(図版は正岡子規編集・執筆『小日本』〈全2巻、大空社、1994年〉、大空社のHPより)
「特定秘密保護法」が国会での十分な議論も行われる前に強行採決された際には、次のように語っていた半藤一利氏の記事「転換点 いま大事なとき」をこのブログに掲載しました。
「歴史的にみると、昭和の一ケタで、国定教科書の内容が変わって教育の国家統制が始まり、さらに情報統制が強まりました。体制固めがされたあの時代に、いまは似ています。」
そして半藤氏は「この国の転換点として、いまが一番大事なときだと思います」と結んでいました(太字は引用者)。
リンク→「特定秘密保護法」と「昭和初期の別国」――半藤一利氏の「転換点」を読んで
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しかし、テロリストによる人質殺害事件があったことで、重要な「情報」はさらに隠されるようになっただけでなく、大新聞やテレビなどのマスコミでは政権の対応を批判することすらも自粛するような傾向さえ強くなってきているようです。
掲載が遅くなりましたが、9日には「翼賛体制の構築に抗する言論人、報道人、表現者の声明」が発表されていましたので、それを伝える「東京新聞」の2月10日付けの記事を転載しておきます。
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〈人質事件後「あしき流れ」 政権批判自粛にノー〉
過激派「イスラム国」による日本人人質事件が起きてから、政権批判を自粛する雰囲気がマスコミなどに広がっているとして、ジャーナリストや作家らが九日、「あしき流れをせき止め、批判すべきことは書く」との声明を発表した。
ジャーナリストの今井一さんらがまとめ、表現に携わる約千二百人、一般の約千五百人が賛同した。音楽家の坂本龍一さん、作家の平野啓一郎さん、馳星周さんら著名人も多い。今井さんは、国会で政府の事件対応を野党が追及したニュースの放映時間が一部を除き極めて短かったと述べた。
声明は、人質事件で「政権批判を自粛する空気が国会議員、マスメディアから日本社会まで支配しつつある」と指摘。「非常時に政権批判を自粛すべきだという理屈を認めれば、あらゆる非常時に批判できなくなる。結果的に翼賛体制の構築に寄与することになる」と警鐘を鳴らしている。
九日は中心メンバーの七人が会見。慶応大の小林節名誉教授(憲法学)は「今回の事件で安倍晋三首相を批判するとヒステリックな反応が出る。病的で心配している」と語った。元経済産業官僚の古賀茂明さんは「自粛が広がると、国民に正しい情報が行き渡らなくなる。その先は、選挙による独裁政権の誕生になる」と危機感をあらわにした。
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このような現在の日本のジャーナリズムの現状を見ると、明治の新聞記者であった陸羯南や正岡子規のジャーナリストとしての気概を改めて感じます。
今回は明治27年4月29日に子規が編集主任を務めていた新聞『小日本』が第一面に掲載された「政府党の常語」という記事を紹介します。
この記事は「感情といふ熟語が近頃外政上如何にに政府党の慣用せらるゝを見よ、」という文章で始まる「第1 感情」、「第2 譲歩」、「第3 文明」、「第4 秘密」の4節からなっています。
ことに「藩閥政府」の問題点を鋭く衝いた「第4 秘密」は、原発事故のその後の状況や、国民の健康や生命に深く関わるTPPの問題など多くが隠されている現代の「政府党の常語」を批判していると思えるほどの新鮮さと大胆さを持っているように思えます。その全文を一部を太字で引用しておきます。
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「秘密秘密何でも秘密、殊には『外交秘密』とやらが当局無二の好物なり、如何にも外交政策に於ては時に秘密を要せざるに非ず、去れどそは攻守同盟とか、和戦談判とかいふ場合に於て必要のみ、普通一般の通商条約、其条約の改正などに何の秘密かこれあらん、斯かる条項は成るべく予め国民一般に知らしめて世論の在る所を傾聴し、国家に民人に及ぼす利害得喪を深察するこそ当然なれ、去るに是れをも外交秘密てふ言葉の裏に推込(おしこ)めて国民の耳目に触れしめず、斯かる手段こそ当局の尊崇する文明の本国欧米にては専制的野蛮政策とは申すなれ、去れど此一事だけは終始(しじう)一貫して中々厳重に把持せらるゝ当局の心中きたなし卑し。」
(2015年12月14日。図版とリンク先を追加)
新聞記者・正岡子規関連の記事一覧(追加版)
自著『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』の紹介文を転載
『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)の目次を「著書・共著」に掲載
近著『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)について
講座 「新聞記者・正岡子規と夏目漱石――『坂の上の雲』をとおして」
「特定秘密保護法」と自由民権運動――『坂の上の雲』と新聞記者・正岡子規
年表6、正岡子規・夏目漱石関連簡易年表(1857~1910)