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(4)眼が真っ黒に塗りつぶされた羊の絵――参謀の「魔法の杖」と内閣官房の闇

この映画では新聞社の社会部に匿名で送られてきた「医療系大学の新設」に関する極秘公文書の表紙に描かれた「真っ黒に眼が塗りつぶされた羊」の絵が、重要な役割を果たしている。

すると神崎の妻・伸子は「羊の形」が幼い娘のために書いた羊の絵とそっくりだが、やさしそうに笑っていた羊とは違い、沈黙に耐えているような苦悩を感じて夫の机の鍵を渡す。引き出しを開けた吉岡は、そこに全く同じ羊の絵と極秘公文書を見つけ、さらにその下には、重要な個所にはマークが付けられている本を発見した。それは化学兵器生物兵器の実験が行われていたアメリカ陸軍の実験施設で1968年に起きたダグウェイ羊事件と呼ばれる羊の大量死事件についての本だったのである。知らせを受けて駆け付けた杉原(松坂)も、「真っ黒に眼が塗りつぶされた羊」の絵から強い衝撃を受け、吉岡(シム)に協力することを決意したのだった。

1931年(昭和6年)に「満州事変」を起こし翌年には満州国を建国した日本は、「五族協和」などの美しいスローガンを掲げたが、実際には過酷な植民地政策を行っていた。それを批判されると国際連盟から脱退しした日本は、1939年には陸軍が満州国境でノモンハン事件を起こして1940年の東京オリンピックは幻に終わっていた。

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映画できわめて重要な役割を果たしているこの「羊」の絵をとおして、オリンピックを翌年に控えた現在の日本と昭和初期の危険な類似性を分析することにする。

   *   *   *

 満州国の国境付近で1939年に起きたノモンハン事件について、研究者のクックス氏から戦前の日本では国家があれだけの無茶をやっているのに国民は「羊飼いの後に黙々と従う」羊だったと指摘された司馬遼太郎は、「日本は、いま世界でいちばん住みにくい国になっています。…中略…『ノモンハン』が続いているのでしょう」と応じていた(「ノモンハンの尻尾」『東と西』朝日文庫)。

戦車兵だった司馬がノモンハン事件に強い関心を持ったのは、日本ではこの事件のことが全く報道されていなかったためである。軍による「嘘」や情報の「隠蔽」は、太平洋戦争時の「大本営発表」でいっそう顕著になるが、すでにこの頃から起きていたのであり、それはオリンピックを前年に控えた現在、内閣官房長官が記者会見で行う「情報」の質を予告していたように見える

米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は「日本は憲法で報道の自由が記された現代国家だ。それでも日本政府はときに独裁国家をほうふつとさせる振る舞いをしている」と批判しているが、敗戦から70年経った現在、安倍政権与党の自民党と公明党の議員だけでなく、官僚たちが再び「沈黙を強いられた羊」と化してしまったかのように感じ、この眼が真っ黒に塗りつぶされた「羊」は、現在の日本人の姿をも象徴しているように思えた。

誠実な官僚だった神崎の自殺は、司馬が書こうと長年準備していた幻の長編小説『ノモンハン』にも深く通じているところがある。

劇作家・井上ひさし氏との対談で「私は小説にするつもりで、ノモンハン事件のことを徹底的に調べたことがある」と記した司馬氏は、「ノモンハンは結果として七十数パーセントの死傷率」で、それは「現場では全員死んでるというイメージです」と語り、戦闘に参戦した連隊長の証言をも記していた。

すなわち、「天幕のなかにピストルを置いて、暗に自殺せよ」と命じられたことを伝えた須見新一郎元大佐は、「敗戦の責任を、立案者の関東軍参謀が取るのではなく」、貧弱な装備で戦わされ勇敢に戦った「現場の連隊長に取らせている」と厳しく批判したのである(『国家・宗教・日本人』)。

 「このばかばかしさに抵抗した」須見元大佐が退職させられたことを指摘した司馬は、彼のうらみはすべて「他者からみれば無限にちかい機能をもちつつ何の責任もとらされず、とりもしない」、「参謀という魔法の杖のもちぬしにむけられていた」と書いている(『この国のかたち』・第一巻)。

こうして「ノモンハン事件」を主題とした長編小説は『坂の上の雲』での考察を踏まえて、「昭和初期」の日本の問題にも鋭く迫る大作となることが十分に予想された。しかしこの長編小説の取材のためもあり行った元大本営参謀の瀬島龍三との対談が、『文藝春秋』の正月号(1974年)に掲載されたことが、構想を破綻させることになった。

すなわち、この対談を読んだ須見元連隊長は、「よくもあんな卑劣なやつと対談をして。私はあなたを見損なった」とする絶縁状を送りつけ、さらに「これまでの話した内容は使ってはならない」とも付け加えていた(「司馬遼太郎とノモンハン事件」)。

実際、『永遠の0(ゼロ)』で重要な働きをなしている元海軍中尉で「一部上場企業の社長まで務めた」武田貴則のモデルとなっている瀬島龍三は、戦後に商事会社の副社長となり再び政財界で大きな影響力を持つようになり、1995年には「日本会議」の前身である「日本を守る国民会議」顧問の役職に就いているのである。

「ゴジラの哀しみ 書影」の画像検索結果

須見元連隊長との関係について記した元編集者の半藤一利氏は、「かんじんの人に絶縁状を叩きつけられたことが、実は司馬さんの書く意欲を大いにそぎとった」のではないかと推測している。

研究者の小林竜夫氏も須見元大佐がこの長編小説の主人公だったのではないかと考え、「須見のような人物を登場させることはできなく」なったことが、小説の挫折の主な理由だろうと想定している(『モラル的緊張へ――司馬遼太郎考』)。たしかに、惚れ込んだ人物を調べつつ歴史小説を書き進めていた司馬のような作家にとって主人公を失うことは大きい。小説は「書かなかった」のではなく「書けなくなった」のである。

Japanese soldiers creeping in front of wrecked Soviet tanks.jpg

幻となったオリンピックの前年に起きたノモンハン事件と比較するとき、映画『新聞記者』の台本の執筆者たちがどの程度、司馬を意識したかは分からないが、「自殺」という問題をとおして、戦前から現在にいたる日本社会の病理にも迫ろうとしていたように思える。

 

(3)黒澤映画『悪い奴らはよく眠る』から『新聞記者』へ――自殺に追い込む社会の病理に鋭く迫る

もう一人の主人公は外務省から内閣情報調査室に出向していたエリート官僚の杉原(松坂桃李)である。ここでもその能力を高く評価されていた杉原は、次第に自分が政権のために批判者のスキャンダルを作り上げるという陰険な作業に加担させられていることに気づいて困惑する。

この映画に圧倒的な緊張感を生み出しているのは、内閣情報調査室の直属の上司である内閣参事官多田を演じる田中哲司の存在感だろう。彼の演技からは昭和初期の日本の雰囲気がスクリーンから立ち上がってくる。

「伊藤詩織さんの事件」がスキャンダラスに報道されているのテレビを見た出産を間近に控えた妻・奈津美(本田翼)は、「ひどいわね」とつぶやくがその言葉は杉原の胸に突き刺さった。

物語が本格的に動き出すのは公務員のあるべき姿を学んだ外務省の頃の上司の神崎(高橋和也)と久しぶりに昔を思い出しながら楽しく飲んだときからである。

飲んで泥酔した彼を自宅に送り、神崎の妻・伸子(西田尚美)や美しい乙女に成長した彼の娘・千佳(宮崎陽名)と再会するが、別れ際に伸子は何かを切実に伝えようとしてやめた。それから数日後、神崎からの謎めいた言葉に驚いた杉原は必死に携帯電話で呼びかけるが返事はなく、ビルの屋上から身を投げた。

神崎の自殺からは独自の取材を続けていた吉岡も強い衝撃を受けた。すぐれたジャーナリストだった彼女の父も、政府がらみの不正融資の報道が誤報だったとされ自殺していたのである。父の死に顔を見て慟哭した吉岡の記憶が、父の自殺に悲しむ娘・千佳(宮崎陽名)の悲しみに重なる。

日本社会の病理と深く関わる自殺のテーマを黒澤明監督は、A級戦犯被疑者の岸信介が首相として復権して新安保条約を強行採決した1960年に公開された映画『悪い奴ほどよく眠る』で、汚職事件で自殺させられた父親の復讐を企んだ主人公の行動を、『罪と罰』を思わせるような推理小説的な手法と鋭い心理描写を用いながら描き出していた。

Постер фильма 

(写真はロシア語版「ウィキペディア」より)

https://twitter.com/stakaha5/status/972039214937268225

悪い奴ほどよく眠る(プレビュー)

脚本の執筆者の一人でもある藤井道人監督(詩森ろば、高石昭彦共著)がどの程度、黒澤映画『悪い奴ほどよく眠る』を意識していたかは分からない。しかし、この映画『新聞記者』も権力者から責任を押し付けられた部下が自殺を強いられる、あるいは苦悩のあげく自殺するという問題が、令和の時代になってもまったく改善されていないどころか、「公文書」の破棄など映画『悪い奴ほどよく眠る』が公開された1960年代よりも悪化していることを示しているのである。

「自殺の本当の理由」に迫ろうとしていた新聞記者・吉岡は、葬儀で知り合った杉原が、「私は国側の人間です」と語り突き放そうとした杉浦にたいして、「そんな理由で自分を納得させられるんですか? 私たち、このままでいいんですか」と鋭く問い詰めたのである。

葬儀の場での吉岡との運命的な出会いは、官僚の杉原をも動かしていくことになる。

 

映画『新聞記者』を読み解く(2)――権力の腐敗の問題に新聞と映画はどれだけ切り込むことができるか

 新聞社では文科省元トップ官僚の女性スキャンダルのニュースに緊張が走る。テレビなどのマスコミは、先を争うように「その人物の社会的信用を失墜させる」疑惑を報道。ことに大手の新聞社は特ダネを一面で大々的に報じた。しかし、通常は地方版では異なるはずの紙面は不思議なことにどこも同じであった。

そのことに疑問を抱いた女主人公の吉岡(シム・ウンギョン)は、真実を求めて文科省元トップ官僚の直撃取材を敢行し、総理の伝記を書いた人物を告発する本を書いた女性への中傷や罵倒がツイッターに氾濫するようになると、自分の考えをツイートする。

こうして、この映画では「官邸権力と報道メディア」(出演者:望月衣塑子、前川喜平、マーティン・ファクラー、南彰)という題名の討論番組の映像も組み込みながら、「情報」の「真偽」をめぐって緊迫した筋が展開していくことになる。

→討論「権力とメディア

興味深いのはトークイベントで河村光庸プロデューサーが、「新聞記者」製作の発端が「伊藤詩織さんの事件です」と明かし、こう続けていることである。「国家権力が逮捕状を出しておいてそれを取り下げるなんてことがあっていいのかと。そこまで来ちゃったのかと。大変な危機感を持ってなんとしてでもこの映画を作らなければと思いました」。

「新聞記者」トークイベントの様子。左から河村光庸、前川喜平、石田純一、高橋純子。

https://natalie.mu/eiga/news/343077(写真は「映画ナタリー」より)。

この言葉から私が思い出したのは、黒澤監督がロマノフ朝・最後の皇帝ニコライ2世とその一族の最期を当時のニュースフイルムや記録フィルムをも取り込んで壮大なスケールで描いた映画『アゴニヤ(断末魔))』を高く評価していたことである。

日本では《ロマノフ王朝の最期》という題で公開されたこの映画では、政府の汚職がはびこり、民衆の飢餓が拡がっていた帝政ロシアの末期に皇后や女官たちに巧みに取り入った怪僧ラスプーチンが犯した犯行も罪に問われなかったことが描かれていたのである。

ロマノフ王朝の最期【デジタル完全復元版】 [DVD]

(原題は『断末魔』、アマゾンより)

国連特別報告者は「日本政府に対し、特定秘密保護法の改正と、政府が放送局に電波停止を命じる根拠となる放送法四条の廃止を勧告した」が、安倍政権は無視し続け、報道の自由度は9年前の11位から67位にまで落ち、日本の「報道の自由」は危険水域に達しているように見える。

官僚たちが権力者の意向を「忖度」し、狂信的な宗教者が重用されるとき、国家は崩壊へと向かうといえよう。

   *   *

一方、菅官房長官の記者会見でも歯切れの良い口調で質問を行っている望月衣塑子記者の新書『新聞記者』(角川新書、2017年)を原案としたこの映画でも、国民の「知る権利」を守るために精力的な取材を続ける著者の姿勢が描かれている。

新聞記者 (角川新書)

しかも、この映画では原作にとらわれずに、女主人公の吉岡(シム・ウンギョン)に日本人の父と韓国人の母の間に生まれてアメリカで育ったという多元的なアイデンティティを与えることで、女主人公の人物像に深みを与ええている。

ある夜、新聞社の社会部に「医療系大学の新設」に関する極秘公文書が匿名のファックスで送られてくる、その書類を託された吉岡は調査を開始するが、その表紙に描かれていた眼が真っ黒に塗りつぶされた「羊」の絵は、エリート官僚の杉原(松坂桃李)と彼女を結びつけることになる。

前川喜平、寺脇研、望月衣塑子講演会

 

映画『新聞記者』を読み解く(1)――権力による情報の「操作」と「隠蔽」の問題に鋭く切り込む快心作

「映画 新聞記者」の画像検索結果

映画『新聞記者』では人気俳優の松坂桃李が主人公の一人を演じているにも関わらず、テレビでは映画『新聞記者』の前宣伝を見ることは全くなかった。それゆえ、私には戦前や戦中と同じような厳しい「報道統制」が敷かれているのかとすら思えた。

しかし、政府による言論の弾圧と常に直面している「報道」の問題をとおして、自民党の「憲法」案に記されている緊急事態条項の危険性にも肉薄しているこの映画は、上映館数はそれほど多くないにも関わらず、一時は映画興行収入のランキングで8位も記録した。

ソ連の末期には「言論の自由の重要性」を訴えた劇の切符を求める長い行列ができていた。

ここでは黒澤映画などと比較することにより、「言論の自由」がなくなり始めている現代日本の政治の闇に鋭く迫ることで、観客にも現実を変革する一歩を踏み出すことを求めるような力を有しているこの映画の内容と特徴を紹介することにしたい。

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【 映画パンフレット 】 新聞記者

 国会議事堂が中央に白く浮かび上がる夜の風景が映っている映画『新聞記者』のパンフレットを開くと、記者たちが働く大きな部屋の写真が見開きで載っており、その下に「この国に”新聞記者”が必要なのか――?」という文字が白い文字で打ち込まれている。

 実際、官房長官の記者会見などで見られるように、問題のある発言に対しても鋭い質問は飛ばず、ほとんどの記者が黙ってワープロを打つ映像がしばしばみられる。

8月9日には「上からの指示で公文書」を改ざんをさせられ、自殺した近畿財務局職員がいたにもかかわらず、森友問題では元財務省幹部らが再び不起訴となった。一方、この映画はフィクションという手法で、政府による言論の弾圧と常に直面している「報道」の問題を、主人公たちの内面をとおして描いており、テレビだけでなく警察や特捜までもが沈黙するようになり、高級官僚の「法意識」や「道徳観」が地に落ちたとも思えるこの時代に、報道に携わる「新聞記者」が政治の闇にどこまで迫れるかを鋭く問う力作となっている。

しかも、強大化した官邸の権力に高級官僚もひれ伏すようになるなかで、内閣情報調査室に出向して現政権を維持するために公安と連携して政敵のスキャンダルを創り上げることを命じられた元外務相のエリート官僚の苦悩をとおして彼の「良心」の問題にも迫っている。

8月8日に丸の内ピカデリーで映画『新聞記者』を再び観た際にも、冒頭から最後の場面まで一気に引きこまれて見入ってしまった。私が黒澤映画に熱中するようになったのは、映画《白痴》で小林秀雄の『白痴』論とはまったく異なる解釈を行っているように、黒澤監督には勝れた文学作品のすぐれた理解があった。また、NHKで大河ドラマ化された長編小説『坂の上の雲』の作者・司馬遼太郎も、「つくる会」によって「明治の賛美者」に仕立てられたが、ロシア文学に親しんでいた彼は「幕末から現代に至る「神国思想」の厳しい批判者であった。それゆえ、本稿では黒澤明の映画や司馬の幻の長編小説『ノモンハン』に注意を向けながら、映画『新聞記者』を読み解くことにしたい。

映画『新聞記者』予告編

→討論「権力とメディア

 
(書き進める中でこの稿は何度も書き直しているので、全部を書き終えた時から改訂の日時を記すことにする。2019年8月21日)。

(参考:パンフレット『新聞記者』)。

自著『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機――北村透谷から島崎藤村へ』の紹介文を転載

「桜美林大学図書館」の2019年度・寄贈図書に自著の紹介文が表紙の書影とともに掲載されましたので転載致します。

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「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機 高橋 誠一郎(著/文) - 成文社 

若きドストエフスキーは帝政ロシアの政治体制に抗して、農奴解放や言論の自由、裁判制度の改革を訴えて逮捕され、一度は死刑の判決を受けていた。大逆事件の後でこのことに言及した夏目漱石をはじめ、内田魯庵や北村透谷、そして島崎藤村はその重みをよく理解していた。

本書では「教育勅語」渙発後の北村透谷や『文学界』の同人たちと徳富蘇峰の『国民之友』との激しい論争などをとおして、権力と自由の問題に肉薄していた『罪と罰』を読み解き、この長編小説の人物体系などを深く研究して権威主義的な価値観や差別の問題を描いた『破戒』の現代的な意義に迫った。

その一方で、「天皇機関説」事件で日本の「立憲主義」が崩壊する前年の1934年に著した『罪と罰』論で「罪の意識も罰の意識も遂に彼には現れぬ」と主人公について解釈した小林秀雄の文学論の問題点を、彼の『破戒』論や『夜明け前』論を分析することで明らかにした。

さらに、徳富蘇峰の歴史観や英雄観との類似性に注目しながら小林秀雄の『我が闘争』の書評を分析することで、今も「評論の神様」と称賛されている彼の歴史認識の危険性も示唆した。本書が文学の意義を再認識するきっかけとなれば幸いである。

  高橋誠一郎(リベラルアーツ学群)

『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機――北村透谷から島崎藤村へ』(目次)

はじめに 危機の時代と文学――『罪と罰』の受容と解釈の変容  

→あとがきに代えて   「明治維新」一五〇年と「立憲主義」の危機

ドストエーフスキイの会、252回例会(合評会)のご案内

「第252回例会のご案内」を「ニュースレター」(No.153)より転載します。

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252回例会のご案内

『広場』28号の合評会です。論評者の報告時間を10分程度と制限して自由討議の時間を多くとりました。記載されている以外のエッセイや書評などに関しても、会場からのご発言は自由です。多くの皆様のご参加をお待ちしています。                                        

日 時2019年7月27日(土)午後2時~5時         

場 所千駄ヶ谷区民会館(JR原宿駅下車徒歩7分)   03-3402-7854 

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掲載主要論文の論評者と司会者

川崎エッセイ:コンピューターアルゴリズムと地下室人 ―太田香子氏

五〇周年に寄せて:木下:会発足五〇周年にちなんで 福井:「感想」―会誌「研究Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ」発刊の頃 高橋:「ドストエーフスキイ広場」発刊の頃 ―渡辺好明氏

清水論文:ドストエフスキイにおける癒しの人間学序説 ―近藤靖宏氏

冷牟田論文:ソーニャの愛と信仰、スヴィドリガイロフの「慈善」について ―菅原純子氏

野澤論文:残された憧憬を訪ねて ―熊谷のぶよし氏

泊野論文:ホフマンとドストエフスキー ―野澤高峯氏

赤渕論文:A.B.ルナチャルスキーにおけるドストエフスキー論 ―齋須直人氏

翻訳論文・D.L.リハチョフ:ドストエフスキーの年代記的時間 ―福井勝也氏

エッセイ、学会報告:フリートーク

司会:高橋誠一郎氏       

                              

*会員無料・一般参加者=会場費500円

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前回の「傍聴記」と「事務局便り」は、「ドストエーフスキイの会」のHP(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)でご確認ください。

 

2019年度 第4回連続研究会 :「歴史と世界文学」のご案内

7月20日(土)に世界文学会 第4回連続研究会 :『歴史と世界文学』が下記の要領で行われます。

開催日時:2019年7月20日(土) 15:00~ 17:45
開催場所:中央大学駿河台記念館 (千代田区神田駿河台3-11-5 TEL 03-3292-3111)

発表者と発表要旨を「世界文学会」のホームページより転載します。

懇親会や地図など詳しくはホームページをご参照下さい。

 http://sekaibungaku.org/blog/2019no3youshi

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1) 荒木 詳二「歴史小説論」
戦後74年経った今でも教科書問題や靖国問題や従軍慰安婦などの歴史問題が毎年マスコミを賑わせている。一方では現代大衆社会の歴史意識に形成に大きな影響を与えてきたのが歴史小説である。今回の発表では、日欧比較文化の観点から歴史小説の成立と発展、および歴史小説の特徴、さらに歴史と文学の関係について若干の考察を加えてみたい。ヨーロッパではナポレオン戦争後の1814年のウォルター・スコットによる最初の歴史小説「ウェイヴァリ」が書かれ、人気のジャンルとなったが、日本ではその約100年後の1913年に森鴎外によって最初の歴史小説「興津弥五右衛門の遺書」が書かれた。こうした歴史小説成立の背景には、民衆が初めて歴史に登場したナポレオン戦争や大逆事件など民衆の不安と混乱があった。歴史記述には歴史的事実と想像力が欠かせないが、歴史小説は虚構を手段として歴史的リアリティーを描き出すのである。
『美術シンボル事典』、ヒルデガルト・クレッチマー、荒木詳二 (共訳)、大修館書店、2013年。

2) 霜田 洋祐 「アレッサンドロ・マンゾーニ『婚約者』における歴史とフィクションの接続について」
イタリア近代文学を代表する文豪アレッサンドロ・マンゾーニ (1785-1873) は、「歴史の世紀」と言われる19世紀を生きた作家の中でも特に歴史にこだわった作家であった。スペインの統治下にあった17世紀のロンバルディア地方に暮らす人々の現実を描いた歴史小説『婚約者』(初版1825-27年、決定版1840-42年)は、イタリアが分裂状態にあり、外国の勢力下にある地域も多かった時代にあって、愛国的な文脈で読まれうる作品であり、実際そのような受容もされたのだが、統一運動を鼓舞するため、あるいは他の物語上の要請のために、歴史的事実が意図的に歪められるようなことはなかった。むしろマンゾーニは過去の現実を正確に描くことに心を配り、史実は史実として読者に伝えることを望んだ。本発表では、このような歴史的現実の忠実な再現を目指す作品において、フィクションと歴史とがどのように接続しているかを考えてみたい。
『歴史小説のレトリック : マンゾーニの<語り>』、霜田洋祐、京都大学学術出版会、2018年。

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世界文学会では、統一テーマのもと、12月から翌年の7月にかけて連続研究会を4回行っています。ご関心のある方は、会員外の方でもどうぞご自由にご参加ください。会員外の方には資料代として500円を承ります。

「緊急事態条項」の危険性(旧)

 戦前の価値観への復帰を目指す「日本会議」に支えられ、「自国第一主義」を掲げるアメリカ大統領の意向に忠実な安倍首相が目指す改憲の草案には、国会も通さずに政府が自由に法律を制定できるというヒトラーが悪用した #緊急事態条項 も含まれている。 

今回の参議院選挙では「年金問題」が焦点の一つとなっているが、ここでは「緊急事態条項」関連の連続ツイートを再掲することによって、問題点を整理しておきたい。

 

 

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改憲施行を「早期」とし、(1)自衛隊の明記(2)緊急事態対応(4)教育充実を掲げた自民党の「憲法改正」案は、いずれも戦前の日本への価値観への回帰を目指す「日本会議」の意向に沿っているように見える。/https://twitter.com/stakaha5/status/1080361123822501889

安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動――「祭政一致」の政治を目指した岩倉具視の賛美 → 公式ホームページ http://stakaha.com/?p=5320   ↓ https://twitter.com/stakaha5/status/1133569549326938114 … … …

安倍首相の「改憲」方針と日露戦争の勝利の賛美の危険性 →ホームページhttp://www.stakaha.com/?p=8226  写真は天皇と皇后の写真(御真影)と教育勅語を納めていた奉安殿 ↓ /https://twitter.com/stakaha5/status/1133207399379099648

安倍首相の「改憲」方針と「緊急事態」案 →今度の選挙で自民党が勝利すれば、神道政治連盟国会議員懇談会の会長・安倍首相は「国難」を理由に、キリスト教だけでなく仏教の弾圧も可能になる。→樋口陽一・小林節著『「憲法改正」の真実』(集英社新書)を読む(改訂版) ↓ /https://twitter.com/stakaha5/status/929583905488769025

 

安倍首相の「改憲」方針と「明治維新」の「廃仏毀釈」運動 神道政治連盟国会議員懇談会・会長の安倍首相と公明党・山口代表の不思議な関係。→http://www.stakaha.com/?p=5349   ↓ https://twitter.com/stakaha5/status/920152277477834753 …  (写真は破壊された石仏) /https://twitter.com/stakaha5/status/957178181341003776

麻生副総理は憲法改正論に関してナチス政権の「手口」を学んだらどうかと発言していたが、ヒトラーが手に入れた #緊急事態条項 は国会も通さずに政府が自由に法律を制定できる全権委任法だった。↓https://twitter.com/stakaha5/status/957178181341003776

短編「悪魔の開幕」(1973)で #手塚治虫 は、「国民のすべての反対をおしきって 憲法を改正して」、「核兵器の製造にふみ切った」丹波首相の「非常大権」のもとで、言論の自由が奪われた近未来の日本を描き出していた。 #緊急事態条項 ↓  /https://twitter.com/stakaha5/status/1034354084692680704

安倍政権は国連委から「ヘイト対策」の強化勧告を受けている。島崎藤村は日露戦争後に長編小説『破戒』で「教育勅語」の「忠孝」の理念を説く校長や議員たちが、一方で激しい用語で差別を広めていたことを具体的に描いていた。↓ /https://twitter.com/stakaha5/status/1031819433700777984

明治の文学者たちの視点で差別や法制度の問題、「弱肉強食の思想」と「超人思想」などの危険性を描いていた『罪と罰』の現代性に迫り、「立憲主義」が崩壊する一年前に小林秀雄が書いたドストエフスキー論と「日本会議」の思想とのつながりを示唆する。#緊急事態条項  /https://twitter.com/stakaha5/status/1096272955716190208

安倍首相は「明治維新」を賛美するが、司馬遼太郎は「王政復古」から敗戦までが約80年であることをふまえて、「明治国家の続いている八十年間、その体制側に立ってものを考えることをしない人間は、乱臣賊子とされた」と指摘していた(「竜馬像の変遷」)。#緊急事態条項 /https://twitter.com/stakaha5/status/907828420704395266

アメリカで再編集された映画《怪獣王ゴジラ》について、映画《ゴジラ》で主役を演じた宝田明氏は、「政治的な意味合い、反米、反核のメッセージ」は丸ごとカットされて」いたとし、「大幅にカットしなければアチラで上映できなかった」と語っていた。 /https://twitter.com/stakaha5/status/1140241338593472513

戦前の価値観への復帰を目指す「日本会議」に支えられ、「自国第一主義」を掲げるアメリカ大統領の意向に忠実な安倍首相が目指す改憲の草案には、国会も通さずに政府が自由に法律を制定できるというヒトラーが悪用した #緊急事態条項 も含まれている。 / https://twitter.com/stakaha5/status/1142248031640645634

 

防衛関連株を大量保有する稲田・元防衛大臣を総裁特別補佐に任命した安倍首相と稲田氏の戦争観の危険性。http://www.stakaha.com/?p=6190  #緊急事態条項 以下のユーチューブは小畑幸三郎氏のツイッターより引用。↓  / https://twitter.com/batayanF3/status/1142287405703057408

戦前の価値観を戦後も堅持していた岸元首相を尊敬する安倍首相たちが目指す「改憲」と「緊急事態条項」の危険性。 以下のユーチューブはDr.ナイフ 氏のツイートより引用。↓ https://twitter.com/knife9000/status/1074591539651764226 …

憲法学者の樋口陽一氏:「敗戦で憲法を『押しつけられた』と信じている人たちは、明治の先人たちが『立憲政治』目指し、大正の先輩たちが『憲政の常道』を求めて闘った歴史から眼をそらしているのです」(『「憲法改正」の真実』集英社新書)。 https://twitter.com/stakaha5/status/916070530695946241

安倍政権主要メンバーの憲法観。 稲田朋美・元防衛大臣「国民の生活が大事なんていう政治は間違っている」、長勢甚遠・元法務大臣「基本的人権、国民主権、平和主義を無くしてこそ自主憲法」。 以下のユーチューブは小畑幸三郎氏のツイートより引用。↓ https://twitter.com/batayanF3/status/1053648606538788864

東條英機内閣の重要閣僚であった岸信介・元首相を尊敬する「日本会議」系の代議士たちが閣僚のほとんどを占める安倍自民党は、これまでの「自由民主党」とはまったく異なる反自由と反民主の政党となっている。https://twitter.com/stakaha5/status/925278688236658690

「八紘一宇は大切にしてきた価値観」と語っていた三原じゅん子氏の反対t討論を聞くと、彼女に発言させた安倍首相をはじめとする「日本会議」系の議員は、国会を自分たちのイデオロギーの宣伝の場としている印象さえ受ける。 →https://twitter.com/stakaha5/status/1143144525566599168 …

(昭和19年発行の十銭紙幣の表側。八紘一宇塔が描かれている。)

堀田善衞の長編小説『若き日の詩人たちの肖像』」は大学受験のために上京した翌日に「昭和維新」を唱える将校たちが起こした2.26事件に遭遇した主人公が「赤紙」によって召集されるまでの重苦しい日々を若き詩人たちとの交友をとおして描き出している。https://twitter.com/stakaha5/status/946242366490341376

『若き日の詩人たちの肖像』上、アマゾン『若き日の詩人たちの肖像』下、アマゾン

堀田善衛は「昭和維新」を唱えた青年将校たちによる二・二六事件の前日に上京した若者と詩人たちとの交友を通して治安維持法が強化された暗い昭和初期を自伝的な長編小説『若き日の詩人たちの肖像』で描いた。#緊急事態条項  /https://twitter.com/stakaha5/status/930086230250831872

(2023/06/21、改訂、改題)

『若き日の詩人たちの肖像』におけるナチズムの考察Ⅰ

『若き日の詩人たちの肖像』上、アマゾン『若き日の詩人たちの肖像』下、アマゾン(書影は「アマゾン」より)

はじめに――堀田善衞と小林秀雄のヒトラー観と堀田善衞

小林秀雄の短い書評「ヒットラアの『我が闘争』」が朝日新聞に掲載されたのは1940年9月12日のことであったが、それから間もない9月27日には日独伊三国同盟が締結された。

小林秀雄は後に雑誌『文藝春秋』(1960年5月号)に掲載した「ヒットラーと悪魔」でこの記事についてこう書いている。

「ヒットラーの『マイン・カンプ』が紹介されたのはもう二十年も前だ。私は強い印象を受けて、早速短評を書いた事がある。今でも、その時言いたかった言葉は覚えている。」

しかし、掲載された書評と小林秀雄の記憶とを比較すると、かなり大きな違いがあることがわかる。それについてはすでに別稿で記した。

小林秀雄のヒトラー観(1)――書評『我が闘争』と「ヒットラーと悪魔」をめぐって

 この問題について堀田善衛はなにも記していないようだが、重苦しい昭和初期の日々を若き詩人たちとの交友をとおして克明に描き出している『若き日の詩人たちの肖像』(1968年)では、何度もナチスの宣伝相ゲッベルスの演説などについて何度も言及されている。

ことにこの長編小説の終わり近くで作者はは登場人物に、「神仏習合って言うけど、古神道がキリスト教と習合し、いまどきの論文書きどもは、国学とナチズムの習合なんかをやってんだから話しにもなんにもなりゃせんよ」と厳しく「国学とナチズムの習合」を批判させているのである。

以下、本稿では『若き日の詩人たちの肖像』の記述をとおして、小林秀雄のヒトラー観に対する堀田善衛の批判を検証する。

 

1、『若き日の詩人たちの肖像』の構造とナチズムの考察

この長編小説の主人公は、大学受験のために上京した翌日に日本文化を重んじて物質より精神を重視する皇道派の影響を受けた陸軍青年将校たちが「昭和維新、尊皇斬奸」をスローガンにしたに遭遇する。

この長編小説で注目したいのは、2.26事件だけでなく幕末から明治初期と同じように「昭和維新、尊皇斬奸」が叫ばれるようになっていたこの時期の雰囲気が詳しく描かれていることである。

たとえば、この事件の前年に起きた統制派の中心人物・永田鉄山陸軍省軍務局長が殺害された相沢事件や、1934(昭和9)年に『ファッシズム批判』を出版していた河合栄治郎・東京帝国大学教授の「二・二六事件の批判」(帝国大学新聞)や軍国主義と「国体明徴」運動を批判して伏字ばかりの文章となっていた『中央公論』の巻頭論文も詳しく紹介されている。

こうして、第一部の終わり近くでは主人公の「生涯にとってある区分けとなる影響を及ぼす筈の、一つの事件」が起きる。ラジオから流れてきたナチスの宣伝相ゲッベルスの演説から「明らかにある種の脅迫」を感じた主人公は、続いて流れてきた「フランスのただの流行歌(シャンソン)」に「異様な感銘」を受け、「異様なことに、いますぐ何かをしなければならぬ」と思って背広を着て外に出るのである。

その後で作者は、「空には秋の星々がガンガンガラガラに輝いていた」のを見た若者が、「星を見上げて、つい近頃に読んだある小説の書き出しのところを思い出しながら、坂を下りて行った」と書き、題辞でも引用していた『白夜』の冒頭の文章「驚くべき夜であつた。親愛なる読者よ、それはわれわれが若いときにのみ在り得るやうな夜であつた(後略)」を引用して、「小説は、二十七歳のときのドストエフスキーが書いたものの、その書き出しのところであった」と説明している。

『白夜』を発表したドストエフスキーがこの後でペトラシェフスキー事件で逮捕され、偽りの死刑宣告を受けた後でシベリアに送られていたことや、それまで主人公を「少年」と記していた作者がここで「若者」と呼び変えている。こうして、ゲッベルスの演説から「異様な衝撃」を受けた若者は、それまで学んでいたドイツ語を捨てて新たにフランス語の勉強を始めて、昭和15年秋に法学部政治学科から仏文科に転科することになる。

しかも、そこでは仏文科の先輩である白柳君との会話をとおして、日本では「商工省の通達があって、洋書の輸入は禁止された」ことをが、「一九三五年にパリで行われた国際作家会議の記録によると、ドイツの作家代表は匿名は無論のこと、顔に覆面までをかぶって出て来るというひどい政治の有様」になっていたことも記されている。

実は1933年1月にナチスが政権を握った後では「非ドイツ的な魂」に対する抗議運動が行われ、『人権宣言論』などを書いていたユダヤ人の公法学者イェリネックの本も焚書の対象とされた。「天皇機関説」事件でやり玉に挙げられた美濃部達吉は、その『人権宣言論』を1906年に訳出しており、一方、ゲッベルスは焚書に際して扇動的な演説をしていた。

(ナチス・ドイツの焚書)

 一方、日本は2・26事件が起きた1936年の11月に日独防共協定が結び、主人公が「赤紙」で召集された1940年の9月には日独伊三国同盟を結ぶことになるのである。

 

『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機』のご感想(憲法学者・樋口陽一氏)

これまで上梓した拙著に対しては幸い多くの方から温かいご感想やご意見を頂いており、それらはその後の私の研究や考察に活かさせ頂きました。

ただ、法律関係の専門でもない私が青春時代に「憲法」を獲得した明治の文学者たちの視点で「憲法」のない帝政ロシアで書かれ、権力と自由の問題に肉薄した『罪と罰』を読み解いたのは、は安倍政権の「壊憲」的な手法による「憲法改正」の問題がきわめて切実な問題になってきたからです。

「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機 高橋 誠一郎(著/文) - 成文社 

 また、内田魯庵の『罪と罰』観を調べる中で『罪と罰』訳の第二巻には、前巻の代表的な批評が18も掲載されていたことを再確認しました。むろん、雑誌などに掲載されたものと個人宛の私信に記された批評や感想は異なりますが、頂いたなかには個人で所蔵しておくだけではもったいないような貴重な意見も含まれています。

 それゆえ、今回は著者の方から了解を得られたご感想などに関しては、固有名詞を省くなどの処置をした上でご披露させて頂き、その後に拙著での試みやその後で考えたことなどを記すようにします。

 最初に憲法学者・樋口陽一先生のお葉書をご快諾頂いた事に深く感謝しつつ以下に引用させて頂きます。

  *   *   *

 内外の作品と登場人物と書き手を縦横に配置した座標の中にとりわけ藤村像を浮き彫りにして下さり、「時代」への文学のかかわり方について私なりの認識を研ぎ加えるための貴重な示唆をいただいております。全編を通して著書の藤村に対する畏敬を愛情のまなざし、それと決して矛盾することのない明澄な観察を読み、を感じ取りました。

 小林秀雄については、かねてから、他の点では信頼するもの書きの人達がなぜ敬意の対象としているか理解しかねていたところ、ご論旨に全く蒙を啓かれました(p.188第四段落は痛快!!)

 前後しますが司馬作品の誤読を匡し、「立憲」への近代の日本の知識人の感受性の系譜に読者の眼を向けて下さったことに、感謝しております。

             樋口陽一
  *  *   *

 拙著を高く評価して頂いた文章を私が引用させて頂くのは、自画自賛のようで恥ずかしいとの思いもありましたが、小林秀雄や司馬遼太郎の歴史認識は、現在の「改憲」問題にも深く関わっています。、

 それゆえ、今も「評論の神様」と称されている小林秀雄について記した箇所に対するご感想はたいへん励みになりました。また、ご贈呈頂いた「歴史・歴史学・歴史小説――『坂の上の雲』を議論する方法」(『現代史二講――日露戦争と朝鮮戦争をめぐって和田春樹さんに聴く』(関記念財団、2012年所収)は、「記述の方法」を考える上で、たいへん参考になりました。拙著ではその議論を踏まえて「神国思想」の批判者としての司馬遼太郎氏に焦点をあてて記すようにしました。

なお、『現代史二講――日露戦争と朝鮮戦争をめぐって和田春樹さんに聴く』(関記念財団)に記された該当箇所については、『日本国紀』の問題にも言及しながら稿を改めて紹介・考察したいと考えています。

 

樋口陽一・小林節著『「憲法改正」の真実』(集英社新書)を読む(改訂版)

樋口・小林対談(図版はアマゾンより)

 樋口陽一氏の井上ひさし論と井上ひさし氏の『貧しき人々』論

「日本国憲法」を読み直す 岩波現代文庫 (書影は「紀伊國屋書店」ウェブ・サイトより)