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映画・演劇評

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ニュース

『白夜』の鮮烈な魅力――「甘い空想」の破綻を描く

《『白夜』》ヴィスコンティ

(映画《Белые ночи》 1957年のポスター、図版はロシア語版「ウィキペディア」より)

ヴィスコンティの映画《白夜》のニュープリント修復版が十月下旬から公開される。これは「北のヴェニス」と呼ばれるサンクト・ペテルブルクの街を散策することが好きな若者が、白夜の季節に味わったひとときの恋を描いたドストエフスキーのロマンチックな佳作の映画化である。一九五七年にモノクロで撮られたものなので、半世紀近くも昔の映画といえよう。

しかし、一九六九年の《地獄に堕ちた勇者ども》でナチス政権下のドイツの青年達の「欲望」と「他者」への「敵意」を見事に映像化していたヴィスコンティは、トーマス・マンの『ベニスに死す』の映画化では、近づいてくる第一次世界大戦の足音を聞きながらベニスへ「逃避」した作家の「退廃」を、美しい映像を通して描き出すことになる。原作の舞台をイタリアに置き換えた比較的初期の映画《白夜》にも、「おとぎ話のような」物語の内部に鋭い棘(とげ)を秘めており、クリミア戦争に突入するほんの数年前に書かれた原作の緊迫した時代背景も伝え得ている。

たとえば、小説『白夜』の冒頭で描かれる中年の紳士が主人公の女性をつけ回すという有名なシーンの代わりに、映画『白夜』ではオートバイに乗った若者たちが騒音と共にナタリアを追いかけ廻しているが、ここには第二次世界大戦前のイタリアを想起させるようなヴィスコンティのすぐれた時代感覚が現れているだろう。

しかも、マストロヤンニ演じる主人公がバーで夢中になって踊る場面や恋に破れたあとでの娼婦との会話などのシーンをとおして、ヴィスコンティは息苦しい社会の中で「甘い空想」に破れた若者の「苦悩」だけでなく、「退廃」の予兆さえも映像化している。

ことに、夜でもなく昼でもない「白夜」の奇妙な時代感覚を、ヴェニスに降った雪による「白い空間」で表現した幕切れ近くのシーンは圧巻である。奇蹟をもたらしたかに見えた時ならぬ「美しい雪」が、失恋の痛みの中で近づいてくる「冬の時代」の到来を告げるような「冷たい雪」へと変わるのである。

時代の「閉塞感」が強まる中で、「他者」への「敵意」が強まり、「新しい戦争」の足音さえ聞こえ始めた現在、若者の「孤独」と「甘い空想」の破綻を強烈な映像美で描いた映画と『白夜』は、きわめて今日的な作品と映る。

(コラム「知的空間」『東海大学新聞』、2002年9月5日)

(2017年5月5日、図版を追加)