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年表5、坂本龍馬関連年表(1809~1869)

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 ISBN978-4-903174-23-5_xl(←画像をクリックで拡大できます)

坂本龍馬関連年表(1809~1869)

西暦   和暦     主な登場人物の活動と生没年(頻出する名前は幼名なども記す)

1809(文化6)   横井小楠(~69)、島津斉彬(~58)誕生
1810(文化7)   緒方洪庵(~1863)、 玉木文之進(~76)誕生
1811(文化8)   佐久間象山(~64)誕生、ロシア艦の艦長が逮捕される
1812(文化9)   高田屋嘉兵衛(1769~1827)、日本とロシアの衝突回避に尽力【→『菜の花の沖』】
1815(文化12)  井伊直弼(~60)誕生
1816(文化13)  吉田東洋(~62)誕生
1817(文化14)  島津久光(~87)誕生
1823(文政4)   勝海舟(~99)誕生。シーボルト来日
1824(文政5)   村田蔵六(大村益次郎)(~69)誕生【→『花神』】
1825(文政6)   岩倉具視(~83)誕生
1827(文政8)   西郷隆盛(吉之助)(~77)【→『翔ぶが如く』】、山内容堂(~72)誕生
1828(文政9)   松平春嶽(慶永)(~90)誕生。シーボルト事件発生
1829(文政10) 武市瑞山(半平太)(~65)誕生
1830(天保1)   吉田松陰(寅次郎)(~59))【→ 『世に棲む日日』】、大久保利通(一蔵)(~78)誕生
1833(天保4)   木戸孝允(桂小五郎)(~77)誕生
1834(天保5)   福沢諭吉(~1901)、岩崎弥太郎(~85)誕生

1835(天保6)   坂本龍馬(~67))【→ 『竜馬がゆく』】、土方歳三(~69)【→『燃えよ剣』】、 井上馨(志道聞多)(35/36~1915)誕生
1836(天保7)   榎本武揚(~1908)誕生
1837(天保8)   徳川慶喜(~1913)、三条実美(~91)誕生
1838(天保9)   中岡慎太郎(~67)、後藤象二郎(~97)、山県有朋(狂介)(~1922)、桐野利秋(中村半次郎)(~77)誕生。緒方洪庵、適塾を開く
1839(天保10)  高杉晋作(狂生、東行)(~67)誕生
1840(天保11) 久坂玄瑞(~64)誕生
1841(天保12)  伊藤俊輔(博文)(~1909)誕生。蔵六、適塾に入門
1848(嘉永1)  1月、松陰、独立の師範となる。龍馬、日根野道場で剣を学ぶ
1849(嘉永2)  6月、松陰、藩命で海防の実情を調査。海舟、蘭学塾を開く. 西園寺公望(~1940)誕生
1850(嘉永3)  8月、松陰、九州へ遊学に旅立つ
1851(嘉永4)  3月、松陰、兵学研究のため、江戸で安積艮斎・古賀茶渓・山鹿素水・佐久間象山らに学ぶ。12月、脱藩し、東北遊歴する
1852(嘉永5)  4月、松陰、江戸に帰る。7月、漂流民(中浜)万次郎、土佐に帰る。12月松陰、、亡命の罪で士籍・家禄を奪われ、杉家の育(はぐ   くみ)となる

1853(嘉永6)  1月、松陰、諸国遊学を許可される。 3月、龍馬、剣術修行のために江戸に出発する。9月、松陰、ロシア艦で密出国を試みる

1854(安政1)  1月、ペリー再来日。2月、諭吉、蘭学に志し、長崎に出る。3月、松陰、アメリカ艦へ弟子の金子と乗り込み、渡航拒否され、自首。4月、江戸伝馬町獄へ。6月、龍馬、江戸より帰国。河田小龍に会う。9月、幕府が松陰と金子、佐久間象山を自藩に幽閉処分。10月、松陰、野山獄へ

1855(安政2)  1月、金子、岩倉獄で病死。9月、松陰、「福堂策」を完成。12月、野山獄から自宅での蟄居へ。海舟、長崎海軍伝習所で学ぶ(~59)。 諭吉、適塾に入門

1856(安政3)  6月、松陰、幽室で講義。8月、龍馬、再度江戸遊学に出立する

1857(安政4)  4月、晋作、明倫館に入舎。松下村塾に入門。龍馬、千葉道場の塾頭となる。諭吉、緒方塾の塾長となる

1858(安政5)  3月、松陰、松下村塾の増築。9月、龍馬、江戸より高知に帰る。11月、松陰、老中襲撃の案。同月、晋作、江戸の昌平校に入る。12月、晋作、久坂らと松陰に書簡を送り、義挙の機ではないと勧告。松陰、野山獄に再入獄

1859(安政6)  3月、多くの門人ら松陰を敬遠。5月、藩より東送の命、以後、多くの門人、獄を訪れる。6月、江戸到着。7月、伝馬町の獄舎に入る。10月26日「留魂録」。10月27日、松陰、処刑される。10月29日、蔵六、女囚の解剖、桂小五郎との出会い。晋作、11月、久坂らと松陰の霊をとむらう

1860(万延1)  1月、海舟、諭吉、咸臨丸で渡米する。晋作、井上方と結婚。久坂らと輪読会。蔵六、宇和島藩依頼の蒸気船を完成、長州藩に出仕。同月、晋作、明倫館舎長を命じられる。9月、佐久間象山に会見。

1861(文久1)  3月、晋作、世子の小姓役を命じられる。 9月、龍馬、勤王党に参加。10月、和宮降嫁。12月、諭吉、使節団の通事として西欧に出発(~62)

1862(文久2)  3月、龍馬、脱藩する。4月、吉田東洋暗殺される。5月、晋作、幕府の「千歳丸」で上海に到着。8月、龍馬、江戸に赴き、このころ勝海舟に入門する。11月、晋作、久坂らと横浜各国公使館襲撃案。12月12日、晋作、久坂らと御殿山の英国公使館を焼き打ち。12月17日、龍馬、勝海舟とともに西上する

1863(文久3)  2月、龍馬、脱藩の罪が許される。3月、晋作、久坂、伊藤俊輔らと松陰の遺骨を若林に改葬。4月24日、神戸海軍操練所の建設が決定。 5月、長州藩、攘夷を決行。 同月、龍馬、越前に赴く。6月、晋作、馬関に赴き奇兵隊編成。7月、薩英戦争。8月、大政変。9月、土佐勤王党弾圧。10月、龍馬、神戸海軍操 練所の塾頭になる。伊藤、井上、イギリスに密出国

1864(元治1) 1月、晋作、脱藩して京都へ走り後、野山獄に投じられる。 2月、龍馬、勝とともに長崎に出張する、4月、横井小楠を熊本に尋ねる。7月、晋作、英国より帰国した井上聞多、伊藤俊輔をともない講和条約を締結。8月、龍馬、入京し西郷隆盛に会う。10月、晋作、長州征伐にたいする主戦論やぶれ、博多にむかう。12月、遊撃隊を率いて下関で挙兵、長州藩の内乱始まる

1865(元治2・慶応1)  5月、龍馬、熊本の横井小楠を訪ねる。5月頃、亀山社中成立、10月、晋作、龍馬と馬関で会い、第2次長州征伐の対策をねる。12月、龍馬、ユニオン号問題を調停する。中江兆民(1847~1901)、長崎で龍馬を知る

1866(慶応2) 1月22日、龍馬、薩長連合を成立させる。1月24日、寺田屋にて襲撃される。6月、晋作、海軍総督となる、幕艦を攻撃。3月、龍馬、お龍と霧島などに遊ぶ。6月17日、門司攻撃戦に参加

1867(慶応3) 4月、晋作、下関において死去。 同月、龍馬、海援隊長に任命される。4月23日、いろは丸事件おこる。6月15日、「船中八策」成文化する。9月、土佐に銃千挺を回漕。10月、新官制を草す。越前福井に向かう。11月上旬、「新政府綱領八策」を起草、11月15日、龍馬・中岡慎太郎とともに暗殺される。 12月、龍馬の復讐のため海援隊と陸援隊の隊士らが新選組を襲撃。

〈正岡常規(子規)(~1902)、夏目金之助(漱石)(~1916)誕生〉【→『坂の上の雲』】

1868(明治1) 1月、鳥羽伏見戦。戊辰戦争始まる(~69)。3月、勝海舟・西郷隆盛談判で江戸城総攻撃を中止。5月、上野彰義隊戦争。奥羽越列藩同盟成立。7月、長岡落城、9月、会津藩降伏。10月、榎本軍が五稜郭を占領

1869(明治2) 1月、横井小楠暗殺される。5月、榎本武揚軍降伏。9月、大村益次郎(蔵六)襲撃される。11月、傷がもとで大村益次郎死亡

*   *  *

勝海舟と坂本龍馬の関係や、吉田松陰と高杉晋作や桂小五郎との関係を中心に『竜馬がゆく』と『世に棲む日日』など考察した拙著『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと(人文書館、2009年)より一部省略して掲載。ここでは師匠の代の人間関係も確認するために、龍馬の師・横井小楠の誕生した年から記した。初出時以外は坂本龍馬を龍馬と、勝海舟は海舟、村田蔵六は蔵六、吉田松陰は松陰、高杉晋作は晋作、福沢諭吉は諭吉と略記する。

ロシアや世界史との関連については、年表Ⅰのドストエフスキー関連年表(1789~1881)を参照。
なお、本年表は『坂本龍馬』(飛鳥井雅道著、講談社学術文庫)、『吉田松陰』(田中彰著、中公新書)、『高杉晋作』(奈良本辰也著、中公新書)、および『新日本史主題史年表』(清水書院)などを元に編集、作成した。日付は太陰暦によった。