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主な研究

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  注・研究活動の記載は「活動」欄に掲載します。

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主な研究(活動)

講座「『草枕』で司馬遼太郎の『翔ぶが如く』を読み解く」(レジュメ)

司馬遼太郎氏は『坂の上の雲』の「あとがき」で、「書き終えてみると、私などの知らなかった異種の文明世界を経めぐって長い旅をしてきたような、名状しがたい疲労と昂奮が心身に残った」と書いている。

征韓論をきっかけに国論が二分し、西郷隆盛と欧米の文明を自分の目で観察してきた大久保利通との対立から西南戦争に至る状況が描かれている『翔ぶが如く』でも、米欧に派遣されたさまざまな使節団や留学生の観察などをとおして、「文明開化」など日本の近代化の問題が深く考察されている。

たとえば、この長編小説の冒頭では「警察制度の視察と研究」のために渡欧していた川路利良などの観察が描かれ、それに続いて、普仏戦争の直後に訪れたことで強い衝撃を受けた山県有朋と西郷従道の二人の印象や留学生として残った大山巌の観察が記されている。

「近代国家創出のモデル選択肢を求めて」、米欧十二か国を回覧した岩倉使節団についても詳しく記されているが、ことにドイツ帝国の首相ビスマルクとの会見では、大久保利通が「プロシア風の政体をとり入れ、内務省を創設し、内務省のもつ行政警察力を中心として官の絶対的威権を確立しよう」と強く思うようになったことが確認されている(文春文庫、第一巻・「征韓論」)。

一方、フランス留学から帰国したのちにルソーの『民約論』を翻訳した中江兆民について司馬氏は、「中江兆民という存在が、十五年前に出ていれば、明治維新という革命に、おそらく世界に共通する普遍性が付与されたに相違ない」と書いて高く評価している(第五巻・「植木学校」)。

『竜馬がゆく』で坂本竜馬と横井小楠との熊本での出会いにふれていた司馬氏は、『翔ぶが如く』では藩校の出身者たちからなる「学校派」や横井小楠を師匠とする「実学派」だけでなく、のちに「神風連の乱」を起こすことになる「敬神派」や、行動的な自由民権派などの思想的なグループが互いに競い合っていた熊本の状況を詳しく描き出している。

ことに詳しく考察されているのが、「泣いて読む、廬騒〔ルソー〕民約論」と「あたかも雷に打たれたような感動を発した」宮崎八郎という存在である。宮崎八郎は腐敗した藩閥政治を打ち倒すために熊本協働隊を組織して西郷軍に参加し戦死するが、その志は弟の宮崎寅蔵(滔天)などによって受け継がれていたのである。

この意味で興味深いのは、漱石が赴任していた時の体験をもとに書いた『草枕』の女主人公那美のモデルとなった前田卓(つな)の父が、明治初期に活躍した熊本の有力な民権家・前田案山子であり、かつ卓の妹槌(つち)の夫が宮崎寅蔵(滔天)だったことである(安住恭子『「草枕」の那美と辛亥革命』白水社)。

本講座では『不如帰』を書いた徳富蘆花と司馬遼太郎との関係も視野にいれながら、漱石が熊本に赴任していた時の体験をもとに書いた『草枕』をとおして『翔ぶが如く』の意味を読み解くことにしたい。

『翔ぶが如く』は文庫本で十冊からなる大作なので、ここでは台湾出兵の頃には「年少客気の侵略主義者」だった宮崎八郎が、思想家として成長する過程が描かれている第五巻の「壮士」から、「肥後荒尾村」、「植木学校」、「明治八年・東京」までに焦点を当てて二つの小説を考察する。