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ドストエフスキー

復員兵と狂犬――映画《野良犬》と『罪と罰』

 

映画《野良犬》(脚本・黒澤明、菊島隆三)が公開されたのは、第二次世界大戦が終わってから四年後で、日本がまだ連合国の占領下にあった一九四九年のことであった。

この映画と同じ年に生まれた私がまだ子供の頃には、手足を失った傷痍軍人が路上で金銭を乞う姿がときどき見られたので、終戦後間もない混乱した時期の都市を舞台にしたこの映画からは、敗戦直後の日本の状況が直に伝わってきた。

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 映画《野良犬》は「狂犬」のシーンで始まるが、それは日露戦争直後の一九〇六年一月に発表された夏目漱石の短編小説『趣味の遺伝』の冒頭の次のような文章を思い起こさせる。

 「陽気の所為で神も気違になる。『人を屠(ほふ)りて餓えたる犬を救へ』と雲の裡より叫ぶ声が、逆しまに日本海を撼(うご)かして満州の果迄響き渡った時、日人と露人ははつと応へて百里に余る一大屠場を朔北(満州)の野に開いた」。

そして漱石は、「狂った神が猛犬の群に『血を啜れ』、『肉を食(くら)へ!』と叫ぶと犬共も吠えたてて襲う」と続けていたのである。

 映画《野良犬》のシナリオで注目したいのは、満員のバスでピストルをすられた新人刑事(三船敏郎)と、そのピストルをピストル屋から買い取って次々と凶悪犯罪をかさねる遊佐(木村功)という若者の二人の復員兵が、ともに戦争から帰った日本で自分の全財産ともいえるリュックサックを盗まれていたという共通の過去を描いていることである。そのことが、二人の若者の息詰まるような対決をいっそう迫力のあるものとするとともに、混迷の時代には窮地に追い込まれた人間が、犯罪者を取り締まる刑事になる可能性だけではなく、「狂犬」のような存在にもなりうることを示していた。

 この映画の二年後に公開された映画《白痴》でも黒澤明監督は、ドストエフスキーの原作の舞台を日本に置き換えるとともに、主人公を沖縄で死刑の判決を受けるが冤罪が晴れて解放された復員兵としており、敵と見なした国を敗北させることで自国の「正義」を貫こうとする戦争の問題を復員兵の問題をとおして深く考察しようとしている。

 注目したいのは、ドストエフスキーが長編小説『白痴』の冒頭でも、思いがけず莫大な遺産を相続した二人の主人公の共通性を描くとともに、その財産をロシアの困窮した人々の救済のために用いようとした若者と、その大金で愛する女性を所有しようとした若者の二人の友情と対立をとおして、彼らの悲劇にいたるロシア社会の問題を浮き彫りにしていたことである。

 こうして、映画《野良犬》や映画《白痴》からはドストエフスキーの作品全体を貫く「分身」のテーマが色濃く感じられるが、そのテーマは後期の映画《影武者》(一九八〇)にも受けつがれている。

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 「分身」のテーマと方法は『白痴』だけでなく、『罪と罰』でも多用されていた。酔っぱらった娘のあとを追い回す紳士を妨げようとして途中で止め、「あんなやつらは、お互い取って食いあえばいい」と呟いた『罪と罰』のラスコーリニコフは、「狭苦しい檻」のような小部屋から抜け出して老婆を殺害する。

このようなラスコーリニコフの思想的な問題点は、現代の新自由主義的な経済理論の持ち主で、白を黒と言いくるめる狡猾な中年の弁護士ルージンや、自己の欲望を正当化して恥じない地主のスヴィドリガイロフなどとの対決をとおして、『罪と罰』では次第に暴かれていくのである。

 その意味で興味深いのは、映画《野良犬》が「それは、七月のある恐ろしく暑い日の出来事であった」という文章から始まるガリバン刷りの同名の小説をもとにして撮られていたことである(堀川弘通『評伝 黒澤明』、毎日新聞社、二〇〇〇年)。

 実は、クリミア戦争での敗戦から一〇年後の混迷の首都ペテルブルグを舞台にした長編小説『罪と罰』(一八六六)も次のような有名な文章で始まっていた。「七月はじめ、めっぽう暑いさかりのある日暮れどき、ひとりの青年が、S横丁にまた借りしている狭くるしい小部屋からおもてに出て、のろくさと、どこかためらいがちに、K橋のほうへ歩きだした」(江川卓訳)。

 

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敗戦を喫して西欧の新しい思想がどっと入ってきたことで価値観が混乱したロシア社会では殺人事件も多発するようになったが、ドストエフスキーはこのような時代を背景に自分を「ナポレオン」のような「非凡人」であるとみなして、法律では罰することのできない「高利貸しの老婆」を殺害することをも正当化した『罪と罰』のラスコーリニコフの行動と苦悩を描き出していた。

  映画《野良犬》でも、ショーウインドウに飾られている服を見て、あんな美しい服を一度着てみたいと語った自分のせいで復員軍人の青年がピストル強盗まで思い詰めたことを明かした若い踊り子は、「ショーウインドウにこんな物を見せびらかしとくのが悪いのよ」と語り、若い刑事から戒められるとふて腐れて、「みんな、世の中が悪いんだわ」と言い訳していた。

 若い踊り子(淡路恵子)は、「悪い奴は、大威張りでうまいものを食べて、きれいな着物を着ているわ」とも語っているが、この言葉は一九六〇年に公開された《悪い奴ほどよく眠る》(脚本・久板栄二郎、黒澤明、小國英雄、菊島隆三、橋本忍)との繋がりをよく物語っているだろう。

映画《野良犬》を公開した後のインタビューで黒澤明監督は、父親の世代と息子たちの世代との対立を描いたツルゲーネフの『父と子』について、「はじめてバザロフがニヒリストとして文学史上に登場したが、むしろ実際にはそれ以後になってニヒリストがこの社会にあらわれた」と語り、ロシアにおけるニヒリズムの問題についての深い理解を語っていた(『体系 黒澤明』第一巻、講談社、二〇〇九年)。

  こうして映画《野良犬》は、個人の自由がほとんどなかった戦前から、個人の「欲望」が限りなく刺激される社会へと激しく変貌した日本の社会情勢の中で、価値観を失った若者たちのニヒリスティックな行動を、鋭い時代考察のうえに主人公たちの行動や考え方を描き出していたドストエフスキーの『罪と罰』の深い理解を踏まえて鮮やかに映像化していたと思える。

 『罪と罰』とは異なり、この映画では追われる側の遊佐(木村功)の内面描写は少ないが、ピストルを奪われるという負い目を背負った若者の激しい苦悩や行動は、三船敏郎の名演技で浮かび上がる。さらに、ラスコーリニコフを精神的に追い詰めていくだけでなく、彼に自首を勧めて、「復活」への可能性を示唆した名判事ポルフィーリイのようなしぶい佐藤刑事の役柄を、志村喬が好演して映画を盛り上げていた。

 しかも、黒澤映画における『罪と罰』のテーマは、当時は無給でしかも将来の身分的な保証もなかったインターン制度のもとで、貧民窟に住んでいた貧しい研修医の竹内(山崎努)が、高台の豪邸に住む富豪(三船敏郎)を憎んで、彼の息子の誘拐を図るが誤ってその運転手の息子を誘拐するという事件を描いた映画《天国と地獄》(一九六三)にも現れており、黒澤のドストエフスキー作品への関心の深さが感じられる。

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  黒澤明監督が晩年の一九九〇年に公開した映画《夢》(脚本・黒澤明)の第四話「トンネル」では、復員した将校の「私」が戻ってくると、トンネルの闇の中から突然に軍用犬だったらしいセパードが口からよだれを垂らし、眼を異様に光らせて飛び出してくるシーンが描かれている。

しかもこの狂犬は、「トンネル」から現れた死んだ兵隊たちが主人公の「私」に説得されて「トンネル」の彼方へと去ったあとでも、再び「トンネルの闇から飛び出して」来て、「すさまじい唸り声を上げて私に向って」身構えるのである。

 国民を戦争へと駆り立てた軍国主義の象徴であると思われる「狂犬」が、再び現れて主人公の復員兵を威嚇している場面で終わるこのシーンの意味はきわめてきわめて重い。

(2013年11月24日、改訂)

劇中歌「ゴンドラの唄」が結ぶもの――劇《その前夜》と映画《白痴》(改訂版)

この記事の副題を見て、「劇《その前夜》と映画《生きる》」の間違いではないかと思われた方が多いと思う。

たしかに、劇《その前夜》の劇中歌として歌われた「ゴンドラの唄」は、黒澤映画《生きる》で余命がわずかなことを宣告された初老の役人が、最後の力を振り絞って公園の設置を実現したあとで、ブランコに乗りながら歌うシーンを俳優の志村喬が演じたことによって再び、脚光を浴びた。

ただ、映画《生きる》はドストエフスキーの長編小説を映像化した映画《白痴》と内的な深い関連を持っており、そのことについては「映画・演劇評」に掲載した「映画《白痴》から映画《生きる》へ」で書いたので、ここではオペラ《椿姫》をとおして劇《その前夜》と映画《白痴》との関連を考察することにしたい。

→「映画《白痴》から映画《生きる》へ

黒澤明で「白痴」を読み解く

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拙著『ロシアの近代化と若きドストエフスキー ――「祖国戦争」からクリミア戦争へ』の終章「日本の近代化とドストエフスキーの受容」において私は、日露戦争後に上演された劇《復活》の反響の大きさと、芥川龍之介が翻訳に関わったロマン・ロランの『トルストイ』などとの関係にも言及していた(成文社、2007年)。

それゆえ、私は劇《復活》を上演した島村抱月主宰の劇団・藝術座と松井須磨子に焦点を当てて考察した今回のイベントに強い関心を抱いたが、黒澤映画の研究をしている私がことに強い興味を持っていたのは、「ゴンドラの唄」の歌詞とオペラ『椿姫』の歌詞との強いつながりについて語った山形大学教授・相沢直樹氏の講演であった。

講師の相沢氏は2008年の論文「『ゴンドラの唄』考」で、劇《その前夜》の劇中歌として歌われたこの名曲の歌詞とオペラ『椿姫』の歌詞との関連を詳しく記していた。

以前のブログ記事でも書いたように、祖国独立への理想に燃えるブルガリアからの留学生インサーロフと若い貴族の娘エレーナとの愛と悲劇を描いたこの長編小説はドストエフスキー作品の研究を志すようになった私が、ロシアへの留学が無理だった当時の状況下で、ともかく東スラヴの国ブルガリアへの留学を決意するきっかけになった小説であった。

拙著『黒澤明で「白痴」を読み解く』(成文社、2011年)においても私は、オペラ《椿姫》とその内容が長編小説『白痴』のナスターシヤとトーツキーやエパンチン将軍との関係の描写に深く関わっていることを強調していた。 しかし、うかつにもツルゲーネフの長編小説『その前夜』でも、インサーロフがベニスで病死する前に見たオペラ《椿姫》が重要な役割を演じていたことを、失念していたのである。

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拙著『ロシアの近代化と若きドストエフスキー ――「祖国戦争」からクリミア戦争へ』では、長編小説『その前夜』を論じたドブロリューボフの評論『その日はいつくるか』にも言及することによって、「感傷的な物語」という副題を持つ『白夜』が、「センチメンタルな要素を多く持ちながらも、『謎の下宿人』を通して『格差社会』に苦しむロシアとは別の可能性があることを示唆しており、エレーナの決断をとおして若者たちに具体的な行動の必要性を訴えていたツルゲーネフの『その前夜』の構造を先取りしている可能性がある」との仮説を示していた(193~195頁)。

その仮説の最大の根拠は、ドストエフスキーが長編小説『白痴』の結末において、アグラーヤが亡命ポーランド人と駆け落ちしたと描いていたことである。同じくスラヴ人との結婚ではあるが、エレーナが親に秘密で結婚したインサーロフがブルガリアの正教徒であるのにたいして、アグラーヤの相手はカトリック国のポーランド人となっており、そこにはツルゲーネフの『その前夜』に対するドストエフスキーの複雑な思いが反映されていると思えるのである。

ただ、その著作ではまだ『白痴』を考察の対象としていなかったためにそのことには触れていなかった。上映時間に制限のある映画《白痴》において黒澤明監督もオペラ《椿姫》とその内容を描いてはいない。

しかし映画《白痴》では、破局が明白となる場面で綾子(アグラーヤ)が「椿姫」という表現を用いつつ「私達の間に割込むのはやめて下さい。犠牲の押売りは沢山です。それも本当の犠牲じゃなく、ただもう椿姫を気取っているだけなんですからね」と妙子(ナスターシヤ)を強く非難していた。 長編小説『白痴』を注意深く読んでいた読者ならば、綾子(アグラーヤ)のこの言葉がいかに妙子(ナスターシヤ)を傷つけ、絶望的な行動へと駆り立てたかを理解できるだろう。

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相沢直樹氏には「死と再生のバルカローラ――黒澤明の映画『生きる』における『ゴンドラの唄』をめぐる断章」という論文もあり、それは『甦る『ゴンドラの唄』── 「いのち短し、恋せよ、少女」の誕生と変容』(新曜社、2012年)に所収されている。

甦る「ゴンドラの唄」

最近、比較文学者の清水孝純氏(九州大学名誉教授)が、これまでの広範な研究を踏まえて『白痴』を読む――ドストエフスキーとニヒリズム』という著書を上梓された(九州大学区出版会、2013年)。

『白痴』を読む

ここにも付論として「黒澤明の映画『白痴』の戦略」が所収されている。 日本では不遇だった黒澤映画《白痴》が甦り、映画《生きる》とともに力強く世界へと羽ばたく時期が到来しているのではないかとの予感を抱く。  

(2019年3月27日、改訂)

日本におけるオストロフスキー劇とドストエフスキー劇の上演

 

オストロフスキー劇の上演

 

1936年 新協劇団『雷雨』(前進座)

1959年 東京芸術座『森林』

      ぶどうの会『雷雨』     

        訳  牧原純  出演 片岡藍子、石橋健治

1962年 劇団泉座『収入の多い地位』 

      演出 津留達児    訳  石山正三

      出演 泉よしこ、益田和江、岩塚献、雁坂彰、

                         玉川伊佐男

1974年 民藝『才能とパトロン』

      訳・演出 岡田よし子

                 配役 樫山文枝、荒木道子/入江杏子、清水将夫/

                        内藤安彦、鈴木智、新田昌玄、伊藤孝雄、里居正美、

                        大森義夫、山吉克昌、その他

 

   (参考  モスクワ上演一覧、1985~1986演劇年度)

    モスクワ芸術座      『どんな賢者にも抜かりはある』

    マールイ劇場       『どんな賢者にも抜かりはある』『森林』

    マールイ劇場支部   『バリザミーノフの結婚』『美男子』『無実の罪』

    モス・ソヴィエト劇場   『真理も結構だが、幸福の方がもっとよい』

    ソ連軍中央劇場      『森林』『無実の罪』

    諷刺劇場         『あぶく銭』

    エルモーロワ劇場     『ワシリーサ・メレーンチエワ』

    ゴーゴリ劇場       『俄か成金』

    映画俳優スタジオ     『無実の罪』

    中央児童劇場       『貧しさは罪ではない』『道化者たち』

    青年劇場         『持参金のない娘』

    青年劇場(モスクワ郊外) 『身内同士は後勘定』

    スフェラ         『春の物語』

    マーラヤ・ブロンナヤ劇場 『狼と羊』

    音楽劇場         『雪娘』

    マヤコフスキー劇場   『破産』

    ボリショイ劇場      『雪娘』

    (Театральная Москва,Издательство Московская правда,1985~1986を元に作成した)。

 

 

ドストエフスキー劇の上演

 

『白夜』

1981年8月 民藝

    脚色 ジル サンディエ  演出 若杉光夫 

                 訳 渾大防一枝

    出演 鈴木智(彼)樫山文枝(彼女)

 

『いやな話』

1981年7月 文芸座ル・ピリエ

    脚本・演出 ニコラ・バタイユ  訳 岡田正子

    出演 阿部六郎、金田龍之介、川島一平、鈴木敏彦、

                 奈木隆、西本裕行、山城賢士、山田登是、鷲巣輝文、

                 池田道枝、木村有里、佐藤みたま、白坂道子、

    長島亮子、中村恵子、井上幸子、山科志子

『罪と罰』

1916年 無名会

    脚色 ローレンス・アービング  訳・演出 坪内士行

1920年 新国劇(浪花座)  

    脚色 ローレンス・アービング  主演 沢田正二郎

1923年 新国劇(報知講堂) 

    脚色 ローレンス・アービング  主演 沢田正二郎

1947年 青年演劇人第一回合同公演

    脚色 パティ 演出 山川幸世  翻訳脚色 佐竹功

    配役 ラスコーリニコフ(豊田)ポルフィーリイ(志摩) 

       マルメラードフ(中川)

1947年 大阪合同公演(新劇団、学友座、神戸芸術座、大阪芸術

                          劇場、大阪放送劇団、知性座、前衛座)

     演出 岩田直二  翻訳脚色 佐竹功

1954年12月 制作座 演出 道井道次 

1965年 劇団雲

    脚色 福田恆存  演出 福田恆存・関堂一

    配役 高橋昌也(ラスコーリニコフ)岸田今日子(ドーニャ)、

    谷口香(ソーニャ)、芥川比呂志(ポルフィーリイ)他

1968年 テアトル・エコー

    脚色 キノトール  演出 熊倉一雄、納谷悟朗

    出演 池永通洋、高橋直子、鈴木利秋、沖順一郎、瀬能礼子、

    丸山裕子、峰恵研、市川治 島美弥子、大庭紀子

1973年 青俳

    脚本 レオポルド・アールゼン  訳・演出 岩淵達二

    配役 木村功(ラスコーリニコフ)、中野良子(ソーニャ)、

    織本順吉(ポルフィーリイ)、

1981年7月 木山事務所プロデュース

        『ペテルブルグの夢』(『罪と罰』に基づく)

    脚本 S・A・ラジンスキー  演出 藤原新平

    訳 中本信幸

    出演 松橋登、直井修、三谷昇、多田幸雄、江良潤、

       藤堂田貴也、風祭ゆき、大橋芳江、三好美智子、

       西乃砂恵、高瀬佳子、安田幸代

2006年10月 劇団俳優座

    脚色:Y・カリャーキン/Y・リュビーモフ

    訳:桜井郁子

    演出:袋正

    主演:小山力也(ラスコーリニコフ役)

   

『白痴』

1970年3月 劇団四季

    脚本 ゲオルギイ・A・トフストノーゴフ

    脚色・演出 宮島春彦 訳 山本一郎

    配役 松橋登(ムイシュキン)水島弘(ラゴージン)

    三田和代(ナスターシャ)、斎藤昌子(アグラーヤ)

 

『ナスターシャ』 1989年3月1日~4月25日

    脚本 アンジェイ・ワイダ、マチュイ・カルピンスキイ

    演出 アンジェイ・ワイダ

    配役 坂東玉三郎(ムイシュキン、ナスターシャ、二役)

       辻萬長(ラゴージン)

 

1989年10月7日~22日  俳優座

    脚本・演出 ワレーリィ・フォーキン

    翻訳 宮澤俊一

    配役 加藤剛(ムイシュキン)、河津左衛子(ナスターシャ)

       小笠原良知(ラゴージン)、寺杣昌紀(ガーニャ)、

       アグラーヤ(日下由美)、その他

 

2011年11月11日~11月13日 

                東京ノーヴイ・レパートリーシアター

    脚色:ゲオルギー・トフストノーゴフ

    翻訳:遠坂創三
    監修:加賀乙彦
    舞台美術デザイン:セルゲイ・アクショーノフ
 

『悪霊』

1974年2月  青年座+たねの会

    劇化 椎名麟三  演出 田中千禾夫・木村鈴吉

    配役 小山田宗徳(スタヴローギン)小沢弘治(キリーロフ)

    岩下浩(シャートフ) 早川保(ピョートル) 

                 柳川由紀子(リーザ)

1981年  文芸座ル・ピリエ

    脚本 アカキア・ヴィアラ  脚本・演出 ニコラ・バタイユ

    訳 岡田正子

    出演 高木均、西本裕行、伊井篤史、奥田啓二、上条慎吾、小島

                        孝夫、小山武宏、田中正彦、永田博文、加藤道子、木村有里、      

 

『カラマーゾフの兄弟』

1922年 舞台協会

    脚色 ジャック・コボー   演出 伊藤松雄

 

1966~67年、1971年 四季

    脚本 ジャック・コポー、ジャン・クルエ

    演出 浅利慶太  訳 宮島春彦

    配役 田中明夫(フョードル)、日下武史(ドミートリイ)

     水島弘(イワン)、池田鴻(スメルジャコフ) 

     石坂浩二、荻島真一(浜畑賢吉・1971)(アリョーシャ)

 

1982年11月~12月 木山事務所

    演出 末木利文  訳 宮島春彦

    出演 江角英明、鴨川てんし、小池幸次、田村正男、

                 本田次布、真井修、根岸光太郎、山口晃史、五十嵐弘、

                  伊東美那子、稲垣愛、咲村ゆうこ

 

2012年1月11日~22日 劇団俳優座

    脚本/八木柊一郎   演出/中野誠也

    出演:児玉泰次 田中美央 頼三四郎 松崎賢吾 河内浩

 

 

 

『ドストエフスキーの妻を演じる老女優』

1988年9月19日~10月5日 劇団民藝

    原作 エドワード・ラジンスキー

    演出 内山鶉

    配役 米倉斉加年(彼)、北林谷栄(彼女)

 

  (資料の作成に際しては、早稲田大学演劇博物館のお世話になった。日本の演劇に関してはほとんど素人なので調べもれや誤記もあると思われるので、ご指摘頂ければ幸いである。なお、論文の執筆に際しては日ソ図書館および浅川彰三氏から資料の貸出と提供を受けた)。

 「ドストエーフスキイとオストローフスキイ」(3)、東海大学外国語教育センター紀要、第11輯、1991年、2013年10月加筆

映画《白痴》から映画《生きる》へ

リンク「映画・演劇評」タイトル一覧Ⅱ

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(映画《生きる》の「ポスター」、製作:Toho (c) 1952。図版は「ウィキペディア」による)

 

映画《生きる》とイッポリートの可能性

長編小説『白痴』において重要な役割を果たしているイッポリートについてのエピソードは映画《白痴》ではまったく描かれてはいない。しかし、その翌年に公開された映画《生きる》(脚本・黒澤明、橋本忍、小國英雄)について、黒澤は「しみじみと感情を堪えて」というエッセーでこう書いている。

 「ぼくはときどき、ふっと自分が死ぬ場合のことを考える。すると、これではとても死に切れないと思って、いても立ってもいられなくなる。もっと生きているうちにしなければならないことが沢山ある。僕はまだ少ししか生きていない。こんな気がして胸が痛くなる。《生きる》という作品は、そういう僕の実感が土台になっている。この映画の主人公は死に直面してはじめて過去の自分の無意味な生き方に気がつく。いや、これまで自分がまるで生きていなかったことに気がつくのである。そして残された僅かな期間を、あわてて立派に生きようとする。僕は、この人間の軽薄から生まれた悲劇をしみじみと描いてみたかったのである」。

 このような黒澤の言葉に注意を払うならば、体調を壊して病院に行ったことで隣り合わせた人物から胃癌の詳しい症状を聞かされ、自分の余命がほとんどないことを知って、「死刑の宣告」を受けたように苦しむ定年退職前の市民課の課長・渡辺の苦悩と、新しい生きがいを見つけた喜びをモノクロのトーンでしっくりと描いた映画《生きる》は、長編小説『白痴』におけるイッポリートのテーマを受け継いでいると思える。

 実際、子供のためだけに三〇年も務めてきた自分の人生を振り返って自暴自棄になり、やけ酒を飲んでは無断欠勤を繰り返すようになった渡辺は、飲み屋で知り合った小説家から、「人間、生きることに貪欲にならなくちゃ駄目です」と説得されて、ダンス・ホールやストリップ劇場などを案内されたが、いっこうに癒されずに深い絶望感を味わう。

 しかし、自宅へと朝帰りをする途中で、市役所を辞職したいので急いで判がほしいという若い部下のとよと出会い、自宅で書類に判を押した渡辺は、市役所が退屈だったと語る部下が、自分にも密かに「ミイラ」というあだ名を付けていたことを知って思わず久しぶりの笑いを浮かべた。そして、イッポリートが美しく生命力にあふれたアグラーヤに密かに強い関心を抱いていたように、とよの生き生きとした姿に強く惹かれた渡辺も彼女を映画館や食事に誘うようになる。

 自分との付き合いにしか喜びを見いだせない渡辺にとよは、自分が工場で作っているウサギのおもちゃを喫茶店で渡して「何か作ってみたら」と諭した。するとしばらくそれを手にとって見つめていた主人公は、不意に「やる気になればできる」とつぶやき、おもちゃを手にとって急いで階段をおり始める。その時に、退出する男の後を追うように、若者たちの陽気なハッピー・バースデイの合唱が始まり、階段を登ってくる若い乙女とすれ違うのである。

 この場面で響く乙女の誕生日を祝う若者たちの陽気な歌声は、それまで市役所での仕事を嫌々こなしてきた「ミイラ」のような初老の男が、あたかも「復活」して真に生き始めるのを祝福する歌のように感じられるのである。前年度に撮られた《白痴》における前半の山場が、精神的な復活を計ろうとしていた妙子(ナスターシヤ)の誕生祝いだったことを思い起こすならば、続けて撮られた二つの映画の類似性は明らかだろう。

 しかも、《生きる》の後半では、葬儀の会葬者たちの会話をとおして、亡くなった市役所の課長が「胃癌と闘いながら」、市民たちの強い願いでありながら官僚的なたらい回しにあっていた公園の建設に邁進して、それを成し遂げていたことが明らかになってくる。

 警官の証言では公園で行き倒れのように亡くなっていたと思われていた男が、雪の降る公園で「命短し、恋せよ乙女」という歌をブランコにのって、しみじみと満足そうに歌っていたことが明らかになる。すると通夜の席で課員たちは次々と「僕も生まれ変わったつもりで」などと語り、改革への意欲が盛り上がったのだった。

 しばらくするとその時の興奮と感激を忘れたかのように職員たちが再び惰性に流された仕事ぶりに戻っていく。課長の遺志を継ごうとしながらもそのような職場にむなしさを感じていた一人の職員が、渡辺の行動で実現した公園に行く。そこで楽しげに遊ぶ子供たちの姿を見つけて、彼が渡辺のしたことの意義を感じるところで映画は終わるのである。

 こうして、なかなか「他者」からは理解されなかった主人公の行動の描写や、部下たちの「記憶」が重ね合わされることで、生前の渡辺の意義が浮かび上がってくるという映画《生きる》の構造は、映画《白痴》のエピローグにおける薫と綾子の「記憶」をめぐる会話を強く思い起こさせる。

 このように見てくるとき、映画《生きる》において黒澤が描いたのはイッポリートが望みながら死期を告げられたことで断念してしまった「他者を変え、そして生かす思想」の実現であるといっても過言ではないと言えるだろう。

 

『黒澤明で「白痴」を読み解く』、成文社、2011年、272~275頁より。なお、前の文章との関連を示すために言葉を補い文体を少し直した他、注は省略した)。

現代の日本に甦る「三人姉妹」の孤独と決意――劇団俳優座の《三人姉妹》を見て

久しぶりにチェーホフの《三人姉妹》を劇団俳優座で見た。

案内状によれば、劇団俳優座の10年ぶりの上演となるこの《三人姉妹》の「舞台はロシアではなく、ある施設」で、「そこに入居している老婦人たちは毎日のように『三人姉妹』を読み、彼女たちはその世界に魅入られ、迷い込んでいく……」という設定であった。

しかも、百名ほどの観客で満席となる五階稽古場での上演ということもあり、広い空間を吹き抜けていく風の雰囲気さえも伝わるような演出によるロシアの劇の舞台と比較しながら、ソファーや机が置かれ、ラジオが鳴っているだけの幕もない小さな舞台を見下ろして、どのような劇になるのかとの不安を抱きつつ開演の時を待った。

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思い込みが強すぎると笑われそうだが、私がイリーナの「名の日」から始まる『三人姉妹』に強い愛着を感じているのは、ドストエフスキーの長編小説『白痴』で描かれたエパンチン家の三姉妹の孤独のテーマがそこにも響いていると感じるからである。

たとえばイリーナからは愛されていないことを知りつつも、彼女を誠実に愛し続けようとしたトゥーゼンバフ男爵が、働いて生活するために軍人を辞めて背広を着て現れたときのことがこの劇で語られている。そのエピソードはアグラーヤの有力な花婿候補だった貴族のエヴゲーニイが軍服から背広に着替えて現れ、エパンチン家の三人姉妹から可笑しがられていたことを思い起こさせる。

イリーナの花婿となるはずだったトゥーゼンバフ男爵は、レールモントフを気取る軍人のソリョーヌイに決闘で殺されることになるが、『白痴』では決闘のことがたびたび話題となっているばかりでなく、決闘を描いたレールモントフの小説が重要な役割を果たしていたのである。

「ひょっとすると、わたしたちだって、さも存在しているように見えるだけのことで、じつはいないのかも知れない」(神西清訳、新潮文庫)と語る酔っ払いの医師チェブトイキンには、大嘘つきのイーヴォルギン将軍の面影が感じられる。

さらに、ロシアの混乱を象徴するような第三幕の大火の場面からは、『白痴』の後で書かれた『悪霊』のシーンさえ浮かんでくる。混迷のロシアに生きる三姉妹を主人公としたチェーホフの劇は、「60代の女優陣を中心に起用」された俳優座の劇でどのように演じられるのだろうか。

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舞台では医師や看護婦と思われる白い服を着た俳優たちが、新聞を読んだり、普段の会話を交わしたりしていたが、それぞれの扉をパッと開けて「三人姉妹」とナターシャを演じる女性たちが入ってきた時から、雰囲気が一気に変わった。

かつて暮らしたモスクワでの生活にあこがれながらも、地方都市の単調な暮らしに埋もれていく若い三人姉妹の4年間の歳月が戯曲では描かれているが、劇《三人姉妹》は時代や場所を約百年後の日本に移しながらも、原作で描かれた登場人物の台詞や性格を忠実に活かしている。

レールモントフを気取る軍人のソリョーヌイの形象や台詞は、現代の日本人の観客には伝わりにくいと思われた。しかし、病院のありふれた情景や衣服をとおして描かれることで、自分が愛して言い寄っていたイリーナから振られるとストーカーのようにつきまとい、ついには結婚の決まっていたトゥーゼンバフ男爵にいちゃもんをつけて喧嘩をしかけて殺してしまうソリョーヌイからは、現代の日本でも見られる自己中心的な若者像が浮かび上がってくる。

ドストエフスキーは『地下室の手記』で言葉や理想への強い懐疑を抱くようになった主人公の孤独と苦悩を描き出していたが、劇《三人姉妹》でも登場人物たちの会話から成立している戯曲であるにもかかわらず、彼らの会話はしばしばかみあわず、それぞれの人物たちの孤独を担った重たい言葉の多くは、モノローグのように空しく虚空に消えていく。

しかし、おそらくそれゆえに、互いの孤独な言葉がまれに出会った際には見えない火花が散り、登場人物を行動へと促すような迫力さえも持ち得るのである。

ここではそれぞれの役柄について詳しく考察する余裕はないが、責任感が強く校長をひきうけることになるオーリガや恋するマーシャをはじめ、端役の乳母や守衛に至るまで役柄は深く彫り込まれており鮮明であった。

ことに、3姉妹の兄アンドレイに見初められて結婚した農民出のナターシャが次第に家の実権を握って、ついには老いた乳母を役立たずとののしって追い出そうとする場面は、現代日本の光景とも重なるような迫力をもっていた。

劇中ではロシアの歌の代わりに日本の歌が取り入れられていた。その時代に流行った歌は観客の生きた時代をも想起させる力を持っているので、その場面にあうように適切に選ばれた曲も、この劇を日本の劇として違和感のないものとするのに大きな役割を果たしていたと思える。

こうして、大がかりな舞台装置もない小劇場で、現代の日本のありふれた衣装で演じられることにより、この劇は『三人姉妹』という作品の現代性を鮮烈に浮かび上がらせることに成功していたのである。

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見終わったあとでは、俳優たちが百年後の世界について語るチェーホフ劇『三人姉妹』が、森一の演出で見事に百年後の日本で甦ったという感慨を持った。三人姉妹のきわめて困難な状況を描きつつも、最後の場面では彼女たちの「生き抜く」覚悟と決意を描いたチェーホフ劇の現代的な意義をこの劇は示していると思う。

残念ながら、六本木での上演はすでに終わったが、都心での優雅な暮らしにあこがれつつも、原発事故の影響に今も苦しめられる地方都市や、過疎化などの過酷な状況下で生活している地方の人々のためにこの劇が上演され続けることを望みたい。

『罪と罰』のテーマと《風の谷のナウシカ》 ――ソーニャからナウシカへ

  はじめに

前回の「映画・演劇評」では、当時のソヴィエトの検閲の厳しさに注意を促しながら、このような時代に撮られたレフ・クリジャーノフ監督の映画《罪と罰》の素晴らしさを指摘した。 ただ、エピローグで主人公のラスコーリニコフが見る「人類滅亡の悪夢」などの夢の描写が行われなかったこともあり、原作の『罪と罰』で描かれている深みが出ていないとの不満も残っていた。

そのためもあったのだろうが、初めて《風の谷のナウシカ》で「火の七日間」と「巨神兵」による「最終戦争」と科学文明の終焉が描かれているのを見たときには、『罪と罰』の「人類滅亡の悪夢」が見事に映像化されていると感じた。

  1,「大地との絆」

核ミサイルが発射されて全世界が壊滅状態になった後の世界を描いた作品には、フランクリン・J・シャフナー監督の《猿の惑星》(1968年)や、ジェームズ・キャメロン監督の《ターミネター》Ⅰ・Ⅱ(1984年、1991年)などがある。

《風の谷のナウシカ》の場面でことに『罪と罰』との関わりを感じたのは、核戦争後に発生した「腐海の森」から発生する有毒ガスで、生き残った人々の生存も危うくなる中で、「土壌の汚れ」の原因を突き止めようとするナウシカの出現を予言する次のような言葉が語られていたからである。

「その者青き衣(ころも)を/ まといて金色(こんじき)の野に/ おりたつべし」/ /「失われた大地との/ 絆(きずな)を結ばん」

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(《風の谷のナウシカ》、図版は「Facebook」より)。

一方、『罪と罰』においてドストエフスキーは、戦争で敵を殺しても罪に問われないように、自分も「悪人」を殺しただけだと考えていたラスコーリニコフにたいしてソーニャに次のように語らせていた。 「いますぐ行って、まず、あなたが汚した大地に接吻なさい。それから全世界に、東西南北に向かって頭を下げ、皆に聞こえるようにこう言うの。『私が殺しました!』 そうすれば、神さまはあなたに再び生命を授けてくださる」(第5部第4節)。

よく知られているように、後にレイチェル・カーソンは名著『沈黙の春』において、「害虫」を殺虫剤によって抹殺しようとした人間の行為が「土壌の世界」を汚染し、植物だけでなく、食物連鎖により鳥や野生動物、さらには人間にもより深刻な被害を生み出したことを明らかにしている。 家族を養うために売春をしていたソーニャは、一見、か弱いだけの女性のようにも見えるが、先の言葉に注目するならば、ソーニャの素朴な考えは、カーソンの思想を先取りしていたともいえるだろう。実際、ソーニャという愛称はギリシア語で「英知」を意味するソフィアという名前から作られており、このことはドストエフスキーが彼女を民衆的な英知を持つ女性として描いていたことを示唆していると思える。

この点で興味深いのはドストエフスキーが若い頃参加していたサークルに、後に「ロシア植物学の父」と呼ばれるようになるアンドレイ・ベケートフがおり、彼は『罪と罰』が発表されることになる『ロシア通報』に、「ヨーロッパ・ロシアの気候」(1858)という論文を発表して、現在の環境問題を先取りするような指摘をし、さらには「弱肉強食の思想」の危険性を明らかにする「生態学」的な思想をもすでに表明していたことである。(拙著 『「罪と罰」を読む(新版)――〈知〉の危機とドストエフスキー』、「第10章 他者としての自然――生命の輝き」参照)。

2,ナウシカの怒りとラスコーリニコフ

ソーニャとナウシカの類似性を指摘するだけで『罪と罰』と《風の谷のナウシカ》との内的な関連を強調することに我無理があるが、ラスコーリニコフとナウシカの類似性も加えることで説得力が増すだろう。

《風の谷のナウシカ》の冒頭では、巨大な「王蟲」に襲われる騎士を救い、さらに騎士のつれていたキツネリスに噛まれた際にも、その小動物の不安を察知して怒らなかったナウシカの優しさが描かれている。

そのことで、墜落する飛行機に捕虜として囚われていた小国ペジテの王女ラステルに対する残虐な体刑の痕を見付け、さらに急襲してきたトルメキア帝国の兵士によって父親が殺害されたことを知って怒りのあまり敵兵を斬すシーンでのナウシカの激しい怒りと悲しみが浮かび上がる。

このシーンが冒頭で描かれることで、ラステルの兄アスベルや、自分の国を滅ぼされた小国ペジテの人々に復讐をやめるように必死に呼びかけるナウシカの言葉に説得力が生まれるのである。

一方、高利をむさぼる高利貸しの老婆を「憎しみ」から殺害する『罪と罰』のラスコーリニコフにはこのような行動は見られない。しかし、ドストエフスキーは彼が自己中心的な若者ではなく、在学中には貧しい肺病患者の学友を助けたことや火事の際には自分が火傷をおいながらも二人の子供を助けたことをエピローグの裁判の場面で明かしている。 。

3.「やせ馬が殺される夢」と「王蟲」の子供が殺される夢

ことに注目したいのは、『罪と罰』ではラスコーリニコフが「高利貸しの老婆」を殺す前に見た夢で、子供の頃に酔っぱらいの馭者が力まかせにやせ馬を鞭うっているのを見て、やせ馬に駆け寄って守ろうとしたシーンを見ることが描かれていることである。

《風の谷のナウシカ》でもナウシカが夢の中で、子供の頃に「王蟲」の子供が殺されそうになっているのを見て「殺さないで」と叫ぶのを再び見るシーンが描かれており、それはナウシカが自分の危険もかえりみずに傷ついた「王蟲」の子供を守るという《風の谷のナウシカ》の感動的なラストシーンへと直結しているのである。 この二つの夢の類似性は単なる偶然かもしれない。

しかし、宮崎監督が尊敬していた漫画家の手塚治虫は『罪と罰』を「常時学校へも携えていき、ついに三十数回読み返してしまった」と記していた(『手塚治虫 ぼくのマンガ道』新日本出版社、二〇〇八年)。

黒澤明と手塚治虫――手塚治虫のマンガ『罪と罰』をめぐって

宮崎監督も「ドストエフスキーの『罪と罰』は正座するような気持ちで読みました」と書いていた。

『本への扉』

(図版は「アマゾン」より)

 さらに、宮崎が対談した黒澤明監督もドストエフスキーの長編小説『白痴』を映画化した《白痴》を撮っていたばかりでなく、その他の映画からもドストエフスキー作品への深い理解が感じられる。それらのことにも留意するならば、ナウシカが見る「王蟲」の子供が殺される夢には、ラスコーリニコフが見た「やせ馬が殺される夢」が反映されているといえるかもしれない。  

おわりに

本稿では、漫画『風の谷のナウシカ』(『アニメージュ』徳間書店、1982年2月号~1994年3月号)は考察の対象からははずした。 アニメ映画が公開された後も書き続けられ、SF的な手法でテレパシーや念動力、幽体離脱などが描かれ、不安や絶望などの感情が込められている結論が書かれたこの漫画の世界には、ソヴィエトの崩壊からユーゴスラヴィアの悲惨な内戦に到る時期の混乱が強く反映していると考えるからである。

人間の社会や人間と自然の関係は、《もののけ姫》(1997)でより深く考察されていると思えるので、この問題については稿を改めて考えたい。

(2013年9月18日改訂、2019年1月4日加筆)

長編小説『罪と罰』と映画《罪と罰》

 はじめに

私がロシア文学の研究を始めたのは、ブログにも記したように「他人を殺すことは自分を殺すことになる」という深い思想を、主人公の身体や感情だけでなく、他者との関わりの中で明らかにした長編小説『罪と罰』や『白痴』に強く魅せられたからであった。

2年間のブルガリアでの留学を終えた後で、私が「初期ドストエフスキー作品の研究」というテーマでロシアに留学したのは、当時のソ連では宗教的な内容をも含む後期の作品を考察するのは難しいと考えたことが一番の理由であった。しかし、『貧しき人々』という作品の内容とその構造の意外な面白さに魅せられてもいた私は、ドストエフスキー作品の全体像を把握するためには、初期作品からきちんとその傾向と深まりを分析すべきだとも考えていた。

そのような意図で留学した私が、218分という長さのレフ・クリジャーノフ監督の映画《罪と罰》から感じたのは、帝政ロシアの厳しい検閲下で作品を創作したドストエフスキーのように、体制は異なっても厳しい検閲下にあったソヴィエトでもドストエフスキー作品の意義をなんとか伝えようとする強い意志であった。

 

1,ロシア社会と映画《罪と罰》

ロシアで生活して感じたのは、同じくギリシア正教を受容していたブルガリアと比較すると宗教を宣伝することは禁止されていたにせよ、ロシアの方が宗教的にはより寛容ではないかということであった。

私がドストエフスキー作品の研究をしたいと告げると学科では最初は怪訝な顔をされたが、それでもゼミの教員を紹介してもらえたし、私が『罪と罰』や『白痴』の研究を目指していることを知ると、自宅に食事に招待して研究への助言をしてくれたり、ドストエフスキー関係の映画や演劇を紹介してくれる研究者が現れたが、かれらは皆、ドストエフスキー作品から精神的な支えを得ていた敬虔な正教の信者であった。

宗教的な宣伝が禁じられていたソヴィエトで公開されたレフ・クリジャーノフ監督の映画《罪と罰》では、『聖書』に描かれているラザロの復活の場面をソーニャが読む場面や主人公ラスコーリニコフに十字架を渡すシーンなどは省略されている。

しかし私が驚いたのは、ラスコーリニコフがソーニャの部屋で見付けた『聖書』が、彼が高利貸し老婆とともに殺したリザヴェータから贈られた本であることを告げる場面や、「だれが生きるべきで、だれが生きるべきじゃないか」などと裁くことが人間にできるのかと問い質す場面や、自分は有害な老婆を殺したにすぎないと主張するラスコーリニコフに自首を決意させることになるソーニャの次のような言葉もきちんと映画で描写されていたことである。

「いますぐ行って、まず、あなたが汚した大地に接吻なさい。それから全世界に、東西南北に向かって頭を下げ、皆に聞こえるようにこう言うの。『私が殺しました!』 そうすれば、神さまはあなたに再び生命を授けてくださる」(第5部第4節)。

精神分析学者のフロイトに先だって無意識の分野に注目したドストエフスキーは、長編小説『罪と罰』において重要な役割を果たしている「やせ馬が殺される夢」や「殺された老婆が笑う夢」、そして最後の「人類滅亡の悪夢」などのラスコーリニコフが見る夢を詳しく描いていたが、当時のソ連では夢の解釈はフロイト主義として厳しく批判されており、この映画でも検閲を配慮してと思われるがすべて省かれていた。

しかし、ラスコーリニコフが見た「殺された老婆が笑う夢」をあたかも目撃していたかのように、彼の枕元に現れた地主のスヴィドリガイロフが語る彼の妻・マルファの幽霊の話は、ほぼ原作通りに再現されており、他者にたいする自分の欲望を正当化して、ラスコーリニコフの妹にも現代のストーカーのように付きまとっていたスヴィドリガイロフの孤独と苦悩も浮き彫りにされていた。

長編小説『罪と罰』も推理小説的な構造を持っているが、初めから犯人やトリックを明かしつつ、むしろ犯人の心理や動機に迫るという構造なので、『罪と罰』の粗筋の紹介もかねて、ここでは2部から成る映画《罪と罰》の特徴を簡単に記すことにする。

 

2、映画《罪と罰》の構造とその特徴

映画はいきなり観客を19世紀のペテルブルグの居酒屋へと誘う。すなわち、主人公のラスコーリニコフ(タラトルキン)が酔っぱらった元役人のマルメラードフから貧乏の辛さと借金の苦労を訴えかけられる場面から映画は始まり、犯行の下見のために高利貸しの老婆のアパートを訪れたときの彼の回想をはさんで、役所をリストラされたために娘のソーニャを売春婦にしてしまったことを嘆くマルメラードフの独白と激しい苦悩をラスコーリニコフが聞く場面で、ようやくタイトルが入るのである。

こうして、クリジャーノフ監督の映画《罪と罰》は、19世紀のロシア社会の状況をきちんと踏まえた上で、「出口」がない状況に追い込まれていた主人公の状況や苦悩を、元役人のマルメラードフとの会話を通してまず示唆していた。

この映画構成の見事さは、「悪人」とみなした「高利貸しの老婆」を殺害したラスコーリニコフと予審判事ポルフィーリイとの3回にわたる息詰まるような対決だけではなく、マルメラードフの家族の悲劇をきちんと具体的に描くことで、家族を養うために売春婦に身を落としたソーニャの苦悩をとおして、兄の立身出世のために中年の弁護士ルージンとの愛のない結婚を決意したラスコーリニコフの妹ドゥーニャの苦悩をも浮かび上がらせていることだろう。

たとえば、事故にあって重傷を負ったマルメラードフを彼の部屋に運んだラスコーリニコフは、そこで元5等官の娘で最初の結婚で3人の子供をもうけた後で夫に死なれて、再婚してソーニャの継母となったカテリーナの強い自尊心とののしりながらも夫に示す複雑な愛情、そして深い苦悩を目の当たりにする。そこに駆け込んで来た「燃えるように赤い羽根をつけた」ソーニャからは運命的な出会いを感じ、母から届いたなけなしのお金を法事のために渡して戻ることが描かれている(第2部第7節)。

結婚のために上京してきた妹のドゥーニャと母が、ラスコーリニコフの狭苦しい部屋で兄の友人のラズミーヒンをまじえて緊迫した会話を交わしているところに、突然、ソーニャが現れる場面からは、黒澤映画《白痴》でガーニャの家族が結婚をめぐって激しく論争しているところにナスターシヤが突然登場する場面を想起させる。

日本ではドストエフスキーの作品に描かれている家族を解体して個人に焦点をあてることで、主人公の孤独に迫るという解釈の流れがあるが、黒澤映画《白痴》と同じようにクリジャーノフ監督の映画《罪と罰》も家族間の軋轢にも注意を向けることで、主人公の苦悩をいっそう明瞭に描き出しているといえよう。

しかも、この場面はラスコーリニコフによってその利己主義的な考えを暴露され、婚約を解消された悪徳弁護士のルージンが、その復讐のためにマルメラードフの法事の席で、虐げられた貧しいソーニャに金を施すふりをして、ひそかに彼女のポケットに大金を入れてソーニャを泥棒にしようとする場面へと直結しており、侮辱されて部屋からも追い出されたカテリーナは、「正義」にも絶望して、ついに発狂して亡くなるのである。

ことに、ラスコーリニコフと予審判事のポルフィーリイ(スモクトゥノフスキー)との対決は見事に映像化されており、クリジャーノフ監督はこの3回にわたる息詰まるような対決をとおして、「英雄」には「悪人」を殺す権利があるとするラスコーリニコフの「非凡人の理論」に潜む危険性をも明らかにしていた。

そして、地主のスヴィドリガイロフが兄ラスコーリニコフの秘密を知っていると語って妹のドゥーニャに迫る密室での息詰まるような場面までを一気に描くことで、この映画は追い詰められた主人公の不安感を浮き彫りにする。

自分を見つめるソーニャ(ベードワ)の真摯な眼差しに促されるようにラスコーリニコフが自首をするという印象的な場面で映画は終わる。

彼の精神的な復活が描かれているエピローグが省略されていたのは残念だったが、観客の身体的な疲労をも考慮に入れるならば、賢明な方針だったとも思える。緊迫した映画の流れで218分の長さも感じられず、見終わってから深く考えさせられる映画である。

 

(台詞の引用は、佐藤千登勢『映画に学ぶロシア語――台詞のある風景』東洋書店、2008年より。クリジャーノフ監督の映画《罪と罰》については、「長編小説『罪と罰』で映画《夢》を解読する」『黒澤明研究会誌』第29号、2013年3月に一部発表)。

モスクワの演劇――ドストエフスキー劇を中心に

はじめに

今回は私が留学生の引率として1985年6月から10ヵ月間モスクワに滞在した時に見た演劇について記します。演劇の専門家ではないので、モスクワの演劇の全体像を描き出すことはできませんので、ここではドストエフスキー関係の劇を中心にモスクワ演劇の動向を簡単に紹介します。

一、

モスクワの演劇のレパートリーで、まず私の目を惹いたのは、想像以上に古典物が多く演じられていることであった。チェーホフの作品は相変わらず、人気が高いのは当然であるが、この他にもアレクセイ・トルストイの歴史劇、レフ・トルストイの三部作(この内『死せる屍』は三つの劇場で上演されていた)が演じられていた。また日本ではほとんど知られていないが、レフ・トルストイやチェーホフへの道を開いたA・オストロフスキーは18本の戯曲が上演され、しかもそれらの何本かは、同時に二箇所の劇場で演じられていた。

それとともに古典小説の劇化もまたかなり積極的になされていることが私の興味を惹いた。少し振り返っただけでもトルストイの『アンナ・カレーニナ』や、『クロイツェル・ソナタ』、ツルゲーネフの『その前夜』などが浮かんで来る。その他レスコフやシチェドリンの作品もまたレパートリーを飾っている。そしてもちろんドストエフスキーもその例外ではない。

私が大学院生の時に留学の機会を得て初めてソヴィエトを訪れた時、モスクワでは、ドストエフスキーの劇はザワートスキイの『ペテルブルクの夢』(『罪と罰』に基づく)が大当たりし、エーフロスの『兄弟アリョーシャ』(『カラマーゾフの兄弟』に基づく)が話題を呼んでいた。また『ステパンチコヴォ村とその住民』がモスクワ芸術座に掛かり、小さなスタジオでは『貧しき人々』が二人だけで演じられていた。

これらの劇ことに『ペテルブルクの夢』は、予想に反して私に強い印象を与えた。それまで小説の映画化などで原作が損なわれるのを何回も見てきた私は、あまり劇に期待をかけてもいなかったのだ。だがザワートスキイは、巧みな演出と鋭い問題意識で観客の心を捉え、それまでドストエフスキーの孤独な読者であった私は、見知らぬ多くの観客達と共通の気分に浸りながら、このような形でのドストエフスキーの受容もありえることを再確認していた。

確かに劇化や映画化に際しては、原作の著しい短縮は避けられえず、それゆえ原作を損なうこともありえる。だが演出家が深く作品を理解し、その主題を鋭く提示するとき、小説は舞台においてもそのリアリティーを主張しえるのである。そして私はその後、ドストエフスキー自身が若い時、演劇に凝り、戯曲を書き、自分でも演じたことがあることを知った。私のドストエフスキー理解には大きな欠落があったのである。

私が日本に帰ってからモスクワの舞台では、リュビーモフの『罪と罰』や、フォーキンの『俺も行く、俺も行く』(『地下室の手記』と『おかしな男の夢』に基づく)が人間存在の根底に迫る鋭い演出でソヴィエト演劇の枠を大きく広げた(なお、これらの劇に関しては、ルドニーツキイの論文「理念の冒険」に詳しい。残念ながら、リュビーモフはあれからモスクワを去り、以上の劇の内で現在も演じられているのは、『ペテルブルクの夢』一本になってしまった。

だが、ソヴィエト演劇界におけるドストエフスキーの受容は留まることなしに、これまでの成果を踏まえながら、更に新たなる模索をしているといえよう。たとえばモスソヴィエト劇場ではザワートスキイの業績を受け継いだホームスキイの『カラマーゾフの兄弟』が、十年以上のロング・ランを続ける『ペテルブルクの夢』と並んで上演されている。タガンカ劇場では『空想家の手記』(『白夜』と『地下室の手記』に基づく)が初演されており、モスクワ芸術座では『おとなしい女』が、そしてソヴィエト軍劇場の小舞台では『白痴』が演じられている。

二、

モスクワの友人がこの頃劇場の券を手に入れるのが大変むずかしくなったと言った。何故かと問うと恐らくテレビに飽きたらなくなって劇場に来る人々が増えたのだろうと言う。確かにモスクワの劇場は券が安いこともあって(高いものでも七〇〇円位)求め易く、少しよい劇になると、なかなか手に入らず、チケット売り場を求め歩いてもらちがあかず、キャンセルを期待して二時間程前から劇場の前に並ぶことになる。だが驚くべきことには、そこにも既に例の行列ができており、何枚でるかわからない券を延々と待っているのだ。ただこの行列だけは特別で元来劇好きの者ばかりが並んでいるので時には話に花が咲いたりもする。そして苦労して出会った劇との対面には感慨も深いのである。

大きな劇場が、最近いずれも小舞台を別に持つようになった理由の一つは、このような観客数の増加もあるだろう。だが演劇人に語らせると、小舞台の流行は、単に量の問題から来るのではなく、質の問題とも深く関わっていると言う。すなわち小舞台では多少、実験的なこともでき、そこで成功したものを大舞台に懸けることもできる。そしてそれとともに小舞台では俳優と観客の間に距離的なものから来る一種の緊張感も生まれるのだ。

ソヴィエト軍劇場における『白痴』もそうした劇の一つである。期待が大き過ぎただけに劇を見た後は、軽い失望感に襲われたが、それでもこの劇も小舞台の長所を生かしていたとは言える。例えばナスターシヤ・フィリポヴナの提言で、彼女の家に集まった面めんが、誰にも言えなかった心の秘密を語る場面では、単に舞台の上のことではなく観客の一人一人に問いかけるだけの鋭さを有していた。

同じことがタガンカ劇場の旧舞台で演じられた『空想家の手記』にも当てはまる。ここでも場内の空間的狭さは、欠点とはならず、舞台と観客とを結び付ける働きをしている。この劇は一見まったく異なっているように見える二つの作品を空想家という共通項によって統一したものだが、演出家はロマンチストと絶望者という全く相反する二人の主人公を、彼らの分身を登場させることによって説得力豊かに結び付けている。例えば、劇中で女主人公達が語る次のような言葉は、二人の主人公の同質性をまざまざと証明している。

「だって、あなたのお話はまるでご本でも読んでいらっしゃるようなんですもの」(『白夜』)、「あなたはなんだか……まるで本でも読んでいるような話し方をするんですもの」(『地下室の手記』、ともに米川正夫訳)。

さらにリュビーモフは劇『巨匠とマルガリータ』(ブルガーコフ作)や、トリーフォノフの『交換』において、悪魔や黒い服を着た仲買人の口をとおして、今あなた方は物質的には多少豊かになったかもしれないが、精神的にはどうかという鋭い問いを発していた。

そして、『空想家の手記』でも黒い服を着た分身も盛んに観客に話しかけてはいたが、残念ながらこの分身はことに第一部の『白夜』においては劇から浮いて、ロマンチックな恋を冷ややかに見つめる解説者に成り下がっていた。発想がユニークなだけに突っ込みの足りなさが惜しまれた。

モスクワ芸術座(支部)で演じられた『おとなしい女』は以前レニングラードで上演されていたものだが、主演のボリ-ソフのモスクワ移転に伴ってモスクワでも見られるようになった。

この劇も又、小舞台的な、と言うよりも、小舞台向きの劇だと思える。舞台は妻の自殺の場面が、観客に息を飲ませる位で、他には特に凝った装置はない。しかし初めはぼそぼそとしたボリーソフの声は、次第に力が入り、時には彼の話を直に聞かされていると錯覚する程の迫力を帯びた。

ところで私はこの劇場を見終わってから、なぜか劇『クロイツェル・ソナタ』を思い起こし、これらの劇が今モスクワの劇場で上演されることに興味を覚えた。周知のように『おとなしい女』は、自殺した若い妻の遺骸の脇での高利貸しの男の考えを記したものであり、トルストイの『クロイツェル・ソナタ』もまた妻との精神的つながりを失い、嫉妬から彼女を殺した中年の男の告白である。これら両作品に共通しているのは、愛と性にたいする根本的な反省と洞察であると言えよう。これらの作品の劇化は、離婚が頻発するなかで新しい家族像を模索するソヴィエト社会を反映しているように思える。

三、

モスソヴィエト劇場で演じられた二つの劇は、大舞台のよさを十二分に生かしていた。『ペテルブルクの夢』では、舞台後方に金貸しの老婆が住む古びた建物が再現され、ラスコーリニコフの殺人に至る場面や逃走の場面では、実際に彼が階段を登ったり降りたりする状況がリアルに描かれ、緊迫感を盛り上げている。だがそれとともにザワートスキイもまた観客を単なる観客としてほおってはおかず、事件の目撃者に引きずりこむ。劇が始まる前に、真っ暗な場内に左右から差し込んだ光は、舞台ではなく観客席の真ん中に突き刺さる。舞台に現れたラスコーリニコフも、また舞台には留まらずに、丁度花道のように作られた道を通って、観客席の六列目まで入り込み、そこで自分の考えを述べるのである。更に殺人を犯す前にも彼は観客席に入り込み、そこで隠されていた斧を取り出す。こうししてザワートスキイは緊迫した劇づくりで観客を引き付け、彼らの前にラスコーリニコフの犯罪を暴露するのである。

ホームスキイの『カラマーゾフの兄弟』では、観客は客席に足を踏み入れた途端に劇の世界に入り込むことになる。すなわち舞台には既に居酒屋が存在し、そこでは或る者はギターを弾き、他の者は女を膝に抱いて口説いているのである。そしてホームスキイは、ザワートスキイの問題意識を更に押し進め、スメルジャコフにかなり焦点をしぼって殺すことの意味を問うている。

 舞台作りの上ではザワートスキイが最後のエピローグでは、たぎる霧の中に巨大な十字架をあたかも世界の救済のごとくに浮かび上がらせ、観客をあっと言わせたが、ホームスキイは、居酒屋の場面を一転させて僧院の一室に変えた。するとそれまで天井を形成していたすのこ状の板が半回転して壁となり、そこにはキリストを抱いたマリアの像が無彩色で描かれていた。少なくともこれらの劇を見た範囲では、ソヴィエトにおいても単に宗教を否定するのではなく、そのよい部分は吸収しようとする新しい流れを感じた。

なおこのことに関連して思い起こされるのは、ドストエフスキーの作品による劇『俺も行く、俺も行く』を演出したフォーキンの『語れ』である。この劇は党の在り方を問題にしているのだが、終わり近くで上からの指導を批判し、下からの意見がなければだめだと主人公に語らせながら、最後に相変わらず十年一日のごとくに決まりきった報告書を読みあげる女性のノートを取り上げ、「(自分の声で)語れ」と言った時には、観客の熱い共感が湧き起こった。これまでこのエルモーロワ劇場の券はほとんどいつでも取れたのだがこの劇については、券を手に入れるのがむずかしかった。また今回は見ることができなかったのだが、ロック・ミュージカルなどで若者達に絶大な人気を持つレン・コンソモール劇場が、『良心の独裁』を初演している。この劇は今モスクワで最も人気のある劇の一つであり、ここでは『悪霊』のスタブローギンが登場し、良心の在り方が問題になっているとのことである。

ドストエフスキー研究者のグラーリニクは、その論文で「ドストエフスキーを克服する」のがかつての課題であったが、今では「ドストエフスキーを理解する」ことが必要であると述べ、カリャーキンも『罪と罰』を分析しながら、「どんな『良心』も『知性』を欠いては、あるいはどんな『知性』も良心を欠いては、世界を理解し、改造することはできない」と結論しているが、極めて間接的ではあるが、これらの劇もまた現在のソヴィエトにおけるドストエフスキーの受容を物語っているように思える。

こうしてソヴィエトにおいてもドストエフスキー理解の深まりは、直接的に劇にも反映しドストエフスキー劇以外の劇にも影響を及ぼしていると言えよう、ソヴィエトのドストエフスキー劇がどのような地平を開くのかこれからも注意深く見つめたいと思う。(本稿では肩書きは省略した)。

初出は『人間の場から』第9号、1987年11月1日。その後『ドストエーフスキイの会 会報』第103号、1988年、および『場 ドストエーフスキイの会の記録』Ⅳに再掲。HPへの掲載に際しては人名と国名表記を一部変更した)。

 

 

『白夜』の鮮烈な魅力――「甘い空想」の破綻を描く

《『白夜』》ヴィスコンティ

(映画《Белые ночи》 1957年のポスター、図版はロシア語版「ウィキペディア」より)

ヴィスコンティの映画《白夜》のニュープリント修復版が十月下旬から公開される。これは「北のヴェニス」と呼ばれるサンクト・ペテルブルクの街を散策することが好きな若者が、白夜の季節に味わったひとときの恋を描いたドストエフスキーのロマンチックな佳作の映画化である。一九五七年にモノクロで撮られたものなので、半世紀近くも昔の映画といえよう。

しかし、一九六九年の《地獄に堕ちた勇者ども》でナチス政権下のドイツの青年達の「欲望」と「他者」への「敵意」を見事に映像化していたヴィスコンティは、トーマス・マンの『ベニスに死す』の映画化では、近づいてくる第一次世界大戦の足音を聞きながらベニスへ「逃避」した作家の「退廃」を、美しい映像を通して描き出すことになる。原作の舞台をイタリアに置き換えた比較的初期の映画《白夜》にも、「おとぎ話のような」物語の内部に鋭い棘(とげ)を秘めており、クリミア戦争に突入するほんの数年前に書かれた原作の緊迫した時代背景も伝え得ている。

たとえば、小説『白夜』の冒頭で描かれる中年の紳士が主人公の女性をつけ回すという有名なシーンの代わりに、映画『白夜』ではオートバイに乗った若者たちが騒音と共にナタリアを追いかけ廻しているが、ここには第二次世界大戦前のイタリアを想起させるようなヴィスコンティのすぐれた時代感覚が現れているだろう。

しかも、マストロヤンニ演じる主人公がバーで夢中になって踊る場面や恋に破れたあとでの娼婦との会話などのシーンをとおして、ヴィスコンティは息苦しい社会の中で「甘い空想」に破れた若者の「苦悩」だけでなく、「退廃」の予兆さえも映像化している。

ことに、夜でもなく昼でもない「白夜」の奇妙な時代感覚を、ヴェニスに降った雪による「白い空間」で表現した幕切れ近くのシーンは圧巻である。奇蹟をもたらしたかに見えた時ならぬ「美しい雪」が、失恋の痛みの中で近づいてくる「冬の時代」の到来を告げるような「冷たい雪」へと変わるのである。

時代の「閉塞感」が強まる中で、「他者」への「敵意」が強まり、「新しい戦争」の足音さえ聞こえ始めた現在、若者の「孤独」と「甘い空想」の破綻を強烈な映像美で描いた映画と『白夜』は、きわめて今日的な作品と映る。

(コラム「知的空間」『東海大学新聞』、2002年9月5日)

(2017年5月5日、図版を追加)

 

映画《赤ひげ》と映画《白痴》――黒澤明監督のドストエフスキー観

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(図像は、facebookより引用)(拙著の書影は「成文社」より)

 

一九世紀の混迷したロシアで展開された物語を、第二次世界大戦の終戦直後の混乱した日本に大胆に置き換えた黒澤明監督の映画《白痴》(一九五一年)は、上映時間をほぼ半分に短縮されたこともあり、日本では多くの評論家から「失敗作」と見なされた。

しかし、黒澤自身は「僕はこれをやったことで大きな勉強をさせて貰った、といった気持ですね。一般的な評価は、失敗作だということになってるけれど僕はそう思わないんだ。少なくともその後の作品で内面的な深みをもった素材をこなしていく上で、非常にプラスになったのじゃないかな」(『THE KUROSAWA 黒澤明全作品集』、東宝株式会社事業部出版事業室、一九八五年)と語っていた。

たとえば、山本周五郎原作の『赤ひげ診療譚』を原作とした映画《赤ひげ》(一九六五年)で二木てるみが演じた少女おとよの役について黒澤は、「あの話は原作にはなかったが、書いているうちにドストエフスキーの『虐げられた人々』を思い出し、その中のネリにあたる役を、しいたげられた人々のイメージとして入れた」と語っているが、それは映画『白痴』における妙子(ナスターシャ)の役など多くのドストエフスキー作品にも通じるだろう。

すなわち、蜆売りの母親が行き倒れて葬式を出してもらったために娼家で働くことになったが、体を売ることを拒んだために激しく折檻され、高熱を出しながらも必死に床のぞうきんがけをしていた一二歳くらいの少女おとよを見た主人公の「赤ひげ」は、力ずくでおとよを養生院に引き取った際に、「なんのために、こんな子供がこんなに苦しまなくちゃならないのだ。この子は体も病んでいるが、心はもっと病んでいる。火傷のようにただれているんだ」と若い医師の保本登に語るのである。

実際、必死に看病をする保本にも一言も口をきこうとはしなかったおとよは、保本から差し出されたお粥の茶碗を邪険にはねのけて、茶碗を壊してしまうのである。この描写は妙子(ナスターシャ)の「誕生日のお祝い」の場面で高価な花瓶を壊した亀田(ムイシュキン)のことを東畑(トーツキイ)が厳しく批判すると、妙子がこんなものは私も壊そうと思っていたといって、対になっていたもう一つの花瓶をも壊すというシーンを思い起こさせる。

『白痴』の原作では花瓶を壊すシーンは、後半の大きなクライマックスの場面であるアグラーヤとの婚約発表の場で描かれているのだが、黒澤はこの場面を前半の山場に移すことによって心ならずも愛人とされていた妙子の東畑に対する反発と自暴自棄な心理状態をも見事に表現していたのである。

さらに、黒澤は映画《白痴》において主人公をムイシュキンとドストエフスキーとを重ね合わせた人物として描き出していた。すなわち、沖縄戦の後で戦犯として死刑の宣告を受けたが、銃殺寸前に嫌疑が晴れて刑は取りやめになったという体験をしていた亀田は、綾子(アグラーヤ)からその時の気持ちを尋ねられると、もし生き延びることができたら、「その一つ一つの時間を……ただ感謝の心で一杯にして生きよう……ただ親切にやさしく……そういう思いで胸が破けそうでした」と語っていたのである。

実は、捕虜を殺害していなかったのに戦犯として処刑された日本兵を主人公とした《私は貝になりたい》が現在ヒットしているが、この脚本を書いた橋本忍は、黒澤の映画《『羅生門》や《生きる》《七人の侍》などにも脚本家として参加していたのである。しかも保坂正康が「解説」で書いているように、「BC級戦犯裁判」では「上官が命令したことを認めないで部下に責任を押しつけ」るなどすることもあったために、「無実でありながら絞首刑」になった者も多くいた(朝日文庫)。

この意味で注目したいのは、妙子に「あなたと同じ眼つきを何処かで見たと思った」が、それは彼と「一緒に死刑台に立たされ」、先に銃殺された若い兵士の眼つきだったと語った亀田が、「あなたは、一人で苦しみすぎたんです。もう、苦痛がないと不安なほど……。あなたは病人です」と続けていることである。

このセリフや綾子(アグラーヤ)が、亀田を一見「滑稽」に見えるが、「一番大切な知恵にかけては、世間の人たちの誰よりも、ずっと優れて」いる人物と見なしていたことに注目するならば、黒澤はここで亀田を失敗には帰したが、必死で妙子を治癒しようとした者として描いているように思える。

なぜならば、『白痴』においてはムイシュキンを治療したスイスの医師シュネイデルばかりでなく、クリミア戦争のセヴァストーポリ激戦で負傷兵の治療に活躍した外科医のピロゴーフ、さらにはイポリートがその「弁明」で触れているその分け隔てない対応によって強い印象を残した監獄病院の医師のガーズなど、「治療者のテーマ」は大きな位置を占めていたのである。

ただ、《白痴》においてはこのテーマは示唆されるだけにとどまっていたが、《赤ひげ》では壊した茶碗の代わりを買うために、おとよが養生所から密かに抜け出して乞食をして稼ぐというシーンや、おとよを引き戻しに来た娼家の女性を養生所の賄いの女性たちがみんなで追い返すシーンなどをとおして、温かい看病に心身を癒されたおとよが、たくましく成長を始めることが描かれている。

一方、原作の『白痴』と同じように映画においても、赤間(ロゴージン)によって妙子は殺害され、その死を知った亀田が赤間とともに見守り、再び「白痴」に戻ってしまうという悲惨な結末が描かれている。しかし、黒澤はラストのシーンで亀田を見舞った薫(コーリャ)に、「僕……あの人がとてもいい人だったって事だけ覚えていくんだ」と語らせ、それを聞いた綾子も「そう! ……あの人の様に……人を憎まず、ただ愛してだけ行けたら……私……私、なんて馬鹿だったんだろう……白痴だったの、わたしだわ!」と語らせている。

記憶をテーマとした二人の会話は、『カラマーゾフの兄弟』の結末での亡くなったイリューシャの石の前でのアリョーシャとコーリャたちの会話をも彷彿とさせ、映画《白痴》がドストエフスキーの全作品をも視野に入れていることが感じられるのである。

さらに、一九五四年に水素爆弾の実験によって日本の漁船が被爆した「第五福竜丸事件」がおきると、「世界で唯一の原爆の洗礼を受けた日本として、どこの国よりも早く、率先してこういう映画を作る」べきだとして、映画《生きものの記録》(一九五五年)を製作していた黒澤は、晩年のオムニバス形式の映画《夢》(一九九〇年)でも原爆の問題を取り上げていた。

そして、その翌年に封切られた《八月の狂詩曲(ラプソディー)》では、夏休みに長崎を訪れた孫たちの目をとおして、原爆によって夫を失った祖母の悲しみを伝えている。ことに、原爆のキノコ雲に人間を「見つめる目」を感じていた祖母が、その雲に似た雨雲を見たことで、再びその日の恐怖を思い出して走り出すという最後のシーンからは、ドストエフスキーがムイシュキンをとおして考察した「殺すこと」の問題が、現代に引き寄せられた形でより根源的に考察されていることが感じられるのである。

(『ドストエーフスキイ広場』第一八号、二〇〇九年)

 

(本稿はエッセー〈「虐げられた女性」への眼差し――黒澤明監督の映画『白痴』をめぐって〉を改題したものである。なお、長編小説と区別するために映画の題名は《》内に記した)。(2017年5月7日、図版を追加)