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02月

ドストエーフスキイの会、第250回例会(報告者:福井勝也氏)のご案内

第250例会のご案内を「ニュースレター」(No.151)より転載します。

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第250回例会のご案内

    下記の要領で例会を開催いたします。皆様のご参加をお待ちしています。

日 時2019年3月16日(土)午後2時~5時

場 所千駄ヶ谷区民会館(JR原宿駅下車徒歩7分) 和室

                         ℡:03-3402-7854

報告者:福井勝也 氏

題 目: 堀田善衞のドストエフスキー、未来からの挨拶(Back to the Future

          *会員無料・一般参加者=会場費500円

 

報告者紹介:福井勝也 (ふくい・かつや)

1954年東京都出身。1978年「ドストエーフスキイの会」入会、運営編集委員。

「全作品を読む会」世話人。「読書会著莪」会員(小森陽一講師)。「日本ドストエフスキー協会(DSJ)」研究会員。著書:ドストエフスキーとポストモダン』(2001)、『日本近代文学の<終焉>とドストエフスキー』(2008)主要論考対象:ドストエフスキー、ベルクソン(前田英樹氏に師事)、小林秀雄、大岡昇平、三島由紀夫、安岡章太郎など

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第250回例会報告要旨

堀田善衞のドストエフスキー、未来からの挨拶(Back to the Future

 廻り合わせから、次回例会でお話をすることになった。会発足50周年(2019.2.12)を経て最初の、そして30年続いた「平成」最後の例会ということになる。だからといって特別な内容ではないが、自分なりの感慨も重なって発表を引き受けさせて頂いた。

今回論じようと思うのは、作家堀田善衞(1918~98年、大正7~平成10年)の文学、そのドストエフスキー文学との関連である。当方はこの4年程、多摩の読書会で堀田の主要作品を仲間と読み合って来た。ちなみに、2014~15年には『上海にて』(1959)『方丈記私記』(1971)『定家明月記私抄 (正・続)』(1986-88)、2016年には『若き日の詩人たちの肖像 (上・下)』(1968)、2017年には『ゴヤ(第1~4部)』(1974-77)、2018年には『ミシェル 城館の人(第1~3部)』(1991-94)というざっとそんな順であったと思う。そして昨年の堀田生誕100年・没後20年という記念の年を経て、今年の初めに、最初に読んだ『上海にて』に戻るかのように南京事件を扱った長編小説『時間』(1955)を読み始めている。

この多摩の読書会とのお付き合いは、かれこれ四半世紀余になる。講師は当会でもご講演頂いた近代文学研究者の小森陽一氏であるが、小規模な市民サークルで月一度の読書会にずっと参加させてもらって来た。その対象作品は、その時々の選択によるが、漱石から村上春樹までかなりの数になる。

そしてこの4年程は堀田作品を読み合って来た。はじめに断っておけば、当方は堀田善衞のそれ程良い読者ではないかもしれない。しかしここ数年間仲間と読んで来て、作家としてのスケールという点で、われらがドストエフスキーの系譜に連なる文学者であると確信するようになった。その点で、堀田は日本では珍しい世界文学者のタイプであって、これから評価が高まる作家だと感じる。その傍証になるかは不明だが、アニメーション作家の世界的巨匠、宮崎駿氏が堀田文学の愛読者であるということがある。氏は、そのwebサイト(堀田善衞「時代と人間」)の連載欄でこんな風に語っている。

この連載では、堀田氏の考え方たとえば「歴史は直線的に進むのではなく、多層的に存在している」というようなことを、既にあるもの、既に完成したものとして書き、それによって堀田氏を説明するというスタンスをとってきました。しかし、第8回のスペインの項でもわかる通り、堀田氏も最初から、そうした思想へと到達していたわけではありません。戦後、本格的に小説執筆を初め、そこにおいて、いかに自分の体験を消化(昇華)していくかという挑戦の果てに、自分なりの思想を掴み取ったのです。そしてその思想も年齢や時代を経るごとに、深化し、さまざまな側面を見せるようになります。

片や、最近号の「読書会通信」で当方は次の様に書いた。「これらの堀田の生涯をかけた文学作品を貫く「キイワード」を二つだけあげろと言われたら、当方今回の前置きで触れた、「天皇(制)」と「中国」と答えたいと思う。確かに『ゴヤ』のスペイ

ンが、『ミシェル』のフランスもあるわけだが、堀田にアジアからヨーロッパに向かわせる起点になったのは中国の「上海・南京」であり、そのさらに前提となった東京大空襲下で堀田が偶然に見かけた「昭和天皇」とそれを取り巻く戦火で家を焼かれた「日本民衆」の姿であった。」(「通信」No.172、web版もご参照ください。)

堀田文学の全体像を理解するためには、当方の「キイワード」ではおそらく<内向き>に過ぎるだろう。しかしこの間自分が堀田に絡めて、ドストエフスキーを再考するきっかけになったのが堀田の「天皇(制)」と「中国」であった。「通信(連載欄)」の「前書き」にも書いたが、「平成」が終わろうとしている時代の狭間にあって、現在日本人が直面する課題が、この「キイワード」と深く関係してくると思う。今回の発表は、堀田文学の視点から見た「ドストエフスキーと現代」であればとも思っている。

そして多摩の読書会(「著莪」)で考えたことを、その都度話題にして「感想」を書かせてもらって来たのが、われらが読書会「全作品を読む会」ということになる。今回例会でお話しする内容も、その辺からのもので「読書会」の成果だと考えている。

例えば、『若き日の詩人たちの肖像』(1968)の中で語られるドストエフスキー作品への言及、とりわけ当方が関心を抱いた「愛国者」に変貌してゆく一人の「若き詩人」が「アリョーシャ」と愛称されたこと。『ゴヤ』の描くスペイン戦争(対ナポレオン)での民衆をキリストに擬えて語る『五月の三日』の(宗教)絵画評。スペインとロシアをヨーロッパの西と東の「辺境」として語る堀田の地政学的知見。ミッシェル(モンテーニュ)の生きた宗教戦争の時代をドストエフスキーの言葉から見返す歴史的視線。さらに、作品に注目する契機にもなった堀田論考の、安岡章太郎の『果てもない道中記』(1995)に関連して読んだ「大菩薩峠とその周辺」(1959)の机龍之介論。これは日中戦争の時代まで書き継がれた中里介山作『大菩薩峠』(1913~1941)を、ドストエフスキーの作品(『罪と罰』『白痴』他)に言及し、その日本人の罪障観を天皇(制)の問題まで含めて論じようとした問題作だ。

さらには、宮崎氏指摘の堀田の「歴史を重層的なものとして見る見方」、さらにその視線を支えていると考えられる「時間論」「過去と現在が眼前にあって、未来が背後にあるもの」「未来からの挨拶」、今回新たな興味を抱かされたことなどもある‥‥。

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前回の「傍聴記」と「事務局便り」は、「ドストエーフスキイの会」のHP(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)でご確認ください。

『若き日の詩人たちの肖像』の重要性――『堀田善衞を読む――世界を知り抜くための羅針盤』(集英社)を読んで

(「立憲主義」が崩壊した暗い昭和初期を描いた自伝的な長編小説『若き日の詩人たちの肖像』など堀田作品の魅力と意義がさまざまな視点から分かり易く記されている。(書影はアマゾンより)

作家・堀田善衞(一九一八~一九九八)の生誕100周年、没後20年に当たっていた昨年、『堀田善衞を読む――世界を知り抜くための羅針盤』が集英社から刊行された。

この本の帯には「お前の映画は何に影響されたかと言われたら、堀田善衞とこたえるしかありません」という執筆者の一人・宮崎駿監督の言葉が載っている。その言葉は共著者たちの堀田善衛への思いをも代弁しているだろう。

むろん、様々な分野の第一線で活躍する創作者たちの視点で記されている堀田善衞の人柄や作品への評価は一様ではない。たとえば、「ベ平連」の活動で堀田善衞と出会っていたノンフィクション作家の吉岡忍氏は、朝鮮戦争が勃発する緊迫した時期を描いて芥川賞を受賞した堀田の『広場の孤独』や妻子を殺された中国人の知識人を主人公として南京虐殺を描いた『時間』、『インドで考えたこと』など堀田善衞とアジアとの関りを中心に記している。

一方、堀田善衞が大作『ゴヤ』を書く時期にスペインでその資料収集や調査などに立ち会っていた美術史学者の大髙保二郎氏は、ゴヤの「戦争の惨禍」との出会いの意味など、堀田のスペイン時代を実証的に語っている。

そして宮崎駿氏は戦乱期の日本や大災害についての考察が記された『方丈記私記』から受けた強い印象についても触れつつ、その映像化への思いも記している。実は、その激しい揺れが観客席にまで伝わってくるような衝撃を受けた映画《風立ちぬ》における関東大震災の映像を見た後では、宮崎監督が『方丈記私記』の描写を思い浮かべながらこのシーンを描いたのではないかと感じた。

なぜならばその後では、高台に停車した列車から脱出した二郎と菜穂子の眼をとおして観客は、大地震の直後に発生した火事が風に乗って瞬く間に広がり、東京が一面の火の海と化す光景を見ることになるからである。しかも、菜穂子を実家に連れて行こうと歩き出した二郎の歩みとともに逃げ惑う民衆の姿がアニメ映画とは思えない克明さで描かれている。

私的なことになるが、大学に入ってからドストエフスキーの初期作品の重要性だけでなく、日露の近代化の比較というテーマを研究することの必要性を強く感じたのは、昭和初期の暗い時代を描いた堀田善衞の自伝的な長編小説『若き日の詩人たちの肖像』と出会ったことが大きな一因となっていた。

その意味でことに興味を持ったのが、作家の池澤夏樹氏とフランス文学者の鹿島茂氏がともにこの長編小説の面白さと重要性を指摘していたことであった。たとえば、この長編小説に登場する「詩人たち」のモデルの一人である作家の福永武彦を父に持つ池澤夏樹氏は、この小説が「文字通りの自伝ではなく」、「時代相を明らかにするために登場人物をつくっただろう」とし指摘している。そして、「書き方に工夫もあれば、フィクションと言うか、仕掛けもある」、この作品が「自分のものの考え方、思想を支えてくれる大きな柱となっています」と続けている。

『若き日の詩人たちの肖像』上、アマゾン『若き日の詩人たちの肖像』下、アマゾン(書影は「アマゾン」より)

フランス文学者の鹿島氏も、「自伝小説『若き日の詩人たちの肖像』を読むのが堀田善衞という文学者を理解する近道です」とし、この作品の題名がジェイムズ・ジョイスの『若い芸術家の肖像』からとられてはいるが、「それをちょっと変えて、『詩人たち』という複数形にしてある」ことに注意を促している。

そしてここでは本来、接点のないはずの慶応仏文グループと「荒地」グループが描かれていることを指摘し、「自分と全く違うものを学ぶということは、比較が可能になるということです」と書き、「比較を進めることによって、逆に、自分とは何かが分かってくる。あるいは、自分たちと比較することによって、他者が分かってくる」と書いている。

鹿島氏は「『若き日の詩人たちの肖像』を書いたことによって、あらためて、なぜ自分はフランス文学をあの時期に選んだのかということを考え」、それが「ヨーロッパ的なものを見据えてみよう」という思いにつながったのだろうと書いているがそれは確実だろう。

昭和初期の暗い時代を題材に自伝的な形で長編小説を描いたことが、「評伝文学の傑作」である『ゴヤ』や「最大の作品」である『ミシュレ 城館の人』にもつながったのだと思える。

さらに、池澤氏は『方丈記私記』や『定家明月記私抄』にも言及しているが、『若き日の詩人たちの肖像』の記述によれば、これらの作品の価値を見出したのが徴兵される間近の頃であることに留意するならば、この自伝的な長編小説の重要性が分かるだろう。

憲法学者の小林節氏によれば、安倍首相が尊敬する岸元首相たちにとって「日本がもっとも素晴らしかった時期は、国家が一丸となった、終戦までの一〇年ほど」、すなわち「ファシズム」の時代であった(『「憲法改正」の真実』集英社新書)。

その時代への回帰を目指す「日本会議」に支援された安倍政権による「立憲主義」の崩壊を食い止めるためにも、題辞で引用されている『白夜』ばかりでなく、『罪と罰』や『白痴』、さらには『悪霊』ついての考察も記されているこの長編小説の現代的な意義について、ドストエフスキー研究者の視点からいずれきちんと読み解きたいと考えている。

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本書に関連した文章を引用しておく。

堀田善衞『時代と人間』

「乱世について述べたい。……この二十世紀の末も大乱世一つだろうと私は思っている。」(堀田善衞)

「堀田さんは海原に屹立している巌のような方だった。潮に流されて自分の位置が判らなくなった時、ぼくは何度も堀田さんにたすけられた」(宮崎駿) 

堀田善衞『若き日の詩人たちの肖像』

「ヨーロッパで戦争」が始まると「東京の街々では、喫茶店や映画館で、また直接の街頭でさえ、官憲によって“学生狩り”というものが行われ」、「一晩か二晩留置所に放り込み、脅かしておいて放り出す。そういう無法が法の名において」行われるようになった。  https://twitter.com/stakaha5/status/930086230250831872

(2019年2月22日、加筆、2024/03/13、ツイートを追加)