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自著『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機――北村透谷から島崎藤村へ』の紹介文を転載

「桜美林大学図書館」の2019年度・寄贈図書に自著の紹介文が表紙の書影とともに掲載されましたので転載致します。

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「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機 高橋 誠一郎(著/文) - 成文社 

若きドストエフスキーは帝政ロシアの政治体制に抗して、農奴解放や言論の自由、裁判制度の改革を訴えて逮捕され、一度は死刑の判決を受けていた。大逆事件の後でこのことに言及した夏目漱石をはじめ、内田魯庵や北村透谷、そして島崎藤村はその重みをよく理解していた。

本書では「教育勅語」渙発後の北村透谷や『文学界』の同人たちと徳富蘇峰の『国民之友』との激しい論争などをとおして、権力と自由の問題に肉薄していた『罪と罰』を読み解き、この長編小説の人物体系などを深く研究して権威主義的な価値観や差別の問題を描いた『破戒』の現代的な意義に迫った。

その一方で、「天皇機関説」事件で日本の「立憲主義」が崩壊する前年の1934年に著した『罪と罰』論で「罪の意識も罰の意識も遂に彼には現れぬ」と主人公について解釈した小林秀雄の文学論の問題点を、彼の『破戒』論や『夜明け前』論を分析することで明らかにした。

さらに、徳富蘇峰の歴史観や英雄観との類似性に注目しながら小林秀雄の『我が闘争』の書評を分析することで、今も「評論の神様」と称賛されている彼の歴史認識の危険性も示唆した。本書が文学の意義を再認識するきっかけとなれば幸いである。

  高橋誠一郎(リベラルアーツ学群)

『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機――北村透谷から島崎藤村へ』(目次)

はじめに 危機の時代と文学――『罪と罰』の受容と解釈の変容  

→あとがきに代えて   「明治維新」一五〇年と「立憲主義」の危機

ドストエーフスキイの会、252回例会(合評会)のご案内

「第252回例会のご案内」を「ニュースレター」(No.153)より転載します。

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252回例会のご案内

『広場』28号の合評会です。論評者の報告時間を10分程度と制限して自由討議の時間を多くとりました。記載されている以外のエッセイや書評などに関しても、会場からのご発言は自由です。多くの皆様のご参加をお待ちしています。                                        

日 時2019年7月27日(土)午後2時~5時         

場 所千駄ヶ谷区民会館(JR原宿駅下車徒歩7分)   03-3402-7854 

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掲載主要論文の論評者と司会者

川崎エッセイ:コンピューターアルゴリズムと地下室人 ―太田香子氏

五〇周年に寄せて:木下:会発足五〇周年にちなんで 福井:「感想」―会誌「研究Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ」発刊の頃 高橋:「ドストエーフスキイ広場」発刊の頃 ―渡辺好明氏

清水論文:ドストエフスキイにおける癒しの人間学序説 ―近藤靖宏氏

冷牟田論文:ソーニャの愛と信仰、スヴィドリガイロフの「慈善」について ―菅原純子氏

野澤論文:残された憧憬を訪ねて ―熊谷のぶよし氏

泊野論文:ホフマンとドストエフスキー ―野澤高峯氏

赤渕論文:A.B.ルナチャルスキーにおけるドストエフスキー論 ―齋須直人氏

翻訳論文・D.L.リハチョフ:ドストエフスキーの年代記的時間 ―福井勝也氏

エッセイ、学会報告:フリートーク

司会:高橋誠一郎氏       

                              

*会員無料・一般参加者=会場費500円

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前回の「傍聴記」と「事務局便り」は、「ドストエーフスキイの会」のHP(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)でご確認ください。

 

2019年度 第4回連続研究会 :「歴史と世界文学」のご案内

7月20日(土)に世界文学会 第4回連続研究会 :『歴史と世界文学』が下記の要領で行われます。

開催日時:2019年7月20日(土) 15:00~ 17:45
開催場所:中央大学駿河台記念館 (千代田区神田駿河台3-11-5 TEL 03-3292-3111)

発表者と発表要旨を「世界文学会」のホームページより転載します。

懇親会や地図など詳しくはホームページをご参照下さい。

 http://sekaibungaku.org/blog/2019no3youshi

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1) 荒木 詳二「歴史小説論」
戦後74年経った今でも教科書問題や靖国問題や従軍慰安婦などの歴史問題が毎年マスコミを賑わせている。一方では現代大衆社会の歴史意識に形成に大きな影響を与えてきたのが歴史小説である。今回の発表では、日欧比較文化の観点から歴史小説の成立と発展、および歴史小説の特徴、さらに歴史と文学の関係について若干の考察を加えてみたい。ヨーロッパではナポレオン戦争後の1814年のウォルター・スコットによる最初の歴史小説「ウェイヴァリ」が書かれ、人気のジャンルとなったが、日本ではその約100年後の1913年に森鴎外によって最初の歴史小説「興津弥五右衛門の遺書」が書かれた。こうした歴史小説成立の背景には、民衆が初めて歴史に登場したナポレオン戦争や大逆事件など民衆の不安と混乱があった。歴史記述には歴史的事実と想像力が欠かせないが、歴史小説は虚構を手段として歴史的リアリティーを描き出すのである。
『美術シンボル事典』、ヒルデガルト・クレッチマー、荒木詳二 (共訳)、大修館書店、2013年。

2) 霜田 洋祐 「アレッサンドロ・マンゾーニ『婚約者』における歴史とフィクションの接続について」
イタリア近代文学を代表する文豪アレッサンドロ・マンゾーニ (1785-1873) は、「歴史の世紀」と言われる19世紀を生きた作家の中でも特に歴史にこだわった作家であった。スペインの統治下にあった17世紀のロンバルディア地方に暮らす人々の現実を描いた歴史小説『婚約者』(初版1825-27年、決定版1840-42年)は、イタリアが分裂状態にあり、外国の勢力下にある地域も多かった時代にあって、愛国的な文脈で読まれうる作品であり、実際そのような受容もされたのだが、統一運動を鼓舞するため、あるいは他の物語上の要請のために、歴史的事実が意図的に歪められるようなことはなかった。むしろマンゾーニは過去の現実を正確に描くことに心を配り、史実は史実として読者に伝えることを望んだ。本発表では、このような歴史的現実の忠実な再現を目指す作品において、フィクションと歴史とがどのように接続しているかを考えてみたい。
『歴史小説のレトリック : マンゾーニの<語り>』、霜田洋祐、京都大学学術出版会、2018年。

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世界文学会では、統一テーマのもと、12月から翌年の7月にかけて連続研究会を4回行っています。ご関心のある方は、会員外の方でもどうぞご自由にご参加ください。会員外の方には資料代として500円を承ります。

「緊急事態条項」の危険性(旧)

 戦前の価値観への復帰を目指す「日本会議」に支えられ、「自国第一主義」を掲げるアメリカ大統領の意向に忠実な安倍首相が目指す改憲の草案には、国会も通さずに政府が自由に法律を制定できるというヒトラーが悪用した #緊急事態条項 も含まれている。 

今回の参議院選挙では「年金問題」が焦点の一つとなっているが、ここでは「緊急事態条項」関連の連続ツイートを再掲することによって、問題点を整理しておきたい。

 

 

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改憲施行を「早期」とし、(1)自衛隊の明記(2)緊急事態対応(4)教育充実を掲げた自民党の「憲法改正」案は、いずれも戦前の日本への価値観への回帰を目指す「日本会議」の意向に沿っているように見える。/https://twitter.com/stakaha5/status/1080361123822501889

安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動――「祭政一致」の政治を目指した岩倉具視の賛美 → 公式ホームページ http://stakaha.com/?p=5320   ↓ https://twitter.com/stakaha5/status/1133569549326938114 … … …

安倍首相の「改憲」方針と日露戦争の勝利の賛美の危険性 →ホームページhttp://www.stakaha.com/?p=8226  写真は天皇と皇后の写真(御真影)と教育勅語を納めていた奉安殿 ↓ /https://twitter.com/stakaha5/status/1133207399379099648

安倍首相の「改憲」方針と「緊急事態」案 →今度の選挙で自民党が勝利すれば、神道政治連盟国会議員懇談会の会長・安倍首相は「国難」を理由に、キリスト教だけでなく仏教の弾圧も可能になる。→樋口陽一・小林節著『「憲法改正」の真実』(集英社新書)を読む(改訂版) ↓ /https://twitter.com/stakaha5/status/929583905488769025

 

安倍首相の「改憲」方針と「明治維新」の「廃仏毀釈」運動 神道政治連盟国会議員懇談会・会長の安倍首相と公明党・山口代表の不思議な関係。→http://www.stakaha.com/?p=5349   ↓ https://twitter.com/stakaha5/status/920152277477834753 …  (写真は破壊された石仏) /https://twitter.com/stakaha5/status/957178181341003776

麻生副総理は憲法改正論に関してナチス政権の「手口」を学んだらどうかと発言していたが、ヒトラーが手に入れた #緊急事態条項 は国会も通さずに政府が自由に法律を制定できる全権委任法だった。↓https://twitter.com/stakaha5/status/957178181341003776

短編「悪魔の開幕」(1973)で #手塚治虫 は、「国民のすべての反対をおしきって 憲法を改正して」、「核兵器の製造にふみ切った」丹波首相の「非常大権」のもとで、言論の自由が奪われた近未来の日本を描き出していた。 #緊急事態条項 ↓  /https://twitter.com/stakaha5/status/1034354084692680704

安倍政権は国連委から「ヘイト対策」の強化勧告を受けている。島崎藤村は日露戦争後に長編小説『破戒』で「教育勅語」の「忠孝」の理念を説く校長や議員たちが、一方で激しい用語で差別を広めていたことを具体的に描いていた。↓ /https://twitter.com/stakaha5/status/1031819433700777984

明治の文学者たちの視点で差別や法制度の問題、「弱肉強食の思想」と「超人思想」などの危険性を描いていた『罪と罰』の現代性に迫り、「立憲主義」が崩壊する一年前に小林秀雄が書いたドストエフスキー論と「日本会議」の思想とのつながりを示唆する。#緊急事態条項  /https://twitter.com/stakaha5/status/1096272955716190208

安倍首相は「明治維新」を賛美するが、司馬遼太郎は「王政復古」から敗戦までが約80年であることをふまえて、「明治国家の続いている八十年間、その体制側に立ってものを考えることをしない人間は、乱臣賊子とされた」と指摘していた(「竜馬像の変遷」)。#緊急事態条項 /https://twitter.com/stakaha5/status/907828420704395266

アメリカで再編集された映画《怪獣王ゴジラ》について、映画《ゴジラ》で主役を演じた宝田明氏は、「政治的な意味合い、反米、反核のメッセージ」は丸ごとカットされて」いたとし、「大幅にカットしなければアチラで上映できなかった」と語っていた。 /https://twitter.com/stakaha5/status/1140241338593472513

戦前の価値観への復帰を目指す「日本会議」に支えられ、「自国第一主義」を掲げるアメリカ大統領の意向に忠実な安倍首相が目指す改憲の草案には、国会も通さずに政府が自由に法律を制定できるというヒトラーが悪用した #緊急事態条項 も含まれている。 / https://twitter.com/stakaha5/status/1142248031640645634

 

防衛関連株を大量保有する稲田・元防衛大臣を総裁特別補佐に任命した安倍首相と稲田氏の戦争観の危険性。http://www.stakaha.com/?p=6190  #緊急事態条項 以下のユーチューブは小畑幸三郎氏のツイッターより引用。↓  / https://twitter.com/batayanF3/status/1142287405703057408

戦前の価値観を戦後も堅持していた岸元首相を尊敬する安倍首相たちが目指す「改憲」と「緊急事態条項」の危険性。 以下のユーチューブはDr.ナイフ 氏のツイートより引用。↓ https://twitter.com/knife9000/status/1074591539651764226 …

憲法学者の樋口陽一氏:「敗戦で憲法を『押しつけられた』と信じている人たちは、明治の先人たちが『立憲政治』目指し、大正の先輩たちが『憲政の常道』を求めて闘った歴史から眼をそらしているのです」(『「憲法改正」の真実』集英社新書)。 https://twitter.com/stakaha5/status/916070530695946241

安倍政権主要メンバーの憲法観。 稲田朋美・元防衛大臣「国民の生活が大事なんていう政治は間違っている」、長勢甚遠・元法務大臣「基本的人権、国民主権、平和主義を無くしてこそ自主憲法」。 以下のユーチューブは小畑幸三郎氏のツイートより引用。↓ https://twitter.com/batayanF3/status/1053648606538788864

東條英機内閣の重要閣僚であった岸信介・元首相を尊敬する「日本会議」系の代議士たちが閣僚のほとんどを占める安倍自民党は、これまでの「自由民主党」とはまったく異なる反自由と反民主の政党となっている。https://twitter.com/stakaha5/status/925278688236658690

「八紘一宇は大切にしてきた価値観」と語っていた三原じゅん子氏の反対t討論を聞くと、彼女に発言させた安倍首相をはじめとする「日本会議」系の議員は、国会を自分たちのイデオロギーの宣伝の場としている印象さえ受ける。 →https://twitter.com/stakaha5/status/1143144525566599168 …

(昭和19年発行の十銭紙幣の表側。八紘一宇塔が描かれている。)

堀田善衞の長編小説『若き日の詩人たちの肖像』」は大学受験のために上京した翌日に「昭和維新」を唱える将校たちが起こした2.26事件に遭遇した主人公が「赤紙」によって召集されるまでの重苦しい日々を若き詩人たちとの交友をとおして描き出している。https://twitter.com/stakaha5/status/946242366490341376

『若き日の詩人たちの肖像』上、アマゾン『若き日の詩人たちの肖像』下、アマゾン

堀田善衛は「昭和維新」を唱えた青年将校たちによる二・二六事件の前日に上京した若者と詩人たちとの交友を通して治安維持法が強化された暗い昭和初期を自伝的な長編小説『若き日の詩人たちの肖像』で描いた。#緊急事態条項  /https://twitter.com/stakaha5/status/930086230250831872

(2023/06/21、改訂、改題)

『若き日の詩人たちの肖像』におけるナチズムの考察Ⅰ

『若き日の詩人たちの肖像』上、アマゾン『若き日の詩人たちの肖像』下、アマゾン(書影は「アマゾン」より)

はじめに――堀田善衞と小林秀雄のヒトラー観と堀田善衞

小林秀雄の短い書評「ヒットラアの『我が闘争』」が朝日新聞に掲載されたのは1940年9月12日のことであったが、それから間もない9月27日には日独伊三国同盟が締結された。

小林秀雄は後に雑誌『文藝春秋』(1960年5月号)に掲載した「ヒットラーと悪魔」でこの記事についてこう書いている。

「ヒットラーの『マイン・カンプ』が紹介されたのはもう二十年も前だ。私は強い印象を受けて、早速短評を書いた事がある。今でも、その時言いたかった言葉は覚えている。」

しかし、掲載された書評と小林秀雄の記憶とを比較すると、かなり大きな違いがあることがわかる。それについてはすでに別稿で記した。

小林秀雄のヒトラー観(1)――書評『我が闘争』と「ヒットラーと悪魔」をめぐって

 この問題について堀田善衛はなにも記していないようだが、重苦しい昭和初期の日々を若き詩人たちとの交友をとおして克明に描き出している『若き日の詩人たちの肖像』(1968年)では、何度もナチスの宣伝相ゲッベルスの演説などについて何度も言及されている。

ことにこの長編小説の終わり近くで作者はは登場人物に、「神仏習合って言うけど、古神道がキリスト教と習合し、いまどきの論文書きどもは、国学とナチズムの習合なんかをやってんだから話しにもなんにもなりゃせんよ」と厳しく「国学とナチズムの習合」を批判させているのである。

以下、本稿では『若き日の詩人たちの肖像』の記述をとおして、小林秀雄のヒトラー観に対する堀田善衛の批判を検証する。

 

1、『若き日の詩人たちの肖像』の構造とナチズムの考察

この長編小説の主人公は、大学受験のために上京した翌日に日本文化を重んじて物質より精神を重視する皇道派の影響を受けた陸軍青年将校たちが「昭和維新、尊皇斬奸」をスローガンにしたに遭遇する。

この長編小説で注目したいのは、2.26事件だけでなく幕末から明治初期と同じように「昭和維新、尊皇斬奸」が叫ばれるようになっていたこの時期の雰囲気が詳しく描かれていることである。

たとえば、この事件の前年に起きた統制派の中心人物・永田鉄山陸軍省軍務局長が殺害された相沢事件や、1934(昭和9)年に『ファッシズム批判』を出版していた河合栄治郎・東京帝国大学教授の「二・二六事件の批判」(帝国大学新聞)や軍国主義と「国体明徴」運動を批判して伏字ばかりの文章となっていた『中央公論』の巻頭論文も詳しく紹介されている。

こうして、第一部の終わり近くでは主人公の「生涯にとってある区分けとなる影響を及ぼす筈の、一つの事件」が起きる。ラジオから流れてきたナチスの宣伝相ゲッベルスの演説から「明らかにある種の脅迫」を感じた主人公は、続いて流れてきた「フランスのただの流行歌(シャンソン)」に「異様な感銘」を受け、「異様なことに、いますぐ何かをしなければならぬ」と思って背広を着て外に出るのである。

その後で作者は、「空には秋の星々がガンガンガラガラに輝いていた」のを見た若者が、「星を見上げて、つい近頃に読んだある小説の書き出しのところを思い出しながら、坂を下りて行った」と書き、題辞でも引用していた『白夜』の冒頭の文章「驚くべき夜であつた。親愛なる読者よ、それはわれわれが若いときにのみ在り得るやうな夜であつた(後略)」を引用して、「小説は、二十七歳のときのドストエフスキーが書いたものの、その書き出しのところであった」と説明している。

『白夜』を発表したドストエフスキーがこの後でペトラシェフスキー事件で逮捕され、偽りの死刑宣告を受けた後でシベリアに送られていたことや、それまで主人公を「少年」と記していた作者がここで「若者」と呼び変えている。こうして、ゲッベルスの演説から「異様な衝撃」を受けた若者は、それまで学んでいたドイツ語を捨てて新たにフランス語の勉強を始めて、昭和15年秋に法学部政治学科から仏文科に転科することになる。

しかも、そこでは仏文科の先輩である白柳君との会話をとおして、日本では「商工省の通達があって、洋書の輸入は禁止された」ことをが、「一九三五年にパリで行われた国際作家会議の記録によると、ドイツの作家代表は匿名は無論のこと、顔に覆面までをかぶって出て来るというひどい政治の有様」になっていたことも記されている。

実は1933年1月にナチスが政権を握った後では「非ドイツ的な魂」に対する抗議運動が行われ、『人権宣言論』などを書いていたユダヤ人の公法学者イェリネックの本も焚書の対象とされた。「天皇機関説」事件でやり玉に挙げられた美濃部達吉は、その『人権宣言論』を1906年に訳出しており、一方、ゲッベルスは焚書に際して扇動的な演説をしていた。

(ナチス・ドイツの焚書)

 一方、日本は2・26事件が起きた1936年の11月に日独防共協定が結び、主人公が「赤紙」で召集された1940年の9月には日独伊三国同盟を結ぶことになるのである。

 

『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機』のご感想(憲法学者・樋口陽一氏)

これまで上梓した拙著に対しては幸い多くの方から温かいご感想やご意見を頂いており、それらはその後の私の研究や考察に活かさせ頂きました。

ただ、法律関係の専門でもない私が青春時代に「憲法」を獲得した明治の文学者たちの視点で「憲法」のない帝政ロシアで書かれ、権力と自由の問題に肉薄した『罪と罰』を読み解いたのは、は安倍政権の「壊憲」的な手法による「憲法改正」の問題がきわめて切実な問題になってきたからです。

「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機 高橋 誠一郎(著/文) - 成文社 

 また、内田魯庵の『罪と罰』観を調べる中で『罪と罰』訳の第二巻には、前巻の代表的な批評が18も掲載されていたことを再確認しました。むろん、雑誌などに掲載されたものと個人宛の私信に記された批評や感想は異なりますが、頂いたなかには個人で所蔵しておくだけではもったいないような貴重な意見も含まれています。

 それゆえ、今回は著者の方から了解を得られたご感想などに関しては、固有名詞を省くなどの処置をした上でご披露させて頂き、その後に拙著での試みやその後で考えたことなどを記すようにします。

 最初に憲法学者・樋口陽一先生のお葉書をご快諾頂いた事に深く感謝しつつ以下に引用させて頂きます。

  *   *   *

 内外の作品と登場人物と書き手を縦横に配置した座標の中にとりわけ藤村像を浮き彫りにして下さり、「時代」への文学のかかわり方について私なりの認識を研ぎ加えるための貴重な示唆をいただいております。全編を通して著書の藤村に対する畏敬を愛情のまなざし、それと決して矛盾することのない明澄な観察を読み、を感じ取りました。

 小林秀雄については、かねてから、他の点では信頼するもの書きの人達がなぜ敬意の対象としているか理解しかねていたところ、ご論旨に全く蒙を啓かれました(p.188第四段落は痛快!!)

 前後しますが司馬作品の誤読を匡し、「立憲」への近代の日本の知識人の感受性の系譜に読者の眼を向けて下さったことに、感謝しております。

             樋口陽一
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 拙著を高く評価して頂いた文章を私が引用させて頂くのは、自画自賛のようで恥ずかしいとの思いもありましたが、小林秀雄や司馬遼太郎の歴史認識は、現在の「改憲」問題にも深く関わっています。、

 それゆえ、今も「評論の神様」と称されている小林秀雄について記した箇所に対するご感想はたいへん励みになりました。また、ご贈呈頂いた「歴史・歴史学・歴史小説――『坂の上の雲』を議論する方法」(『現代史二講――日露戦争と朝鮮戦争をめぐって和田春樹さんに聴く』(関記念財団、2012年所収)は、「記述の方法」を考える上で、たいへん参考になりました。拙著ではその議論を踏まえて「神国思想」の批判者としての司馬遼太郎氏に焦点をあてて記すようにしました。

なお、『現代史二講――日露戦争と朝鮮戦争をめぐって和田春樹さんに聴く』(関記念財団)に記された該当箇所については、『日本国紀』の問題にも言及しながら稿を改めて紹介・考察したいと考えています。

 

樋口陽一・小林節著『「憲法改正」の真実』(集英社新書)を読む(改訂版)

樋口・小林対談(図版はアマゾンより)

 樋口陽一氏の井上ひさし論と井上ひさし氏の『貧しき人々』論

「日本国憲法」を読み直す 岩波現代文庫 (書影は「紀伊國屋書店」ウェブ・サイトより) 

2019年度 世界文学会 第3回研究会 : 『歴史と世界文学』 のご案内

6月22日(土)に世界文学会 第三回連続研究会 :『歴史と世界文学』が下記の要領で行われます。

開催日時:2019年6月22日(土)14:00~17:45
開催場所:中央大学駿河台記念館 (千代田区神田駿河台3-11-5 TEL 03-3292-3111)

発表者と発表要旨を「世界文学会」のホームページより転載します。

地図など詳しくはホームページをご参照下さい。

 http://sekaibungaku.org/blog/2019no3youshi

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1) 及川淳子 「天安門事件と劉暁波」

 1989年6月4日、学生や市民による民主化要求運動が中国共産党によって武力弾圧された。いわゆる六・四天安門事件の発生から、今年は30年という節目の年にあたる。事件は現代中国における最大の政治的タブーであり、中国国内では関連の報道や再評価を求める知識人たちの言論活動も厳しく規制されている。

 本報告では、事件の際に脚光を浴び、2010年に獄中でノーベル平和賞を受賞し、2017年に獄死を遂げた作家の劉暁波(1955-2017)の思想と行動について考察する。1989年の事件直前に天安門広場で仲間たちと発表した「六・二ハンスト宣言」と、2009年に裁判の陳述書として獄中で執筆し、後にノーベル平和賞の授賞式で代読された「私には敵はいない」の核心部分を比較検討し、二つのテキストから劉暁波の徹底した平和主義について読み解きたい。

 また、劉暁波に関する報告者の新著『11通の手紙』についても取り上げ、「自由」をめぐる文学的表現の可能性についても考えてみたい。

『11通の手紙』(天安門事件と劉暁波)、及川淳子、小学館、2019年。

2) 南田みどり「日本占領期とビルマ文学」 

ここしばらく、日本占領期を研究テーマとして、苦労して作品を収集し、読んできました。まだまだわからないこともありますが、今回の発表は、現時点での到達状況を整理して今後に備える機会にできたらと思っています。第一に、日本占領期のビルマ文学ですが、見るべき作品のない「暗黒時代」だったというビルマ国内の通説に反して、いくつかの点が明らかにできました。しかし、それを現在のビルマで公表することは難しいようです。知人の研究者が私の英語の論文をビルマ語に翻訳して雑誌に掲載し始めましたが、早々と連載が打ち切られました。第二に、現代文学に描かれた日本占領期です。1960年代の作品を読み終えて70年代に入るところですが、60年代は「虚構による史実再編の時代」であったといえます。この二つと大きくかかわるのがビルマ軍の存在です。軍の実質的支配が続くミャンマー連邦内では、こうした研究はまだまだ危険をともなうようです。

『ビルマ1946 – 独立前夜の物語』、テインペーミン、南田みどり訳、段々社、2016年。

3) 大野一道 「ミシュレの「日記」を中心に…」

 19世紀フランスの歴史家ジュール・ミシュレは、フランス語普通名詞ルネサンス(復活・再生の意)を、歴史上の一時代を指し示す名称として定着させた史上最初の人だった。彼は遺著『19世紀史』第2巻の序文で、「歴史は〔…〕死者たちに新たな生命を与え、甦らせる。〔…〕こうして〔…〕生きる者と死する者が出会う共通の国が出来上がる」と書いているが、これこそ彼の「歴史」の本質を示す言葉だ。生きているわれわれが、死者の中で今なお生き続けている命を(その心や魂を)見出し、甦らせ、復活させることこそ歴史の使命だというのだ。さらには民衆史家とも呼ばれる彼にとっては、名もなく生きた無数の人々の人生をもできうる限り甦らせて、初めて一つの時代全体の復活もあり得た。「死者を愛すること、それは一つの不死である」と書いているその「日記」を中心に、ミシュレの歴史観がいかに文学と通底するかを述べる。

『全体史の誕生:若き日の日記と書簡』、ジュール・ミシュレ、大野一道訳、藤原書店、2014年。

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世界文学会では、統一テーマのもと、12月から翌年の7月にかけて連続研究会を4回行っています。

ご関心のある方は、会員外の方でもどうぞご自由にご参加ください。会員外の方には資料代として500円を承ります。

『若き日の詩人たちの肖像』の関連年表を「年表とブログ・タイトル一覧」に掲載

『若き日の詩人たちの肖像』上、アマゾン『若き日の詩人たちの肖像』下、アマゾン(書影は「アマゾン」より)

堀田善衞と小林秀雄との関係を中心に『若き日の詩人たちの肖像』関連の年表を1918年~1945年までまとめました。

大正から昭和初期に関しては私自身がまだその流れを十分には把握していないので、改良の余地はあると思います。

足りない箇所などはこれから追加するようにし、取りあえず「年表とブログ・タイトル一覧」に、年表8として掲載しました。

年表8、『若き日の詩人たちの肖像』関連年表(1918~1945)

 

『日本国紀』と小林秀雄の歴史観――徳富蘇峰の「物語」の手法と「司馬史観」論争

日本魂とは何ぞや、一言にして云へば、忠君愛国の精神也。君国の為めには、我が生命、財産、其他のあらゆるものを献ぐるの精神也(徳富蘇峰『大正の青年と帝国の前途』)

 白蟻は穴の前に硫化銅塊を置かれても「先頭から順次に其中に飛び込み」、「後隊の蟻は、先隊の死骸を乗り越え、静々と其の目的を遂げたり」、「我が旅順の攻撃も、蟻群の此の振舞に対しては、顔色なきが如し」(『大正の青年と帝国の前途』)。

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【日本国紀と小林秀雄の歴史観】という題で、昨日からツイッターに連続投稿しました。

 ノンフィクションを謳った小説『殉愛』を書いた作家の『日本国紀』を正面から論じるつもりはまったくないので、このような題名の付け方には問題があるかもしれません。

 ただ、小説『永遠の〇(ゼロ)』で朝日新聞を攻撃の根拠とされていた言論人・徳富蘇峰の歴史観を文芸評論家の小林秀雄も雑誌『文學界』に掲載された作家・林房雄との対談で賞賛していました。

 この時期の小林秀雄の歴史観は1960年に書かれた小林秀雄の「ヒットラーと悪魔」にも受け継がれていると思えます。それゆえ、今回は1996年のいわゆる「司馬史観」論争にも言及しながら、1940年に『文學界』に掲載された「対談 歴史について」の内容を詳しく考察することにします。

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 太平洋戦争が始まる前年の9月にヒトラーの『我が闘争』の書評を「朝日新聞」に書いた小林秀雄が、翌月の『文學界』の10月号に掲載された鼎談「英雄を語る」では、ナポレオンを「英雄」としたばかりでなくヒトラーも「小英雄」とよんでいました。しかも、その後で小林は「歴史というやうなものは英雄の歴史であるといふことは賛成だ」と語り、「暴力の無い所に英雄は無いよ」と続けていたのです。

→小林秀雄のヒトラー観(1)――書評『我が闘争』と「ヒットラーと悪魔」をめぐって

 この鼎談の翌月に行われた対談の冒頭で、「『英堆を語る』座談会に就いて、こういう大言壮語は実に困る、愚の愚なるもの」であると言った批評家の言葉を紹介して、「僕は非常に面白かった」と語った林は、その理由をこう説明しています。

「現代日本文畢の基調をなしてゐる一つの常識を見せられたような気がしてね。良識といふ意味の常識ではなく、低級で通俗な意味の常識さ。」

 この言葉を受けて小林秀雄が「そうかね、読まなかつたが、君の言う意味も解る」と答えると、林は先の鼎談での小林の英雄観を受け継ぐように、「(そのような常識は)、僕などが考えている、歴史は英雄の営みである、人間の英雄的行為の綜合のみが人生である――という考へ方と全然反対の『常識』なんだ、この常識は現代日本文学を案外根強く支配しゐる(ママ)。」と続けていました。

 興味深いのは、この後で「君は歴史教育について意見を持っているらしいね。」と林が問うと、小林がこう答えていたことです。

「意見は簡単なのだ、日本の歴史教育で、もっと文学化した歴史を教えよと言ったのだ。歴史というものは文学なんだからね。歴史というものは文学なんだからね。」

 実はこのような「意見」は、徳富蘇峰を「巧みな『物語』制作者」であるとし、「そうした『物語』によって提示される『事実』が、今日なお、われわれに様々なことを語りかけてくる」として、蘇峰の歴史観の現代的な意義を強調した坂本多加雄・「新しい歴史教科書を作る会」理事の見解にも強く響いています。

 そして、作家の司馬遼太郎が亡くなった一九九六年に発行した『汚辱の近現代史』で教育学者の藤岡信勝は、長編小説『坂の上の雲』では「日本人が素朴に国を信じた時代があったこと、健康なナショナリズムに鼓舞されて、その知力と精力の限界まで捧げて戦い抜いた」明治の人々の姿が描かれているとし、自分たちの歴史認識は「司馬史観」と多くの点で重なると誇っていました。

しかし、『坂の上の雲』執筆中の一九七〇年に「タダの人間のためのこの社会が、変な酩酊者によってゆるぎそうな危険な季節にそろそろきている」ことに注意を促していた司馬遼太郎は、『坂の上の雲』を書き終えたあとでは「政治家も高級軍人もマスコミも国民も、神話化された日露戦争の神話性を信じきっていた」と書いて、日露戦争の美化を厳しく批判していたのです。

 残念ながら、いわゆる「司馬史観」論争の際に歴史学者の人々が右派の設定した土俵で論争し司馬の批判に終始したために、一般の読者には押しまくられているように映ったようです。

 この論争に強い危機感を抱いた私は、この頃から司馬遼太郎の作品を研究の対象として、日露の近代化の比較という視点で考察し、2002年に出版した『この国のあした――司馬遼太郎の戦争観』(のべる出版企画)では、『竜馬がゆく』、『坂の上の雲』、『沖縄・先島への道』、『菜の花の沖』などの作品を読み解くことで、「公地公民」制の実態や「義勇奉公」の理念の危険性を明らかにした「司馬史観」の深まりを明らかにしました。

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しかし、その後の流れから判断すると、「神国思想」のきびしい批判者としての司馬遼太郎を全面に出して論じるべきであったと感じています。その意味でも安倍首相などの政治家や「つくる会」や「日本会議」の論客などの支援を受けながら、「『物語』の構造」を利用しつつ、戦前の価値観を若者に説いている『永遠の0(ゼロ)』の作者の手法は厳しく批判されるべきだと考えています。

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 少し、話題が逸れましたので、本題に戻りましょう。

 この後で歴史教育の問題を取り上げた林に対して、小林は「国体史観というものは、覚え込ませるのではない、感得させるものだ。だから感得させる様に歴史を教えねばならない。それには、歴史に教えるべき重点を置き、例えば建武の中興とか明治維新とかいう処をくわしく教えるのだ」と語り、さらにこう続けていました。

 「不確実な美談であっても心を唆(そそ)らぬ正確な史実といふ様なものより勝る事万々だ。心を唆られるという処に、歴史のほんとうのセンスが生れるのだ。だから、僕に言わせると、初等の歴史教育では、歴史なぞ教える必要はない、歴史に対するする正しいセンス、正しい情操を教えよ、と言うのだ。それが出来ないから、歴史についていかに精しくなってもおかしな事になるだけなのだ。」(太字は引用者)

 実は、私が「『日本国紀』と小林秀雄の歴史観」という題名で小論を書こうと思ったきっかけは、太字で記した小林の発言にありました。ノンフィクションを謳った小説『殉愛』の作者が『日本国紀』でその間違いなどをいかに批判されても平気なのは、「評論の神様」のお墨付きがあると考えているからでしょう。

 つまり、「教祖」ともいえる小林秀雄の歴史観をきちんと批判しえた時に、『日本国紀』史観に対する批判が作者に対しても効力を持つようになると思えるのです。

 さて、小林の言葉を聞いて、「君が日本勤王史こそ真の歴史であると言い出したのが大変面白いと思ったのだ。」と語り、「僕は君のような深い考えで言ったワケではない。併し、君の言う事は正しいのだ。」という小林の返事を聞くと、『日本浪曼派』の同人でもあった林は次のようにとうとうと自分の「勤王文学史」を語ります。堀田善衞が『若き日の詩人たちの肖像』で描いた当時の文学を知る上で重要なので、少し長くなりますが、引用しておきます。

『若き日の詩人たちの肖像』における「耽美的パトリオティズム」の批判(2、加筆版)――「海ゆかば」の精神と主人公

学徒出陣

出陣学徒壮行会(1943年10月21日、出典は「ウィキペディア」)

 「古事記は単なる古典ではない。当時の混乱を正す勤王書、即ち革命の書だった。万葉集もまた人麿や防人の歌に見るが如く勤王の書だった。それから神皇正統記、太平記、大日本史、日本外史、賀茂眞淵、本居宣長、僧契沖、平田文子など国学者の書、藤田東湖を始めとする水戸派の書そういう人達のものが全部革命の書だ。日本では革命の書は復古の書で勤王の書なんだ。ここに日本の本当の文学伝統がある。真の日本文学史は勤王文学史だという新しい常識を我々は打ちたてなければならぬ。

 明治の文筆者及び現代の文学者は他の所に日本の文学伝統を求めている。枕草子、源氏物語、方丈記、徒然草、謡曲、徳川期に於いては近松巣林子(引用者注:門左衛門のこと)西鶴、春水、馬琴、三馬、一九、そういうものを日本文学の伝統であると教えられた。これが大きな間違いだ。この伝統を押して行けば、西洋流の市民文学となり、市井文学となり、やがては階級文学となるのが当然で、真の国民文学はこの伝統の流れからは発見もされず創成もされない。考えてみると、西鶴が発見されたのは明治二十年前後だ。日本に新しい町人文化が再台頭しはじめたころに再発見されて、それがその後フランス自然主義という理論が日本に輸入され、この自然主義の尺度に一番よく当てはまっているのが、西鶴の市井小説で、西鶴こそ真の日本文学である。日本文学の正統はここにあるということになってしまった。」(太字は引用者)

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 このような林の言葉に小林秀雄も「右翼というものの存在をインテリゲンチヤはもっと真面目に考えなければいけないと僕は思うのだ。(……)インテリゲンチヤは右翼を旧文明の残滓だと思っているのだよ。」と語りかけると、「日本の歴史を動かしているのは右翼なんだよ、実は――。」と応じた林は、話題を転じて小林に「君には西鶴は面白いかね。」と問いかけ、「今は詰まらないね。」という答えを得ています。

 そして、「今僕は、歴史による知性の再教育というようなことを考えているのだ。」という林に対して「賛成だ。僕は今面白い仕事はそれだけだと思っているくらいだ。」と応じた小林は、「つくる会」の論客と同じように蘇峰の歴史をこう高く評価しているのです。

 「徳富蘇峰なんか皆悪口を言うが、僕はあの人の歴史を認めている。悪口を言うが、実際に読んでやしないのだよ。あれを読むのだってずい分骨は折れるからね。史観が出鱈目というけれども、あの人の歴史は観方が一番借りもののところがない。」

 そして林房雄もこう応じていたのです。「蘇峰は出発はハイカラだが、非常に日本的な歴史家なんだ。一昨日、読者から手紙が来て、歴史を理解するためにはどの歴史書を読んだらいいんだろうという。僕は徳富蘇峰を推薦した。いつか君も蘇峰をほめていた。」

(2019年5月28日、加筆)

「他人をほめる技術」と「けなす技術」――小林秀雄の芥川龍之介・批判とアランの翻訳などをめぐって

「伝統は何処にあるか。僕の血のなかにある。若し無ければぼくは生きていないはずだ。」「僕は大勢に順応して行きたい。妥協して行きたい。」

(小林秀雄、「文学の伝統性と近代性」、昭和11年)(写真は二・二六事件)

「批評の神様」とも称される文芸評論家の小林秀雄(一九〇二~八三)は「国民文化研究会」の主宰者で、後に「日本会議」の代表者の一人にもなる小田村寅二郎の招きに応じて昭和36年から昭和53年にわたり5回の講演を九州で行っていました。

その際に行われた学生との対話を収録した『学生との対話』(新潮社、2014年)の「解説」を書いた編集者の池田雅延は、「永年、批評文を書いてきて、小林秀雄が到達した境地は、『批評とは他人をほめる技術である』でした」と記し、それは「小林秀雄が早くからめざしていたことの当然の帰結といってよいものでしたと続けています(「問うことと答えること」、194頁)。

実際、小林秀雄は一九六四年に発表した「批評」というエッセイで次のように記していました。

「自分の仕事の具体例を顧みると、批評文としてよく書かれているものは、皆他人への讃辞であって、他人への悪口で文を成したものではない事に、はっきりと気附く。そこから率直に発言してみると、批評は人をほめる特殊の技術だ、と言えそうだ。」

たしかに「人をけなすのは批評家の持つ一技術ですらなく、批評精神に全く反する精神的態度である、と言えそうだ……」と指摘しているこの文章を読むと一見、そうかとも納得させられるようになります。

しかし、この文章に強い違和感を覚えるのは、評論「現代文学の不安」でドストエフスキーについて、「だが今、こん度こそは本当に彼を理解しなければならぬ時が来たらしい」と記した小林が、その一方で芥川龍之介を「人間一人描き得なかつたエッセイスト」と激しくけなしていたからです。

そして、「この絶望した詩人たちの最も傷ましい典型は芥川龍之介であつた」と規定した小林は、「多くの批評家が、芥川氏を近代知識人の宿命を体現した人物として論じてゐる。私は誤りであると思ふ」と続けていました。

このエッセイが書かれたのは上海事変が起き、満州国が成立した一九三二(昭和七)年のことでした。その翌年には日本が国際連盟から脱退して国際関係において孤立を深めるとともに、国内でも京都帝国大学で滝川事件が起きるなど検閲の強化が進んでいました。そのことに留意するならば、2・26事件が起きた昭和11年に発表した「文学の伝統性と近代性」というエッセイで中野重治などを批判しつつ、「伝統は何処にあるか。僕の血のなかにある。若し無ければぼくは生きていないはずだ。こんな簡単明瞭な事実はない」と書くとともに、「僕は大勢に順応して行きたい。妥協して行きたい」と記すようになる小林が、芥川を批判することで早くも時勢に順応しようとしていたことが感じられます。(写真は二・二六事件)

(「ウィキペディア」より)

しかも、それは芥川龍之介に対してのみのことではありませんでした。1934年9月から翌年の10月まで連載した「『白痴』について1」で、「ムイシュキンはスイスから帰つたのではない。シベリヤから還つたのだ」と強調した小林は、「『罪と罰』の終末を仔細に読んだ人は、あそこにゐるラスコオリニコフは未だ人間に触れないムイシュキンだといふことに気が付くであろう」。

さらに、1937年に発表した「『悪霊』について」では「スタヴロオギンは、ムイシュキンに非常によく似てゐる、と言つたら不注意な読者は訝るかも知れないが、二人は同じ作者の精神の沙漠を歩く双生児だ」と断言していました。

こうして、読者を「注意深い読者」と普通の読者、「不注意な読者」の三種類に分類して、自分の読み方に従う読者を「仔細に読んだ人」と称賛する一方で、自分の読み方とは異なる読み方をする者を「不注意な読者」と「けなして」いたのです。

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このような傾向は『学生との対話』にも現れています。「僕たちは宿命として、日本人に生まれてきたのです。(……)日本人は日本人の伝統というものの中に入って物を考え、行いをしないと、本当のことはできやしない、と宣長さんは考えた。」と語った小林は、「考古学」に基礎を置いた歴史観をこう「けなして」いました(太字は引用者、95頁)。

「たとえば、本当は神武天皇なんていなかった、あれは嘘だとういう歴史観。それが何ですか、嘘だっていいじゃないか。嘘だというのは、今の人の歴史だ。」(「信ずることと考えること」、127頁)。

一方、小林秀雄の「宿命論」的な考えを批判するような思想を述べていたのがフランスの哲学者アランでした。「……人が宿命論を信ずれば、それだけで宿命は本物になってしまう。(……)いっそう明白なことは、民衆の全体が戦争が不可避だと信じれば、現実にそれはもう避けがたい。あまり人がしばしば通った道ではないが、辿る(たど)るのにそうむずかしくはない道がある。それは戦争を避けることが出来るということが真実になるためには、まず戦争が避け得ると信ずる必要があるという結論に到達するための道筋である。」

このことを堀田善衞は『若き日の詩人たちの肖像』のアランの翻訳をめぐる議論でこう指摘しています。「これね、翻訳あるんだけど、その翻訳ね、翻訳じゃないんだ、検閲のことを考えて、一章ごっそりないところや、削ったところなんか沢山あって、あれ翻訳じゃないんだけど、小林秀雄さんがあの翻訳のこととりあげて、良い本だ、っていうらしいことを書いていたの、あれいかんと思うんだけど……」

そして、こう続けられているのです。「その翻訳だと、戦争も生活の一つだ、地道に立向かって行け、ってことになるんだ、逆なんだ、本当は小林さんはこの原書を読んでないってことはないと思うんだけど」。

この言葉は宿命論的な考えに対する批判を省いてアランの戦争論を理解していた小林秀雄に対する鋭い批判となっているでしょう。

(2019年5月28日、加筆)