「日本魂とは何ぞや、一言にして云へば、忠君愛国の精神也。君国の為めには、我が生命、財産、其他のあらゆるものを献ぐるの精神也」(徳富蘇峰『大正の青年と帝国の前途』、拙著『新聞への思い』人文書館、190頁)。
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『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)
正岡子規の時代と現代(6)――『坂の上の雲』における「自殺戦術」の批判と徳富蘇峰の日本軍人観
「『司馬史観』の説得力」という論考で教育学者の藤岡信勝氏は、長編小説『坂の上の雲』では「健康なナショナリズムに鼓舞されて、その知力と精力の限界まで捧げて戦い抜いた」明治の人々の姿が描かれているとし、自分たちの歴史認識は「司馬史観」と多くの点で重なると誇っていました。
しかし、藤岡氏が作家の司馬遼太郎氏が亡くなった一九九六年にこの論考を発表したのは、司馬氏から徹底的に批判されることを危惧したためではないかと思われます。なぜならば、司馬氏は日本陸軍の最初の大きな戦いであり、「貧乏で世界常識に欠けた国の陸軍が、銃剣突撃の思想で攻めよう」としたために、「おもわぬ屍山血河(しざんけつが)の惨状を招くことになった」南山の激戦での攻撃を次のように描いているからです(傍点引用者、三・「陸軍」)。
「歩兵は途中砲煙をくぐり、砲火に粉砕されながら、ようやく生き残りがそこまで接近すると緻密(ちみつ)な火網(かもう)を構成している敵の機関銃が、前後左右から猛射してきて、虫のように殺されてしまう。それでも日本軍は、勇敢なのか忠実なのか、前進しかしらぬ生きもののようにこのロシア陣地の火網のなかに入ってくる。入ると、まるで人肉をミキサーにでかけたようにこなごなにされてしまう」(太字は引用者)。
以下、太平洋戦争時の「特攻隊」につながる「自殺戦術」が、『坂の上の雲』でどのように描かれているかを簡単に見たあとで、徳富蘇峰が『大正の青年と帝国の前途』で描いた「突撃」観との比較を行うことにします。
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南山の激戦での日本軍の攻撃方法に注意を促していた司馬氏は、前節で見た旅順艦隊との海戦を描いた後で、旅順の要塞をめぐる死闘は「要塞の前衛基地である剣山の攻防からかぞえると、百九十一日を要し、日本側の死傷六万人という世界戦史にもない未曾有の流血の記録をつくった」と指摘しています(三・「黄塵」)。
注目したいのは、「驚嘆すべきことは、乃木軍の最高幹部の無能よりも、命令のまま黙々と埋め草になって死んでゆくこの明治という時代の無名日本人たちの温順さ」であると記した司馬氏が、「命令は絶対のものであった。かれらは、一つおぼえのようにくりかえされる同一目標への攻撃命令に黙々としたがい、巨大な殺人機械の前で団体ごと、束(たば)になって殺された」と続けていることです。
ことに後の「特攻隊」につながる決死隊が、「ようやく松樹山西方の鉄条網の線に到達したとき、敵の砲火と機関銃火はすさまじく、とくに側面からの砲火が白襷隊(しろだすきたい)の生命をかなりうばった」とされ、「三千人の白襷隊が事実上潰滅したのは、午後八時四十分の戦闘開始から一時間ほど経ってからであった」と描かれています(四・「旅順総攻撃」)。
ここで司馬氏は、「虫のように殺されてしまう」兵士への深い哀悼の念を記していましたが、実は夏目漱石も日露戦争直後の一九〇六年一月に発表した短編小説『趣味の遺伝』では、旅順での苛酷な戦闘で亡くなった友人の無念さに思いを馳せてこう描いていました*29。
「狙いを定めて打ち出す機関砲は、杖を引いて竹垣の側面を走らす時の音がして瞬(またた)く間に彼等を射殺した。殺された者が這い上がれる筈がない。石を置いた沢庵(たくあん)の如く積み重なって、人の眼に触れぬ坑内に横はる者に、向へ上がれと望むのは、望むものヽ無理である」。
しかも、この作品の冒頭近くで軍の凱旋を祝す行列に新橋駅で出会った主人公が、「大和魂を鋳固めた製作品」のような兵士たちの中に、「亡友浩さんとよく似た二十八九の軍曹」を見かける場面を描いていた漱石は、「沢庵の如く積み重なって」死んでいる友人への思いを、「日露の講和が成就して乃木大将が目出度(めでた)く凱旋しても上がる事は出来ん」と記していたのです(太字は引用者)。
このように見てくるとき、突撃の場面が何度も詳細に描かれているのは、「国家」のために自らの死をも怖れなかった明治の庶民の勇敢さや「心意気」を描くためではなく、ひとびとの平等や自由のために「国民国家」の樹立を目指した坂本竜馬たち幕末の志士たちの熱い思いと、長い歴史を経てようやく「自立」した「国民」は、いつ命令に従うだけの従順な「臣民」に堕してしまったのだろうかという重たい問いを司馬氏が漱石から受けついでいたためではないかと思われます。(『新聞への思い』、177~178頁)。
ことに主人公の苦沙弥先生に、「大和魂(やまとだましい)! と叫んで日本人が肺病みの様な咳をした」という文章で始まる新体詩を朗読させることで、「大和魂」を絶対化して「スローガン」のように用いることの危険性を指摘していた『吾輩は猫である』は、『坂の上の雲』という長編小説を考える上でも重要だと思われます。
なぜならば司馬氏は、小説の筋における時間の流れに逆行する形で、南山の激戦や旅順での白襷隊の突撃を描く前に、「太平洋戦争を指導した日本陸軍の首脳部の戦略戦術思想」を、「戦略的基盤や経済的基礎のうらづけのない、『必勝の信念』の鼓吹(こすい)や『神州不滅』思想の宣伝、それに自殺戦術の賛美とその固定化という信じがたいほどの神秘哲学が、軍服をきた戦争指導者たちの基礎思想のようになってしまっていた」と痛烈に批判していたからです(三・「砲火」)。
そして、『坂の上の雲』を書き終わった一九七二年に発表した「戦車・この憂鬱な乗り物」と題したエッセーで司馬氏は、「戦車であればいいじゃないか。防御鋼板の薄さは大和魂でおぎなう」とした「参謀本部の思想」を厳しく批判しているのです(太字は引用者)*32。(『新聞への思い』、180~181頁)。
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このように見てくるとき、『坂の上の雲』では「健康なナショナリズムに鼓舞されて、その知力と精力の限界まで捧げて戦い抜いた」明治の人々の姿が描かれているという藤岡氏の解釈が、「思い込み」に近いものであることが分かります。しかし、藤岡氏のような解釈が生じた原因は、「テキスト」に描かれている事実ではなく、「テキスト」に感情移入して「主観的に読む」ことが勧められていた日本の文学論や歴史教育にもあると思われます。
なぜならば、坂本多加雄・「新しい歴史教科書を作る会」理事も、徳富蘇峰を「巧みな『物語』制作者」であるとし、「そうした『物語』によって提示される『事実』が、今日なお、われわれに様々なことを語りかけてくる」として、蘇峰の歴史観の現代的な意義を強調していたからです。
では、『大正の青年と帝国の前途』において「『義勇公に奉すべし』と記されている『教育勅語』を「国体教育主義を経典化した」と位置づけていた蘇峰は、どのように日露戦争の「突撃」を描いていたのでしょうか。
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第一次世界大戦中の大正五年(一九一六)に公刊した『大正の青年と帝国の前途』において「何物よりも、大切なるは、我が日本魂也」とし、「日本魂とは何ぞや、一言にして云へば、忠君愛国の精神也」とした徳富蘇峰は、それは「君国の為めには、我が生命、財産、其他のあらゆるものを献ぐるの精神也」と説明し、さらに危険な硫化銅塊を置いても「先頭から順次に」その中に飛び込んだ「白蟻の勇敢さ」と比較すれば、「我が旅順の攻撃も」、「顔色なきが如し」とさえ書いて、集団のためには自分の生命をもかえりみない「白蟻」の勇敢さを讃えていたのです*40。
司馬氏は日露戦争以降の日本で強まった「自殺戦術の讃美とその固定化という信じがたいほどの神秘哲学」を『坂の上の雲』で厳しく批判していましたが、そのような思想を強烈に唱えたのが日露戦争後の蘇峰だったのです。
ここで思い起こしておきたいのは、漱石や子規の文章を「自他の環境の本質や状態をのべることもできる」と高く評価した司馬氏が、「桂月も鏡花も蘇峰も一目的にしか通用しない」と記していたことです*41。
鏡花については論じることはできませんが、旅順の攻撃で突撃する日本兵が「虫のように」殺されたと描いたとき司馬氏が、「国民」から人間としての尊厳を奪い、「臣民」として「勇敢な」白蟻のように戦うことを強いる大町桂月や徳富蘇峰の文章を考えていたことは間違いないだろうと私は考えています。
そのような蘇峰の『国民新聞』と対照的な姿勢を示したのが、子規が入社してからは俳句欄を創設していた新聞『日本』でした。(『新聞への思い』、190~191頁)。
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追記:安倍政権による「共謀罪」の危険性
小説家の盛田隆二氏(@product1954)はツイッターで「毎日新聞【230万人はどのように戦死したのか】は必読。どの戦場でも戦死者の6~8割が「餓死」という世界でも例がない惨状。日本軍の「ブラック企業」体質は70年前から現在に一直線に繋がっている」と書いています→
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このような悲惨な太平洋戦争にも「日本会議」系の論客が評価する言論人の徳富蘇峰が、『大正の青年と帝国の前途』(大正5)で、「教育勅語」を「国体教育主義を経典化した」ものと規定し、「君国の為めには、我が生命、財産、其他のあらゆるものを献ぐるの精神」の必要性を分かり易く解説していたことは繋がっていると思われます。
再び、悲劇を繰り返さないためにも稲田朋美・防衛相をはじめとして多くの閣僚たちが「教育勅語」を賛美している安倍政権による「共謀罪」を成立は阻止しなければなりません。
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→『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(目次)
→人文書館のHPに掲載された「ブックレビュー」、『新聞への思い 正岡子規と「坂の上の雲」』