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『司馬遼太郎の平和観――「坂の上の雲」を読み直す』(東海教育研究所、2005年)

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「目次」

はじめに――「平和論」の構築と『坂の上の雲』

序章 『坂の上の雲』と「司馬史観」の深化

一、『坂の上の雲』と「辺境史観」

二、事実の認識と「司馬史観」の深化

三、「司馬史観」の連続性と「皇国思想」の批判

四、「司馬史観」の深化と「国民国家」史観の批判

五、比較という方法と「司馬史観」の成熟  

第一章 「国民国家」の成立――自由民権運動と明治憲法の成立

一、「皇国」から「国民国家」へ――坂本竜馬の志

二、江戸時代の多様性と秋山好古

三、福沢諭吉の教育観と「国民国家」の形成

四、二つの方向性――「開化と復古」

五、自由民権運動と国会開設の詔勅

六、自由民権運動への危惧――「軍人勅諭」から「教育勅語」へ

第二章  日清戦争と米西戦争――「国民国家」から「帝国」へ

一,軍隊の近代化と普仏戦争

二,「文明・半開・野蛮」の序列化と「福沢史観」の変化

三、日清戦争と参謀本部――蘆花の『不如帰』と『坂の上の雲』

四、秋山好古と大山巌の旅順攻略――軍備の近代化と観察の重要性

五、立身出世主義の光と影

六、日清戦争の勝利と「帝国主義」――徳富蘇峰と蘆花の相克

七、米西戦争と「遅まきの帝国主義国」アメリカ

第三章  三国干渉から旅順攻撃へ――「国民軍」から「皇軍」への変貌

一、三国干渉と臥薪嘗胆――野蛮な帝国との「祖国防衛戦争」

二、「列強」との戦いと「忠君愛国」思想の復活

三、方法としての「写実」――「国民国家」史観への懐疑と「司馬史観」の変化

四、先制攻撃の必要性――秋山真之の日露戦争観

五、南山の死闘からノモンハン事件へ――軍隊における藩閥の考察

六、旅順の激戦と「自殺戦術」の批判――勝つためのリアリズム

七、トルストイの戦争批判と日露戦争――「情報」の問題と文学

第四章  旅順艦隊の敗北から奉天の会戦へ――ロシア帝国の危機と日本の「神国化

一、極東艦隊との海戦と広瀬武夫――ロシア人観の変化

二、提督マカロフの戦死――機械水雷と兵器についての考察

三、バルチック艦隊の栄光と悲惨――ロシア帝国の観察と考察

四、情報将校・明石元二郎と「血の日曜日事件」――帝政ロシアと革命運動

五、日露戦争と「祖国戦争」との比較――奇跡的な勝利と自国の神国化

六、奉天会戦――「軍事同盟」と「二重基準」の問題

第五章 勝利の悲哀――「明治国家」の終焉と「帝国」としての「皇国」 

一、日本海会戦から太平洋戦争へ――尊王攘夷思想の復活

二、バルチック艦隊の消滅と秋山真之の憂愁――兵器の改良と戦死者の増大

三、日露戦争末期の国際情勢と日比谷騒動――新聞報道の問題

四、蘆花のトルストイ訪問と「勝利の悲哀」――日露戦争後の日本社会

五、大逆事件と徳富蘇峰の『吉田松陰』(改訂版)

六、「軍神」創造の分析――『殉死』から『坂の上の雲』へ

終章 戦争から平和へ――新しい「公」の理念

一、日露戦争後の「憲法」論争と蘇峰の『大正の青年と帝国の前途』

二、「愛国心」教育の批判と『ひとびとの跫音』

三、『坂の上の雲』から幻の小説『ノモンハン』へ

四、「昭和初期の別国」と「大東亜戦争」――統帥権の考察

五、「共栄圏」の思想と強大な「帝国」との戦争

六、「自国中心史観」の克服――「特殊」としての平和から「普遍」としての平和へ

あとがき/主要登場人物、生没年/簡易年表/引用文献と主な参考文献

 

書評と紹介

(ご対談とご執筆頂いた方々に、この場をお借りして深く御礼申し上げます。)

(特別対談) 「『坂の上の雲』から見えるもの―― 司馬遼太郎の「平和観」をめぐって」『望星』8月号(伊東俊太郎氏)

書評 『比較文明』第21号(神川正彦氏)

書評 『異文化交流』第七号(田中信義氏)

紹介 『司馬遼太郎の平和観―「坂の上の雲」を読み直す―』(杉山文彦氏、2005年)

紹介 『東海大学新聞』(2005年、5月5日号)

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関連記事 高橋「教科書に採用されにくかった大作群」『ダカーポ』(2005年8月17日号)

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「はじめに」より

司馬遼太郎の歴史小説『坂の上の雲』における歴史観をめぐっては、生前から論争が起きていましたが、イラク戦争の影響や東アジア状勢の緊張を受けて、「“坂の上の雲”をめざして再び歩き出そう」という勇ましいタイトルでの対談が雑誌に掲載されるなど、『坂の上の雲』を「日露戦争」を賛美した小説とする言論が再び増えています。 (中略)

しかし、司馬は『坂の上の雲』の終章を「雨の坂」と名付けることで、“坂の上の雲”が日露戦争後には明るい白雲から、「国を惨憺(さんたん)たる荒廃におとし入れた」「大東亜戦争」にまで続く黒い雨雲に変わっていたことを象徴的に示していました。(中略)

司馬遼太郎の弟分とも見なされるほどに親しかった後輩の青木彰氏は、司馬の「ファンと称する政治家、官僚、財界人といった人々」が、司馬作品を誤読していることに対して、「もっとちゃんと読めばいいのにと私は思いますが」と厳しい苦言を呈しています(『司馬遼太郎と三つの戦争――戊辰・日露・太平洋』朝日新聞社)。

『坂の上の雲』をきちんと読み直すことは、「自国の正義」を主張して「愛国心」などの「情念」を煽りつつ「国民」を戦争に駆り立てた近代の戦争発生の仕組みを知り、「現実」としての「平和」の重要性に気づくようになる司馬の歴史認識の深まりを明らかにするためにも焦眉の作業だと思えます。