中世の日本を舞台に、森の木々を切って鉄を作る集団と太古から森に住む荒ぶる神々との戦いを描いた『もののけ姫』が大ヒットをしている。八月末現在で九〇〇万人近い観客が見たという。
しかし、ここには宮崎駿監督の作品を特徴づけていた飛翔感はない。主人公の若者たちは風のように疾駆し、高く跳ぶ。だが、彼らは『天空の島ラピュタ』や『魔女の宅急便』の主人公たちのように浮遊することはない。『となりのトトロ』や『紅の豚』にあったような温かいユーモアも、『風の谷のナウシカ』の圧倒的なカタルシスもない。「たたり神」に変わった猪の呪いは、若者アシタカの腕にからみつき、戦闘の場面では侍の切られた頭や両腕が飛ぶ。
ではなぜ、このように重たいアニメが現代の若者たちの心をとらえたのであろうか。おそらくそれはこのアニメ映画が、価値観が激しく動揺する時代を生きる若者たちの苦悩を正面から描いているからだろう。言葉を換えれば「飛翔感」の欠如は、歴史的事実の「重力」によるものなのである。
かつて文明理論の授業で未来に対するイメージを質問したところ、多くの学生から悲観的な答えが帰って来て驚いたことがある。しかし、一二月に温暖化を防ぐ国際会議が京都で持たれるが、消費文明の結果として、一世紀後には海面の水位が九五センチも上がる危険性が指摘され、洪水の多発など様々な被害が発生し始めている。多くの動植物の種が滅んでいく一方では、ゴミ問題が各地で起きている。臓器移植やクローン技術の急速な発達は、自己のアイデンティティをも脅かしている。
こうして、現代の若者たちを取り巻く環境は、きわめて厳しい。大和政権に追われたエミシ族のアシタカや人間に棄てられ山犬に育てられた少女サンの怒りや悲しみを、彼らは実感できるのだ。
『もののけ姫』には答えはない。だが、難問を真正面から提示し、圧倒的な自然の美しさや他者との出会いを描くことで、観客に「生きろ」と伝え得ている。
東海大学の現代文明論の授業では、早くから人間と自然の関係の重要性を指摘してきた。私たちに求められるのもこの難問へのより真摯な取り組みだろう。
(コラム「遠雷」、『東海大学新聞』第717号、1997年9月)