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01月

夏目漱石の「明治維新」観と司馬遼太郎の『坂の上の雲』

1月1日の年頭所感で安倍首相は「本年は、明治維新から、150年目の年です」と切り出して「明治維新」の意義を賛美し、それを受けて菅義偉官房長官は「大きな節目で、明治の精神に学び、日本の強みを再認識することは重要だ」と語っていました。

しかし、夏目漱石や司馬遼太郎についての                                                                                                                                        造詣の深い作家の半藤一利氏は、「明治維新150周年、何がめでたい」と題されたインタビュー記事で、そのような安倍政権の官軍的な歴史認識を指摘して、「賊軍は差別を受け、今も原発は賊軍地域に集中している」と批判していました。

→ 半藤一利「明治維新150周年、何がめでたい」 – 東洋経済オンライン

夏目漱石との関連で注目したいのは、夏目漱石や永井荷風が「著作の中で『維新』という言葉は使っていません」と指摘した半藤氏が、「明治初期の詔勅(しょうちょく)や太政官布告(だじょうかんふこく)などを見ても大概は「御一新」で、維新という言葉は用いられて」おらず、「『明治維新』という言葉が使われだしたのは」、政変で肥前(佐賀)の大隈重信らが政権から追い出される前年の明治13年か明治14年からであることを指摘して、次のように続けていることです。

「薩長政府は、自分たちを正当化するためにも、権謀術数と暴力で勝ち取った政権を、『維新』の美名で飾りたかったのではないでしょうか。自分たちのやった革命が間違ったものではなかったとする、薩長政府のプロパガンダの1つだといっていいでしょう。」この指摘は夏目漱石や正岡子規の文学作品を理解する上でも重要だと思われます。(夏目漱石と正岡子規の時代と報道の自由の問題のスレッド↓)

夏目漱石の文学観の深まりについては、「夏目漱石と世界文学」をテーマとした「世界文学会」の2017年度第4回研究会で発表し、その後、「夏目漱石と正岡子規の交友と方法としての比較――「教育勅語」の渙発から大逆事件へ〕を『世界文学』(第126号、2017)に寄稿しました。

なぜならば、安倍首相は「明治維新」が「これまでの身分制を廃し、すべての日本人を従来の制度や慣習から」解き放ったと語っていましたが、実態はむしろその反対だったからです。

たとえば、夏目漱石は長編小説『破戒』を高く評価していましたが、島崎藤村はその冒頭で宿泊客が穢多(えた)であるとの噂が広がると他の客が「不浄だ、不浄だ」と罵詈(ばり)雑言を投げかけ、追い出す際には「塩を掴んで庭に蒔散(まきち)らす弥次馬」もあらわれたという場面を描いていました。

明治4年に「穢多非人ノ称ヲ廃シ身分職業共平民同様トス」とされた「解放令」によって名称が「新平民」と変わっても実質的には激しい差別は続いていたのです。。

一方、「明治維新」を賛美した安倍首相の政権下の日本では、韓国や中国の人々に対するヘイトスピーチだけでなく、福島の被爆者や沖縄県民に対しても侮辱的な言動が再び横行するようになっています。

そのことについては、法学部で学んだ元学生を主人公として『罪と罰』との関係で、被差別部落民を主人公とした長編小説『破戒』を考察した拙論「『罪と罰』から『破戒』へ――北村透谷を介して」で詳しく論じました。

「明治維新」を賛美することで「立憲主義」的な考えを排除した薩長藩閥政府の歴史認識と「憲法」の問題はきわめて重要ですので、文学的な視点からこの問題を考察する著書をなるべく早くに発行したいと思っています。

*   *   *

司馬遼太郎の『坂の上の雲』

司馬遼太郎氏は産経新聞などによって「明治国家」の賛美者とされてきました。しかし、すでに『竜馬がゆく』において、「天誅」の名前でテロを正当化していた幕末の「神国思想」が「国定国史教科書の史観」となったと指摘し他司馬は、「その狂信的な流れは昭和になって、昭和維新を信ずる妄想グループにひきつがれ、ついに大東亜戦争をひきおこして、国を惨憺(さんたん)たる荒廃におとし入れた」と記していたのです。

しかも、司馬は広い視野を持ち『三四郎』では自分と同世代の登場人物広田先生に、「いくら日露戦争に勝って、一等国になっても駄目ですね」と語らせていた夏目漱石を深く敬愛していました。

それゆえ、『坂の上の雲』の終了後に書いたエッセー「竜馬像の変遷」で司馬氏は、「王政復古」が宣言されてから1945年までが約80年であることをふまえて、「明治国家の続いている八十年間、その体制側に立ってものを考えることをしない人間は、乱臣賊子とされた」といて指摘しています。

「人間は法のもとに平等であるとか、その平等は天賦のものであるとか、それが明治の精神であるべきです」と強調した司馬氏は、「結局、明治国家が八十年で滅んでくれたために、戦後社会のわれわれは明治国家の呪縛から解放された」と続けていました(太字は引用者)。

以下に、私は日露の近代化の比較という視点から『坂の上の雲』など司馬作品を読み解いたツイートを掲載します。

【本書では「報復の権利」を主張して開始されたイラク戦争後の混沌とした国際情勢を踏まえて『坂の上の雲』を読み解くことで、「自国の正義」を主張して「愛国心」などの「情念」を煽りつつ「国民」を戦争に駆り立ててきた近代の戦争発生の仕組みと危険性を考察した。】

(2023/12/02、12/03、改訂、改題)

ドストエーフスキイの会、第243回例会(赤淵里沙子氏)のご案内

第243回例会のご案内が未掲載でした。

お詫びの上、「ニュースレター」(No.144)より転載します。

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第243回例会のご案内

 下記の要領で例会を開催いたします。皆様のご参加をお待ちしています。

                                         

日 時2018113日(土)午後2時~5

場 所千駄ヶ谷区民会館

(JR原宿駅下車7分)  ℡:03-3402-7854  

報告者:赤淵里沙子 氏

題 目:『悪霊』にみる思想、信仰と集団の必然性

*会員無料・一般参加者=会場費500円

報告者紹介:赤渕里沙子(あかふち りさこ)

 現在、早稲田大学ロシア語ロシア文学コース4年生に在学中。2015~2016年、サンクトペテルブルク国立大学に留学。来年度から同コース修士課程に進学予定。ドストエフスキーとの関連で、19世紀から20世紀初頭までのロシア思想を中心に研究。

 *   *   *

243回例会報告要旨

『悪霊』にみる思想、信仰と集団の必然性

  『罪と罰』において、ドストエフスキーは既存の道徳に不信をもったある個人の精神世界を掘り下げ、社会に開示した。変わらぬ日常の中で、たった一人、変化を経験した個人がどのような末路を辿るのか、それが『罪と罰』では描かれている。時代が進んで、作家は再び罪を犯す人間についての作品に取りかかる。しかしそこでとりあげたのは、個人ではなく集団の心理であった。法と戦うラスコーリニコフという直線的な構図は、『悪霊』においてより複雑なものへと拡大される。疑いを抱いた青年ラスコーリニコフは、その不信の芽を植え付けた40年代の知識人、また、西欧のニヒリズムを体現する革命家、そして彼に魅了され賛同していくロシア国民をはじめ、様々な要素へと分裂し、より詳細に描かれていく。

 この意味で、作家の問題意識が、個人の内面世界での考察を経て、改めて社会を舞台として展開されたのが『悪霊』といえよう。そしてそこで現れてきたのは、ただ一つ五人組という集団のみではない。物語において様々なレベルで形成され、それぞれに思想を抱く集団を観察することで、作品の詳細な理解へとつながり、また集団という概念を念頭に置くことで、スタヴローギンの苦悩を異なる側面から眺めることができると考える。

 この『悪霊』執筆時に、ドストエフスキーがネチャーエフ事件から受けた印象というのも、そもそも集団性への関心が根底にあってのものだった。というのも、彼がこの事件に強いインスピレーションを受けたのは、平凡で善良な人間たちが、ネチャーエフによる思想の感化にさらされたときに、途轍もなく醜悪な殺人をやってのける、つまり集団が思想に食いつくされ、その道徳観が理解しがたいものへと変化してしまう、その過程に驚愕を覚えたからである。西欧から流れ込んでくる無神論的社会主義に若者たちが惹かれていった当時、集団と思想の相互関係への意識が、少なからずドストエフスキーに抱かれていたことは、作品の外において書簡や『作家の日記』でしばしば言及されていることからも明らかである。

 『悪霊』においては、作家の集団性への意識はまず「町」という形で現れてくる。アントン氏による事件の叙述として進められる作品の語りが、実質的にはその情報の大部分に噂や評判といった町の人々の声が介在するもので、それらが登場人物たちの言動を左右する重要な要素として作用していることからも、それは観察できる。また、ピョートルやステパンによる外部からの思想的な脅威に対して、土着の内部として現れてくる「町」は、インテリゲンツィヤに対して浮かび上がってくるロシアの農民層とパラレルで捉えることができる。ドストエフスキ

ーは、国民性として集団に共通して抱かれる思想というものに強い信頼を寄せていたが、彼が当時社会の抱える精神的な揺らぎに対してもっていた危惧が、安定的なロシアという土に根の繋がった民衆を象徴する「町」として現れたのだと考えられよう。

 一方で、対抗する勢力としてピョートルによってもたらされる無神論的革命思想は、人々の抱く既存の道徳を破壊することで、社会を変革しようと試みる。改革は政治形態の置き換えに留まってはならず、集団の精神的な変化を契機とする根本的な部分からの転覆を目指すのであり、その視点から、彼らもまた集団を形成して社会へとアプローチする。物語の舞台である町それ自体も、ピョートル率いる五人組や、それに対抗して現れるフェージカと放火犯たちの一派など、いくつかの集団から成る集合体で捉えられることを確認し、その一方で強烈に作用するスタヴローギンの集団を分裂させる力が、究極の思想としての信仰の非実現を導く要素の一つとして考えられるのではないかという可能性を提示していきたい。

堀田善衛の生誕100周年をむかえて

明けましておめでとうございます。

昨年も日本は「夜明け前」の暗さが続いた1年でしたが、

「立憲民主党」が創設されたことでなんとか

「立憲主義」の崩壊が避けられました。

また、世界でも「核兵器禁止条約」が結ばれ、

ICANにノーベル平和賞が与えられるなど

新しい流れも生まれました。

賀正、宇宙

安倍政権はいまだにアメリカ第一主義に追随した政策を行っていますが、

環境問題に関連して日本とアメリカを批判した司馬遼太郎の言葉を受けて、

堀田善衛は「これからは日本は自国一国ではなしに、

地球全体のことを考えていかないとやっていけなくなる」と発言していました。

(『時代の風音』、朝日文庫、1997年)。

堀田善衛の生誕100周年にあたる今年こそは、

なんとか未来への希望の持てる年になることを念願しています。

本年もよろしくお願いします。