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本多猪四郎

映画《ゴジラ》考Ⅴ――ハリウッド版・映画《Godzilla ゴジラ》と「安保関連法」の成立

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昨年の8月に書いた映画《ゴジラ》考Ⅳでは、映画《ゴジラvsスペースゴジラ》を考察して、〈「スペースゴジラ」や「ゴジラ」の破壊力のすさまじさは映像化されていても、「ゴジラ」が歩いたあとに残されるはずの高い放射能についての指摘はほとんど語られてはいなかった〉ことを指摘し、〈このように見てくる時、「国民の生命」を守る組織としての「自衛隊」の役割やモゲラの製造にかかわったロリシカ国との「軍事同盟」の必要性が、特撮技術を駆使した華々しい戦闘シーンをとおして描かれていた20年前の映画《ゴジラvsスペースゴジラ》は、「積極的平和」の名の下に堂々と原発や武器が売られ、それまでの政府見解とは全く異なる「集団的自衛権」が正当化されるようになる日本の政治情況を先取りしていたようにさえ見える〉と記した。

こうして映画《ゴジラ》の「理念」が変質していることを確認した後で、芹沢博士と監督の名前を組み合わせた芹沢猪四郎が活躍するアメリカ映画《Godzilla ゴジラ》が、〈映画《ゴジラ》の「原点」に戻ったという呼び声が高い〉ことを紹介し、「残念ながら当分、この映画を見る時間的な余裕はなさそうだが、いつか機会を見て映画《ゴジラ》と比較しながら、アメリカ映画《Godzilla ゴジラ》で水爆実験や「原発事故」の問題がどのように描かれているかを考察してみたい」と結んでいた。

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期待してみようと思っていたハリウッド版の映画を観たいという気が失せたのは、この映画の予告版を観たときであった。そこでは「1954年 我々は起こしてしまったんだ/当時の頻発した水爆実験/その真の目的は/あれを殺すためだった」という台詞が堂々と語られていたのである。

しかし、一九五四年の三月一日にビキニ環礁で行われたアメリカの水爆「ブラボー」の実験は、この水爆が原爆の一千倍もの破壊力を持ったために、制限区域とされた地域をはるかに超える範囲が「死の灰」に覆われて、一六〇キロ離れた海域で漁をしていた日本の漁船「第五福竜丸」の船員だけでなく、南東方向へ五二五キロ離れたアイルック環礁に暮らしていた住民も被爆していた(前田哲男監修『隠されたヒバクシャ──検証、裁きなきビキニ水爆被害』凱風社、2005年)。

さらに、水爆「ブラボー」の実験は、二ヵ月以上にわたって計六回もの核実験が行われた「キャッスル作戦」の最初におこなわれたものであったが、六〇年後の現在、この一連の核実験の情報が十分には周知されていなかったために、のべ一千隻の日本の漁船と乗組員約二三〇人が被爆していたことがわかった(高瀬毅『ブラボー 隠されたビキニ水爆実験の真実』平凡社、2014年)。

しかも、厚生省が行った健康診断の記録はないとされていたが、その記録が外務省を通じてアメリカ側には渡っていたことが、アメリカに残されていた資料によってようやく明らかになったのである(NHKスペシャル、「水爆実験 六〇年目の真実~ヒロシマが迫る”埋もれた被ばく”~」2014年8月6日放送)。

一方、この事件から強い衝撃を受けた黒澤明監督は「世界で唯一の原爆の洗礼を受けた日本として、どこの国よりも早く、率先してこういう映画を作る」べきだと考えて映画《生きものの記録》を製作したが、黒澤明監督の盟友・本多猪四郎監督もいち早く、映画《ゴジラ》の撮影に入っていたのである。

それゆえ、この台詞を聞いた時には、いかに娯楽映画とはいえこれでは「事実」の隠蔽ではないかと感じ、映画を観る気にはなれなかったので、映画のオフィシャル小説版を買い求めて当該部分を確かめた。

すると、当時「太平洋で水爆実験がくりかえされていた」ことに注意を向けた芹沢が「それは実験ではなく……」、「これを殺すことが目的だった」と説明したと描かれていた(コックス・グレッグ著、片桐晶訳『GODZILLA ゴジラ』角川文庫、153頁)。

しかも、「ゴジラ」を殺すために水爆実験が繰り返されたと説明したこの映画では、その存在が判明した巨大な「寄生有機体」のムートーをも核兵器で抹殺しようとして、サンフランシスコの「岸から少なくとも30キロ離れた起爆地を確保」しようとする作戦が描かれているのである(太字は引用者、237頁)。

このようなアメリカの危機にはるばる日本から現れて、2匹の巨大な「寄生有機体」のムートーと死闘を繰り広げることになるのが「ゴジラ」なのであり、最初は古代の危険な怪獣に見えていた「ゴジラ」が映画の終わりでは、日本から来た「救世主」のように見えてくるようにこの映画では描かれている。

それゆえ、このような事実の歪曲に対しては強い批判がなされてしかるべきだと感じたのだが、「ゴジラの海外派兵」と題された、「東京新聞」の8月12日のコラム「大波小波」でも、アメリカ映画《Godzilla ゴジラ》は安倍政権の「集団的自衛権の行使容認をアメリカ側が歓迎し、祝福する映画ではないか」と批判し、「日本の映画人よ、一刻も早く本道に戻り、3・11以降の日本人の魂を鎮めてくれる『ゴジラ』を撮りあげてほしい」と「正助」の署名で記していた。

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ゴジラ2014 ハリウッドは核爆弾をナメてるし 設定はガメラ」と題された2014/08/03付けの映画評は、ビキニ環礁の頃とは「桁違いのメガトン級核爆弾」を積んだボートで、主人公がようやくゴールデンゲートブリッジの下を通過したのが、核爆発まで残り5分の時であることを考えるならば、「サンフランシスコは蒸発してしまうはず」と書いていた。

実際、徐々に明らかになってきた、「キャッスル作戦」の実態に注目するならば、映画で描かれているアメリカ軍の作戦がいかに荒唐無稽なものであるかは明白であろう。

9月25日夜に「金曜ロードSHOW!」で地上波初放送されたアメリカ映画《Godzilla ゴジラ》で確かめたかったのは、「ゴジラ」やムートーがどのように視覚化されているかということと、「数キロ後方のすさまじい閃光」の後で見えた「きのこ雲」がどのように描かれているかにあった。

この映画はゴールデンゲートブリッジの下を「メガトン級核爆弾」を積んだボートで通過し、ヘリコプターで救出された主人公が、機上から「キノコ雲」を眺める場面が描かれたあとで、救出された市民たちが集められたスタジアムで妻子と再会するという感動的な場面で終わっている。

しかし、広島や長崎型の原爆をはるかに上回る威力の核爆弾が爆発した後ではそこにいるのは、黒焦げになった死体や焼けただれた姿で助けを求める人々の姿であるはずなのだ。

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イラク戦争に際してブッシュ元大統領は、「ならず者」国家に対しては核兵器による先制攻撃も許されると発言し、アーミテージ元国務副長官も「日本も旗を見せる」べきだと厳しい要求していた。

これらの発言を踏まえてこの映画を観るとき、「予期せぬ侵入者」にどこからか「テロリスト」という言葉が聞こえてきた」という記述もあるこの映画では、日本から来た「ゴジラ」は、まさに強力な援軍のように描かれているといえるだろう。

このように見てくるとき、1954年のオリジナル版への敬意があるとの評価が高かったアメリカ映画《Godzilla ゴジラ》は、「原点」に戻ったのは「ゴジラ」の尾や姿、咆哮などだけで、その「理念」の面では残念ながら第一作とは正反対であると言わねばならない。

《坂の上の雲》や《龍馬伝》などのNHKの大河ドラマの場合にもあてはまるが、印象的な場面により歴史的な事実が歪められて記憶される危険性が強いのは、報道番組よりもむしろこのような娯楽映画なのである。

映画《Godzilla ゴジラ》は、予想を超える興行収入を日本でもあげて、第38回日本アカデミー賞優秀外国映画賞が与えられたとのことである。

1954年の「第五福竜丸」の悲劇を矮小化していただけでなく、敵との戦争においては核兵器の使用をも可能とするこの映画に対しては日本の映画人だけでなく観客も強い批判を行わねばならないだろう。

映画《ゴジラ》考Ⅳ――「ゴジラシリーズ」と《ゴジラ》の「理念」の変質

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映画《ゴジラ》考Ⅳ――「ゴジラシリーズ」と《ゴジラ》の「理念」の変質

 

はじめに

映画《ゴジラ》の60周年ということで、テレビ東京では8月5日に放映した1992年公開の映画《ゴジラvsモスラ》に続いて、翌日には映画《ゴジラvsスペースゴジラ》(製作:田中友幸、監督:山下賢章、脚本:柏原寛司、特技監督:川北紘一)が放映された。

この映画でも特撮の技術を駆使したクライマックスの戦いのシーンの映像はことに迫力があった。しかし、「破壊神降臨」をキャッチコピーとしていたように、宇宙に飛散したゴジラの細胞がブラックホール内で結晶生命体を取り込み怪獣化して地球に飛来した宇宙怪獣スペースゴジラは終始、抹殺すべき「敵」として描かれていた。            

《水戸黄門》などの勧善懲悪的なテーマを持つ時代劇では、主人公が人々を苦しめる「悪代官」などを「征伐すべき者」として描かれ、主人公が彼らを「退治」する場面に観客は共感するので、この映画もそのような流れを受け継いでいるといえるだろう。                                                       しかし、これまで考察してきたように本多監督の映画《ゴジラ》や《モスラ》では、これらの「怪獣」は、自然を破壊する水爆実験や環境破壊によって深い眠りから目覚めた「生き物」として描かれ、「敵」を抹殺するためや、膨大な利益をあげるために科学を利用する人間の傲慢さが厳しく批判されていた。

今回はこの映画《ゴジラvsスペースゴジラ》を分析することで、「敵」の危険性を強調する一方で、「積極的平和」の名の下に堂々と原発や武器が売られ「集団的自衛権」が唱えられるようになった日本の問題に迫ることにしたい。

 1,「ゴジラシリーズ」と映画《ゴジラvsスペースゴジラ》

「ゴジラシリーズ」の第21作にあたる映画《ゴジラvsスペースゴジラ》は、1994年12月に公開され、観客動員数では映画《ゴジラvsモスラ》には及ばなかったものの340万人を集め、配給収入は16億5千万円を記録した(「ウィキペディア」)。

ゴジラに似た容姿を持つこのスペースゴジラは、「大気圏内ではマッハ3で飛行」し、「周囲をエネルギー吸収のための結晶体の要塞に変え」、「敵を超重力波で無重力状態にして攻撃を封じ」、「口から強力破壊光線」を発するのである(『GODZILLA 60:COMPLETE GUIDE』、マガジンハウス、2014年)。

物語は南太平洋に浮かぶバース島でゴジラの抹殺のために設立された国連ゴジラ対策センターに所属するG-Forceの隊員たちが、ゴジラの後頭部にテレパシーを受信する増幅装置を埋め込み、ゴジラの行動を誘導しようとするTプロジェクトを展開する一方で、ゴジラに親友を殺されていたはみだし隊員の結城晃(柄本明)がゴジラを倒すための様々な罠をしかけているところから始まる。

その結城晃にまとわりついていたリトルゴジラの愛くるしい容姿や行動がユーモラスな笑いを呼び、シリアスな活劇に可笑しさを生み出している。さらに、フェアリーモスラに化身した小美人「コスモス」(今村恵子と大沢さやか)からのメッセージを受け取って、なんとかゴジラを殺さずに地球を救おうとする超能力者の三枝未希(小高恵美)とGフォース隊員の新城功二(橋爪淳)との恋愛劇が描かれていることも怪獣映画に幅を与え、観客の共感を呼んだと思える。

NASAからスペースゴジラが地球に向けて飛来していることを知らされたGフォースは早速、最新のロボットMOGERA(モゲラ)で迎撃しようとしたが失敗に終わり、バース島に降り立ったスペースゴジラは最初の戦いではゴジラを圧倒し、結晶体にリトルゴジラを幽閉した。

その後、Tプロジェクトを横取りしてゴジラを操り、利益を上げようとする企業マフィアに拉致された超能力者の未希を新城たちが奪還しようとする銃撃戦が描かれたあとで、いよいよ札幌、山形、神戸などを破壊し、九州の福岡タワーの周囲に結晶体で囲まれた不思議な空間を作りだしたスペースゴジラとゴジラとの戦いや、無敵にも思える兇暴な怪獣スペースゴジラを倒すために、MOGERA(モゲラ)を操縦してゴジラを援助したGフォースの隊員たちの献身的で激しい戦いが詳しく描かれていた。

2,映画《ゴジラvsスペースゴジラ》と「集団的自衛権」

「ゴジラシリーズ」では最初の映画《ゴジラ》から「国民の生命」を守るために怪獣ゴジラと果敢に戦う防衛隊(自衛隊)の活動は描かれていた。そして映画《ゴジラvsモスラ》では丹沢でのゴジラ迎撃戦でメーサー戦闘機が初登場して、大規模な戦闘が繰り広げられている様子が描かれていたように、圧倒的な力を有する「敵」の怪獣と戦うために自衛隊の装備も徐々に強化されていった。

ただ、映画《ゴジラvsスペースゴジラ》ではスペースゴジラがはじめから、キャッチコピーで「破壊神」と描かれていたように妥協のない「敵」と規定されており、この凶悪な「敵」と戦うために科学力を駆使して強力な戦闘ロボットMOGERAなどを製造して戦うGフォースが、「国民の生命」を守る「正義の組織」として描かれていたことには強い違和感を覚えた。

なぜならば、映画《ゴジラ》では水爆実験によって誕生した「ゴジラ」が持つ、目には見えない強い放射能の危険性が、ガイガーカウンターによる放射能の測定のシーンをとおして映像として指摘されていたからである。広島型原爆の1000倍の威力を持つ水爆の実験で起きた「第五福竜丸」事件を契機に製作された映画《ゴジラ》の第一作では、「反原爆」の強い思いだけでなく、武力では「平和」を作り出すことはできないというメッセージがきわめて強く打ち出されていたといえよう。

ことに、「ゴジラ」を抹殺することのできる最終兵器のオキシジェン・デストロイヤーを発明した芹沢が、兵器の制作方法を知っている自分が莫大な富や名誉などに惑わされてその制作方法を明かすようになることを恐れて「ゴジラ」とともに滅ぶことを選ぶという最後のシーンでは、いかなる兵器もそれが発明された後では悪用される危険性があり、武力では平和を達成することはできないという倫理的な視点が提示されていた。

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このように記すと映画《モスラ》では「怪獣」対策としての日本とロリシカ国との軍事技術の連繋が描かれていたではないかという厳しい反論がなされるかもしれない。たしかに、そこでは誘拐された小美人を救うために飛来したモスラが東京タワーに取り付いて巨大な繭を作り始めると、防衛隊はロリシカ国(水爆実験を行っていたロシア+アメリカのアナグラム)からの軍事援助で供与された原子力エネルギーによる原子熱線砲で攻撃することによりモスラを抹殺するシーンが描かれていた。

しかし、その後では原子熱線砲に焼かれて灰となった繭からモスラが雄々しく飛び立っていくシーンが描かれており、「モスラ」という存在も「ゴジラ」と同じように、人間の力を越えた「大自然の力」の象徴のようにとらえることができるだろう。

このことに注意を払うならば、モスラに対する原子力エネルギーによる原子熱線砲での攻撃のシーンは、原爆の投下を正当化したアメリカ軍がベトナム戦争では枯れ葉剤をまき散らし、イラク戦争では地中深くに埋めるべき劣化ウラン弾を用いてベトナムやイラクの「大地」を汚すことになることへの予言的な批判さえもあるのではないかと私は考えている。

それは同時にこのシーンには広島や長崎の被爆というたいへんな悲劇を経験した後も、二度にわたる原爆投下を「道徳的」に批判するのではなく、アメリカの「核の傘」に入ることの正当性を国民に納得させようとしていた当時の日本政府に対する痛烈な批判も含まれていると思われる。

一方、映画《ゴジラvsスペースゴジラ》では、「スペースゴジラ」や「ゴジラ」の破壊力のすさまじさは映像化されていても、「ゴジラ」が歩いたあとに残されるはずの高い放射能についての指摘はほとんど語られてはいなかった。そこには「国策」として進められていた「原発」に対する強い配慮があったともいえるだろう。                   

しかし、1964年に公開された《モスラ対ゴジラ》(監督、本多猪四郎)のノベライズ版である上田高正の 『モスラ対ゴジラ』(講談社X文庫、1984年)では、ゴジラが襲おうとしていた岩島にはもし破壊されれば日本列島の大半が汚染される規模の原子力発電所があった。それゆえ、そこでは記者会見をする官房長官が国民に対して民族移動を決意するように呼びかけるシーンも描かれていた(「ウィキペディア」)。

「原発事故」による「民族移動」の必要性という設定は、小松左京の長編小説『日本沈没』のテーマを思い起こさせるばかりでなく、あまり知られていないが、福島第一原子力発電所の大事故に際しては、もはや抑えることができないとして東京電力の幹部が脱出を指示しようとしており、関東一帯が被爆して東京都民が避難民となりかねないような事態と直面していた(リンク先→真実を語ったのは誰か――「日本ペンクラブ脱原発の集い」に参加して

しかも、ゴジラ抹殺を最大の目的とする精鋭部隊で、世界中から若く有能な人物を集めて組織されたとされるGフォースの司令官は日本の陸上自衛隊出身の将官であり、主要メンバーもアメリカの他にはロシア人の科学者が戦闘ロボットMOGERAの設計者として入っているが、水爆実験で目覚めた「ゴジラ」が強力な放射線を出していることに注意を払うならば、その部隊にはその被害を受けるはずの韓国や中国などの近隣諸国のメンバーも入れなければ、きちんとした対策をとることはできないであろう。

このように見てくる時、「国民の生命」を守る組織としての「自衛隊」の役割やモゲラの製造にかかわったロリシカ国との「軍事同盟」の必要性が、特撮技術を駆使した華々しい戦闘シーンをとおして描かれていた20年前の映画《ゴジラvsスペースゴジラ》は、「積極的平和」の名の下に堂々と原発や武器が売られ、それまでの政府見解とは全く異なる「集団的自衛権」が正当化されるようになる日本の政治情況を先取りしていたようにさえ見える。

ブッシュ大統領が「戦争の大義」もなく始めたアフガンやイラクとの戦争は、国家レベルではともかく、民衆のレベルではイスラム教徒やアラブ諸国からの強い反発を招き、それが今日の泥沼化した状況を作り出したといっても過言ではないだろう。映画《ゴジラvsスペースゴジラ》に描かれていた架空の世界は、「国民」の眼から「原爆」や「原発」の危険性や、「軍事同盟」の危険性をも覆い隠すことになるだろう。

折しも、「第五福竜丸」事件を契機に製作された映画《ゴジラ》(原作:香山滋。脚本:村田武雄・本多猪四郎)の誕生60周年にあたる今年は「自衛隊」が誕生して60周年にもあたるので、「国民の生命」や「国家の大地」を守るとはどういうことかを考えるよい機会だろう。

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映画《ゴジラ》の芹沢博士と監督の本多猪四郎の名前を組み合わせた芹沢猪四郎が活躍するアメリカ映画《Godzilla ゴジラ》は、映画《ゴジラ》の「原点」に戻ったという呼び声が高い。

残念ながら当分、この映画を見る時間的な余裕はなさそうだが、いつか機会を見て映画《ゴジラ》と比較しながら、アメリカ映画《Godzilla ゴジラ》で水爆実験や「原発事故」の問題がどのように描かれているかを考察してみたい。

映画《ゴジラ》考Ⅲ――映画《モスラ》と「核の傘」政策の危険性

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映画《ゴジラ》考Ⅲ――映画《モスラ》と「反核」の理念 

 はじめに

   映画《ゴジラ》の60周年ということで、1992年公開の映画《ゴジラvsモスラ》がテレビ東京で放映され、久しぶりに映画《モスラ》シリーズの作品を見た。

 1961年に公開された映画《モスラ》についての記憶も薄らいでいるので、ここではまず初めて見た映画《ゴジラvsモスラ》(製作:田中友幸、監督:大河原孝夫、脚本:大森一樹)の粗筋や感想を、「ウィキペディア」の記述や『GODZILLA 60:COMPLETE GUIDE』(以下、『ゴジラ徹底研究』と略記する。マガジンハウス、2014年)を参考にしながらまず記し、その後で映画《モスラ》とその理念について考えたい。

 

1.環境破壊の問題と映画《ゴジラvsモスラ》

 1992年に公開された日本映画《ゴジラvsモスラ》(製作:田中友幸、監督:大河原孝夫、脚本:大森一樹)は、「ゴジラシリーズ」の第19作にあたり、観客動員数では平成ゴジラシリーズ中最多の420万人、配給収入は22億2千万円を記録した。

 この作品を見て嬉しかったのは、《モスラ》シリーズの第三作目にあたるこの映画でも地球環境の破壊が主要なテーマとした取りあげられていたことである。

 この映画でも1万2000年前の古代文明が眠るインファント島の守護神モスラが活躍するが、むしろ、モスラとの戦いに負けて北の海に封印されていた「バトルモスラ」が、「地球の環境を破壊し続ける人類に対し、自然の怒りの代弁者として」描かれている(『ゴジラ徹底研究』、68頁)。

 そしてこの映画では、その「徹底的な破壊獣」のバトラが、巨大隕石が落下したことにより海底での眠りから目覚めたゴジラやモスラとの壮絶な戦いを展開する。

 乱開発が進んでいたインファント島の調査に向かった東都大学環境情報センター所員の手塚雅子(小林聡美)と元東都大学考古学教室助手で現在はトレジャーハンターをしている元夫の藤戸拓也(別所哲也)は、島の開発を行なっている丸友観光の社員・安藤健二(村田雄浩)に同行して、モスラの卵を見付けるところから物語が始まる。

 「コスモス」と名乗る古代文明の2人の小美人によって、そこで目にしたものはがモスラの卵であることや、環境破壊に怒ったバトラが復活して攻撃してくる危機を警告されたが、モスラの卵で一儲けしようと考えた丸友観光の社長・友兼剛志(大竹まこと)は、卵を日本に輸送するように命じたのである。

 一方、モスラの卵を輸送していた船はフィリピン沖を航行中にゴジラの襲撃を受けるが、卵からモスラの幼虫が孵化して応戦したが、氷河から目覚めて日本に侵入し、名古屋の街を破壊した後で地中へと姿を消していたバトラもそこに現れて、ゴジラと海中で戦いを続けるさなかに海底火山が爆発して両者はマグマの中に消える。

 映画《ゴジラvsモスラ》は、1973年に公開された映画《日本沈没》が保持していた配収記録を19年ぶりに更新したとのことであるが、興味深いのはフィリピン沖のマグマの中に消えたゴジラが、噴火して噴出するマグマから出現すると描かれているように、この映画でも海底火山の爆発やマグマが重要な働きを担っていることである。

 他方で、観光の広告に使おうとした友兼社長の命令で、先住民族の末裔の二人の小美人(今村恵子と大沢さやか)たちが安藤によって拉致されると、モスラはコスモスを追って東京に上陸。国会議事堂に繭を張り、やがて成虫へと変化を遂げる。

 こうして、横浜みなとみらいでゴジラ・バトラ・モスラの三つ巴の戦いが行われることになるが、地球に巨大隕石が再び近づいていることを知っていたバトラは、モスラに隕石の軌道を変えることを頼み、ゴジラを倒した後で力尽きる。

 初代の「小美人」を演じたザ・ピーナッツの歌った「モスラの歌」は懐かしく、特撮の技術がさらに進んでいたこともあり、「極彩色の大決戦」というキャッチフレーズが物語るように、戦いのシーンの映像はより迫力のあるものとなっていて見応えもあった。

 ただ、見終わって物足りなく感じたのは、映画《モスラ》に込められていた「反原爆」の強い思いと、武力では「平和」を作れないというメッセージがきわめて希薄になっていたことである。

 

2,映画《ゴジラ》から映画《モスラ》へ 

 1961年7月30日に公開された東宝映画《モスラ》(製作:田中友幸、監督:本多猪四郎、特技監督:円谷英二)は、3年の構想と製作費2億円(当時)をかけ、アメリカのコロンビア映画との日米合作企画映画として製作し、日本初のワイド・スクリーンで上映された。

 注目したいのは、この映画の脚本が中村真一郎、福永武彦、堀田善衛という著名な作家三人が合同で書いた原作『発光妖精とモスラ』(『週刊朝日』)を元に、関沢新一によって書かれていたことである。日東新聞記者である主人公の福田善一郎という名前は、これらの三人の作家の名前を組み合わせて出来ているが、ここにはシナリオを重視した黒澤明と同じような姿勢が強く見られるだろう。

 本多猪四郎監督は後年この映画《モスラ》を映画《ゴジラ》や私がまだ未見の映画《妖星ゴラス》と並んで「最も気に入っている作品」に挙げている。注目したいのは、映画《七人の侍》で大ヒットを飛ばした盟友・黒澤明監督が、原爆の恐怖をテーマとした1955年の映画《生きものの記録》では興行的には記録的な失敗に終わっていたにもかかわらず、この映画でも水爆実験の問題を全面に出していたことである。

 物語の発端は台風により座礁沈没した貨物船・第二玄洋丸の乗組員は、ロリシカ国(ロシア+アメリカのアナグラム。原作では「ロシリカ」)の水爆実験場である絶海の無人島であるインファント島に漂着して救助されたが、不思議なことに放射能障害が見られなかった。このため、スクープ取材のため乗組員たちが収容された病院に潜入した日東新聞記者の福田善一郎(フランキー堺)とカメラマンの花村ミチ(香川京子)は、原水爆実験場であるはずのインファント島に原住民がいることを知る。

 当初、ロリシカ国は原住民の存在自体を否定したが、急遽日本とロリシカ国が合同で調査隊を派遣することが決定され、調査団員の言語学者・中條信一(小泉博)と知り合った主人公の福田は、記者活動を行わないことを条件に辛うじて臨時の警備員として参加を認められた。インファント島に上陸した調査隊の前に現れたのは、放射能汚染された島の中心部に広がる緑の森で、原住民たちは島に生息する巨大な胞子植物から「赤い汁」を採り、これを飲み、体に塗ることで放射能から免疫を保っており、島の奥に古代遺跡の神殿祭壇があり、島民は巨大な蛾「モスラ」を守護神としてあがめていた。

 一方、奇妙な植物群の中に謎の石碑を発見して記録をとった中條は、巨大な吸血植物に絡め捕られるが、その窮地を双子の小美人に助けられる。ネルソン(ジェーリー・伊藤)によって「資料」として捕らえられた小美人を解放した調査隊は、帰国した後も誰一人島の秘密を語ることなく解散した。

 しかし、インファント島調査隊の資金を提供していたロリシカ国側事務局長のネルソンは直属の部下を率いて、インファント島を再訪して小美人を誘拐し、彼女たちを守ろうとした原住民を容赦なく銃火器の犠牲にした。

  一方、武器を持たずに平和に暮らしていた原住民は、石を鳴らして相手を威嚇するだけでその多くが死傷するが、洞窟に崩れ落ちた老人が祈るように「モスラ…」とつぶやくと、洞窟の奥が崩れ落ち、虹色の巨大な卵が出現した。

 東京では囚われの身となって「妖精ショー」で歌わされていた双子の小美人を救おうと福田たちは日東新聞で世論にその非人道性を訴えたが、ネルソンから小美人を救うことはできなかった。

 観客として「妖精ショー」を見た福田と中條は、「モスラ」という単語の響きに惹かれるが、それは「moth(蛾)」であるとともに、「mother(母)」のイメージにもつながる怪獣モスラを呼ぶ歌で、本多監督がスタッフのインドネシアの留学生に訳させた歌詞は「モスラよ、早く助けに来て下さい。平和を取り戻してください」という意味だったのである(前掲書、8頁)。

 小美人たちの歌声と響き合うようにインファント島でも原住民たちの儀式が最高潮に達し、虹色の卵を破ってモスラが復活し、歌声に応えるように洋上に姿を現した超巨大な芋虫状の怪物は、防衛隊の洋上爆撃のナパーム弾で炎上して一度は海に姿を消す。しかし、東京近郊の第三ダムに瞬間移動したモスラはダムを崩壊させ、特車隊や戦闘機での攻撃をもものともせずに都心を破壊する。

 このような情況を見たロリシカ国大使館はネルソンから小美人を取り上げることに同意するが、大使館職員に変装し航空機で日本を脱出したネルソンの一行はロリシカ本国へと向かった。一方、モスラが芝の東京タワーに取り付き、そこで糸を吐き出して巨大な繭を作り始めると、防衛隊はロリシカ国からの軍事援助で供与された原子力エネルギーによる原子熱線砲で攻撃し、瞬時にモスラの繭は焼き尽くされたかに見えた。

 しかし、モスラの繭に対する原子熱線砲攻撃の模様を本国の中継放送で聞いて安心したネルソンたちが、小美人たちを閉じ込めていた脳波遮断ケースを開けると彼女たちの声を聞き取ったモスラは黒焦げになった繭を破って羽化した姿を現し、ロリシカ軍の防衛線を破ってニューカーク・シティに大きな損害を与えた。

 こうして映画《モスラ》は、ニューカーク・シティの人々から罵声を浴びせらながら抵抗したネルソンが警官を射殺するが、別の警官たちに射殺されるという最期を描くことで、利己主義的な儲けを正当化するだけでなく、「核実験」や大量殺りく兵器を発明することで、「敵」に勝とうとしてきた近代文明の非人道性とその危険性をも鋭く浮き彫りにしていたのである。

 しかも「ウィキペディア」の説明によれば、60年安保闘争の翌年に公開されたこの映画では、サンフランシスコ講和条約で日本が独立を回復したはずであるにもかかわらず、外国人の犯罪捜査や出入国管理が相変わらず在日米軍主導で行なわれていることやモスラがわざわざ横田基地を通ることなど、当時の日本の政治状況を反映した描写が目立つことが指摘されている。

 最後に時期を改めてもう一度、初代の《ゴジラ》や《モスラ》シリーズと比較しながら、8月6日にテレビ東京で放映された映画《ゴジラvsスペースゴジラ》を分析することで、「原爆」や「原発」の危険性が軽視され、「積極的平和」の名の下に堂々と原発や武器を売ることが正当化され、それまでの政府見解がたやすく覆されて「集団的自衛権」が唱えられるようになった日本の問題に迫ることで映画《ゴジラ》とそのシリーズの簡単な考察を終えることにしたい。

 (2017年5月12日、「ウィキペディア」より図版を追加。2023年5月20日、改題してツイートを追加)

映画《ゴジラ》考Ⅱ――「大自然」の怒りと「核戦争」の恐怖

ゴジラ

(製作: Toho Company Ltd. (東宝株式会社) © 1954。図版は露語版「ウィキペディア」より)

1,近代の文明観と「自然の支配」

前回の「映画《ゴジラ》考Ⅰ」では、スティーヴン・スピルバーグ監督の映画《ジョーズ》(1975年)との比較をとおして、両作品が「事実」の隠蔽の危険性を鋭く示唆していたことを指摘した。それとともに、関東大震災から50年目の1973年に発表されたSF作家・小松左京の長編小説『日本沈没』にも言及することで、怪獣ゴジラの怒りは核エネルギーという自らの科学力を信じた人類の傲慢さのために苦しむ大自然の怒りの象徴のようにも見えると書いた。

映画《ゴジラ》を映画《ジョーズ》や長編小説『日本沈没』と比較することで、このような結論を引きだすのは強引だと感じられる読者も少なくないだろう。

しかし、黒澤監督のもとでチーフ助監督を務めた経験もある森谷司郎監督は、深海潜水艇わだつみで日本海溝の調査に赴いた田所博士(小林桂樹)と操縦士の小野寺(藤岡弘)が、海底に異変が起きていることを発見し、続いて東京大地震、富士山噴火、そして列島全体が沈没するという壮大なテーマの原作を、同じ1973年に映画化していた(脚本:橋本忍)。

ここで注目したいのは、日本の近代化を主導した思想家の福沢諭吉が、西欧文明の優越性を主張したバックルの文明観に依拠しながら、『文明論之概略』において「水火を制御して蒸気を作れば、太平洋の波濤を渡る可し」とし、「智勇の向ふ所は天地に敵なく」、「山沢、河海、風雨、日月の類は、文明の奴隷と云う可きのみ」と断じていたことである。

このような福沢の文明観について歴史学者の神山四郎は、「これは産業革命時のイギリス人トーマス・バックルから学んだ西洋思想そのものであって、それが今日の経済大国をつくったのだが、また同時に水俣病もつくったのである」と厳しく批判していた(『比較文明と歴史哲学』)。

このような文明観が原発の推進を掲げる現政権や日本の経済界などでは受けつがれたことが、地殻変動により形成されていまもさかんな火山活動が続き地震も多発している日本列島に、原爆と同じ原理によって成り立っている原子力発電所を建設させ、福島第一原子力発電所の大事故を引き起こしたといえるだろう。

今回は運良く免れることができたものの、東京電力の不手際と優柔不断さにより関東一帯が放射能で汚染され、東京をも含む関東一帯の住民が避難しなければならない事態とも直面していたのである(真実を語ったのは誰か――「日本ペンクラブ脱原発の集い」に参加して )。

2,映画《ゴジラ》とソ連の若者たちの原爆観

「第五福竜丸」事件が起きた翌年に映画《生きものの記録》を制作し、後にシベリアの原住民を主人公とした《デルス・ウザーラ》をソ連で撮影することになる黒澤明監督は、『虐げられた人々』や『死の家の記録』などで重要な役割を担っていたドストエフスキーの文明観や彼が雑誌『時代』で唱えた「大地主義」の重要性を深く認識していた。

 本稿の視点から興味深いのは、1981年に行われた俳優・平田昭彦との対談で原爆の問題の重要性を指摘した本多監督が、映画《夢》で補佐をすることになる盟友黒澤明の言葉を紹介していることである。

 「そうすると、今は情勢は非常に変わってますけれども、もうひとつ緊迫してますね。この間も黒澤明君とも、彼とは山本嘉次郎監督の助監督をやったりした頃からの友達ですけれど、黒澤君と久しぶりに会って話したとき、ソビエトの若い人達の話を聞いてゾッとしたというんです。(中略)ソビエトの若い連中は世界の核弾頭はソ連の方を向いている、怖い怖い、あと10年保つか? なんてボソボソ話してる。それがこっちへ来るとね、ソビエトの核弾頭はみんなこっちを向いていると言って恐怖をあおるような、そういう情勢になってる。」(『初代ゴジラ研究読本』洋泉社MOOK、2014年、69-70頁)。

こうして、あまり語られることのないソ連から見た核弾頭の問題に対する若者たちの実感を詳しく伝えた後で、本多監督はこう結んでいた。

「これを何とか話し合いができるようなところへね、ゴジラが出てこなきゃいけない。僕はそういうものがね、作品として描けるようになるならね、思いきって作りたいですけれども、やっぱりゴジラはただただ暴れるだけの話じゃなくて、そんなようなひとつの情況の中に生まれるべくして生まれてこないと、どうも嘘のような気がするね)」

この黒澤の証言と本多の考察は、きわめて重要だろう。実は、私が映画《ゴジラ》を初めて観たのはソ連で行われた日本の映画祭の時であったが、ソ連でも日本映画に対する関心はきわめて高く、映画《ゴジラ》もなんとか入場券を買うことができたものの満席の状態だった。

「広島・長崎」に続いて「第五福竜丸」の被爆という悲劇的な体験をしたにもかかわらず、アメリカの「核の傘」に入ることを選んだ日本では、1962年に起きたキューバ危機の後では「核戦争」の危機感が薄らいだように見える。しかし、アメリカに対抗して核実験を行い、多くの核兵器を所有していたソ連の若者たちは、核兵器によって攻撃されることを強く意識していたのである。

3, 映画《デルス・ウザーラ》とタルコフスキーの映画《サクリファイス》

1990年10月に行われたノーベル賞作家のガルシア・マルケスとの対談で黒澤監督は、ソ連の官僚による情報の「隠蔽」の問題についてふれながら原発事故の危険性についてこう語っていた( 『大系 黒澤明』第4巻、513頁)。

「ソビエトっていうのはペレストロイカで今日のように解放されたから言うけどね、あすこは前にウラルで廃棄物の大変な事故が起こったのにそれを隠してたわけ。それがどんなにひどいものだったかということは、今度チェルノブイリの事件が起こってから初めて公表したけれども、そういう具合に内緒にしている、ひどいことがたくさんあるんですよ」。

黒澤監督がきわめて確信をもって言えたのはなぜだろうかと疑問を持っていた私は、それは映画《デルス・ウザーラ》を撮影した時に映画関係者と歓談する中でこれらの情報や知識を得たのではないかと考えていた。今回、本多監督の対談を読んでそれが裏づけられたように感じている。

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(図版は『黒澤明と「デルス・ウザーラ」』東洋書店より)。

たとえば、《デルス・ウザーラ》を撮影した際に、ドストエフスキーの作品や黒澤監督の映画を高く評価していた映画監督のタルコフスキーが黒澤監督を歓迎していた。タルコフスキーが後に核戦争をテーマとした映画《サクリファイス》(1986年)を製作していることを考慮するならば、シベリアで会った二人の巨匠が映画の手法についてだけではなく、ウラルの核廃棄物の問題や「核戦争」という文明論的なテーマについて語りあった可能性が強いだろうと思える*。

なぜならば、映画《サクリファイス》の主人公は長編小説『白痴』の主人公ムィシキンを演じたことのある俳優であったが、若きドストエフスキーが流刑されていたセミパラチンスクも後に核実験場となり、その問題についてはジャーナリストや映画人は知っていたと思えるからである。

 4,科学者・芹沢と『白痴』のムィシキン 

少し映画《ゴジラ》の筋から離れてしまったが、本多監督が対話した相手が山根博士の弟子で自分が発明したオキシジェン・デストロイヤーによってゴジラを滅ぼすことになる科学者の芹沢を演じた俳優の平田昭彦であったことを最後に思い起こしておきたい。

オキシジェン・デストロイヤーを発明した芹沢については、山根博士の娘・恵美子(河内桃子)とその恋人・尾形秀人(宝田明)との会話をとおして、戦争で片眼の視力を失ったことから、山根博士の娘との結婚を断念していたことが語られる。その芹沢は、自分が発明した危険な兵器が悪用されることを恐れて、その作成方法を記した書類を燃やしただけでなく、兵器の制作方法を知っている自分も莫大な富や名誉などに惑わされてその制作方法を明かすようになることを恐れて「ゴジラ」とともに滅ぶことを選ぶ。

ドストエフスキーの研究者の私には、芹沢のそのような自己犠牲的な決断には、トーツキーのような利己的なロシア貴族たちの罪も背負って亡んでいったムィシキンを映画化した黒澤映画《白痴》の主人公・亀田の精神にも通じるところがあると感じる。

映画は芹沢がゴジラとともに亡くなったことを知った山根博士が「暗然たる面持ちで」つぶやく次のような台詞で終わる。

「……だが……あのゴジラが 最后の一匹だとは思えない……もし……水爆実験が続けて行われるとしたら……あの ゴジラの同類が また世界の何処かへ現われ来るかも知れない」。

* 堀伸雄「黒澤明とアンドレイ・タルコフスキー ~『七人の侍』に始まる魂の共鳴」『黒澤明研究会誌』第32号参照。

(2015年5月6日、注と『黒澤明と「デルス・ウザーラ」』の図版を追加。6月18日、訂正と「ゴジラ」のポスターの追加)。

映画《ゴジラ》考Ⅰ――映画《ジョーズ》と「事実」の隠蔽

1,映画《ゴジラ》から映画《ジョーズ》へ

 映画《ゴジラ》の冒頭のシーンを久しぶりに見てまず感じたのは、1954年に製作されたこの映画が、大ヒットして第48回アカデミー賞で作曲賞、音響賞、編集賞などを受賞したスティーヴン・スピルバーグ監督の映画《ジョーズ》(1975年)を、映像や音楽の面で先取りしていたことである。「ウィキペディア」の記述によりながら、まず映画《ジョーズ(Jaws)》の内容を確認しておく。

 この映画では浜辺に女性の遺体が打ち上げられた後で、「鮫による襲撃」と判断した警察署長はビーチを遊泳禁止にしようとしたが、観光での利益を重視した町の有力者がこれを拒否したために少年が第2の犠牲者となり、少年の両親が鮫に賞金をかけたことからアメリカ中から賞金目当ての人々が押し寄せて大騒動となる。

  そのような中で呼び寄せられた鮫の専門家の海洋学者フーパーは、最初の遺体を検視して非常に大型の鮫による仕業と見抜くが、事態を軽く見せるために「事実」を隠そうとした市長などの対応から事件の解決はいっそう遠ざかることになった。

 一方、映画《ゴジラ》の冒頭では、船員達が甲板で音楽を演奏して楽しんでいた貨物船「栄光丸」が突然、白熱光に包まれて燃え上がり、救助に向かった貨物船も沈没するという不可解な事件が描かれる。  

 遭難した漁師の話を聞いた島の老人は大戸島(おおどしま)に伝わる伝説の怪物「呉爾羅(ゴジラ)」の仕業ではないかと語るが、ゴジラもなかなかその姿をスクリーンには現わさず、観客の好奇心と不安感を掻きたて、暴風雨の夜に大戸島に上陸した巨大な怪物は村の家屋を破壊し、死傷者を出して去る。

 襲われた島の調査を行って「ゴジラ」と遭遇し、その頭部を見た古代生物学者の山根博士(志村喬)は、国会で行われた公聴会で「ゴジラ」について、発見された古代の三葉虫と採取した砂を示して、おそらく200万年前の恐竜だろうと語り、「海底洞窟にでもひそんでいて 彼等だけの生存を全うして今日まで生きながらえて居った……それが この度の水爆実験に よって その生活環境を完全に破壊された もっと砕いて言えば あの水爆の被害を受けたために 安住の地を追い出されたと見られるのであります……」と述べる。

 しかし、博士の推論に与党議員の委員は、「博士! どうしてそれが 水爆に関係があると 断定できるのですか!?」と激しく反論し、山根が「ガイガーカウンターによる放射能検出定量分析によるストロンチューム90の発見」によると語ると、その事実の公表を迫る小沢議員(菅井きん)と、公表は「国際情勢」にかかわるだけでなく「国民」を恐怖に陥れるので禁止すべきとした与党議員の激しい議論が繰り広げられる。

 

 大山「私は 只今の山根博士の報告は 誠に重大でありまして 軽々しく公表すべきでないと思います」

小沢婦人議員「何を云うか! 重大だからこそ公表すべきだ!」

と 野次が飛ぶ

大山「黙れ!! (と睨んで)と云うのは あのゴジラなる代物が水爆の実験が産んだ落とし子であるなどという……」

小沢婦人議員「その通り その通りじゃないか!」

大山「そんな事をだ そんなことを発表したらたゞでさえうるさい国際問題が一体どうなると思うんだ!」

小沢婦人議員「事実は 事実だ!」

 2,映画《ゴジラ》と「第五福竜丸」事件

 この場面について、「ゴジラは核実験で蘇ったのではないか?……と古生物学者の山根博士がその仮説を口にしただけで、与野党の政治家が紛糾する国会の場面。激しく言い合いになる政治家の後ろで声なく座っている山根博士や、大戸島の住民遺族の無言の表情を映画は映し出す」と書いた切通理作氏は次のように指摘している。

 「その後、劇中でははっきり名指しされていないが、核実験を起こしたとおぼしき大国の視察団が、ゴジラの対策会議に後ろの席で座って立ち会うさまを提示する。

 客観的に提示されているからこそ、第五福竜丸事件と同じ年の日本が置かれた立場と、映画の出来事が想像上でリンクしてしまう」(コラム「60年目の新発見 新聞報道とゴジラ」『初代ゴジラ研究読本』洋泉社MOOK、2014年、148頁)。

 この指摘は重要だろう。実際、電車のシーンで若い女性が「いやあねえ……原子マグロだ 放射能雨だ その上に今度はゴジラと来たわ」と語ると、男は「そろ〱疎開先でも探すとするかな……」と応じるなど、この映画は当時の世相をも反映していた。

しかも、徐々に明らかになってきたように、その年の3月1日にビキニ環礁で行われたアメリカの水爆「ブラボー」の実験は、この水爆が原爆の一千倍もの破壊力を持ったために、制限区域とされた地域をはるかに超える範囲が「死の灰」に覆われて、160キロ離れた海域で漁をしていた日本の漁船「第五福竜丸」の船員や、南東方向へ525キロ離れたアイルック環礁に暮らしていた住民も被爆していたのである(前田哲男監修『隠されたヒバクシャ──検証、裁きなきビキニ水爆被害』凱風社、2005年。および、高瀬毅『ブラボー 隠されたビキニ水爆実験の真実』平凡社、2014年参照)。

 3,映画《ゴジラ》と「情報の隠蔽

 興味深いのは、映画では山根博士が「水爆の洗礼を受けなおも生命を保つゴジラの抹殺は無理」と考えていたことが描かれていたが、本多監督も科学者芹沢を演じた平田昭彦との対談で、「第1代のゴジラが出たっていうのは、非常にあの当時の社会情勢なり何なりが、あれ(ゴジラ)が生まれるべくして生まれる情勢だった訳ですね。その頃、やっぱり原爆というのが、原爆の実験が始まったという事を聞いて、これはもうこんな事をいつまでも続けていては、というような事がきっかけで、ゴジラというものの性格が出て、ものすごく兇暴で何を持っていってもだめだというものが出てきたらいったいどうなるんだろうという、その恐怖」と語っていたことである(「対談 ステージ再録 よみがえれゴジラ」、前掲書、『初代ゴジラ研究読本』、69頁)。

 この言葉は映画《ゴジラ》の翌年に公開されることになる黒澤映画《生きものの記録》の趣旨をも説明しているといえるだろう。しかし、アメリカが「原子力の平和利用」政策を打ち出し、『読売新聞』が「ついに太陽をとらえた」と銘打った特集記事を載せるとともに、「原子力平和利用博覧会」を各地で開催すると、日本における「核エネルギー」にたいする見方はがらりと変わった。

しかも、日本政府は「核の恐怖」に対抗するにはやはり「核兵器」の力が必要として、「核の傘」政策を打ち出していたが、映画でも政府は「力」には「力」の政策を取り、大戸島沖の海上でフリゲート艦の艦隊による爆雷攻撃を実施して、ゴジラの抹殺をはかった。

 そして、大々的な爆雷攻撃でも傷つくことなく、日本に上陸したゴジラが首都の防衛線である「5万ボルト鉄塔作戦」を破って侵入すると、自衛隊(この映画での名称は「防衛隊」)は山根博士の「ゴジラに光を当ててはいけません。ますます怒るばかりです!」との忠告にもかかわらず、野戦砲、機関銃、戦車隊、ジェット戦闘機によるロケット弾などで攻撃を加え続けた。

 ここで注意を払いたいのは、前述のように、ゴジラが水爆の実験で蘇った可能性を示唆した山根博士の報告に対して、国会で与党議員がそのような情報を公表したら、「国際問題」が複雑化するばかりでなく、「国民」を「恐怖に陥れる」ことになるとして公表の禁止を求めていたことである。  

 この言葉に留意するならば、多くの自衛隊員はゴジラが水爆事件の結果、蘇ったことを知らずにゴジラと戦っていたことになる。さらに、福島第一原子力発電所の事故に際しては、放射能の広がりを表示できるSPEEDIというシステムを持ちながら情報が「隠蔽」されていたが、この映画でもゴジラが放射能を帯びていることを知らされなかったために、ほとんどの国民が風の向きも考慮せずに逃げ惑っていたことになる。

4,「ゴジラ」の怒りと「大自然」の怒り

 しかも、古代の怪獣ゴジラが攻撃に対して怒りから放射能を帯びた体の色を不気味に変色させながら、放射性物質を含んだ白熱光を吐き、鉄塔やビルを溶かすシーンが描かれていた。それは本多猪四郎監督が黒澤監督の演出補佐として参加した映画《夢》(1990年)の第五話「赤富士」で、富士に建設された原子力発電所の大事故で富士が山肌を真っ赤に染めて爆発するシーンをも連想させる。

 山根博士がゴジラは「あの水爆の被害を受けたために 安住の地を追い出された」と語っていたことを思い起こすならば、怪獣ゴジラの怒りは核エネルギーという自らの科学力を信じた人類の傲慢さのために苦しむ大自然の怒りの象徴のようにも見えるだろう。

 この言葉は少し大げさに聞こえるかもしれない。しかし、最初、貨物船などが原因不明の沈没事故を起こした可能性として海底火山の爆発も示唆されていたが、海底調査の結果、地殻変動で形成された日本列島が再び沈没する可能性があることを示唆した科学者を主人公として、1973年に長編小説『日本沈没』を書いた作家の小松左京によって、1974年に「ゴジラ祭り」が行われたことを本多監督は語っていた(66頁)。  

 このことを思い起こすならば、1954年に公開された映画《ゴジラ》における「ゴジラ」の怒りは、映画《日本沈没》(1973年)の大自然の脅威や映画《夢》における「大自然」の怒りを先取りしていると思えるのである。

5,終わりに

 最後に、伊福部昭作曲の「ゴジラのライトモチーフ」について語った作曲家の和田薫の言葉を引用して終わることにしたい。

 「円谷英二さんから特に画を観させてもらったというエピソードがありますよね。あの曲は低音楽器を全て集めてやったわけですが、画を観なければ、ああいう極端な発想は生まれません」(前掲書、『初代ゴジラ研究読本』、122頁)。

 映画《ジョーズ(Jaws)》のライトモチーフが、ゴジラのライトモチーフと同じように、一度聴いたら忘れられないインパクトを持っている理由を和田氏のこの言葉は説明しているように思える。