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映画《羅生門》から映画《白痴》へ

映画《羅生門》から映画《白痴》へ

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(日本版の映画《羅生門》のポスター(パブリック・ドメイン)、図版は「ウィキペディア」。および、槙田寿文氏所有の旧東ドイツ版のポスター。図版は「日本経済新聞」のデジタル版より)。(拙著の書影は「成文社」より)

 

映画《羅生門》から映画《白痴》へ

小林秀雄の『白痴』解釈と映画《白痴》のカーニバル的手法

長編小説『白痴』の粗筋を「ムイシュキン公爵は子供の時癲癇にかゝつて以来、廿六の歳まで精神病院の患者であつたが、半ば健康を取戻してペテルブルグに帰つて来ると、捨てられた商人の妾ナスタアシャと将軍の娘アグラアヤと同時に恋愛関係に落ち、彼は二人の女に同じ様に愛を誓う。一方ナスタアシャに惚れて十万留(引用者注──ルーブル)で彼女を買はうといふラゴオジンといふ男が事件にからまる」(下線引用者)と紹介した小林秀雄は、その結末についてはこう解釈していた。

「繰り広げられた絵は飽くまでも異常である。…中略…繰り広げられるものはたゞ三つの生命が滅んで行く無気味な光景だ」。

一方、ソ連の人文学者バフチンがカーニバルを「転換と交代、死と再生のパトスを基礎とした祝祭的時空間」と規定したことを紹介した新谷敬三郎は、映画《白痴》では原作にはなかった氷上のカーニバル・シーンを挿入することで、この文学理論が提起される以前に「カーニバル化の見事な表現」を行っていたことを指摘している*28。

しかも映画《白痴》では、複雑な筋を単純化するためにアデライーダの婚約者やアグラーヤの花婿候補のラドームスキーなどが省略されているが、このカーニバル・シーンでは新しい恋敵として登場するラドームスキーの役も兼ねた香山(ガヴリーラ)が、イッポリート的な言動もすることで、『白痴』の筋を壊さないような工夫もされていたのである。

長編小説『罪と罰』と『白痴』の方法

経済上の理由から大学を退学しなければならなくなった若者の苦悩を描いた『罪と罰』において推理小説的な手法を用いて、主人公の心理や当時のロシア社会を描き出していたドストエフスキーは、長編小説『白痴』においても登場人物たちのさまざまな視点からムィシキンを描き出していた。

たとえば、エパンチン家のアグラーヤはムィシキンを進歩的な考えを持つ教師のように敬愛し、ナスターシヤは自分を救ってくれる「救世主」のように見なしたのである。

しかし、エパンチン将軍は世間知らずの「まったくの子供」と見なし、秘書のガヴリーラにいたってはムィシキンを「仮面」をかぶった「ペテン師」とさえ疑っていた。

こうしてドストエフスキーは、ムィシキンに対するロゴージン、アグラーヤとナスターシヤ、さらにはガヴリーラやトーツキーなど、さまざまな登場人物の見方をも示すことで、ムィシキンという人物の本当の姿へと肉薄する手法、すなわちポリフォニー(多声)的な方法で描くことで、読者にも彼が「何者」であるかを考えさせるように描いているのである。

私たちにとって興味深いのは、映画《白痴》の前年に公開された《羅生門》(脚本・橋本忍、黒澤明)では、そのような視点がすでにきちんと示されていたと思えることである。

小林秀雄の芥川龍之介観と黒澤映画《羅生門》

文芸評論家の小林秀雄は一九三二(昭和七)年に発表した評論「現代文学の不安」で、「この絶望した詩人たちの最も傷ましい典型は芥川龍之介であつた。多くの批評家が、芥川氏を近代知識人の宿命を体現した人物として論じてゐる。私は誤りであると思ふ」と書き、芥川を「人間一人描き得なかつたエッセイスト」と規定した。

その一方で、ドストエフスキーについて「だが今、こん度こそは本当に彼を理解しなければならぬ時が来たらしい」と記した小林は、「『憑かれた人々』は私達を取り巻いてゐる。少くとも群小性格破産者の行列は、作家の頭から出て往来を歩いてゐる。こゝに小説典型を発見するのが今日新作家の一つの義務である」と続けていた〔『小林秀雄全集』第1巻〕。

しかし、よく知られているように短編「羅生門」(一九一五)において価値が混乱した戦乱の世で老婆の着物を盗むことも厭わない下人の荒々しいエネルギーを描きだした芥川龍之介(一八九二~一九二七)は、短編「藪の中」(一九二二)では「一つの事件」を三人のそれぞれの見方をとおして描いていた。こうして芥川は、客観的に見えた「一つの事件」が全く異なった「事件」に見えることを明らかにして、現代の「歴史認識」の問題にもつながるような「事実」の認識の問題を提起していたのである。

芥川のこれら二つの短編を組み合わせるとともに木樵の証言も加えた黒澤も、ドストエフスキーが『罪と罰』のエピローグで、主人公ラスコーリニコフの「復活」を描いていたのと同じように、映画《羅生門》の最後の場面では赤ん坊の服を盗むことも厭わない下人と対比しながら、苦しい生活ながらも捨てられた赤ん坊を育てようとする木樵とその言葉を信じようとする旅法師の姿を描いていた(Ⅵ・四九~七一)。

こうして戦乱で荒廃した都を舞台に「我欲に走る」ようになった人間像とともに、人間に対する深い信頼をも描いた映画《羅生門》は、悲惨な戦争でうちひしがれていた観客に感動を与え、一九五一年九月のヴェネチア映画祭ではグランプリを獲得した。

映画監督のクレイマンは、「多義性のイデアは(漢字を用いてきた)日本の芸術的思惟に古来存在した」もので、「この映画を見たあと、観客は殺人の探偵小説的謎解きをではなく、真実と存在、世界のなりたちの非一義性に関する”ドストエーフスキイ的”思想を持ち帰るのだ」と述べて高く評価している*30。

(拙著『黒澤明で「白痴」を読み解く』成文社、2014年より。再掲に際しては、『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』より、小林秀雄の『白痴』理解の問題点を指摘した箇所と、長編小説『罪と罰』のエピローグの解釈の問題を加筆し、文章を一部改訂して「小見出し」を補った。なお、注の出典は省いた)。

リンク→小林秀雄の芥川龍之介観と黒澤明

(2017年5月7日、図版を追加)

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