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映画《日本沈没》

映画《ゴジラ》考Ⅰ――映画《ジョーズ》と「事実」の隠蔽

1,映画《ゴジラ》から映画《ジョーズ》へ

 映画《ゴジラ》の冒頭のシーンを久しぶりに見てまず感じたのは、1954年に製作されたこの映画が、大ヒットして第48回アカデミー賞で作曲賞、音響賞、編集賞などを受賞したスティーヴン・スピルバーグ監督の映画《ジョーズ》(1975年)を、映像や音楽の面で先取りしていたことである。「ウィキペディア」の記述によりながら、まず映画《ジョーズ(Jaws)》の内容を確認しておく。

 この映画では浜辺に女性の遺体が打ち上げられた後で、「鮫による襲撃」と判断した警察署長はビーチを遊泳禁止にしようとしたが、観光での利益を重視した町の有力者がこれを拒否したために少年が第2の犠牲者となり、少年の両親が鮫に賞金をかけたことからアメリカ中から賞金目当ての人々が押し寄せて大騒動となる。

  そのような中で呼び寄せられた鮫の専門家の海洋学者フーパーは、最初の遺体を検視して非常に大型の鮫による仕業と見抜くが、事態を軽く見せるために「事実」を隠そうとした市長などの対応から事件の解決はいっそう遠ざかることになった。

 一方、映画《ゴジラ》の冒頭では、船員達が甲板で音楽を演奏して楽しんでいた貨物船「栄光丸」が突然、白熱光に包まれて燃え上がり、救助に向かった貨物船も沈没するという不可解な事件が描かれる。  

 遭難した漁師の話を聞いた島の老人は大戸島(おおどしま)に伝わる伝説の怪物「呉爾羅(ゴジラ)」の仕業ではないかと語るが、ゴジラもなかなかその姿をスクリーンには現わさず、観客の好奇心と不安感を掻きたて、暴風雨の夜に大戸島に上陸した巨大な怪物は村の家屋を破壊し、死傷者を出して去る。

 襲われた島の調査を行って「ゴジラ」と遭遇し、その頭部を見た古代生物学者の山根博士(志村喬)は、国会で行われた公聴会で「ゴジラ」について、発見された古代の三葉虫と採取した砂を示して、おそらく200万年前の恐竜だろうと語り、「海底洞窟にでもひそんでいて 彼等だけの生存を全うして今日まで生きながらえて居った……それが この度の水爆実験に よって その生活環境を完全に破壊された もっと砕いて言えば あの水爆の被害を受けたために 安住の地を追い出されたと見られるのであります……」と述べる。

 しかし、博士の推論に与党議員の委員は、「博士! どうしてそれが 水爆に関係があると 断定できるのですか!?」と激しく反論し、山根が「ガイガーカウンターによる放射能検出定量分析によるストロンチューム90の発見」によると語ると、その事実の公表を迫る小沢議員(菅井きん)と、公表は「国際情勢」にかかわるだけでなく「国民」を恐怖に陥れるので禁止すべきとした与党議員の激しい議論が繰り広げられる。

 

 大山「私は 只今の山根博士の報告は 誠に重大でありまして 軽々しく公表すべきでないと思います」

小沢婦人議員「何を云うか! 重大だからこそ公表すべきだ!」

と 野次が飛ぶ

大山「黙れ!! (と睨んで)と云うのは あのゴジラなる代物が水爆の実験が産んだ落とし子であるなどという……」

小沢婦人議員「その通り その通りじゃないか!」

大山「そんな事をだ そんなことを発表したらたゞでさえうるさい国際問題が一体どうなると思うんだ!」

小沢婦人議員「事実は 事実だ!」

 2,映画《ゴジラ》と「第五福竜丸」事件

 この場面について、「ゴジラは核実験で蘇ったのではないか?……と古生物学者の山根博士がその仮説を口にしただけで、与野党の政治家が紛糾する国会の場面。激しく言い合いになる政治家の後ろで声なく座っている山根博士や、大戸島の住民遺族の無言の表情を映画は映し出す」と書いた切通理作氏は次のように指摘している。

 「その後、劇中でははっきり名指しされていないが、核実験を起こしたとおぼしき大国の視察団が、ゴジラの対策会議に後ろの席で座って立ち会うさまを提示する。

 客観的に提示されているからこそ、第五福竜丸事件と同じ年の日本が置かれた立場と、映画の出来事が想像上でリンクしてしまう」(コラム「60年目の新発見 新聞報道とゴジラ」『初代ゴジラ研究読本』洋泉社MOOK、2014年、148頁)。

 この指摘は重要だろう。実際、電車のシーンで若い女性が「いやあねえ……原子マグロだ 放射能雨だ その上に今度はゴジラと来たわ」と語ると、男は「そろ〱疎開先でも探すとするかな……」と応じるなど、この映画は当時の世相をも反映していた。

しかも、徐々に明らかになってきたように、その年の3月1日にビキニ環礁で行われたアメリカの水爆「ブラボー」の実験は、この水爆が原爆の一千倍もの破壊力を持ったために、制限区域とされた地域をはるかに超える範囲が「死の灰」に覆われて、160キロ離れた海域で漁をしていた日本の漁船「第五福竜丸」の船員や、南東方向へ525キロ離れたアイルック環礁に暮らしていた住民も被爆していたのである(前田哲男監修『隠されたヒバクシャ──検証、裁きなきビキニ水爆被害』凱風社、2005年。および、高瀬毅『ブラボー 隠されたビキニ水爆実験の真実』平凡社、2014年参照)。

 3,映画《ゴジラ》と「情報の隠蔽

 興味深いのは、映画では山根博士が「水爆の洗礼を受けなおも生命を保つゴジラの抹殺は無理」と考えていたことが描かれていたが、本多監督も科学者芹沢を演じた平田昭彦との対談で、「第1代のゴジラが出たっていうのは、非常にあの当時の社会情勢なり何なりが、あれ(ゴジラ)が生まれるべくして生まれる情勢だった訳ですね。その頃、やっぱり原爆というのが、原爆の実験が始まったという事を聞いて、これはもうこんな事をいつまでも続けていては、というような事がきっかけで、ゴジラというものの性格が出て、ものすごく兇暴で何を持っていってもだめだというものが出てきたらいったいどうなるんだろうという、その恐怖」と語っていたことである(「対談 ステージ再録 よみがえれゴジラ」、前掲書、『初代ゴジラ研究読本』、69頁)。

 この言葉は映画《ゴジラ》の翌年に公開されることになる黒澤映画《生きものの記録》の趣旨をも説明しているといえるだろう。しかし、アメリカが「原子力の平和利用」政策を打ち出し、『読売新聞』が「ついに太陽をとらえた」と銘打った特集記事を載せるとともに、「原子力平和利用博覧会」を各地で開催すると、日本における「核エネルギー」にたいする見方はがらりと変わった。

しかも、日本政府は「核の恐怖」に対抗するにはやはり「核兵器」の力が必要として、「核の傘」政策を打ち出していたが、映画でも政府は「力」には「力」の政策を取り、大戸島沖の海上でフリゲート艦の艦隊による爆雷攻撃を実施して、ゴジラの抹殺をはかった。

 そして、大々的な爆雷攻撃でも傷つくことなく、日本に上陸したゴジラが首都の防衛線である「5万ボルト鉄塔作戦」を破って侵入すると、自衛隊(この映画での名称は「防衛隊」)は山根博士の「ゴジラに光を当ててはいけません。ますます怒るばかりです!」との忠告にもかかわらず、野戦砲、機関銃、戦車隊、ジェット戦闘機によるロケット弾などで攻撃を加え続けた。

 ここで注意を払いたいのは、前述のように、ゴジラが水爆の実験で蘇った可能性を示唆した山根博士の報告に対して、国会で与党議員がそのような情報を公表したら、「国際問題」が複雑化するばかりでなく、「国民」を「恐怖に陥れる」ことになるとして公表の禁止を求めていたことである。  

 この言葉に留意するならば、多くの自衛隊員はゴジラが水爆事件の結果、蘇ったことを知らずにゴジラと戦っていたことになる。さらに、福島第一原子力発電所の事故に際しては、放射能の広がりを表示できるSPEEDIというシステムを持ちながら情報が「隠蔽」されていたが、この映画でもゴジラが放射能を帯びていることを知らされなかったために、ほとんどの国民が風の向きも考慮せずに逃げ惑っていたことになる。

4,「ゴジラ」の怒りと「大自然」の怒り

 しかも、古代の怪獣ゴジラが攻撃に対して怒りから放射能を帯びた体の色を不気味に変色させながら、放射性物質を含んだ白熱光を吐き、鉄塔やビルを溶かすシーンが描かれていた。それは本多猪四郎監督が黒澤監督の演出補佐として参加した映画《夢》(1990年)の第五話「赤富士」で、富士に建設された原子力発電所の大事故で富士が山肌を真っ赤に染めて爆発するシーンをも連想させる。

 山根博士がゴジラは「あの水爆の被害を受けたために 安住の地を追い出された」と語っていたことを思い起こすならば、怪獣ゴジラの怒りは核エネルギーという自らの科学力を信じた人類の傲慢さのために苦しむ大自然の怒りの象徴のようにも見えるだろう。

 この言葉は少し大げさに聞こえるかもしれない。しかし、最初、貨物船などが原因不明の沈没事故を起こした可能性として海底火山の爆発も示唆されていたが、海底調査の結果、地殻変動で形成された日本列島が再び沈没する可能性があることを示唆した科学者を主人公として、1973年に長編小説『日本沈没』を書いた作家の小松左京によって、1974年に「ゴジラ祭り」が行われたことを本多監督は語っていた(66頁)。  

 このことを思い起こすならば、1954年に公開された映画《ゴジラ》における「ゴジラ」の怒りは、映画《日本沈没》(1973年)の大自然の脅威や映画《夢》における「大自然」の怒りを先取りしていると思えるのである。

5,終わりに

 最後に、伊福部昭作曲の「ゴジラのライトモチーフ」について語った作曲家の和田薫の言葉を引用して終わることにしたい。

 「円谷英二さんから特に画を観させてもらったというエピソードがありますよね。あの曲は低音楽器を全て集めてやったわけですが、画を観なければ、ああいう極端な発想は生まれません」(前掲書、『初代ゴジラ研究読本』、122頁)。

 映画《ジョーズ(Jaws)》のライトモチーフが、ゴジラのライトモチーフと同じように、一度聴いたら忘れられないインパクトを持っている理由を和田氏のこの言葉は説明しているように思える。