と245回例会のご案内を「ニュースレター」(No.146)より転載します。

*   *   *  

 下記の要領で総会と例会を開催いたします。皆様のご参加をお待ちしています。                                          

日 時2018512日(土)午後1時30分~5時           

場 所千駄ヶ谷区民会館(JR原宿駅下車徒歩7分)   ℡03-3402-7854 

総会:午後130分から40分程度、終わり次第に例会

議題:活動・会計報告、運営体制、活動計画、予算案など

 例会報告者:泊野竜一 氏

題 目: 19世紀ヨーロッパ文学における沈黙する聞き手

   ホフマン、オドエフスキー、ドストエフスキーとの比較考察の試み                           

*会員無料・一般参加者=会場費500円

報告者紹介:泊野竜一(とまりの りょういち

早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程人文科学専攻ロシア語ロシア文化コース。研究テーマは、ドストエフスキー作品における対話表現としての長広舌と沈黙との問題、さらには19-20世紀ロシア文学における対話表現の問題の研究。2016年9月−2017年6月までモスクワ大学留学。具体的な研究内容として、ドストエフスキーの作品を中心として、その先駆となるもの、あるいは後継となるものとして、オドエフスキー、ゴーゴリ、アンドレーエフ、ガルシン、ブリューソフの作品を取り上げる。そして、それらの間での「分身」「狂気」「内的対話」の問題に取り組む予定。

 

245回例会報告要旨

19世紀ヨーロッパ文学における沈黙する聞き手ホフマン、オドエフスキー、ドストエフスキーとの比較考察の試み

2015年の225回例会では、ドストエフスキーが長編小説中、特に『カラマーゾフの兄弟』の《大審問官》で、一つの独特な対話表現を用いていると考えられること、それは、対話者の片方は長広舌を続け、もう片方は沈黙しそれを拝聴するという形式をもっていること、つまりこの対話は、見かけ上は、一方的なモノローグの様相を呈しているが、通常の相互通行の対話よりも、はるかに豊かな内的対話の表現となっていたのであったということについて発表した。

 しかしドストエフスキーに先行するE. T. A. ホフマンやV. F. オドエフスキーの作品にも《大審問官》の対話と少なくとも形式上は一致しているといえる対話が存在する。具体的にはまず、ホフマンの『砂男』に登場する学生のナターニエルとスパランツァーニ教授の令嬢オリンピアの対話が挙げられる。ナターニエルはふとしたことからスパランツァーニ教授の令嬢である美女オリンピアに恋をする。ところがオリンピアは教授の製作した自動人形であった。オリンピアは、彼女に恋したナターニエルの熱烈なアプローチに対してただ通り一遍の返答をすることしか出来ない。次に、オドエフスキーの〈ベートーベン晩年のカルテット〉に登場するベートーベンとその弟子のルイーザとの対話が挙げられる。〈ベートーベン晩年のカルテット〉は、若者たちが毎晩集まり、世を徹して語るという形式で書かれたオドエフスキーの額縁小説『ロシアン・ナイト』の第六夜で語られる物語である。この物語中でベートーベンはルイーザに対して芸術論を語るのであるが、ベートーベンの一弟子にすぎないルイーザは、ベートーベンの熱弁に対して一切返答することなく、ただひたすら彼の長広舌を拝聴しているのである。

 先行研究から、ドストエフスキーはホフマンやオドエフスキーからさまざまなかたちで影響を受けている作家であると考えられている。本発表では、長広舌を揮う話し手と、通常の対話では脇役としての役割を担うはずの、沈黙し長広舌を拝聴する聞き手という対話表現に注目する。これらの作品の対話の具体的な分析を行いつつ、《大審問官》との関連性について考察する。その上で、19世紀文学におけるこのような独特な対話表現の意義について検討していく。

 

三宅正樹著『近代ユーラシア外交史論集』の書評を「著書・共著と書評・図書紹介」の欄に掲載

『近代ユーラシア』紀伊國屋書店ウェブ頁(書影は、紀伊國屋書店のWEBより)

古代ギリシャや西欧各国だけでなくギリシャ正教を受け入れたロシアや、古代から現代にいたる中国や近代日本の時間概念が比較文明論の視点から考察されている大著『文明と時間』の第一部「比較文明論の視角」については、かつて『文明研究』第31号に掲載された書評で紹介しました。

なぜならば、そこでは湾岸戦争やボスニア・ヘルツェゴビナの紛争、チェチェン紛争などが頻発するようになったソ連の崩壊後の事態を受けて、これからは「イデオロギーの対立」に代わって「文明の衝突」の危険性がますます増えると予測して激しい議論を呼んだ政治学者サミュエル・ハンチントンの「文明の衝突?」(1993年)や大著『文明の衝突と世界秩序の再編成』(1996年、邦訳『文明の衝突』)が、トインビーの文明論だけでなく山本新氏の『周辺文明論――欧化と土着』や神川正彦氏の論文の考察をとおして詳しく考察されていたからです。

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三宅正樹著『文明と時間』(東海大学出版会、2005年)

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広い歴史的視野と比較文明学的な視点で書かれている今回のご著書『近代ユーラシア外交史論集』も、現代の政治や外交の問題を考える上で重要な示唆にとんでおり、その意義はきわめて大きいと思います。

国際政治史は私の専門外なのですが、ロシアの「ユーラシア主義」と司馬遼太郎の文明観との関係に引きつけて論じてみました。東海大学文明学会『文明研究』第36号に掲載された書評を「著書・共著著書・共著と書評・図書紹介」の欄に転載しました。

書評 三宅正樹著『近代ユーラシア外交史論集』(千倉書房、2015)

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日独伊三国同盟については本書でも言及されていましたが、「ヒトラーの戦争計画を史料に則して詳細に展開させ、ヒトラーと日本との関係にも日独伊三国同盟締結の過程で言及した、ユニークなヒトラー伝」の新訂版が5月に刊行されました。

ヒトラーと日本との関係については、昭和初期と現在の日本の政治思想とのつながりを考える上でもきわめて重要だと思えます。それゆえ、日本が無謀な戦争へと突入していく暗い昭和初期を描いた堀田善衛の『若き日の詩人たちの肖像』との関連で、本書『ヒトラーと第二次世界大戦 (新訂版)』(清水書院)にも言及したいと考えています。

ここでは取りあえず、本書の書影と目次を以下に掲載しておきます。

新・人と歴史拡大版<br> ヒトラーと第二次世界大戦 (新訂版)

(書影は紀伊國屋書店のwebによる)

目次

1 ドイツ国防軍とヒトラー(ホスバッハ覚書;国防軍掌握まで)
2 中央ヨーロッパの覇者として(オーストリア合併とチェコスロヴァキア解体;独ソ不可侵条約からポーランド分割へ;ヨーロッパ制覇)
3 東京・モスクワ・ベルリン(ベルヒテスガーデン会談と荻窪会談;日独伊三国同盟)
4 ヒトラー・モロトフ会談(モロトフとリッベントロップ;モロトフとヒトラー)

大岡昇平の江藤淳批判と子規の評論の高い評価

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夏目漱石(1867~1916、本名は金之助)。以下の図版は、いずれも「ウィキペディア」より。

夏目漱石は断片「無題」の最後に、自分の留学中に亡くなった盟友・子規への思いを次のように記していました。

 「霜白く空重き日なりき、我西土より帰りて、始めて汝が墓門に入る。爾時汝が水の泡は既に化して一本の棒杭たり。われこの棒杭を周る事三度、花も捧げず水も手向けず、只この棒杭を周る事三度にして去れり。汝は只汝の土臭き影をかぎて、汝の定かならぬ影と較べなと思ひしのみ」。

文芸評論家の江藤淳は、この文章を「子規に托し、嫂登世の墓を前にしての「孤愁」を述べた」ものであると解釈し、「棒杭とは登世の戒名を書いた『卒塔婆』であることが判明する」と注記していました。

これに対して、「卒塔婆はどうみても板で」あるが、「子規の墓はこの頃は例の墓標で、まさに『棒杭』だったのである」と指摘した大岡昇平は『子規全集』の監修者の一人として、「私はこの文献を江藤氏の三文小説的な曲解から守るつもりである」と記していました。(「江藤淳の『漱石とアーサー王傳説』を読む」、『文学における虚と実』、講談社、1976年、89~94頁)。

漱石の作品を嫂登世への思いという視点からスキャンダラスに解釈した文芸評論家の江藤淳は、「『文学論』を書いていた漱石には、自らの復讐の対象である文学の感触を楽しんでいるような、奇妙に倒錯した姿勢がある」とも記していました(下線引用者、江藤淳『決定版 夏目漱石』新潮文庫、1979年、45頁)。

しかし、正岡子規についての著作もある末延芳晴氏は、ロンドンでの漱石を考察して、江藤のような解釈は「『文学論』とその『序』が持つ本質的意味を読み誤ってしまって」いると厳しく批判しています(末延芳晴『夏目金之助 ロンドンに狂せり』青土社、2004年、462~464頁)。

この意味で注目したいのは、作家で小林秀雄の直弟子といえる大岡昇平が、こう記していたことです。

「私は、漱石は子供のとき読んだきりでございまして、むしろ若いころは、漱石は何かあまりおもしろくないんだというような雰囲気の中にいたわけで、私は高等学校のころから、つまり昭和の初めですが、いろいろ教えていただいた小林秀雄、河上徹太郎、あのグループには漱石論はないのです。」

しかも、大岡は江藤淳の夏目漱石論について「江藤さんの学術的探索は、こういう風に常にテクストから遊離したところで行われています」と、批判しています。(「漱石の構想力 江藤淳の『漱石とアーサー王伝説』批判、『文学における虚と実』、95頁、108頁)。

この大岡の言葉からは、『罪と罰』論に続く「『白痴』についてⅠ」で小林秀雄が、貴族トーツキーの妾にされていた美女のナスターシヤを「この作者が好んで描く言はば自意識上のサディストでありマゾヒストである」と規定していたことが思い起こされます。なぜならば、両親が火災で亡くなったために孤児となったナスターシヤは、少女趣味のあったトーツキーによって無理矢理に妾にさせられていたのです。

「憲法」がなく表現の自由も厳しく制限されていた帝政ロシアで苦闘していたドストエフスキーの作品を主人公たちの情念に絞ってスキャンダラスに分析した小林秀雄の解釈の手法は、文芸評論家・江藤淳の漱石論にも受け継がれているといえるでしょう。

他方で大岡昇平は、島崎藤村の『若菜集』を新聞『日本』で厳しく批判した子規の「若菜集の詩と画」について、子規の評論には「同じ直截な論理と、歯に衣きせぬ語法において、今日でも私たちが手本とすべき多くのものを含んでいると思われる」と書いていました。

北村透谷の死後に島崎藤村が正岡子規と会って新聞『日本』への入社の相談をしていたことを考えるならば、『若菜集』から長編小説『破戒』への移行を考えるうえで、子規の批評についての大岡の評価はきわめて重要だと思えます。

(2018年4月24日、改訂。5月6日、改訂と改題)

高級官僚の「良心」観と小林秀雄の『罪と罰』解釈――佐川前長官の「証人喚問」を見て

「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機 高橋 誠一郎(著/文) - 成文社 

先月の3月27日に行われた国会で「森友問題」に関して佐川宣寿・前国税庁長官の「証人喚問」が行われました。 喚問に先立って「良心に従って真実を述べ何事も隠さず、また、何事も付け加えないことを誓います (日付・氏名)」との宣誓書を朗読したにもかかわらず、佐川前長官は証言拒否を繰り返し、偽証の疑いのある発言をしていました。

その時のテレビ中継を見ながら思ったのは、戦前の価値観への回帰を目指す「日本会議」に支えられた安倍政権のもとで立身出世を果たした高級官僚からは、日本国憲法の第15条には「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」と明記されているにもかかわらず、「良心」についての理解が感じられないということでした。

なぜならば、日本国憲法の第19条には、「人間は、理性と良心とを授けられて」おり、「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」とされ、日本国憲法76条3項には、「すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」と定められているからです。

そのことを考慮するならば、憲法にも記されている「良心」という用語を用いて、「良心に従って真実を述べ何事も隠さず」と述べた宣誓はきわめて重たいはずなのですが、佐川前長官はその重みを感じていないのです。 それゆえ、このような高級官僚に対しては、宣誓の文言を「良心に従って真実を述べ何事も隠さず」の代わりに、「日本人としての尊厳に賭けて真実を述べ何事も隠さず」としなければ本当の証言は出ないだろうとすら感じました。

ただ、「良心」についての理解の欠如は彼らだけに留まらず、学校などで「良心」の詳しい説明がなされていないので、戦後の日本でも「良心」は日本語としてはそれほど定着しておらず、多くの人にとっては漠然としたイメージしか浮かばないでしょう。 「良心」という単語やその理論は、法哲学にもかかわるので、少し難しいかもしれませんが、ここではまず、なぜ「良心」にそのような重要な意義が与えられたのかを、主に吉沢伝三郎氏の記述によりながら、その歴史的な経過を簡単に振り返っておきましょう。

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すでにこの単語は、キリスト教の初期にもパウロなどによって多く用いられ大きな役割を演じましたが、近世に至るとキリスト教会では「免罪符」を乱発するなどの腐敗が目立つようになってきました。しかし、教皇に神の代理人としての地位が与えられている以上、それを批判することは許されませんでした。

このような中で教会の腐敗を批判したプロテスタントにおいては「知」の働きを持つ「良心」に、神の代理人である「教皇」であろうとも、不正を行っている場合にはそれを正すことのできる〈内的法廷〉としての重要な役割が与えられたのです。

皇帝に絶対的な権力が与えられていた近代のロシアにおいても、皇帝の絶対的な権力にも対抗できるような「良心」が重要視されたのでした。そして、自らをナポレオンのような「非凡人」であると考えて、「悪人」と規定した「高利貸しの老婆」の殺害を正当化した主人公を描いた長編小説『罪と罰』でも、「問題はわれわれがそれら(義務や良心――引用者)をどう理解するかだ」という根源的な問いが記されています。

「良心とはなにか」という問いは、ラスコーリニコフと司法取調官ポルフィーリイとの激論の中心をなしており、「良心に照らして流血を認める」ということが可能かどうかが主人公の心理や夢の描写をとおして詳しく検証され、エピローグに記されているラスコーリニコフの「人類滅亡の悪夢」は、こうした精緻で注意深い考察の結論が象徴的に示されているのです。

*   *

一方、文芸評論家・小林秀雄は、二・二六事件が起きる二年前の一九三四年に書いた「『罪と罰』についてⅠ」で弁護士ルージンや司法取調官ポルフィーリイとの白熱した会話などを省いて主観的に読み解いて、「惟ふに超人主義の破滅とかキリスト教的愛への復帰とかいふ人口に膾炙したラスコオリニコフ解釈では到底明瞭にとき難い謎がある」と記し、「罪の意識も罰の意識も遂に彼には現れぬ」と結論していました。

この評論が書かれる数年前の一九二七年には、小説『河童』で検閲を厳しく批判した芥川龍之介が自殺するなど治安維持法が施行されて言論の自由が厳しく制限されており、評論の一年後には天皇機関説が攻撃されて「立憲主義」が骨抜きになります。

 小林秀雄が敗戦後の1948年11月に書いた「『罪と罰』についてⅡ」では、「事件の渦中にあつて、ラスコオリニコフが夢を見る場面が三つも出て来るが、さういふ夢の場面を必要としたことについては、作者に深い仔細があつたに相違ない」と記されているように、『罪と罰』の夢についての言及があります。 しかし、戦時中の自分の発言については「自分は黙って事件に処した、利口なやつはたんと後悔すればいい」と記していた小林秀雄の戦後の『罪と罰』論でも、中核的なテーマである「良心」の考察には深まりが見られないのです。

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戦後に小林秀雄が「評論の神様」とまで称賛され、教科書でも彼の文章が引用されていることを考えるならば、そのような小林秀雄の「良心」観は、安倍政権によって出世した政治家たちや高級官僚たちの「良心」理解にも反映しているように思われます。

一方、長編小説『破戒』を日露戦争後に自費出版していた島崎藤村は一九二五年に発行した『春を待ちつつ』に収めたエッセーで、日本だけでなくロシアにおいてもドストエフスキーの評価がまちまちであることを指摘したあとでこう記していました。

「思うに、ドストイエフスキイは憐みに終始した人であったろう。あれほど人間を憐んだ人も少なかろう。その憐みの心があの宗教観ともなり、忍苦の生涯ともなり、貧しく虐げられたものの描写ともなり、『民衆の良心』への最後の道ともなったのだろう。」

この言葉からは「明治憲法」の公布に到る時期を体験していた島崎藤村が『罪と罰』における「良心」の問題を深く理解していたことが感じられます。

現在の日本における政治家や高級官僚の「道徳」的な腐敗を直視するためには、北村透谷や夏目漱石、正岡子規など明治の文学者たちの視点で、「立憲主義」が放棄される前年の1934年に書かれて現代にも強い影響力を保っている小林秀雄の『罪と罰』論と「良心観」の問題点を厳しく問い直す必要があると思えます。

(2018年4月27日加筆。重要箇所を太字で表記,2023/02/13、ツイートを追加)