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ヴィム・ヴェンダース監督

イェンドレイコ監督と黒澤映画――《ドストエフスキーと愛に生きる》を観て(2)

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イェンドレイコ監督と黒澤映画――《ドストエフスキーと愛に生きる》を観て(2)

 4月29日に書いたブログ記事では「ドキュメンタリー映画なので手法は全く異なっていましたが、映像をとおして知識人の「責任」を鋭く問いかけていた黒澤監督の映画《夢》を見たあとのような重たい感銘が残りました」と記した。

  その時に考えていたのは、《パリ、テキサス》(1984年)や《ベルリン・天使の詩》(1987年)を撮ったドイツのヴィム・ヴェンダース監督が、長崎で原爆を被爆した祖母と孫達との心の交流を描いた《八月の狂詩曲(ラプソディー)》をきわめて高く評価していたことである。

映画《ベルリン・天使の詩》などの詳しい記憶はすでに薄れてしまったが、ドキュメンタリー的な手法で映画のストーリイを描いていたのが印象に残っていた。

そのヴェンダース監督は、1991年に行った黒澤監督との対談で、「黒澤映画に描かれる、木々の緑の美しさと雨のシーンは圧倒的だと、常々思っていましたが、今回も、雷に打たれた2本の木のシーンやラストの雨のシーンで黒澤映画の魅力が発揮されていました。映画史を振り返っても、黒澤さんほど美しく緑と雨を撮った監督はいないんじゃないかと思います」と語っていた(『03 Tokyo calling』6月号)。

 この言葉を受けて黒澤監督は「じつは、日本もいいロケ地がどんどんなくなっていてね、(中略)たとえば、川なんかでも護岸工事やっているから、自然の川はほとんどない」と語り、さらにヴェンダース監督の《夢の果てまで》にも出演した俳優の笠智衆にも言及していた(『大系 黒澤明』講談社、第4巻、524頁)。

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イェンドレイコ監督も映画の後半で翻訳者のスヴェトラーナ・ガイヤーが久しぶりに故郷のウクライナに帰還したときのことを詳しく描き、そこで身体の弱った祖母をいたわりつつ同行した孫の目をとおして、祖母の体験の深い意味を描いている。

 そのようなシーンの一つが、かつてガイヤーが両親と過ごしたコウノトリの飛んでくる泉のあった別荘を探そうと孫娘と故郷の村を訪れるが、見つからなかったという場面である。

 その場面からは、かつてデルスが愛した森に彼の墓を作ったが、1910年に訪れたときには開発が進んで見つけることができなかったことが描かれていた映画《デルス・ウザーラ》の冒頭のシーンが思い起こされた。

 このシーンからはヴィム・ヴェンダース監督と同じようにイェンドレイコ監督も黒澤監督から強い影響を受けていたのではないかと感じられたのである。