集団的自衛権の行使を認めた2014年7月の閣議決定に関連して、法制局が内部の検討資料を正式な行政文書として残していないとしてことが明らかになり問題となっていましたが、1月21日に参院決算委が「この閣議決定に関して法制局が作成、保存した全ての文書の開示を要求」したことから、新たな事実が判明しました。
2月17日の「朝日新聞」朝刊は、「内閣法制局が国会審議に備えた想定問答を作成しながら、国会から文書開示の要求があったのに開示していなかったこと」や、「法制局は閣議決定までの内部協議の過程を記録していないこと」も明らかになったと報道していました。
今朝(2月24日)の「東京新聞」はそのような経過も踏まえて「内閣法制局 内部文書を国会に示せ」という社説を載せています。分かりやすく論理的な文章なので、その一部をここで引用しておきます。
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「どのように集団的自衛権をめぐる憲法解釈を変更したのか。内閣法制局は内部検討資料があるのに国会への開示を拒んでいる。憲法上の重大問題だけに、解釈変更のプロセスは明らかにすべきだ。
日本は相手から攻撃を受けていないのに、武力で同盟関係にある他国を守る-。簡単に言えば集団的自衛権はそう説明できる。政府は従来一貫して、この行使は認められないとしてきた。
有名なのは一九七二年の政府見解だ。ここでは、自衛の措置をとることはできるが、平和主義を基本原則とする憲法が無制限にそれを認めているとは解されないこと。さらに集団的自衛権の行使は憲法上、許されないことをはっきりと明言している。
むろん、「憲法の番人」といわれる歴代の内閣法制局長官もこの見解を踏襲している。国民に対しての約束事であり、国際社会に対する約束事であったはずだ。
ところが、一昨年七月に安倍晋三内閣がその約束事をひっくり返し、集団的自衛権の行使容認を閣議決定してしまった。…中略…
この閣議決定は憲法改正に等しい事態だった。それを受けた安全保障関連法も憲法違反の疑いが濃厚で、野党から廃止法案が出ている。国会に提示すべき文書といえよう。内閣法制局が重要文書の開示を拒み続けるのは、国民の「知る権利」の侵害と同じだ。
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憲法53条は臨時国会の召集について、「いずれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない」と定めており、昨年の秋に野党各党は衆参両院でそれぞれ4分の1以上の議員数により「臨時国会召集要求書」を提出していました。/「憲法」の規定による要求を無視していたことは、「国民」の正当な権利の侵害にあたると思われますが、安倍政権が「国会」開催に躊躇したのは、このような「事実」が明らかにされることを嫌がったためだと思われます。
多くの「憲法」違反と思われる国会運営を行っている安倍内閣と閣僚たちの違法性については、テレビなどできちんと報道されるべきなのですが、戦前の内務大臣を思わせるような「総務大臣」の報道統制についての発言で萎縮しているようにも見えます。
「政権」を選挙で選ぶという民主主義は手間暇のかかる制度ですが、それまでの「武力」による権力の奪取しか方法のなかった時代と比較するときわめて穏健で、妥当な制度だと思われます。その民主主義を守るためにも帝政ロシアの政策を想起させるような危険な「安倍政権」の問題点を、HPを通して指摘していきたいと考えています。
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