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2023年

ウクライナ戦争と『黙示録』――世界秩序の混迷と復讐的終末論(改訂と改題版)

アルブレヒト・デューラーの木版画『黙示録の四騎士』

デューラー『黙示録の四騎士』

はじめに

二〇一三年に「信者の感情の保護に関する法律」を施行してロシア正教徒への配慮を示していたプーチン大統領は、二〇二一年のドストエフスキーの生誕二百年に際して作家を「天才的な思想家だ」と賛美した。そのプーチンが翌年の二月にウクライナ侵攻に踏み切った。核戦争に至る危険性もはらみながら武力による攻撃を行い続けていることは世界を恐怖に陥れている。

だが、なぜプーチン大統領はアメリカやヨーロッパのほとんどの国を敵に回してまで戦争を続けているのだろうか。その原因を探るうえで注目したいのは、ロシア史の研究者・下斗米伸夫が、二〇一三年から「ロシア保守主義を標榜しはじめた」プーチンによって宗教哲学者のベルジャーエフが称揚されたと指摘していることである]

なぜならば、ベルジャーエフは『ドストエフスキーの世界観』で「彼の宗教思想をほんとうに理解するには、黙示録的認識という光のもとでのみ可能である。/ ドストエフスキーのキリスト教は、歴史的なそれではなくて、黙示録的なキリスト教である」と記しているからである。

この時期にナチス・ドイツの占領下にあったパリでドストエフスキーの研究を行っていたモチューリスキーは「邪悪な霊の訪れはまもなくである。われわれの子孫は、おそらくそれに直面することになるだろう」という『作家の日記』の文章を引用してこう解釈している。

「およそ七十年という年月が過ぎ去り、ドストエフスキーの予言の正しさが証明された。『反キリスト教的萌芽』からは、異教的『全体主義的』国家のドグマが成長したのである。ドストエフスキーの政治的論文は、黙示録の火(太字は引用者)によって照らされている(……)ドストエフスキーの精神的子孫であるわれわれはすべて、この『訪れ』の戦慄的な体験を持っている。彼は予見者であり、われわれは目撃者にして証人である。」

さらに『悪霊』論でモチューリスキーは「彼は世界史を、ヨハネの黙示録に照らしあわせ、神と悪魔の最後の闘いのイメージで見、ロシアの宗教的使命を熱狂的に信じていた」と記した]

ではこのようにドストエフスキー研究者を熱中させた『ヨハネの黙示録』(以下、黙示録と略す)とはどのような書物なのだろうか。聖書学者の小河陽はこの書物の特徴と受容の歴史についてこう説明している。

「あらゆる黙示文書がそうであるように、ヨハネの黙示録は世界に対する神の審判の幻を語る書であるが、キリスト教の歴史において、本書ほどしばしば問題となった、あるいは濫用された書物はないであろう。二世紀末になって、東方教会においては三世紀中頃にやっと正典として認められ、宗教改革者たちにはほとんど評価されず、啓蒙主義の時代には使徒ヨハネの書ではないとして見捨てられる一方で、熱狂主義者たちによっては情熱的に読まれ、評価され、引用された書であった。」

『黙示録』の解釈は後に確認するように異教徒や異端に対する十字軍の歴史とも深く関わっている。それゆえ、『悪霊』論などとの関りで『黙示録』の問題を考えることは、核戦争への拡大の危険性もはらんでいるこの戦争と日本とのかかわりを深く考えるうえできわめて重要だと思える。

『黙示録』の概要

本論に入る前に、『黙示録』の構成に従ってその内容を一瞥しておく。

第一章一節では、まず「この黙示は、すぐにも起こるはずの〔一連の〕事柄を、神が自分の僕(しもべ)たちに示すために、イエス・キリストに与えたものであり、そして〔そのイエスが今度は〕自分の天使を遣わして、彼の僕であるヨハネに知らせたものである」ことが記されている。そしてヨハネは自分が視たこの黙示が「我はアルパなり、オメガなり」と名乗り、「最先(いやさき)にして最後(いやはて)なる者――唯一、絶対の超越神」であると宣言する神からのものであることを明らかにしている。その後で神からの七つの教会への具体的なメッセージが記され(第二章~第三章)、天に昇ったヨハネが神の玉座の周りを「おのおの六(む)つの翼(つばさ)あり、翼の内も外も数々の眼に満ちた」四つの活物(いきもの)が、空を舞いながら、「全能者にして主たる神」を讃えているのを視たことが描かれる(第四章~第五章)。

第六章から第一一章では、小羊によって七つの巻物の封印が解かれると「白い馬」、「赤き馬」、「黒い馬」「青ざめた馬」などに乗る四騎士による大惨事が次々と起き、天使たちが七つのラッパ吹き鳴らすと地上で未曽有の大惨事が起きる。

天の戦に負けたサタンは地に投げ落とされると、地上では「獣」の権力が増大したので神の怒りも極みに達し、怒りの満ちた七つの鉢を受け取った七人の天使が鉢を傾けるごとに地上に大災害が起き、3匹の悪霊が「ハルマゲドン」に王たちを集めると、七番目の鉢で大地震が起き、島々が消え去ったのである第一二章~第一六章)。

その後で大淫婦バビロンの裁きと滅亡、天上での大群衆による神の讃美と子羊の婚宴が描かれ、白い馬に乗った統治者によって獣と偽預言者が火の池に投げ込まれる第一七章~第一九章)。

サタンは底知れぬ所に封印され、殉教者と獣の刻印を受けなかった者が復活するが、「千年王国」の終わりには一時的に解放されて神の民と戦ったサタンや獣や偽預言者、さらには「いのちの書」に名前のない者がすべて火と硫黄の池に投げ込まれ永遠に苦しむことが強調される(第二〇章)。

こうして、神が人と共に住み、死も悲しみもない新しい天と新しい地が訪れ、美しい宝石で飾られた新しいエルサレムが詳しく描写され、神と子羊の玉座からいのちの水の川が流れることが記され、最後にイエス・キリストの再臨を予言する言葉で結ばれている(第二一章~第二二章)。

『黙示録』の復讐的終末論と十字軍

小河陽は、「世紀末が近い昨今、ふたたびこの黙示録への関心が寄せられることは、理由のないことではない」とした「(戦争や大災害などの)混乱をことごとく片づけ、全く新しい秩序をもたらす未来を夢見る待望がある。そのような、時代の節目に漂う雰囲気にぴったりと重なって、黙示録はわれわれを未来の可能性へと誘うのである」と説明している。

一方、「私は決して黙示録にたいするとくべつの傾愛をもっておらず」と記したベルジャーエフは、「エノク書(注:エチオピア正教会における旧約聖書からはじまる黙示文学の復讐的終末論、善と悪とへの人間の裁然たる区分、悪人と不心信者にくだる残酷な裁き」などが、『黙示録』にも見られることを『わが生涯』で厳しく批判している。

『黙示録』が「ローマの大迫害を背景として小アジアで生れたもので」、「エジプト、さらにべルシャのゾロアスター教の影やスメル、バビロニヤなどの超絶的象徴なども含む」ことを確認した作家の堀田善衞は、この神が「荒々しい怒りの神である」と指摘している。

「敵を愛し、自分を迫害するもののために祈りなさい」(マタイ第五章四四節)と説く『福音書』 イエス と、「口からは鋭い両刃の剣が出て、顔は強く照り輝く太陽のようであった」と描かれている『黙示録』のイエスとの違いにドストエフスキー研究者の冷牟田幸子も注意を促している。

作家のD・H・ロレンスは『黙示録』を聖書中に組み入れることには「東方の神父たちが、烈しくこれに反対した」と記しているが、それは彼らも『黙示録』のうちに「人間のうちにある不滅の権力意志とその聖化、その決定的勝利の黙示」の危険性を感じたためだと思われる。

実際、堀田善衞が『至福千年』(一九八四)において記しているように、『黙示録』的な復讐的終末論は他宗教や異端派への十字軍の派遣も正当化していたからである。

たとえば、西暦一〇九五年に行われた第一回十字軍の派兵に際してローマ教皇が信者に対して遠征に参加する者には「これまでに彼が犯した罪について罰を一時的に赦免さるべきこと、遠征の途上、あるいは戦いに死せる者は、あらゆる罪を赦免されたる者なること」と示したことは、イスラム教徒だけでなくユダヤ人大虐殺とエルサレムの富の略奪を招いていた。

同じような殺戮は第二回十字軍でも繰り返されたたが、ギリシャ正教を国教とする東ローマ帝国を攻略してコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)を陥落した第四回十字軍(一二〇二~〇四)では第一回十字軍をも上回る規模で起きた。しかも東ローマ帝国が力を失ったことで、第二次ブルガリア帝国(一一八五~一三九六)などギリシャ正教を受け容れて繁栄していたバルカン半島のスラヴ系諸国は次々とオスマントルコ帝国の支配下に組み込まれることになった。

スラヴ民族であるチェコのキリスト教改革派のフス派を異端として派兵された「フス派に対する十字軍」(一四一九~三四)は当初はことごとく打ち破られたものの最後には併合されて国語もドイツ語とされ、第一次世界大戦に際しては作家ハシェクが『兵士シュヴェイクの冒険』で描いたような事態が生じたのである。

一方、野蛮な帝国に対する「正義の戦争」としてナポレオンが大軍を率いてロシアに侵攻した「祖国戦争」(一八一二)は、ロシアでは祖国防衛のための「聖戦」と捉えられてナショナリズムが高揚し、勝利後には「正教・専制・国民性」の三原則が強調されることになった。二期目に再選されたプーチン大統領が二〇一二年に「祖国戦争」二〇〇年を大々的に祝ったことは、西側諸国に対する潜在的な恐怖感を示唆しているように感じられる。

第二次世界大戦でのユダヤ人に対するホロコーストは強調されるが、『わが闘争』でスラヴ民族なども文化を「維持するだけ」の劣等な民族と見なしていたヒトラーとの戦争では、ソ連は三千万人もの死者を出しており、飢餓などにより百万近くの死者を出していたレニングラード(現サンクトペテルブルク)包囲戦ではプーチンの兄も亡くなっている。


第一次世界大戦と『黙示録』的世界観

第一次世界大戦はサラエヴォを訪れたオーストリア・ハンガリー帝国の皇太子夫妻がセルビア人の民族主義者によって暗殺されたことをきっかけに一九一四年に勃発した。その遠因は露土戦争(一八七七~七八)の勝利後に認められたボスニア・ヘルツェゴヴィナの自治権が列強の干渉によって取り消され、さらに一九〇八年にはオーストリア・ハンガリー帝国によって併合されたことにあった。

日本が大戦に参戦した翌年の一九一五年に発表された芥川龍之介の『羅生門』の下人や老婆の描写には『罪と罰』(一八六六)からの強い影響がみられるが]、ロシアの研究者L・サラースキナは、「地震とか辻風(つじかぜ)とか火事とか饑饉とか云う災(わざわ)いがつづいて」いた当時の京都の描写と、ラスコーリニコフがシベリアの流刑地で見た黙示録的な「悪夢」の描写の類似性に注目してこう指摘している。

「ラスコーリニコフの夢は芥川のペンによって現実になったのです。二○世紀の日本文学はドストエフスキイの創作と世界観の中心に据えられた不安、つまり、黙示録と世界の終末の不安を、完全に理解し、共感し、前代未聞の敏感さで反応したのです。」

『羅生門』の描写を『罪と罰』の『黙示録』的な悪夢と比較する解釈は強引とも感じられるが、その後の芥川の作品を踏まえるとその解釈はかなり核心をついていることが分かる。すなわち、一九二二年に発表した『将軍』で日露戦争の際の突撃を礼讃する思想や殉死した乃木大将の賛美を厳しく批判した芥川は、一九二四年に発表した短編『桃太郎』では「進め! 進め! 鬼という鬼は見つけ次第、一匹も残らず殺してしまえ!」と命令し、宝物を「一つも残らず献上」させた桃太郎や、「鬼の娘を絞殺(しめころ)す前に、必ず凌辱(りょうじょく)を恣(ほしいまま)に」した「猿」の行動を描いた。

「人質」に取られていた鬼の子供が猿を殺して逃げ、桃太郎への復讐を企てるようになったと描かれている短編『桃太郎』のエピローグの描写からは、他国の武力による併合がテロと果てしない復讐の連鎖を生むことに対する深い理解が感じられる。

一方、『罪と罰』では主人公が居酒屋で読む頻発する火事などの新聞記事がきわめて重要な役割を担っているが、シベリア出兵をテーマにした堀田善衞の『夜の森』でも新聞記事は、悪徳問屋のせいで米の小売相場が高騰したために起きた米騒動とシベリア出兵との関係を明らかにしている。

ことに内閣を批判した新聞記事で「白虹日を貫けり」という用語を使ったので「朝憲紊乱の罪」に問われていたことは当時の日本における『黙示録』の受容を知る上でも重要だろう。なぜならば、この用語は荊軻(けいか)が秦王(後の始皇帝)暗殺を企てた時の自然現象を記録した内乱が起こる兆候を指す中国の故事成語であるが、その成語の前に記者が「金甌無欠の誇りを持った我大日本帝国は今や恐ろしい最後の裁判の日に近づいているのではなかろうか」(太字は引用者)と書いているからである。この文章をここで記した記者だけでなくこれをこの記事を裁いた側も『黙示録』の最後の審判を強く意識していたのは確実だと思える。

しかも、主人公の巣山は「憲兵とも親しい正田少尉から、今度の出兵は「日本の王道主義を世界にひろめる思想の戦争」であると説明されたと記すことで、この出兵が「八紘一宇」の理念を掲げた満州事変にもつながっていることを記している。

思想史研究者の林尚之は「日蓮の予言を独自に解釈」した田中智学に心酔した関東軍参謀の石原莞爾の八紘一宇」の理念についてこう説明している。それは「最終戦争というハルマゲドンの後に絶対平和が訪れるという終末論的救済観にもとづくもの」であり、その「終末論的救済観が、現状打破的な社会改造の牽引力となっていた」]

ロシア大統領の手法と『黙示録』の解釈

石原莞爾はその「世界最終戦争」論で「核破壊による驚異すべきエネルギーの発生」の利用についても記してもいたが、その放射能被害の悲惨さは予想もしていなかった。岸政権が「核の傘」理論で沖縄などにおける超大国アメリカの核兵器の存在を暗に許容したことは、日本国民には偽りの安心感を与える代わりに、ロシアなどには原爆を投下しても謝罪をしないアメリカとそれを許す日本に対する深刻な不信感を与えた。

他方で、チェルノブイリ原発事故に際しては『黙示録』の解釈がソ連崩壊の遠因となったが(第一章参照)、エリツィン・ロシア共和国大統領はウクライナ・ベラルーシのスラヴ三カ国首脳との秘密交渉で独立国家共同体の樹立を宣言してソ連を崩壊させた。こうして民族主義的な国家を成立させたエリツィンは、 権威主義的な手法で チェチェンの独立派を武力で徹底的に弾圧する一方で、急激な市場経済への移行を断行した。そのためにスーパーなどからはロシア製の製品が駆逐されて外国製品のみが棚に並び、スーパーインフレによって市民の生活水準は大幅に落ち込んで、「エリツィンは共産党政権ができなかったアメリカ型の資本主義の怖さを短期間で味わわせた」との小話も流行った。アメリカの国益の視点から書かれ、日本でも流行った『文明の衝突』(一九九六)は、ロシアや東欧圏に強い危機感を生み出した。

一方、国有企業の民営化を利用して莫大な富を築いた新興財閥からの賄賂も指摘されるようになったエリツィン政権末期に後継者に指名されたのがプーチンであった。大統領に当選するとエリツィンに不逮捕特権を与えたプーチンは、二〇〇四年には地方の知事を直接選挙から大統領による任命制に改めるなど中央集権化を進め、二〇二〇年には大統領経験者だけでなくその家族に対しても不逮捕特権を与える法律に署名し、その頃にはロシア皇帝のような独裁的地位を得ていた。

一方、統一教会や右派勢力の強力な後押しで二期目に再選された安倍元首相は「改憲」を掲げて報道機関への圧力をかけるとともに、プーチン大統領には「君と僕は、同じ未来を見ている」と語りかけていた。その安倍元首相が統一教会信者の母親の多額の寄付により苦しんだ山上徹也容疑者の手製の散弾銃で射殺されたのは、ウクライナ危機が深まっていた二〇二二年七月のことであった。

その後も日本では戦前のような威勢の良いスローガンを掲げてカジノや核武装をも煽るような政策を主張する政党が勢力を増している。しかも、自民党安倍派の一部議員が応援している教祖の七男が率いるサンクチュアリ教会は、『黙示録』第二章二七節などに記された神の正義を実行するための道具としての「鉄の杖」とアサルトライフル銃を同一視して銃を崇拝し、銃弾の冠をかぶりライフル銃を持って集会をおこなっている。

しかし、『黙示録』の独自な解釈で教祖の文鮮明を「再臨のメシア」と考えるこの教団の『原理講論』には、「(サタン側と天の側に)分立された二つの世界を統一するための(……)第三次世界大戦は必ずなければならない」と記されている。そのことは統一教会との関係を断絶できない自公政権に対する近隣諸国の不安を煽り、軍拡へとっているように思える。

統一教会の『黙示録』観――カルト教団の危険性  http://www.stakaha.com/?p=9779

『黙示録』の解釈は異教徒や異端に対する十字軍の歴史とも深く関わっていたが、オウム真理教のようなカルト教団は終末が来ても信者は生き残ることを強調している。それゆえ、『黙示録』を聖書中に組み入れることには「東方の神父たちが、烈しくこれに反対した」と記した作家のD・H・ロレンスは、『黙示録』にある「人間のうちにある不滅の権力意志とその聖化、その決定的勝利の黙示」の危険性を指摘している。

『悪霊』論などをとおして『黙示録』の問題を考えることは、核戦争への拡大の危険性もはらんでいるウクライナ戦争と日本とのかかわりを深く考えるうえできわめて重要だと思える。

( 本稿では注は省いた。2023/04/10改訂、 2023/04/28、改訂と改題。

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黙示録論 (ちくま学芸文庫)
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日本の悪霊 (河出文庫)

2024/03/02、ツイートの追加






ロシア帝国の教育制度と日本――『ロシアの近代化と若きドストエフスキー』から『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機』へ(改訂版)

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ニコライ一世治下の帝政ロシアでは、ロシアの貴族にも影響力をもち始めていた「自由・平等・友愛」という理念に対抗するために、「正教・専制・国民性」の「三位一体」を「ロシアの理念」として国民に徹底しようとした「ウヴァーロフの通達」が1833年に出されていました。

このような時代に青春を過ごした若きドストエフスキーは初期作品で、権力者の横暴を抑えるための「憲法」の意義や言論や出版の自由の必要性、さらには金持ちのみを優遇する「格差社会」の危険性などを、「イソップの言葉」で説いていました。

『貧しき人々』に始まるこれらの作品を分析することにより、日本における「憲法」や「教育」の問題を考察しようとした拙著『ロシアの近代化と若きドストエフスキー 「祖国戦争」からクリミア戦争へ』(成文社、2007年)の終章では、検閲の問題と芥川龍之介の自殺との関連にも注意を払いながら、『白夜』からの引用がある堀田善衞の『若き日の詩人たちの肖像』に注目することで、昭和初期の日本の状況とクリミア戦争直前の帝政ロシアの状況との類似性を明らかにしました。

たとえば、昭和一二年に文部省から発行された『国体の本義』では、大正デモクラシーを想定しながら、その後も「欧米文化輸入の勢いは依然として盛んで」、「今日我等の当面する如き思想上・社会上の混乱を惹起」したとして、これらの混乱を収めるべき原則として『教育勅語』の意義が強調されたのです。

さらに『国体の本義解説叢書』の一冊として文部省教学局が発行した『我が風土・国民性と文学』と題する小冊子では、「ロシアの理念を強調した「ウヴァーロフの通達」と同じように、「日本の国体」においては、「敬神・忠君・愛国の三精神が一になっている」ことを強調していました。

 それゆえ、『ロシアの近代化と若きドストエフスキー』を書き上げた後では、芥川龍之介の自殺の問題も描かれている堀田善衞の『若き日の詩人たちの肖像』を詳しく考察することで、昭和初期に書いた「『罪と罰』についてⅠ」などの評論や『我が闘争』の書評で当時の若者や知識人に強い影響を与えていた小林秀雄のドストエフスキー論の問題点を明らかにしたいと考えました。

しかし、幕末だけでなく昭和初期に再び強い勢力を持つようになっていた平田篤胤の「復古神道」について理解が乏しかったために、その構想は先延ばししなければなりませんでした。

ようやく前著『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機――北村透谷から島崎藤村へ』で、明治の文学者たちの視点で差別や法制度の問題、「弱肉強食の思想」と「超人思想」などの危険性を描いていた『罪と罰』の現代性に迫りました。さらに、『罪と罰』の人物体系や内容を詳しく研究することで長編小説『破戒』を書いただけでなく、『夜明け前』では平田篤胤没後の門人となって古代復帰を夢見た主人公の破滅にいたる過程を描いた島崎藤村の作品を分析することにより、明治政府の宗教政策や昭和初期の「復古神道」の問題をも考察することができました。

こうして、芥川龍之介の自殺と堀田善衞の『若き日の詩人たちの肖像』との関連を論じることのできる地点までようやく来ましたので、次作ではこの問題を正面から論じることにします。

2024/03/22、ツイートを追加。